447 それぞれの前夜 -明日の先の為-
ラプラスがいる部屋の前に着いたアーサーがノックしようとすると、ドア越しに話し声が聞こえて来た。
『―――ええ、では先日の話の通りにお願いします。ならない事を願っていますが』
聞いてしまうのは悪いと思い、ドアから離れようとしたが遅かった。
『……入って来て良いですよ、アーサー』
こちらの気配を気取られていたらしい。とにかく許可も出たので、アーサーは遠慮無くドアを開けて中に入る。すると中にいたのはベッドに腰掛けているラプラス一人だった。
「あれ、一人か? 話し声が聞こえたから、てっきり誰かいるのかと思ってたんだけど……」
「『ピスケス王国』にいるスゥと通話していたんです。明日の事もそうですが、それ以降の事もありますし、アーサーの近況も伝えておこうかと思いまして」
「そっか……そういえばいつの間にスゥを呼び捨てで呼ぶようになったんだ?」
「スゥとは大切に想っているものが同じですから」
「あー……うん、そっか……」
そう答えて見つめて来るものだから、アーサーの方が照れて顔を逸らす事になった。ラプラスとはこういうやり取りを普通にやり合っている感じなので、お返しは後でやる事にして今は真面目な話をしようと向き直る。
「大丈夫か?」
「……その問いに答える前に、私からも一つ質問して良いですか?」
意外な返しだったがアーサーが頷くと、ラプラスはやや緊張気味に上目遣いでアーサーの方を見る。
「……私のこと、好きですk
「愛してる」
反射のように一切の逡巡なくラプラスの言葉を遮って答えると、流石にラプラスは一瞬驚いたあとすぐにクスクスと笑って、アーサーの方に愛おし気な目線を向ける。
「アーサー、私のこと好き過ぎじゃないですか?」
「自覚はあるよ。でもラプラスも同じだろ?」
「ええ、当然です。愛しています」
これがラプラスの問いに対するアーサーの答え。
次はラプラスがアーサーの問いに答える番だ。
「……正直、ネムさんが助かってホッとしているというのが大きいんです。それに選択肢が無くなった今だからこそ思うんです。もし本当にネムさんを見捨てて世界を救っても、私はきっと笑う事は出来なかったと。……とんだ笑い話ですよね? 『未来』を観測できるくせに、そんな事も想像できていなかったなんて」
自虐的な笑みを浮かべているラプラスは今にも泣き出しそうで、見ていられなかったアーサーは彼女の前に移動すると頭に手を優しく撫でる。
「俺はラプラスが『未来』を観測できるから惹かれた訳じゃない。悩んで、足掻いて、後悔して、そういう当たり前の人間らしさを持っていて、俺なんかの事を想ってくれて、いつも周りを見てみんなの事を心配してて、責任感が強くて、俺が間違ってる時は怒ってくれて、甘えてくれて、甘えさせてくれて、へこんでる時は励ましてくれて、いつも傍で支えてくれて、凄く優しくて魅力的な女の子だから惹かれたんだ」
感情に言葉が追いつかない。もっともっと色んな感情が溢れて来るのに、それが言葉にならなくて伝えられない。もどかしい気持ちは言葉ではなく行動で示す為に、足りない言葉を埋め合わせてくれると信じて、ラプラスの顎に指を添えて上を向かせると唇を重ねる。
「繰り返しになるけど……大好きだよ、ラプラス」
唇を離してすぐにそう囁くと、ラプラスはベッドから腰を上げてアーサーの胸に顔を埋めるように抱き着いて来た。そんな彼女の体は小刻みに震えていた。
「ラプラス……?」
「泣いてなんかいません……ただアーサーを抱き締めてあげたいだけです」
「……そっか。ありがとう」
結局、お互いに不器用なだけだった。
アーサーも抱き締め返す。彼女の熱が間近に感じられて、やっぱりこの子の事が好きで好きでたまらないとアーサーは改めて思う。
「……充電できました。ありがとうございます」
落ち着きを取り戻したラプラスが顔を上げてそう言った。
アーサーは彼女の体を離さず、その目を見つけ返す。
「……今夜は一緒に過ごさないか?」
彼女の不安を完全に払拭したくて、何より一緒に過ごしたかったからそう提案した。
しかしラプラスは静かに頭を横に振って
「その申し出はとても魅力的ですが、今夜は私以上にアーサーが過ごすべき人がいるのではないですか? 私は大丈夫です。明日の結末がどうなろうと、アーサーと離れる事はありませんから。それに元気も貰いましたし」
「……良いのか?」
「当然です。むしろこの展開を望んでいましたし。さあ、早く行ってあげて下さい」
そうしてラプラスに背中を押され、アーサーは今夜最後となる目的地へ向かう。
