51 『ごめん』より『ありがとう』を
サラは雄叫びを上げて、ドラゴンが片足を上げたタイミングで右拳をもう片方の足の膝の裏側に叩き込んだ。
しかし。
「こいつ……っ!! ビクともしないわよ!!」
ドラゴンは倒れるどころか、まったく動じていなかった。上げた片足は再び地面を踏みしめる。
そして動じていなくても、ドラゴンに搭載された戦術AIは今の攻撃を脅威を感じたようだった。
鋭い眼光が目的地である『魔族領』からアーサー達へと向けられる。
「マズい! すぐ離れろ!!」
アーサーが叫び、サラは力場を踏んで超加速で離脱する。
しかしドラゴンの戦術AIはサラが失速する場所すらも予測していたようで、振り向きざまに無造作に腕を振るう。その軌道は間違いなくアーサー達を捉えていた。
避けられないと悟ったアーサーは短く叫ぶ。
「サラ、防御!!」
「ッ!?」
アーサーは『何の意味も無い平凡な鎧』を使用し、サラは腕を交差させて防御の姿勢を取るが、ほとんど意味をなさずに振られた腕に弾き飛ばされる。
凄まじい衝撃に一瞬で意識が持ってかれそうになるが、歯を食いしばってなんとか耐える。
吹き飛ばされる方向には建物が見えた。普通に当たれば死ぬ。良くても重症は免れないだろうし、そんな怪我を負ってドラゴンの標的になっていたらどっちみち死ぬ。
「……っ、グリフォン!!」
「……ッ」
息を飲む気配を感じる。
アーサーの短い言葉でサラもその意図を感じ取ったのか、すぐに能力を使って空中に止まろうとするが、それよりも先に魔力で作った力場の方がかん高い音と共に砕けた。
「……ッ!! ダメ、止められない!!」
「いや、十分だ!!」
止まれなかったが、減速はできた。
アーサーはサラの体を強く抱きかかえると、地面に直撃する寸前に『旋風掌底』を当てる。
二人分の体重と衝撃を受けた右手に骨が軋むような激痛が走り、特に肩と肘と手首の関節からはおよそ鳴ってはいけない音が鳴る。
しかし激痛に声を上げる間もなく、そのまま地面を数バウンドした所でようやく体が止まる。
(がっ……あ……サラ、は……?)
声を出そうとするが、体中を強打した事で肺の空気が全て吐き出され、呻き声しかでない。
喘ぐように空気を吸い込み、ようやくの事で声を絞り出す。
「サ、ラ……無事、か……?」
なるべく体を打たないよう守ってはいたが、それでも衝撃を完全に殺せた訳ではない。自身の体には痛くない部分が無いほどの怪我を負っていたが、それよりもまず腕の中の少女の安否を確認する。
「え、ええ……。あんたが守ってくれたおかげで大丈夫よ」
緊迫した状況に変わりはないが、ほっと胸を撫で下ろした。さすがに無傷とまではいかなかったが、それでもアーサーよりは軽傷だった。
「動けるか?」
「問題ないわ。そうじゃなくても、すぐに移動しないとマズイでしょ」
サラが言っているのはドラゴンの事だ。彼らを吹き飛ばしたドラゴンは、今もこちらに向かって進んできている。
「アーサーは動ける?」
「……ちょっと待ってくれ」
アーサーは浅く息を吐く。
それから体を起こそうとするが、まず右腕に強烈な痛みが走る。それだけならまだしも、そもそも体に上手く力が入らない。
これは怪我のせいではない。この独特の虚脱感には覚えがあった。
「……マズい。魔力が切れて上手く動けない……っ」
数刻前に使った『何の意味も無い平凡な鎧』の分の魔力が回復していない所に、二度目の『何の意味も無い平凡な鎧』と『旋風掌底』を使用した事で魔力が底をついた。まだ少し動ける辺り僅かに魔力は残っているが、もう魔術を使う事はできないだろう。
「だったら今まで通りあたしが担ぐわ。指示を頂戴」
そう言って立ち上がった時に、サラが苦痛に表情を歪めた。見た感じ足を痛めているようだった。おそらく力場で踏ん張った時に痛めたのだろう。
「これっ、くらい平気よ……。少なくともあんたよりはマシ」
そうは言っても無理をしているのは明らかだった。息は荒く、顔には嫌な汗を大量にかいていた。
「……すまない」
「別に良いわよ。あんたが突破口を見つけて、あたしがそれをフォローする。ここまでもそうやって来たじゃない」
「いや、そっちじゃなくて」
サラが疑問顔で見ると、アーサーは懺悔するように、
「本来ならお前も他の人達と同じように避難してたはずなのに、俺の勝手に付き合わせたせいでこんな事に……」
しかしアーサーが言い切るよりも先に、サラは親指で力を溜めた中指をアーサーの額に叩きつけた。
パチンッ! と軽い音が響き、アーサーは痛む額を抑えながらサラを疑問顔で見る。
「……全く、何を言い出すのかと思ったら」
その様子にサラは呆れたように溜め息をつくと、アーサーに指を突きつけて言い放つ。
「良い? こういう時に言うのは『ごめん』じゃなくて『ありがとう』よ。そっちの方が言われた方は嬉しいんだから」
体中ボロボロだろうに、サラは強い意志を感じさせる声音で言った。
「そっか……そうだよな」
アーサーはサラの言葉を噛みしめるように頭の中で反芻する。
そして柔らかい笑みを浮かべるとサラの瞳を真っ直ぐに見据えて、
「俺はここでお前に会えて良かったよ」
こんな事を言っている場合でないのは分かっている。ドラゴンは迫ってきているし、突破口も見つかっていない。
けれどアーサーは、溢れる言葉を止める事ができなかった。
「確かに『タウロス王国』に来てから良い事なんてほとんどなかったけど、こんな事件に巻き込まれてる辺りは不幸だったのかもしれないけど、お前に会えた事だけは幸運だったって言い切れる。改めて、ここまで付き合ってくれてありがとう。もう少しだけ力を貸してくれ」
「もちろん!」
サラは力強い声で返事をすると、アーサーを背中に担いで跳躍する。
危機的状況なのに、不思議な安心感が心に広がっていくのを感じた。
(とは言ったもののどうするか……)
アーサーは地下で手に入れた地図を開き、内心で歯噛みをする。
(こっちの攻撃はまったく効かないし、正直打てる手がないぞ)
しかしどうにかしなければならない事実は変わらない。しかもなるべく早く止めないと、『魔族領』どころか歩いているだけで『タウロス王国』が壊滅する。
ここまで何度も突破口を見つけて来たアーサーだったが、今回ばかりは何の対抗策も弾き出せない。どうやっても自分の何倍もある体躯のドラゴンを倒せるビジョンが浮かばない。
諦める訳ではない。
絶望する訳でもない。
けれど希望が見えない。
サラはああ言ってくれたが、そう何度も跳躍はできないだろう。ハネウサギの超加速でもドラゴンとそんなに差をつけられる訳でもないので、突破口を見つけるのに時間がかかれば、そう遠くない内にドラゴンに追いつかれてしまう。
(どうすればいいんだ……どうすれば!!)
そんな時だった。
緊迫した状況に風穴を空けるように、国中に設置されたスピーカーから耳をつんざくようなノイズが走る。
そしてスピーカーから聞こえて来た声の主は……。