465 特別な事をしなくても
アーサーがヴェールヌイと決着をつけた時、その衝撃波は『バルゴ王国』中に広がって『バアル』の光は消え、その頭上にあった巨大な『次元門』は消え去った。
だから遠くから眺めていたエリザベスとワーテルがその結果を察するのは難しくなかった。
「私は世界を終わらせる事が出来なかったか……残念だ」
感傷に浸るように瞳を閉じて、ワーテルはそう呟いた。
どこか憑き物が取れたような印象を受けながら、エリザベスは問いかける。
「……例えばの話だが、他の『ユニバース』から母上を連れて来ようとは思わなかったのか?」
「何度も考えた。だが私自身がそれを、彼女と思う事ができないと分かってしまった。そんな時に彼女と出会い、その思想に共感した」
ヴェールヌイの思想が、少なくない人々に共感されるのは分かっていた。人生に理不尽や不条理を感じている者は特にそうだろう。
エリザベスだって母親を失ってそう思った事がある。だからワーテルの気持ちは痛いほどわかる。だがエリザベスには彼と違う点が一つあった。
「……父上にも、母上以外に心を許せる相手がいたら良かったのにな。余ではそうなれなかったのが悔まれる」
「どちらにせよ、私の答えは変わらん」
「だが思い直す機会は与えられたはずだ。余達のような立場の人間にとって、ユウナや『ディッパーズ』のような心を許せる相手は貴重だ。自分達が特別な存在などではないと分からせてくれる」
「とても王族の言葉とは思えんな」
「本来、それで良いはずなのだ。たとえ王族という立場に在ろうと、余達は所詮、矮小でちっぽけでくだらない人間だ。だから大切な者達を想い、悼む事ができる。たとえ王として相応しくないと言われようと、余は人間の王として在り続ける」
言いながら、エリザベスは懐から拳銃を取り出した。そして銃口を真っ直ぐワーテルの方に向けると撃鉄を起こす。
「……お前には権利がある。終わらせるなら好きにしろ」
引き金を引くだけで死んでしまうその位置で、ワーテルは避けようともせずそう言った。
親子というにはあまりにも異質な関係だった。母親を失った娘に見向きもせず、傀儡として王女に据え、たった一人の友人を人質に取り、冗談抜きに世界を終わらせようとした。もはや家族の情は残っていない。ただ敵を倒す為の行動。そう割り切ってしまえる。
そして、エリザベスは引き金を引いた。
しかしそこから銃弾が放たれる事はなかった。
「……余はお前とは違う。幽閉はさせて貰う。だが殺しはしない」
「……そうか」
そう呟いたワーテルは、命を拾ったというのに悲しそうにそう呟いた。もしかしたらワーテルは娘の手で死ぬ事を最後の救いと定めていたのかもしれない。だがエリザベスにはわざわざ望みを叶えてやる必要は無い。拳銃はテーブルの上に置き、一人で席を立つ。生気が抜けたようなワーテルは抵抗もせず、彼女の後を付いて行った。
◇◇◇◇◇◇◇
アーサーは紬と合流してから、自身が殴り飛ばしたヴェールヌイに近付いた。どうやら意識はあるようだが、動く気配は見られなかった。
「まだやる? アーサーくんはもう限界だけど、あたしはまだやれるよ?」
「……いえ、もう十分です。お前達には勝てないと悟りましたから」
戦意自体は失っているらしい。『フェネクス』の力で回復すればまだ戦えそうだが、そう言った面とは別の面で悟ったらしい。
「……私がやろうとした事なんて、人間の無自覚の悪意に比べたら可愛いものですよ」
無自覚の悪意。
彼女が指すその言葉の意味を、アーサーと紬は聞かなくても分かってしまった。だからそれを大前提として敗北者は語る。
「等しく全てを終わらせたかった……苦悩も後悔も絶望も低迷も感じる事のない穏やかな死で世界を覆いたかったんです。そこには敗者も勝者もなく、全てが等しく無くなる事で私達のような存在が生まれないように……だってこの世界はどこまでも間違っていて、救いなんて一切の意味を成さないんですから」
暴力の代わりに言葉を紡ぐ彼女の姿は、とても弱々しくて年相応の少女に見えた。
そして彼女が語る言葉には一つの真実があった。
多くの人々が目を逸らし、立ち向かう事すら出来ない巨大なものに挑んだ叛逆者。それが突き詰めた彼女の姿なのだろう。