なんだかんだあれから込み入った話はしていない、紬とちゃんと話し合いをする為に。
◇◇◇◇◇◇◇
ミオと別れた後、透夜は先程の一時間の間でも会おうとしていた人の元へと向かっていた。
徹底的に避けられているようなので、諦めて『仙術』による広域氣力感知を行って場所を特定した。彼女がいるのは外で、この時間で他の出ている者はいなかった。つまり完全に二人きりだ。
「こんな所で何やってるんだ、メア」
彼女がいたのは『バルゴパーク』の目玉とも言える城のアトラクションの中だった。外観は細部まで拘って作られていて、上の方にはバルコニーも作られている。メアがいたのは正にそこだった。
「……透夜くん。どうやって見つけたの?」
「氣力感知は範囲が広いんだ」
「ふーん、『仙術』は便利だね」
皮肉を言うほど会いたくなかったのかと思うと、透夜は少し悲しくなって来た。
けれど彼女のような人のやり口は分かっている。責任を感じやすく、すぐに独りになろうとする。そんな相手に効果的なのは、強引にでも追いかけてその手を握ってやる事だ。
「メア、話がある」
「だろうね。改めて話すのは別れた日以来だし」
傍まで近寄ると彼女も振り返った。月光に照らされた彼女は今にも泣き出しそうな表情で、どこか神々しさのようなものを放っていた。
「……メア?」
「ごめんなさい。私は勝手な事をして、みんなから選択肢を奪った」
やはりそれを気にしているようだった。おそらく衝動的にやってしまった事だろうし、透夜は気にしていないのだが、それをそのまま伝えても意味は無いだろう。
「……まあ、正直あれは良くなかったな」
「……、」
「でも正直な所、みんなホッとしてるんじゃないかな。あの選択肢を並べられて、どっちかが絶対に正しいって断言できる人は『ディッパーズ』にいないだろうし。選択肢が一つになったからこそ、迷わずそっちに進めるって気持ちもあると思うんだ」
「……それは都合が良すぎない?」
「なら明日の朝、謝れば良い。さっきもタイミングを見計らってたんだろ?」
「それは……」
「さっき誰も何も言ってなかったし、みんなそんなに気にしてないよ。みんななら許してくれる」
話しながら透夜はメアの方に近づいて行った。そして隣に並んで手すりを掴むと広がった景色を見渡す。眼下の『バルゴパーク』から街の方まで視認でき、そこには現れたばかりの巨大な柱もしっかりとある。
「全部、明日に懸かってる。僕らの選択が正しかったのか、その答えも」
「……透夜くんは怖くないの?」
「まあ、僕一人だったら怖気づいてたよ。でもメアやみんながいるから何も怖くない」
「……強いね」
呟くようにそう漏らした彼女の方を見ると、その体が震えている事に気付いた。
「……メアは怖いか?」
「……怖いよ。自分が死ぬ事はなんともないのに、みんなが死ぬのは耐えられない。せっかくできた大切な人達だから……失いたくない。贅沢な願いかもだけど」
無理矢理作った笑みを見て、透夜は納得する。
彼女は命の喪失に慣れ過ぎているのだ。自分で奪って来たものも、自分が守れなかったものも、その手から命が溢れすぎていて、みんなが無事で解決する想像がし難いのだろう。
メアの過去にどれだけの事があったのか透夜には分からない。ただ今は出来る事をする為に、そっとメアの手の上に自分の手を重ねる。
「僕が守るよ。メアの事も、メアが大事だと思うものも。これは単なる自己満足の贖罪かもしれないけど……それでも今度こそ、僕は僕が大切だと思えるものを絶対に守ってみせる」
その言葉にどれだけの力があるのか分からない。でもメアの震えを少しでも止められるならこうするべきだと思ったのだ。
「透夜くん……私は、そんな言葉をかけて貰う価値なんてない女だよ……?」
「それよく言うけどさ、それでも僕にとっては大切な人なんだ」
「ううん、透夜くんは分かってない。私が透夜くんやみんなから離れたのはソラの事があったからだけじゃないんだよ。彼女と……エリザベス・オルコット=バルゴとどんな顔をして向き合えば良いか分からなかったから逃げたの」
すっと、まるで自分にはそうされる資格が無いと告げるように、重ねられた透夜の手から自分の手を引き抜いて、どこか遠くを眺めながら話し始める。
「……まだ私がメアリー=N=ラインラントって名乗ってた頃、『ナイトメア』になる前は『ドールズ』っていう『暗部』を統括してる組織から直接支配を受けてた。そこは『ナイトメア』よりも酷い環境でね、私もまだ生まれたばかりで自我がハッキリしてなくて、その上に洗脳を受けて本当にただの殺戮マシーンとして何も考えられずに大勢殺して来た。善人も悪人も関係なく沢山殺した。……その中にはエカテリーナ・オルコット=バルゴ、つまり彼女の母親も含まれてる」
