450 ファーストステップ
ソーマの力でそれぞれの持ち場に着き、アーサー、紬、メア、ネミリアの四人は予定通り『キングスウィング』に乗り込んで街の中心部に向かっていた。『バアル』もすでに目前だ。
「紬。ヴェールヌイは?」
「氣力感知に引っ掛からない。『無間』で隠れてるのかも」
「……『バアル』も『魔装騎兵』なんだよね? ならキャラルはもう『バアル』の中かな?」
「そっちは感じてるよ。胸の位置にいる。あたしがこじ開けるから、メアのワイヤーを体に巻きつけたアーサーとネミリアが飛び込んで引っ張り出して。自己修復があるからなるべく急ぎで」
「分かった。ネム、行けるか?」
「……ちょっと難しいかもしれないです」
最初、何かの冗談かと思った。いつかと同じ、感情を得たネミリアの場を紛らわせる為のジョークだと。
けれど天井部の手すりを掴んで、ほとんどぶら下がるような形で立っている彼女の姿を見て、それが単なる冗談ではないと悟ってしまった。
「……どうしてだ?」
「……見ての通り、立つのがやっとだからです」
嫌な予想通りの言葉が返って来た。
彼女の言葉が意味する事は一つ。
「まさか……薬を打ってないのか!? どうして!!」
「……これは違うと思ったんです。このやり方は違うと……」
「なんで……どうしてだ!? 助かる命なんだ!! あとは俺が全部なんとかするって……っ」
「だからですよ。あなたはいつも、誰かの為に戦ってばかり。だからわたしは、あなたに『たすけて』なんて言いません。これはわたしが決めたんです」
彼女の意志は固い。アーサーが何を言ってもその決意は変わらないだろう。
「そんな……ネミリアちゃん。どうしてこんな……」
「メアさんもすみません。ですが分かって下さい。全人類の命が懸かっています」
確かにネミリアが助からなければ、未来を変えられる可能性もある。だが『バアル』を破壊する薬はすでに生成不能だし、あの治療薬をネミリアが打たない理由なんてないはずなのだ。
とはいえ、これはアーサーの気持ちだ。結局はネミリア自身が納得しなくては意味が無い。
「ただ一つ、訂正しておきます。わたしは『この世界はわたしを苦しめる為だけに存在している』と言いましたが、それは違いました。わたしなんかの為に皆さんは動いてくれて、言い争いをしてまで薬を作ってくれました。わたしは……幸せ者です。この世界は、わたしを苦しめる為だけに存在している訳ではないと、今なら断言できます」
そんなすでに救われたような事を言われては、アーサーもメアも何も言えない。
みんなで二つの選択肢について話し合ったが、これがネミリアなりの答えなのだろう。だとしたら強要する事はできない。
「……二人共、もう行かないと」
紬から声をかけられてハッとする。すでに『キングスウィング』は『バアル』の目の前まで移動して来ていたのだ。
彼女を一人にしたくない。けれど行かなくてはならない。
「ネム……俺、行って来るよ」
「ええ、行って下さい。いつも通りに」
それを後押しするように彼女は後ろのハッチを開くボタンを押した。目の前に『バアル』の巨大な姿が現れる。
「メアさんも。お願いです」
「っ……戻って来たら抑えつけてでも薬を打つからね!! それまで安静にしててよ!?」
一方的に叫んだメアは、足が止まらないように駆け出して一気に空中へと飛び出した。紬とアーサーもその後に続いて身を投げると、少し下で『バルバトス=ドミニオン』を呼び出していたメアによって、左右の大きな掌にそれぞれ受け止められた。
『じゃあ投げるよ!!』
着地してすぐ、予定通り紬はメアによって『バアル』の胸に向けて思いっきり投げられた。さらにアーサーも彼女の能力で腰にワイヤーを巻き付けられてから、少し遅れて同じように投げられた。
先に投げられた紬は『逢魔の剣』を構えながら、ある魔術を使う。
「『誰もが夢見る便利な助っ人』!!」
それはアーサーが贈った、魔力による分身を生み出す魔術。
まるで鏡合わせのように対照的にだが同じ構えを取った彼女の剣から、黒い稲妻がスパークする。
「「―――『天絶黒閃衝』!!」」
それは『虚式の太極』。どれだけ硬い物理装甲も、どれだけ硬度で幾重にも重ねた『力』による障壁も、問答無用で打ち破る絶技。それによって『バアル』の胸の宝石のような部分に穴が開く。
