466 終末の惑星
別の時間軸という前置きはあるが、約一週間ぶりとなる宇宙空間。
感慨深さを感じる暇も無く、アーサーは追いついた『バアル』に殴りかかった。当然、そんなものでビクともしないが注意は引けたようだった。まるでネミリアの意志ではなく『バアル』の意志でそうしているように、止まった『バアル』の鋭い眼光が『マルコシアス』を射抜く。というより実際、その目からエネルギー砲が放たれた。なんとか横に飛んで回避したが、体躯と同じその規模に戦慄する。当たれば同じ『魔装騎兵』といえど蒸発していただろう。
「ッ……んの!! 目からビームまで放つのかよ!!」
叫んで自らを鼓舞し、アーサーは『バアル』の方に向かって加速した。
『バアル』の周囲にいくつもの『魔法陣』が浮かび上がると大量の『炮閃』が放たれ、さらに腰回りのパーツが分離して『マルコシアス』と同じサイズの無数の剣がこちらを追尾してくる。
「くっ……『スネークブレード』!!」
新たに組み込まれた『マルコシアス』の武装である、尾に設置されたワイヤーに繋がった刃。それを射出して飛んでくる剣を弾き、同時に『炮閃』を躱しながら『バアル』に近づいて行く。そして『エクシード』を『マルコシアス』が握れるサイズの剣に変化させると、魔力を纏わせて振るう。
「食らえ―――『鸚鵡斬撃剣』!!」
集束魔力の剣を振り下ろすと『バアル』は片手で受け止めた。さらにもう片方の手と入れ替えるように放たれた拳で殴り飛ばされた。グルグルと回転しながら無重力空間を吹き飛んで行き、なんとか『グリフォンウィング』を使って体勢を整えると、その隙に『バアル』から無数の細い光線が放たれていた。すぐに回避する為に横に飛ぶが、それらは鋭く曲がって『マルコシアス』を追って来る。まさかの追尾機能付きだ。すぐにそれも回避しようとするが何発か食らってしまい、『マルコシアス』のディスプレイが所々ひび割れて砕けると破片がアーサーの頬を切った。
「まだだ……まだ、止まれない……ッ!!」
だけど気にしない。最初から無謀な戦いだというのは分かっていた。だから戦力差を理由に諦めない。
世界を救うために自分を犠牲にする。それはアーサーが何度も取って来た行動で、他人がその行動を取った時はそれを止めようとするのはお門違いなのかもしれない。
だけどこの決断が少なからず彼女と繋がってしまったのが原因なら、アーサーにはそれを止める責任がある。
「無理をさせてすまない。でもネムを救うために……あと少しだけ力を貸してくれ、『マルコシアス=ゼヴメレク』!!」
その想いに呼応するように『マルコシアス』はさらに加速する。しかしその先で待ち受けていたかのように巨大な手に掴まれた。さらに少しずつ握り潰されて『マルコシアス』が軋む。
「ぐッ……来い!!」
だが捕まる寸前、伸ばしていた『スネークブレード』を操って『バアル』の手を弾くと難を逃れる。そして一気に勝負を決める為に行動に移る。
「『鐵を打ち、扱い統べる者』!!」
魔力を使って生み出したのは『マルコシアス』が扱うには大きく、『バアル』の体に匹敵するほどの大きさの剣だった。それをアーサーは操り、『バアル』の胸部の球体に向かって突き刺した。そしてその剣を道にして真っ直ぐ飛ぶと、アーサーは再び『バアル』の中に飛び込んだ。
アーサーを迎え入れたのは、最初と同じような一寸先すら見えない一面の闇。
だけど、アーサーには見えていた。
「ネムを返して貰うぞ! お前はもう眠れ、『バアル』!!」
『ただその祈りを届けるために』。『マルコシアス』越しに放たれた集束魔力砲が闇を散らし、『バアル』は内側から爆発して沈黙した。
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謎の温かさを感じて、ネミリアは目を覚ました。
目を開くとそこには、彼女が最も信頼する少年の顔があった。
「……レン、さん……?」