「……確かにあんたの言う通り、この世界に救いなんてものは存在しないのかもしれない。他人を想って行動できる人よりも、他人を蹴落として個人の幸せを追求する人の方が大多数なのも分かってる。そうした大多数に、少数の善人が押し潰されてしまう事も」
だからその少数の善人を大多数から守りたいと思った。
けれど少数というのはいつも無力で、例えばネミリアにしてもミオにしても、守れたのは命だけだ。結局、逃亡者として生きて行く道しか用意できなかった。
「あんたがやろうとした事は、もしかしたら一つの救いの形なのかもしれない。でもそこには『希望』も無いと思う。俺はどんなに絶望的な未来が待っていようと、『希望』を持って前に前に進みたい」
「……お前のように太陽みたいな人間は、いつか堕ちると決まっていますよ」
「そうかもしれない。俺は堕ちた自分の姿を知ってるから、絶対に失敗しないとは言えない。……でも」
そうして、アーサーは隣に並ぶ紬の手を取った。二人は一度だけ視線を交わすと、ヴェールヌイの方に向き直る。
「みんながいるなら何とかなると思えるんだ」
「……やっぱりお前達は理解できませんね。……でも、もしも『無限の世界』がお前達のような者で溢れていたら、別の結末もあったのかもしれませんね」
「今からでも遅くない。あんたがいた世界の事は知らないし、あんたが経験してきた世界を滅ぼそうとするくらい悲惨な過去を、俺は口が裂けても分かるとは言えないし言っちゃいけないと思う」
お互いに数奇な運命を背負っているが、それは全く違うものだ。
アーサーの事を理解できないと言うように、アーサーにだってヴェールヌイを完璧に理解する事はできない。あるいは本当の意味で人と人とが完璧に理解し合う事なんてできないのかもしれない。
「でもいつだって人は変われる。遅いなんて事は無い。これからあんたがどう生きて行くのかはあんた次第だけど……いつか、何のしがらみもなくあんたと茶でも飲める機会があればって思うよ」
「……、」
ヴェールヌイは押し黙り、アーサーの言葉に応える事はなかった。そして『次元門』を背面に出すと、落ちるようにしてどこかへと消えて行ってしまった。
そのすぐ後、『バルバトス』を操るメアと『シメイス』を操るクロウ、さらに空を飛べるキャラルが現れ、『魔装騎兵』の手の中から同じ柱を守っていた結祈とラプラス、それにソーマが出て来た。そしてメアとクロウも中から出てくる。
「よォ、アーサー。前に『魔装騎兵』を全部破壊するって言ってたが、結局破壊したのはオレ達だったなァ?」
「それを言わないでくれ。来てくれて感謝してるよ」
ニヤニヤ笑いながら痛い所を突いて来たクロウに苦笑いを返し、アーサーは結祈とラプラスの方に目を向ける。
「結祈? なんか元気無さそうだけど大丈夫か?」
「うん……それよりアーサーは? また大分無茶したみたいだけど」
「まあ一回死にかけたけど、リディのおかげで何とかな」
その名前を出して、すぐに気付いてしまった。
目の前のラプラスは眉をひそめて、こう聞き返して来る。
「すみません。リディさんというのはどなたですか?」
「っ……リディは、友達だ。あとで詳しく話すよ」
回路が切れた時点で彼女が時間軸から消えてしまったのは分かっていた。だが改めてその現実を突き付けられて、アーサーは自分が上手く笑えているのか自信がなかった。
とにかく『バルゴ王国』を救う為に戦ったとはいえ、『シークレット・ディッパーズ』は追われる身だ。さっさとみんなで『バルゴパーク』の地下に戻るべきだろう。それに今はまだ立てているが、すぐにでも倒れてしまいそうなほど疲弊しているのはアーサーも自覚している。早く休みたいというのが本音だった。
しかしそれを許さないと言わんばかりに、頭上の『バアル』が突然動き出した。ヴェールヌイが逃げてから動かした可能性が頭を過るが、それを否定するキャラルの声が上がる。
「起動者を無くした『バアル』が暴走してる……マズいよ、アーサー。このエネルギーが暴発したらこの星が吹き飛ぶ」
「なっ……!?」
折角ネミリアとリディが辛い選択をして未来を変えたのに、これでは意味が無くなる。何か打開策を得る為に紬とラプラスの方を見るが、彼女達と目が合ってすぐに対処法が何もない事を悟った。
(なにか……なにか方法は!? 何でもいい! ここまで来てこんな結末受け入れられるか!!)
