438 選択の時
部屋に入らなかったリディは、すぐ外の廊下に背中を着けて耳だけ傾けていた。すると廊下の奥、医務室の方からエリザベスが近づいて来る。
「医務室の方は変わりない。あの六花という者が氣力という『力』で治療をしてくれているし、ユウナも見ている。何かあればすぐに知らせてくれる」
「そうか……」
正直、リディの耳にエリザベスの声はあまり入っていなかった。それは彼女の視線の先、ドア一枚隔てた向こう側の部屋から聞こえて来る話し声が原因だ。
詳しい内容は知らないエリザベスだが、大切な事を話し合っている事くらいは空気で分かる。
「……そなたは中に入らぬのか?」
「ああ……この時代を生きてるみんなが決めるべきだ」
たとえ彼らがどんな答えを出そうと、それで未来がどうなろうと、その全てを受け入れる。
リディはすでに、そう覚悟を決めていた。
◇◇◇◇◇◇◇
重い空気の中で、一番初めの口を開いたのはクロノだった。
「黙っていても解決しない。選択の時だ。ネミリアを救うのか、それとも世界を救うのか」
「……そういうクロノはどうなんだ?」
「悪いがアーサー、私とミオは中立だ。今日まで何度か話したが、私達にはどっちを優先するか意見する資格が無い。お前達で決めろ」
「ちなみに私も中立だヨ。そもそもの発端だしネ」
三人が自身の立場を明確にした事で残りは一三人だ。もし多数決で決めるなら、必ずどちらかが多くなる構図だ。
「世界一択よ。あの未来を実現する訳にはいかない。ネミリアには悪いけど……全人類の命が懸かってる。『スコーピオン帝国』にいるお姉ちゃん達の命も。それにあたしも完全に理解できてる訳じゃないけど、ヴェールヌイの目的が果たされたら何も知らない別の世界の全てのこの星が破壊されるんでしょ? なら止められる立場にいるあたし達が止めるべきだわ」
「そっか……サラと意見が割れるのは珍しいけど、ワタシはやっぱりネミリアを救うべきだと思う。『ディッパーズ』は常に目の前の命を救って来たし、だからワタシは『協定』を蹴ってここにいる。それを無駄にはさせたくないし、ネミリアを救って世界も救える道だって残ってるはずだよ」
サラと結祈。親友とも呼べる彼女達でも出した答えは違うものだった。
同じ道を歩いて来た者達でも、当然抱えているものは違うし考え方だって異なっている。そもそも簡単に答えを出せるような問題じゃないからこそ、より個々人の深い部分が関わって来るのだ。
「……私も世界を救う方に一票入れるわ。私の場合は人間とか世界よりも、獣人のみんなの事を考えてだけど。ただ勘違いして欲しくないんだけど、今はユウナやアンタらだって私には大事よ。だからこそ、やっぱり私は数の多い方を選ぶわ」
「それならワタシもユリさんと同じです。凛祢やみんなの事を考えると、やはり『バアル』を破壊すべきだと思います」
それぞれ『ディッパーズ』以外にも大切な居場所を持つユリと紗世の意見はそういうものだった。
誰もネミリアの命を軽んじている訳ではないし、逆に世界中の全てを軽んじている訳でもない。あくまでどちらも苦渋の選択なのだ。
「ちなみにおれも世界を救うべきだと思ってる。サクラが守った世界を、そして遺したお前をみすみす死なせる訳にはいかないからな」
「カヴァス……俺の事は別に気にしなくても良いんだぞ?」
「サクラの事を気にしてるんだ。というかさっきからずっと黙ってるが、そういうご主人はどうなんだ?」
「俺は……」
アーサーはちらりとラプラスの方に視線を向けて、それからみんなと同じように表情を歪めて、
「やっぱりネムを見捨てられない……今まで何度も未来を変えようとして、結局何も変えられずに今日に至ったのは分かってる。それでもまだあるはずだと思うんだ。ネムと世界、両方を救える道が。その為に俺がヴェールヌイを止める」
結局、ここに至っても考えは変わらなかった。
確かに迷いはした。けれどネミリアを救うという選択肢が彼の中から消えた瞬間は、結局のところ一瞬たりとも無かったのだ。
ならばそれが答えだ。
保障も確実な策も何も無いが、それでもこの道だけは最後まで諦めきれなかった。
「すまないラプラス。未来のお前の警告は分かってる。……だけど、これが俺なんだ」
「ええ、分かっています。むしろアーサーがネムさんを救う方を選ばない方が想像できませんよ」
誇らしさと悲哀の感情を混ぜたような、複雑な表情でラプラスは答えた。
「その上で、私は世界を救いたいと願います」
そして続けて放たれた言葉に、この場にいる全員が他の誰の選択よりも驚いた。
いつかこの時が来たらどちらを選ぶのか。あの日、自分に警告されてからずっと考えてきた。『未来』を観れるラプラスは、『協定』の時にはアーサーの意見に賛同しただけだ。良い未来も悪い未来も分かった上で、ただアーサーに協力する道を選んだ。
多分、同じように賛同すると思っていた。けれどあの時とは違い、今のラプラスとアーサーの関係は変わっている。それが別の選択肢を選ぶという勇気を与えた。たとえ意見が分かれても、自分達の関係は揺るがないという安心感があったからだ。
「……ネムさんとは、正直アーサーの次くらいに親しい自信があります。大切な友人です。ですが私自身からの警告もありますし、なによりアーサーや……結祈さんやサラさん達の事も失いたくありません。私にとってはみんなも大切なんです」
