444 それぞれの前夜 -陸-
ぱちーん、ぱちーん、と。
夜の『バルゴパーク』内で不定期にそんな音が響いていた。バスの形の売店の縁に座り、どこか遠くを見据えながら指パッチンを繰り返しているのは結祈だった。
「よっと、こんな所にいたんだ」
いつの間にか近くに来ていたサラは、売店の上に跳び乗るとすぐに結祈の隣に腰を下ろした。
「サラ? どうしたの?」
「あんたを探してたのよ。なんか思いつめてそうだったから」
「あー……バレてた?」
「ま、付き合い長いしね」
思えば結祈にとってサラはアーサーよりも一緒にいる時間が長い親友だ。これはお互いに言える事だが、元来勘が鋭い二人は普段と様子が違えばすぐに気付けるのだ。
「で、何悩んでるのよ。相談乗るわよ?」
「……じゃあ、サラにだけは話すね」
最後にパチンと指を鳴らした彼女が思い出すのは、ヴェールヌイに追い詰められてアーサーとサラが駆け付けてくれた寸前の事だ。
「ワタシには今すぐ『ノアシリーズ』に勝てる方法がある。……代償がいるけどね」
「代償って……」
「それは分からない。自分が想像できるより酷い事が起きるっていうのは分かってるけど、何が起きるかまでは分からないんだ……」
そう言って、結祈は天を仰いで静かに息を吐いた。
「……たまにふと、練習もしてない技を思い付く時があるの。『極夜』や『偽法・元素精霊』も全部、そうして思い付いたものだった。……最近、ヨグ=ソトースに言われた事が頭を過る。ワタシは『この世の理から外れた力』が使えるけど、その理由までは分からない。それがたまに怖くなる」
「……あの時、あたしが言った事は覚えてる?」
「……勿論、覚えてるよ」
顔を下ろした結祈は、小さな笑みを浮かべてサラの方に視線を向けた。
「だからまあ、不安はあるけど迷いは無いんだ。それに自分が何者かは自分で決めないとね」
「……言っておくけど、その意味不明な力は使わなくて良いわ。そんな代償払わなくたってあたし達が勝つから」
「……ヴェールヌイは強いよ?」
「見てたでしょ? あたしだって『仙術』を体得して強くなったんだから。あんたが強いのは知ってるけど少しは頼りなさい」
実際、サラは単独で『オライオン級』を一方的に倒せるほど強くなった。アーサーもここ数日で以前とは比較にならないほどの力をつけてヴェールヌイに挑もうとしてる。
一人で戦っている訳ではない。それをしっかりと心に刻み、彼女は答える。
「頼りにしてるよ、親友」
「ええ。お互いにね、親友」
どちらからともなく差し出した拳をぶつけ合って、互いに健闘を祈る。
チームを分けるならきっと明日は別行動だろうと分かっての事だった。
◇◇◇◇◇◇◇
不安の解消や、後悔を残さないようにする為に、ほとんどみんなが歩き回っている中で部屋で大人しくしている者達もいた。
世界とネミリア。どちらかを選べなかったレミニアはその一人だった。そんな彼女の部屋に珍しい来訪者が来た。
「レミニアさん、少し良い?」
「ミオさん……? ええ、良いですけど……」
突然の来訪に驚いたものの、断る理由もないのでレミニアはすぐに招き入れた。するとミオは迷いなくベッドに腰かけていたレミニアの隣に座った。
「……辛い選択を強いてごめん」
「え……」
突然の謝罪にレミニアは大きく目を見開いた。一瞬、何のことを言っているのか分からなかったのだ。
「……もしかして、何に謝罪してるのか分かってないの?」
「いやいや、分かっています。選択ですよね? ネムさんか世界かという話ですか?」
たった今思い出したと白状するような答え方に、今度はミオの方が驚く事になった。
「……わたしのせいだとは思わないの?」
「それは当然ですよ。だってミオさんは全く悪くないじゃないですか」
「……そっか。やっぱりみんな優しいね。特にレミニアさんのこっちが深刻に考えてるのに忘れちゃってる辺り、本当にアーサーくんの妹なんだなって思う」
「褒められてるような呆れられてるような……」
「褒めてるんだよ。わたしはそんな風にはなれなくて羨ましいから……」
本来、ミオはこんな場所にいる人間ではなかった。『MIO』の犠牲になってしまったせいで、こんな数奇な運命に巻き込まれてしまった。望まない未来を決めさせられ、とても心優しいから罪悪感に苛まれる事になってしまった、現状の『ディッパーズ』において最も一般人の感性を持っている彼女にとって、それは想像できないほど重い荷物なのだろう。
