461 命の意味
ヴェールヌイにやられ、三〇〇メートル落ちて来たアーサー。仰向けに倒れて動かない彼の傍に突然リディが現れた。現れた傍から血溜まりを作るほどの、死んでいない方が不思議な大怪我だった。
結界のおかげで一早くアーサーの状態を察知した彼女は、すぐに魔眼の力で助けに来たのだ。そしてズルズルと体を引きずってなんとかアーサーに触れられる距離まで来た。頭の方からアーサーの顔を覗き込むと胸に手を当てる。
(……よし、まだ生きてる。流石だな)
弱々しい鼓動を掌に感じたリディは少しだけ安心した。しかしすぐに治療をしなければ死んでしまうのは明白だった。
リディには治癒系の力は使えない。けれどアーサー自身は違う。
(まったく……世話が焼ける……)
方法は一つしか無かった。
リディは躊躇せず、アーサーに顔を近づけると唇を重ねた。
◇◇◇◇◇◇◇
『ったく、オマエは弱いな。昔のカケルを見てるみたいだ』
「ヴェルター? あれ、俺どうして……」
気付いた時には、ここ連日訪れているヴェルターのいる心象世界の中だった。
そして思い出す。自分がヴェールヌイにやられてしまった事に。
「そうか……俺、時間を超える攻撃にやられて……でもここにいるって事は、まだ死んでないって事だよな?」
『オマエ、寸前で覇力を生成してただろ? 火事場の馬鹿力なのか、初めてとは思えねえ量の覇力を生成したオマエは無意識に防御に使ったんだ。そしてあと二発分くらいは残ってる』
「ならすぐに戻らないと。ヴェルターなら俺を起こせるんじゃないか?」
『出来なくは無い。だがどうしてオマエは何度やられても諦めねえんだ? ワシにも連日挑んで来るし、たった今死に目に遭ったのにすぐ戻ろうとしてる。死にたがりか?』
「……別に死にたい訳じゃない」
ずっと内側で見ていたヴェルターがそう思うのは無理もないだろう。
けれどアーサーが諦めないのはそんなネガティブな理由ではないし、だからといって何か根拠があるようなものではなかった。
「……俺はラプラスみたいに未来が分かる訳じゃないし、紬みたいに経験豊富な訳じゃないし、結祈みたいに器用でもない。サラみたいな才能も無いし、スゥみたいに守る力に長けてる訳でもない。クロノみたいに思慮深くもないし、ヘルトみたいに万能じゃないし、アレックスみたいに科学にも精通してない。他にも沢山、俺はいつだってみんなに支えられてなんとかやって来れただけだ」
騙し騙し、何度も失敗して躓きながら、それでも仲間のおかげで生き抜いて来れただけ。
それを自覚している。自覚しているからこそだった。
「でも俺にはどうしても守りたいものや譲れないものがあって、そんな俺に出来るのは最後まで諦めない事だけなんだ。だから絶対に諦めない」
『だから何度も挑むのか? どれだけ強い敵にも』
「ああ、勝つまで敗けない」
『……ふん。なるほどな。本当に悪い所ばかり似ている』
アーサーを見下ろす巨大なヴェルターは大きな溜め息をついてそう言うと、握った拳をアーサーの前に突き出した。
『拳を合わせろ。前にやってるから分かるな?』
「……認めてくれたのか?」
『勘違いするな。ワシはカケルの代わりに「何か」を殺す必要がある。その前にオマエに死なれると困るだけだ』
「……照れ隠し?」
『違うわ!! オマエ段々ワシのこと舐めて来てるな!?』
「信頼の証ってやつだよ」
大声で叫ぶヴェルターにアーサーは笑みを浮かべてそう返した。その動じなさにヴェルターは逆にたじろぎ、再び大きな溜め息をついた。
『ったく、ワシ相手に軽口を叩く所もそっくりだ。オマエら頭のネジが飛んでるのか?』
「偏見が無いんだよ……ある人にそう教えられた」
もうこの『ユニバース』にはいない友人の言葉を思い出しながら、アーサーは軽く握った右の拳をヴェルターの拳に合わせる。するとヴェルターから大量の炎のような氣力が流れ、それがアーサーの内側に入って行く。
『これでオマエはオマエ自身の体に完璧に適合した完全な「炎龍王の赫鎧」を発動できる。それから「紅蓮龍王」との組み合わせた強化版も発動できるようになったはずだ。氣力効率は良くなるから発動時間は長くなるが負担もデカい。今の死にかけのオマエじゃ長くは使えねえ』
「まあ、そういうのには慣れてるよ。ありがとう、ヴェルター。じゃあ俺を起こしてくれ」
『ちょっと待て。ワシから説明しても良いが、本人から伝えさせてやる』
そう言ったヴェルターが顎でアーサーの背後を示し、それに従って振り返るとそこにはアーサーの心象世界にはいるはずのないリディの姿があった。
「リディ!? お前、どうしてここに……」
「それはこっちが聞きたいくらいだ。っていうかそのデカいのはなんだ!?」