みんなが命を懸けて未来を変えた結末が、こんなものであって良いはずがない。
今すぐ『バアル』を止める方法を、答えが出ない頭を必死に回して探し続ける。
『大丈夫です。わたしが何とかします』
そして、そんな自信満々の救いの声が辺りに響いた。
それはメアとクロウの『魔装騎兵』の中から聞こえて来た。
『今、「バアル」の中にいます。わたしが「バアル」を宇宙空間まで飛ばします』
「『バアル』の中って……ネムさん!? そんな所で何をやってるんですか!!」
その声がネミリアのものだというのは、その場にいる全員がすぐに分かった。そしてラプラスは『バルバトス』に近づいて叫ぶ。
『わかりません……ですがここに来たいと思ったら来ていました。きっとこれがわたしの「命の使い方」なんです』
その言葉でアーサーには分かってしまった。ネミリアを『バアル』の中へ送ったのはリディで、その事を前もって頼んでいたという事を。彼女が言っていた、ネミリアと一緒に覚悟を決めたという本当の意味はこのことだったのだろう。
だからといって、それを受け入れられるかどうかは別問題だ。
「ダメだ……今すぐそこから出ろ、ネム!!」
『それは無理です。もう時間も、他の方法もありません。これが皆さんが助かる唯一の道です。……それに世界を滅ぼすかもしれなかったわたしが、こうして残り少ない命を使って仲間と世界を守れるなら悪くありません』
彼女の意志は固く、もう言葉では止まらないと分かってしまった。
ならば『バアル』事態を止めるしかないが、あまりにも無謀で現実味が無い。そもそもその方法が無いからネミリアが行動を起こしたのだから。
「俺は……また助けられるのか? 俺には誰も助けられないのか……?」
思わず漏れてしまった弱音。思えば今回の戦い、失った者があまりにも多い。
ソラ、フューリー、リディ。みんな、アーサーの手からこぼれ落ちて行った。その上でさらにネミリアを失ってしまうなど耐えられなかった。
しかし通信越しに、ネミリアはそんなアーサーの言葉を聞いて小さな笑みを浮かべていた。
『いいえ、レンさん。誰かを助けるというのは、なにも難しい事だけではないはずです。―――例えば別れを悲しむ少女に、また会えると言って頭を撫でるような、そんな簡単な事でも良いんです』
「っ……」
その行いを。
彼女が『助け』といったそれを。
『ピスケス王国』での夜の事を、アーサーも覚えている。
だってそれは、アーサーが取り戻すと約束したものだから。
「お前、記憶が……」
『ええ……昨夜、思い出しました。レンさんとの約束、破ってばかりですね、わたし』
記憶を取り戻す。
手立てがない時はアーサーの手で殺す。
絶対に無茶はしない。
重ねた三つの約束を、アーサーは結局何も果たせなかった。それだけがネミリアの心残りだった。
そうだ。ネミリア=N=オライオンという少女の本質は世界を破滅させたり、命懸けで救うような人間じゃない。ただ相手に約束を果たさせられなかった事を悔やみ、そんな彼らの事を想うからこそ全てを懸けられる、ただ優しい普通の少女でしかなかったのだ。
『誰だってヒーローになれる、特別な事をしなくても。レンさんがそう教えてくれました。だからわたしも、みんなを救うヒーローになります』
そして、頭上の『バアル』が暴風を撒き散らしながら上空に向かって飛び立って行く。
「ッ……ネム!!」
体が吹き飛ばされそうな風に耐えながら、遠くへ離れていく少女の名を呼ぶ。
この風の中で聞こえている訳がない。向こうの声が聞こえて来る訳がない。