「……わたしも『造り出された天才児』として生み出されて、『一二災の子供達』としての役割を担わされて、でも兄さんはわたしの事を妹として受け入れてくれて、皆さんも仲間として迎え入れてくれて、だからミオさんとは境遇が似てるから分かります。だから一人で抱え込み過ぎないで下さい。わたし達を遠慮無く頼ってくれて良いんです。勿論、兄さんや透夜さんも」
「……そうだね。お兄ちゃんは頼りになるからね」
「わたしの兄さんもです」
そこは張り合う所なのか、とミオは思ったが、お互いに顔を見合うと何だかおかしくなって同時に笑ってしまった。
今はまだ兄達に守られているが、いつかは支えられるようになりたいと。
似た者同士の妹達は、二人だけの秘密の決意を掲げた。
◇◇◇◇◇◇◇
ユリとユウナと別れ、特にアテもなく再びアーサーは歩き出した。
今さっき外から戻って来たばかりなのに、妙に外の方に意識が引き寄せられた。何の根拠も無いが、行かなくてはならない気がしたのだ。
しかし外へ行く前に角を曲がった所でエリザベスと遭遇した。
「あれ? リザ、部屋にいたんじゃないか?」
「いきなりだな。余が出歩いていたら悪いのか?」
「いや、今そこでユリとユウナと会ってさ、今からリザに話に行くって別れたから」
「ぬ……そうだったか。ではすぐに戻った方が良いか」
そしてすぐに部屋の方に向かって行くエリザベスの背中をただ見送っても良かったのかもしれない。しかし彼女の去っていく背中を見て、アーサーは思わず口にしていた。
「大丈夫か?」
突然の言葉にエリザベスは足を止めて振り返った。思わず言葉が漏れてしまったアーサーの方もそうだが、振り返ったエリザベスも自分の行動に驚いているような様子だった。しかし流石は一国の王女。すぐに律して無表情に戻る。
「……何がだ?」
「いや、単なる経験則なんだけど……俺は結構王女の知り合いが多いけど、やっぱりみんな大きなものを抱えてて、でもその重荷に耐えながらみんなの為に頑張ってる。誰にも弱い所を見せないように気丈に振舞ってて……だからリザは大丈夫かなって少し心配になったんだ」
アリシア、セラ、ダイアナ、アクア。
みんながそうだった。アーサーが出来たのはほんの少し手を貸す事だけで、彼女達はその小さな体でとてつもなく大きな責任を背負い、今日までの道を切り開いてきた。
エリザベスもそういう位置にいる。他の誰にも代われない、孤高で孤独な戦場に。
「……まあ、そなたに今更隠しても無駄か」
諦めたように肩が上下するほど大きな溜め息をついた彼女は、近くの壁に背中を預けて天井の照明を見上げた。
「……不安が無い訳ではない。今まで何も変えられなかったのに、明日で全てが決まると言われても現実味が無い。……だが、余が弱音を吐く訳にはいかぬのだ」
「ユウナの前でくらいは良いんじゃないか?」
「ユウナにこそ見せたくはない。だから今、そなたに弱音を吐いておるのだ」
恥ずかしいのか頬を朱に染めて早口でまくし立てるように言ったエリザベスの言葉は、アーサーにとっては嬉しいものだった。弱音を吐いてくれるくらいには、自分の事を信用してくれていると分かったからだ。
「まあ、俺なんかで良ければいくらでも付き合うよ」
「数日程度の付き合いだが、他の者達がそなたを気に入る理由が今なら分かる。そなたの誰に対しても態度を変えないタチは、余のような立場の者にとっては貴重だ」
どこかで聞いたような言葉だった。
一歩間違えれば失礼以外の何ものでもない性格だが、それでも僅かな者達の救いになれているなら、それこそまさにアーサーらしい性質だ。
「約束するよ、リザ。俺は明日、ヴェールヌイを止める。そしてこの国を『ノアシリーズ』の支配から解放する」
改めて。
ずっと決めていた事を、彼にとっては当たり前の事を、言葉にして吐き出す。
「そしたらリザはもう一度、父親と向き合う事になると思う」
「……そこは余の問題だな。そなたらの力は借りられん……いや、借りる訳にはいかぬというのが正確だな」
「ああ。だからその舞台を用意する為に俺は全力を尽くす。お互いにお互いが出来る事で頑張ろう」
「……すまぬな。『バルゴ王国』の命運を背負わせる事になる」
「友達の国だ。いくらだって背負うよ」
これまで紡いで来た絆がその上で折り重なって来たように。
いつも通りに、アーサーは『彼自身の世界』の為に拳を握る。自分の役割がこうして戦って勝つ事だと、他の誰よりも理解しているから。