リディが指さしたのは当然、アーサーの背後にいるヴェルターだ。目の前に突然巨大な龍が現れれば驚くのは当たり前だろう。
とりあえずアーサーはリディにヴェルターの事を簡単に紹介して、そのヴェルターに何故ここにリディがいるのか改めて問いかける。
『オマエ達の間には「回路」があるからな。それにその女がオマエに口付けしたまま気絶してるのも呼べた理由だ』
「へっ? 口付けって……」
「勘違いするな!! お前の怪我が酷かったから、ボクの呪力を流して『阿修羅』を強制的に発動させただけだ!!」
『ふん。死にかけはオマエだろうに』
顔を真っ赤にして叫ぶリディに対して、ヴェルターは鼻を鳴らしてそう言った。リディはすぐ反論しようとして口を開いたが、アーサーの方を見ると手遅れだと悟ったのか口を閉じて押し黙った。
「……ヴェルター。死にかけってどういう事だよ」
『見た方が早い。外の姿に変えてやる』
もはやこの心象世界なら何でも好きにできるのか、気付いた時にはリディの姿が変わっていた。『訣魁』状態になり容姿も変わったが、それ以上に全身が切傷だらけで血で真っ赤に染まっていた。彼女が動いているのはここが心象世界だからで、本来の彼女がどうなっているかなど言われなくても容易に想像がつく。
「リディ……どうしてこんな……」
『その女はどっちみちここまでだからだ。オマエとは違う覚悟を決めてるんだよ』
「……ヴェルターっていったな。お前には全部お見通しか」
『この手の話にはオマエら以上に慣れてるからな。ワシから説明してやっても良いぞ?』
「いや、良い。どうせ知られるなら自分で言う」
ここに至ってリディは隠すのを諦めた。
盛大な溜め息をつくと、アーサーの方に体を向ける。
「……未来が変われば直列次元から来たボクの存在は消えるんだ。これはクロノに確認したから間違いない。だから文字通り命懸けで戦ったんだ」
「そんな……なんで黙ってたんだ!! どうして!? 言ってくれたら何か方法が……っ」
「そんなのは無いし、戦いの前に無駄に悩ませたくなかった。それに未来を変えられなくても、ボクはどのみちここで死ぬ運命だった。だから命を懸けたんだ。ネミリアと一緒に覚悟を決めて」
「っ……」
彼女達の覚悟に対して、アーサーはもう何かを言う資格が無いのは分かっている。だけどやりきれない。ネミリアもリディも、あまりにも過酷な運命を背負い過ぎてる。
片や何度も記憶を消されて使い潰され、今も体は死に向かっている。
片や長年の軟禁から解放された直後に避けられない死に向き合っている。
二人とも何も悪くないのにアーサーには何も出来なくて、自分の事が嫌になって来る。
「こんなのって無いだろ……なんでいつもお前らばっかりこんなっ……背負わされてばっかりで、全部これからだったはずだろ!? リディもネムも奪われ続けて来た、だからお前らはこれから飽きるくらい笑って幸せになるんだ!! そうじゃなきゃ、お前らみたいな優しい善人が報われなきゃ嘘だろ!! 俺達はその為に何度も拳を握って来たんだからっ!!」
「ふん……そんな辛気臭い顔するな。お前がボクらの幸福を願うように、ボクらだってお前らの幸福を願ってるんだ。それこそ期限付きの自分の命なんかよりな」
二週間にも満たない、短かった自由の日々。
けれどリディにとって、それは生まれてからの十数年の中で他のどの時間とも比べ物にならない幸せな時間だった。
「重要なのはどれだけ長く生きたかじゃない。どう命を使い切ったかだ」
だから守りたかった。どれだけ短くても、自分が生きた場所を。そこにいるみんなの事を。あの黄金の日々を。
たとえこれから先、自分自身がそこにいられないとしても。
「だから良いんだ。お前らと過ごした日々は短かったが、ボクにとってはどうしても守りたい特別な日々だったんだ」
その言葉と、そこに込められた信念を、アーサーは理解できてしまった。
止めたい気持ちは勿論ある。けれどそれはリディが望んでいるものではないと分かってしまった。それにいつも命懸けで戦ってる自分が命を無駄にするなと説得しても、あまり効果がないという事も。
「ボクの命の使い方はこれだ。あと少しだけ力を貸すが、他は全てお前に託す。だからまだこの世界には『希望』が残ってるんだって事を見せてやれ」
◇◇◇◇◇◇◇
気付いた時、アーサーは仰向けの姿勢で空を見上げていた。しかし今のやり取りが夢だった訳ではなく、リディが言っていたように体は『阿修羅』のおかげで多少の回復を見せていた。
それよりも問題なのは、傍らで血だらけのリディだった。アーサーは『阿修羅』を解除しながら体を起こしてリディの傍に寄る。
「リディ……しっかりしろ、リディ……!!」
「ッ……げほっ、う……あ、さー……」