そのはずなのに、アーサーは寸前で『バルバトス』の方から流れて来た声を確かに聴いた。
『今まで、本当に……ありがとうございました』
「っ……」
『ありがとうございました』。
その何気ない感謝の言葉が、ソラの最期の言葉と重なる。それと同時に、あの時どうしようもなく見送ってしまったシエル・ニーデルマイヤーの背中を想起させる。思えばあの時も世界か一人の命かの選択だった。そしてアーサーは前者を選んだ。そうするしかなかった。みんなを助けて、シエルの願いを叶える為に。
だけど。
そんな言い訳を取っ払えば、アーサーは諦めてしまったのだ。あの時、あの瞬間、シエルの命を諦めた。見殺しにした。あの時の後悔は忘れない。同じ失敗は繰り返さない。もう二度と、目の前で自ら死のうとしている誰かを見送らない。
だからその一言が最後の火を点けた。無茶で無謀だと分かっていた。体も限界で、これが単なる自殺行為だと理解はしていた。
「来い―――『マルコシアス=ゼヴメレク』ッッッ!!!!!!」
だけど、気付いた時には叫んでいた。
周りから驚愕と制止の声が聞こえて来たような気がしたが、アーサーは止まらず『マルコシアス』に乗り込むと背部の『グリフォンウィング』を展開させ、『バアル』を追ってロケットのように大空へと飛び立った。
◇◇◇◇◇◇◇
風が止み、ネミリアとアーサーが宇宙へと向かって行った中、紬は冷静に『アスモデウス』の方に近付いた。
状況は分かっている。アーサーや紬にとっては日常である、無謀な戦いに打って出たのだ。
そんな彼に対して、紬がかけた言葉は簡潔だった。
「……アーサーくん。体は大丈夫なの?」
止めるのでも、責めるのでもなく、彼の身を案じた。
ヴェールヌイとの死闘を終えたばかりの彼が限界なのは、火を見るよりも明らかだったからだ。
『……まあ、正直いつ気を失うか分からない。でもネムは絶対に助けてみせる』
通信機越しにそう断言したアーサーの言葉を聞いて、紬はしょうがないなと言う風に肩を竦めた。
「なら後は考えないで。アーサーくんが何処へ行こうと、どうなろうと、あたしが必ず迎えに行く。だから宇宙で漂う事になっても自棄にならないで待ってて」
『ああ、頼む』
紬は言いたい事を言った。そんな彼女は、その視線をラプラスの方に向ける。
彼女の視線の意図を悟ったラプラスは、ゆっくりと『アスモデウス』の方に近付いた。
「……アーサー。私にはネムさんを救ってアーサーが無事に帰って来る未来が観えません。ですがそれでも、アーサーはネムさんを救いに行くんですよね……?」
答えなど分かり切っている質問だった。
だからアーサーも答えない。代わりにこう口にする。
『……いつも無茶ばっかりして、心配ばかりかけるダメなヤツでごめん』
いつも彼女には心労をかけてばかりで、自分が本当に良い相手だと断言する事だってできない。
だけど。
例えダメだと分かっていても。
『でも、これが俺なんだ』
「ええ……分かっています」
悪びれる事もなく言い切ったアーサーに、ラプラスも逡巡なくむしろ誇らしげに答えた。
アーサーの行動には流石に一瞬驚いた。けれどすぐに受け入れられた。なぜならアーサーがネミリアを大人しく見捨てる事なんて出来る訳がないと分かっていたからだ。
「それでこそ私の愛するアーサーです! 思いっきりやって下さい!!」
『ああ……!!』
愛する者達に背中を押されるほど力が出る事は無い。
その想いに呼応するように『マルコシアス』は『バアル』を追って成層圏へとさらに加速した。