「……それは」
「仕方が無かったって言うつもりなら止めて。どれだけ取り繕ったとしても、彼女のたった一人の母親を殺したのは私。それ以外にも、私は誰かにとっての特別を奪い続けて来た」
透夜の言葉を断ち切って、瞳を閉じたメアはそう断言した。
「……一人残らず覚えてる。彼らの怨嗟が今でも聞こえる。多分、一生消えない」
(ああ……そうか)
こういう所なんだろうな、と透夜は不意に思った。
彼女がこういう人だからほっとけないと思うし、独りにしたくないと思うし、傍にいたいと思うのだ。
どれだけ人を殺して来た過去があろうと、彼女は心底その行為を嫌っている普通の女の子だから。強制されてやって来た事にまで責任を感じる、泣きたくなるほど優しい人だから。
「それでも、僕はメアが好きだよ」
その言葉は透夜自身も驚くほどスムーズに出て来て、今の自分の感情にピッタリと当てはまった。
むしろ驚いたのはメアの方だ。今まで見ないようにしていたのに思わずといった感じで透夜の方に顔を向けて視線がぶつかる。多分、それで彼女にも伝わった。透夜が言っている『好き』という言葉が、友人や仲間に向けるものとは明らかにベクトルが違う事に。
「……どうして、私なんかを……」
「メアといると楽なんだよ。誰といるよりも自然体でいられるっていうか、そういう風に思える人と出会えるのは凄く奇跡的で、運命的だと思わないか?」
「……透夜くんって意外とロマンチスト?」
「僕も初めての感情で、ちょっとのぼせ上ってるのかも」
だけどこれくらい言わないと、自虐癖のあるメアには伝わなかっただろうと透夜は思う。
ふっと湧き上がった感情をそのまま口に出した感じだが、その気持ちには嘘偽りは無いのだから。
「メア。前に悪夢を見るって言ってたけど、それは今でも見るのか?」
「……毎日見てる」
突然の話題の転換に再度驚いていたメアだが、その問いかけにはすぐに答えた。
やはりそうか、と納得した透夜はさらに続けて、
「余計な事を言うかもだけど、悪夢を払う方法が違うんだよ」
「……償いはしてるよ。その為に『ディッパーズ』で戦って来た」
「それは知ってる。でもそれで救ってるのは自分だけだ。僕らは戦う事で命を救ってるけど、やっぱり人を救うのと敵を倒すのは違う。だからどうしようもなくなった時、メアの選択肢には相手を殺すっていう選択が残ってしまうんだ」
一度でも人を殺してしまうと、選択肢に常にそれが出てきてしまう。
これは人間なら仕方が無い事だ。経験した内容が多ければ多いほど、問題解決において選択肢の幅は広がる。それは本人の望む望まないに関係無く。
「……なら、どうすれば良いの……?」
「前に進むだけじゃダメだ。本当に罪滅ぼしがしたいなら過去と向き合わないと。だからまずは一人救え。救うべき相手が誰かは分かるな?」
「……、」
エリザベス・オルコット=バルゴ。
彼女から逃げようとしたならば、メアは今度こそ向き合わなければならない。
自分を救うのではなく、相手を救う為に。例え言葉のナイフやそれこそ殺意を向けられたとしても、もし罪悪感が残っているなら真正面から受け止める責任がある。
「まあ、どちらにしても明日を乗り越えてからだ。明日は持ち場が違うけど、お互いに頑張ろう」
「ぁ……まって」
流石にそろそろ時間も遅くなってきたので、話を切り上げて地下に戻ろうと踵を返した時だった。メアは弱々しい言葉と共に透夜の服の裾を掴んで引き留めた。
足を止めた透夜が振り返ると、彼女自身がその行動に驚いている様子だった。あちこちに目線を泳がせ、やがて意を決したように強く目を瞑ると顔を真っ赤にした彼女は透夜の胸に飛び込んだ。
「……少しだけ、こうしてても良い……?」
突然抱き着いて来た彼女の行動に驚いた透夜だが、嫌な気持ちは一切無かった。むしろ彼女の背中に手を回して透夜からも抱き締め返す。
「少しなんて言わず、いつまででも良いよ」
「……なら、今夜は一緒にいたいって言っても……?」
上目遣いで放たれたその言葉の破壊力はとてつもなかった。そして好きな女にそう言われた男の反応ほど、予想が容易なものは無いだろう。
つまりは答えは決まり切っていた。
ありがとうございます。
『ディッパーズ』内のカップリングとしては二組目、透夜とメアが結ばれました。彼らには幸せになって欲しいですね。まあ私の裁量次第ですが。
次回は【それぞれの前夜】ラスト、アーサーと紬の話です。