441 それぞれの前夜 -参-
「さて。私達の策は見事に失敗した訳だが、お前は随分と晴れた顔になっているな」
「にゃー……返す言葉も無いよ」
こちらも人気の無い『バルゴパーク』の一角で、医務室から出て来たイリスとジュディ、そしてソーマは紬と合流していた。
「わたしとしては嬉しいよ。結構長い付き合いだけど、こんなに明るいマリアは初めて見るから。……あっ、今はアリアだったっけ」
「紬で良いよ。なんだかんだ『ディッパーズ』に戻った訳だし。今まで捨ててきた名前も全部名乗ろうかなって思ってるけど」
「どんなのにするんだ?」
「紬・アリスマリア・グワルフクルス・ノア・スプリング・イラストリアス」
「長いな」
「長いね」
「だよね。とりあえず、紬・A・G・N・S・イラストリアスって名乗るつもりだよ。スプリングはアーサーくんから貰った感じだね。許可は取ってないけど」
「随分と首ったけだな。正直、お前はそういうのに興味が無いんだと思ってた」
「一途なだけだったんだね」
「許可なく名前を取ってる辺り、重いの間違いじゃないか?」
「イリスはキツイなあ……ジュディは優しいのに」
女三人寄れば姦しい、とまではいかないが三人の会話は弾んでいた。長年の苦悩から解放された紬は勿論、そんな彼女の様子を二人が嬉しく思っているからこそだった。
「あー……そろそろ良いか?」
そんな空気を壊すような真似をするのを心苦しく思いながら、おずおずと手を挙げたのはソーマだった。
「楽しそうな空気に水を差すのもなんだけど、どうして俺は呼ばれたんだ?」
「お礼を言いたかったんだ。『プランD』。反対だったけど結果的に『ディッパーズ』に戻れたし、少なくともみんなの命は無事だから」
「キャラルがいれば完璧だったんだがな」
「わたし達と引き換えに行ったんだよね……連れ戻すよね、紬?」
「勿論。もうこれ以上、誰も死なせない。明日は全部守って未来を取り戻す」
紬のその宣言に、イリスとジュディは懐かしむように微笑んだ。
これこそが『閃光』のあるべき姿。その心と絆で格上の敵を幾度も倒して来たヒーローとしての構えだったから。
「……ま、お前の心意気を聞けて良かったが、それよりも前に精算しておくべき事がまだあるみたいだな」
イリスが顎で紬の背後を示した。それに従うように紬が振り返って確認すると、そこにはこちらの様子を窺っているフィリアとエリナ、それにカヴァスの姿もあった。
「この際ハッキリ言うが、お前が何度も話していたアーサー・レンフィールドとお前は本当にそっくりだぞ? 自覚は無かったみたいだが、周りの仲間を心配させる所なんかが特にだ」
「……本当、返す言葉もないにゃー」
◇◇◇◇◇◇◇
六花と別れた後、アーサーは外の空気を吸いたいと思い立ち外に出ていた。夜風が涼しい空気を肺一杯に吸い込んで一人落ち着いていると、誰かが近づいて来る気配があった。
「本当にいたか。やっぱりラプラスは凄いな」
「リディ? ラプラスと会ってたのか」
「ちょっと話をしてたんだ。お前にも話があるって言ったら、外に来るって教えてくれた。能力を使わなくても分かるんだから流石だ。……自慢の友人だ」
「ああ、俺にとっても自慢の彼女だ」
彼女が公私ともに支えてくれているから、アーサーはまともさを保てている。もしもこの闘争の人生を一人で歩いていたら、ずっと昔に壊れてしまっていたと断言できる。
勿論、それはラプラスだけに限った話じゃないが、今のアーサーにとって彼女が一番の支えになっているのは疑いようのない事実だ。
「それで、俺に話って?」
「……そんなかしこまった話じゃない。ただ最後の日の前に友人と話したかっただけだ。特にお前とラプラスは特別だからな」
「そりゃ感激だけど、俺は明日を最後にするつもりはないぞ?」
「そうだな……まあ、念の為ってやつだ。感傷に浸るくらい良いだろ?」
「……、」
不意に、アーサーは言葉にできない不安を感じた。
彼女から諦めているような空気は感じない。むしろ未来を変える事に積極的に見える。感傷的になる事は理解できるのに、彼女の台詞の中に何か隠された思いがあるような気がしたのだ。
「『ディッパーズ』は良いよ。こんなボクでも迎え入れてくれて、家族ってこんな感じなのかって思わせてくれた。正直、こんなに大切に思えるものがボクにできるとは思ってなかった。……あの未来で、お前達と会えて良かった」
どこか遠くを眺めながらそう言うリディの横顔を見て、アーサーの中の不安がどんどん大きくなっていく。
「……リディ。お前……」
死ぬつもりか、と問い掛けようとした時だった。
当然、アーサーの方に視線を戻したリディが胸倉を掴んで自分の方に引き寄せたのだ。
「何故お前なんだって感じもするが、もしかしたらお前だからだったのかもしれないな」
「ちょ……リディ!?」
「動くな」
慌てるアーサーをピシャリと制し、そのままぐいっと引っ張って強引に唇を奪った。
すぐに離した一瞬の触れ合い。リディは何かを確認するように自身の唇に触れて、納得したように呟く。
「……なるほど。こういう感じなのか」
「なっ……お、お前、急に何を……」
「餞別代わりに貰っただけだ。こういうのも経験せず死ぬのもなんだしな」
そう言ってアーサーから手を離したリディはすぐに背を向けた。
「みんなに挨拶まわりしてるんだろ? ボクの話は終わりだ。さっさと次に行け」
「……リディ。俺は……」
「言っておくが、別に死ぬつもりも諦めてる訳でもない。だからお前も死ぬなよ。そしてあの未来を覆せ」
それ以上の会話を拒否するように、リディは『入替の魔眼』の力でその場から消えてしまった。何とも言えない不安だけをアーサーに残して。