その穴に向かって、命綱を巻き付けたアーサーは勢いそのままに飛び込んでいく。その瞬間、彼を迎えたのは一面の闇だった。まるでアーサーの侵入を拒んでいるようだったが、アーサーは冷静に右手を頭上に伸ばす。
呪力や氣力に触れたり、別の『ユニバース』に移動したりして、彼は自身の右腕の力の根幹に近づいていた。
(魔力だけじゃない……この右腕は、氣力や呪力みたいな他の『力』も掴めるんだ)
意識を右腕に集中させる。
『カルンウェナン』。自ら吹き飛ばした腕の変わりにくっ付けた、ローグの右腕。その力をエレインの魔術で変異させた力。これまで何度も何度も頼って来たそれに、彼は躊躇なく今回も頼る。
「『力』を掴み……世界を掴む」
掲げた右手を力強く掴むと、その瞬間周囲の闇が砕け散った。
そして目の前に、赤い軍服仕様の服を身に纏った少女が現れる。
「キャラル……迎えに来たぞ」
「……本当に、アリアが言ってた通りの人だ」
溜め息交じりに返したキャラルは、予想よりも元気そうだった。
「アリア……紬は何て言ってたんだ?」
「超がつくお人好しでお節介。頼んでないのに助けに来るって」
「……返す言葉も無いな」
自覚症状のある悪い癖を思いながら、キャラルの方に近づいて行く。すると見えない衝撃が体を弾いて後ろに吹き飛ばされた。痛みはそこまで無いが、それは明確な拒絶な合図だった。
「帰って。ヴェールヌイには勝てないし、私が逃げてもネミリアが利用されるだけ。だったら私が代わりになった方がマシ。アリアと私のせいで始まってしまったこの計画だから。ネミリアには背負わせない」
「……そんな事情、どうでも良いし興味ない」
立ち上がってもう一度キャラルの方へ向かいながら、アーサーはそう呟いた。
「お前は俺に『たすけて』って言った。だから助ける」
「……私が『たすけて』って言ったのは、そういう意味じゃない」
「それくらいの事は分かってる。でもお前は分かってないな。俺はこういう人間なんだ」
自分達がどれだけ救いたいと願っても、結局それで救えるのは『救われる準備のある人』だけだ。本当の窮地に陥っている人達は、誰かに助けて貰おうとする選択肢すら排除してしまう。
だからアーサーは強引にでも手を伸ばす。口では救いを望んでいなくとも、窮地にある人達を『とりあえずで』救う為に。
「そもそもお前らが何をした? リアスは友達が欲しかっただけ。紬は俺に会おうとしただけ。お前は意図せず『ドレッドノート級』になっただけ。それが罪か? そんな事で、全部お前らのせいになるって言うのか?」
確かにそれらは切っ掛けではあったのかもしれない。
けれどあくまで切っ掛けだ。雪を握り締めたのが彼らだとしても、それを転がして大きくしたのは別の誰かだ。アーサーが許せないと思うのは、正にそういう人種だった。
「ふざけるな。ヴェールヌイだって被害者で、悪いのはみんなを利用したヤツらだ。お前達は誰一人悪くない。それでも世界がお前達を悪だって指をさすなら、俺達が何度だって違うって叫んでやる。何度だって世界を相手に戦ってやる」
黒幕がいる。
リアスの研究を利用し、エリザベスの家族を利用し、『バルゴ王国』を乗っ取り、ここに至っても表に出て来ない巨悪が。
だから例え今日、ヴェールヌイを止めても何も終わらない。世界の影に隠れたそいつらを見つけ出してぶっ飛ばすまで、この戦いは終わらない。
「だから『たすけて』って言ったなら、お前も力を貸せ。ネムを助けて、ヴェールヌイを止めて、世界を守って、何一つ間違いは無かったって証明する為に。誰も引け目を感じる事のないハッピーエンドの為に!!」
先程弾き飛ばされた位置。おそらくここがアーサーが近づける限界。だから後は、キャラルの方から近づいて来て貰わなければならない。
アーサーの伸ばした手を見ながら、キャラルは長く息を吐いた。
「……ヴェールヌイも救い出すつもり? 彼女の抱えてる闇は、私達よりずっと暗いよ」
「それでも救う。あいつが世界の闇を見て来たんだとしても、この世界には光もあるんだって教える為に」
「……ヴェールヌイは抵抗するよ? 手段すら選ばず、全力であなた達を殺しに来る」
「ああ、だから俺が戦う。死んでもあいつを止める。それがお前の『たすけて』って言葉に対する俺の答えだ」
「……そっか。……アリアが言ってた事、もう一つ思い出した」
ふっ、と。
いつの間にかアーサーの目の前に移動して来たキャラルは、静かにアーサーの手を取った。
「どこまでも甘っちょろくて、でもそこが良いって」