なんとか意識はあるようで、とりあえずアーサーはリディを仲間の誰かに預けようと体を抱き抱えようとすると、それよりも前にリディがアーサーの胸倉を掴んだ。
「……いけ」
まるでアーサーの行動の意図を察したリディが、それを抑えようとしているようだった。
どうせ死ぬ自分に構っている暇があるならさっさと戦いに行けと、彼女の意志が瞳の奥から伝わって来る。
その想いを尊重して、アーサーはリディから手を離して立ち上がった。
「……いつか。いつかきっと、お前の事を取り戻す。その方法を必ず見つける。だから待っていてくれ」
根拠も手がかりもない、限りなく不可能に近い誓い。そんなこと人類には不可能な、どこまでも傲慢な夢かもしれない。
けれどそれがアーサーの言葉だから、リディは安心したように薄く笑みを浮かべた。
「ああ……まってる……」
そして有無を言わせず、力を振り絞って魔眼の力を使うとアーサーを塔の屋上へと飛ばす。
最後の会話にしては悪くないと思いながら、もう一つの仕事を果たそうと、最後の魔眼行使の為に魔力を瞳に集中させる。
◇◇◇◇◇◇◇
『獣人血清』を打ったキャラルの力は実際に凄まじいものだった。
自由に宙を翔け、エネルギーを吸収し、さらに自身の内側から生み出されたエネルギーを使った砲撃だけでなく、その打撃だけでも十分に脅威だ。
しかしそれだけの力を以てしても、ヴェールヌイには傷一つ付けられていなかった。攻撃は『無間』を突破できず、さらにヴェールヌイの攻撃も完璧には躱せない。まだまだ戦う元気は残しているキャラルだが、決定打が無いので出来るのは時間稼ぎくらいだ。
「いい加減、諦めたらどうですか? お前では私に勝てません」
「分かってる。だから私の役割はアーサーが戻って来るまでの時間稼ぎ。アーサーならあなたに勝ってくれる」
「彼はもう来ませんよ。それにお前、そこまで信用するほど彼を知らないのでは?」
「うん。でもアリアが嫌ってほど教えてくれたから。そして今ならそれが分かる」
キャラルは引き絞った右手のエネルギーを集束させる。そして顔色一つ変えずに回避も防御の姿勢も見せないヴェールヌイに向かってその拳を突き出した。
「―――『炮極閃』!!」
それは集束魔力砲のような極光だった。一瞬でヴェールヌイを飲み込むが、たとえ集束魔力砲だとしても今のヴェールヌイには全く効かない。
「―――『ただその祈りを届けるために』!!」
ただしそれは一つだけの話だ。
突如、ヴェールヌイもキャラルも意識していなかった方向から集束魔力砲が放たれ、結果的に二つの極光がヴェールヌイを包み込んだ。たまらず『次元門』を使って移動したヴェールヌイはキャラルの少し後方を睨む。
そこに現れた少年は、キャラルに近づくと彼女の肩に手を置いた。
「キャラル。お前がヴェールヌイを止めてくれてたんだな。ありがとう、助かった」
「うん。『たすけて』って……そう願ったからこそ、私も戦う」
「ああ。でもここは任せてくれ。キャプテンは他を頼む。今なら素手で『魔装騎兵』を破壊できるんじゃないか?」
「分かった。任せて、リーダー。やってみる」
「えっ……ちょ」
冗談のつもりで言ったものを真に受けられて、訂正する間もなくキャラルは自信満々に飛んで行ってしまった。まあ今のキャラルから感じる力なら問題は無いだろう意識を切って、あらためてこちらを睨むヴェールヌイと向き合う。
「まったく……お前は本当、忌々しいほど何度でも立ち塞がりますね」
「ああ、俺は絶対に諦めない!! 必要なら何度だって立ち塞がる。たとえどんな未来が待っていようと、そんなもん、まとめて踏破してやる!!」
そして勢いよく両手を合わせると、カケルの『炎龍王の赫鎧』の朱色とアーサーの『紅蓮龍王』の金色を合わせたようなオレンジ色の氣力を全身に纏っていく。しかし変化はそれで終わらない。髪も同色の明るいオレンジに、瞳孔はヴェルターと同じ鋭い十字の龍眼になる。さらに上着も影響を受けてオレンジ色に変化した。
「―――『炎龍帝王の赫焉鎧』!!」
それがヴェルターの力を得た、アーサーの氣力の極致。
体力的にもこれが本当に最後のチャンスだ。次に先程のようにやられれば、もう二度とここには戻って来れない。
この状態が保つ間に決着をつける為に、アーサーは右の拳を強く握り締めると地面を蹴ってすぐに攻撃に転じる。
「終わらせるぞ―――ヴェールヌイ=N=デカブリスト!!」
「望む所ですよ―――アーサー・S・レンフィールド!!」
応じるように手を前に出したヴェールヌイの『天弾』と、炎の氣力を纏ったアーサーの拳が虚空で衝突する。するとその衝撃は今まで以上に広がり、『バルゴ王国』の暗雲が二つに割れた。
それが最後の戦いの始まりの合図だった。