『マルコシアス』のコックピットの中で、自分が座っているアーサーの膝の上に抱きかかえられている事に気付いた。
「良かった。目を覚ましたんだな」
最初、夢かと思った。けれど呼びかけに応じて笑みを浮かべる彼を見て、これが現実だという実感が湧いて来た。
そして少し周囲を見渡して何があったのかを悟る。『バアル』は原型を留めていないほど破壊されていて、『マルコシアス』も動けないほど半壊していた。
「……また、助けてくれたんですね」
「何度でも助けるよ。たとえ望まれていなかったとしても」
アーサーが見つめる先。そこには『バアル』の破壊と共に放たれた高密度なエネルギーの影響で、エメラルドに煌いて漂うオーロラのような光があった。
「……すごい、です……この世界には、こんな綺麗なものもあるんですね……」
「ああ。世界にはこんな奇蹟みたいな光景がまだ沢山あるんだ。だからこの世界は、絶対にお前を苦しめるためだけにあるんじゃない」
「ええ……本当に、今なら心からそう思えます」
何度でも、何度でも。記憶を失っても、敵として現れても。分裂の切っ掛けを作っても、世界を破滅に導くと知っても。助けを求めていないと突っぱねても。
彼は助けてくれた。ここまでされて、この感情を抱かない方が難しかった。
「レンさん……」
すぐ間近にある彼の顔。呼びかけに応じて視線を合わしてくれた彼の肩に手を伸ばして、ぐっと顔を近づけると唇を奪った。
好意、恋慕、情愛。本当はずっと前から抱いていたその感情を、彼女は行動として示した。
「好きです……大好きです。きっと本当はずっと前から、『ピスケス王国』であなたと繋がった時から、あなたの事を愛おしいと感じていました」
「あ、ああ……ありがとう。ちょっとびっくりしたけど……嬉しいよ、ネム」
俺も大好きだよ、と。
スゥの時と同じように、アーサーにはそう続ける事ができなかった。
だから代わりに、彼女を本当の意味で救う為にもう一歩だけ踏み込む。
「俺は必ずお前を助ける。だから教えてくれ、ネムの母親の名前を」
「……はい。教えます」
本当はもっと早くに聞くべきだったのに、それでも今まで聞かなかったのは、少しだけ遠慮していたのと罪悪感があったから。それは確証が無くても、彼女の母親の存在を何となく感じ取っていたから。
でも、もうなりふり構わない。
もはや選択肢は残されていない。ネミリアが破滅した未来と向き合ったように、アーサーもまた彼女を助ける為に過去と向き合わなくてはならない。
「わたしのお母さんの名前は―――エミリア・ニーデルマイヤーです」
その名前を出されて、意外なほど驚きは無かった。
予感はあった。
ネミリアと一緒にいると、理由も分からずシエルの事を思い出す。それにあの事件で死んだデスストーカーのドッペルゲンガーのジョー・グラッドストーンとの出会いや、あの事件の後で初めて遭遇した敵の『ホロコーストボール』。記憶を想起させるには十分だ。
「……すみません。もう……意識を保つのも、難しい……です」
見ると目蓋が重くなっているのか、今にも眠ってしまいそうだった。意識せずともネミリアを抱くアーサーの腕に力が入る。
ネミリアもアーサーの服をきゅっと掴み、潤んだ瞳で彼を見上げる。
「『たすけて』……くれます、か……?」
「ああ、任せてくれ。どんな運命も踏破して、必ず俺がお前を幸せにする。もしまたネムが自分を殺そうとしても、ネムから問われる全ての事から守り続ける。そう約束する。今度こそ守ってみせる」
「そうですか……良かったです」
そう呟いて、ネミリアは安心しきったように再び眠りに落ちた。息づかいも聞こえるので、まだ彼女の命には時間が残されているようで少しだけ安堵する。
そうしてアーサーは再び視線を前に戻す。そこには迎えに来てくれた紬が乗っているであろう『アスモデウス』の姿があり、自分達が暮らす場所を目に焼き付けて意識を手放していく。
『人間領』と『魔族領』。その僅かな土地以外の全てが燃え滾る、どこまでも奇妙なこの星を。




