439 それぞれの前夜 -壱-
医務室へと繋がる通路をラプラスは一人で歩いていた。
アーサーが傍にいてくれようとしていたが、一人になりたいと言って突っぱねた。
正直、精神的にかなり参っていた。友人の命を見捨てる選択肢を選び、アーサーと対立し、結局未来を変えられないままだ。
明日には世界が終わり、仲間達を失ってしまう。その中でもやはりアーサーと死別するのが辛い。今すぐ部屋に引き籠って泣きたい気分だが、まだ諦めるにはいかなかった。たとえ僅かでも可能性が残されているなら、最後まで足掻き続ける。彼女は愛する人からその意志を学んでいるのだから。
医務室に着いて中に入ると、看病してくれていた六花とユウナの姿があり、目を覚ましてベッドごと上体を起こしていたネミリアと目があった。
「ラプラスさん……」
「ネムさん。良かったです。目を覚ましていたんですね」
「はい……六花さんや皆さんのおかげです」
「オレはあくまで氣力で苦痛を和らげただけだ。根本的な解決にはなってないからな」
「こうして起きられただけで十分です。ありがとうございます」
その様子を見ながら、ラプラスは能力を使わなくても次は無いと予感していた。もしも次にネミリアが突然意識を失うような事があれば、薬を打たない限り二度と目覚める事は無い。そしてそれは、ネミリア自身も分かっているはずだ。
「ネムさん以外の方はどちらへ?」
「目を覚ましたらすぐ出てった。明日の作戦では協力するって行ってたから、遠くには行ってないと思うぞ?」
「そうですか……お二人共、ありがとうございます。少しだけネムさんと二人にしてくれませんか? ユウナさんはリザさんが呼んでいたので訪ねてみて下さい。明日の事で話があるそうです」
ラプラスの頼みに応じて、六花とユウナはネミリアに言葉をかけてから部屋を出て行った。
二人の足音が聞こえなくなったのを確認して、ラプラスはベッドの横の椅子に腰を下ろすとネミリアと目線を合わせた。
「……今、皆さんと話し合っていました。『獣人血清』でネムさんを治療する薬を作るか、『バアル』を止める為の薬を作るか。その顛末をお話しします」
誰がどういった考えでどちらの意見に賛同したか。そしてどういう経緯でどちらに決まったのか。その全てを隠す事なく伝えた。
聞き終えたネミリアは少し押し黙った後、浅く息を吐いてから言葉を出した。
「そうですか……メアさんが私の為に……」
「強引な方法でしたが、正直皆さんもほっとしたと思います。それほどに難しい問題でしたから。私は『バアル』を破壊すべきだと主張しましたが、あなたに死んで欲しい訳じゃないんです。ただ……」
「はい、分かっています。ラプラスさんはかけがえのない友人ですから。私も同じです。この方法で生き永らえるのは、少し反則が過ぎます」
「ですが選択肢は一つになりました。生きて下さい、ネムさん。皆さんもそれを望んでいます。勿論、私も」
そしてここに来る前、リアスが生成してくれた治療薬を取り出してベッドサイドのテーブルの上に置いた。
「薬は置いて行きます。ご自身のタイミングで打って下さい」
そうしてラプラスは半ば逃げるように医務室から出て行った。ネミリアは治療薬に視線を向けつつも、手を伸ばそうとはしなかった。心の内の迷いが体を動かしてくれなかったのだ。
しばらくそうしていると、ラプラスと入れ替わるようにリディが開きっぱなしのドアを軽くノックをしながら入って来た。
「大丈夫か?」
「リディさん……」
ノックに一声と、意外と礼儀正しく入って来たリディは先程ラプラスが座っていた椅子に腰を下ろした。そして治療薬の方にチラリと目を向ける。
「打たないのか、それ?」
「……どうしても反則な気がするんです。私だってあの未来を見て来ましたから」
「でも打たなきゃ死ぬぞ」
「私なんかよりリディさんの方が大変じゃないですか。私がこの薬を使えば、あの未来が実現してしまうんですから」
「『バアル』を破壊できれば問題ない。……それにボクにとってはどっちだろうとあんまり関係無いしな」
「……? それはどういう……」
「気にするな。ただ、今のままだと確実なのは未来は変わらず暗いものになるって事だ」
気にするなと言いつつ、その言葉には何かを抱えているのは間違いない雰囲気を感じた。
多くの仲間達がこの治療薬を届けてくれた。細胞レベルで影響を及ぼす治癒の力。それがこの治療薬の性能で、そこにはネミリアには計り知れない力を秘めている。
今の自分にまだ出来る事。
こんな自分を助けようとしてくれたみんなに報いる為に、そして未来を変える為に。
「……そうはさせません」
根拠の無い、たった一つのひらめき。
不意に湧いたそれに全てを賭けようと考えたのは、みんなから貰ったものを返したいと強く願っていたからこそだろう。そしてラプラスが治療薬を届け、リディが来てくれた事に運命を感じたからだ。
「リディさん。一生に一度のお願いです。どうか聞いてくれませんか……?」
その叛逆の意志が、未来を変える小さな起爆剤になる。
◇◇◇◇◇◇◇
アーサーは施設内を一人で歩いていた。
ラプラスから少し一人になりたいと言われたので、アーサーも色々と考えを巡らせながら、それぞれの時間を過ごしている仲間達と話して回ろうと思っての行動だった。
なんとなく医務室の方に足が向いていて、ちょうど目の前から歩いて来ていた六花と目が合った。先に反応したのは彼女の方で軽く手を挙げた。
「よっ、アーサー。医務室に用事か?」
「ああ。六花は看病してくれてたんだよな。ネムの様子はどうだ?」
「目は覚ました。今はラプラスが看てる」
「そうなのか……じゃあ少し時間置いた方が良さそうだな」
ラプラスには一人にして欲しいと言われているので、今会うのは得策ではないだろう。後で会いに行く予定だが時間は置きたいので、先に他のみんなの方を回ろうと方針を決める。
「ちなみに大地さんは明日どうするんだ?」
「静観だ。まあオレが助力するんだ。戦力としては期待してくれて良いぜ」
「頼りにしてるよ。今のところ明日はチームを分ける予定だけど、戦力的に仙術使いは分ける事になるだろうから。負担を懸ける事になるかもしれない」
「任せろ。オレは強いからな」
誇張でもなんでもなく、実際に六花は強い。仙術は言うまでも無くアーサー達よりも使いこなしているし、おそらくその気になれば『魔装騎兵』ですら相手にならないだろう。
「それから一つだけ、無意味な忠告かもだが。明日は気をつけろ。オレは今まで多くの『ユニバース』を見てきた。今回と同等のものも、今回以上に酷い事件もいくつもあった。中には良かれと思っての行動を取った者のせいで存在自体が消滅した『ユニバース』もある」
「……アンタ達が戦ってもダメだったのか?」
「いや、そもそも今回みたいに助太刀する方が珍しいからな。観てただけの時だってある。どうにかしたくても出来ないんだよ」
「……それは辛いな」
「慣れたよ。オレが何を思おうと、全ては『無限の世界』を守る為だ。だから今回は力の限り戦うさ」
「そうだな……互いにベストを尽くそう」
そう言ってアーサーが手を差し出すと、六花は小さく笑ってその手を取った。
滅びを静観するのではなく、手を出して防ぐために戦える。そのことを多少なりとも嬉しく思ってるのだろうと感じたのは、きっとアーサーの気のせいではない。