一心同体と言っても過言ではないほど、おそらく『ディッパーズ』において最も共に過ごしている時間が多い二人。ラプラスがアーサーとは別の選択をした事に、まだ驚きから回復できていない者達が多い中、そんな空気を変えるようにラプラスの肩に手を回して体をくっつける者がいた。
「悪いけどアーサーくん。あたしもラプラス達に賛成。今まで長い人生を生きて来たあたしだからこそ、そこで出会って来たみんなを見捨てられない。……まあ、あたしの場合は失う事に慣れちゃってるっていうのもあるんだろうけど」
「紬さん……」
「あっ、誤解しないでね。だからネミリアちゃんが死んでも良いって訳じゃないよ。ただ経験上、運命ってのいうのがどれだけ強大なのかを知ってるから。未来のラプラスが確実に回避できる手立てを教えてくれたなら、それに従った方が良いって思うだけ」
これで『世界を救う派』が六人だ。
残り五人。次に口を開いたのはフィリアだった。
「わたしは家族を見捨てない。ネミリアは薬で助けて、『バアル』は死ぬ気でぶっ壊す。それで全部解決」
「エリナは難しい事は分かんないけど、王様なら絶対に『バアル』を破壊して、ヴェールヌイを倒してみんなを救ってくれるって信じてるから。薬でしか救えないネミリアを助けるべきだと思う」
続いたエリナは本能で選んだ。
家族と本能。それぞれ自分の中で揺るぎない信じるものを持っている二人は、今回もそれに従って選んだ。
「……私もネミリアちゃんを救いたい。私の後に生まれたネミリアちゃんは妹みたいなものだし……それに、仲間を失うのはもう沢山」
それはきっとソラの事だけじゃないとみんなにも伝わるほど、凄く重みのある言葉だった。
彼女が『ノアシリーズ』で、『ナイトメア』で暗殺業をしていたのはみんなも知っている。しかしその詳細をメアは誰にも話していない。けれど今の一言で、その暗い時代に多くの死別を経験して来たのだと想像がついてしまった。
「……透夜くんは? やっぱりミオちゃんの為にネミリアちゃんを見捨てるの?」
ズルい質問の仕方だとメア自身も自覚していた。前に一度この件について口論になっているというのも理由の一つだろうが、やはりメアは透夜が相手になると普段の冷静さを欠いてしまう。
けれど対する透夜は冷静だった。
「……その答えを、メアと別れてからずっと考えてた。幸い仙術の修行のおかげで時間はあったし。それで決めたんだ」
意地悪な問いかけだった事には反応せず、透夜も揺るぎない一つの決意を持って答える。
「ネミリアを救おう。これが僕の選択だ」
「ぇ……」
その言葉に誰よりも驚いたのは問いかけたメアだった。そんな彼女に透夜は小さく笑みを浮かべて理由を語る。
「そもそも『バアル』に近づいて毒を撃ち込めるのが可能かどうかも分からないし、もしもキャラルが中にいたら諸共殺す事になるんだろ? だったらなおさらそっちの選択肢は無しだ。フィリアが言ってたように、ネミリアを助けて、ヴェールヌイを止めれば、それで未来で失われる全ての命を救える。こんな事、考えるまでも無かったんだ」
これで六対六。
みんなの意識は自然と最後の一人、レミニアの方へと向けられる。
「……ごめんなさい」
しかしみんなの視線を感じたレミニアの第一声はそれだった。俯いたまま、くしゃりと表情を歪ませる。
「わたしには選べません……ここにいないシルフィーさんやアレックスさん達の事も、ネミリアさんの事も大切なんです……っ! 選べる訳がありませんっ!!」
ボロボロと涙を流してそう訴えるレミニア。
あるいは彼女の反応こそが普通なのではないかと、それぞれの選択を示した一二人は思った。
平然と、という訳では決してないが、天秤を傾ける事ができた自分達。もしかしたらこの生活の中でどこか常人とは決定的にズレてしまっているのかもしれないと。
「辛い事を聞いてごめん」
「……いえ。答えを出せなくてすみません」
アーサーは泣いている妹に近寄り、抱き寄せて頭を撫でる。するとレミニアは少し落ち着きを取り戻した。
最初から多数決で決めるつもりはなかったが、これで『ディッパーズ』としての結論は全くの同数。これまでの全員の話を聞いて考えが変わったか、それとも別案が思いついたか、あらためて聞いてみようとアーサーが思ったその時だった。
「っ……紬さん! メアさんの動きを……ッ」
何かを察知したラプラスが突然声を荒げた。光速で動ける紬に頼んだのは英断だったし、呼ばれた紬も理由が分からずともすぐに動き出していた。
「―――『紅蓮界断糸』」
しかし、それでも遅かった。
一体、いつの間にワイヤーを伸ばしていたのだろうか。彼女の手から伸びた極細のワイヤーはテーブルの上の『紫毒』に絡まっていて、瞬く間にそれを燃やし尽くしてしまった。
あまりの出来事に、あらかじめこの未来を観ていたラプラス以外が絶句してメアの方に視線を向けた。
「……みんなごめん。でもこれで選択肢は一つでしょ?」
それはあまりにも強引な行動だった。
選択させる余地を残さず、一人の気持ちで片方の選択肢を焼き尽くした。
言いたい事はあった。けれど全員が迷っていた中で、誰も口を開けなかった。責めることなんて出来なかった。それはみんなが心のどこかで選択肢が無くなった事に安堵していたからかもしれない。
けれど同時に、それは世界を守るべきだと主張した者達にとっては完全に納得し切れる行動でもない。
「……リアスさん。念のため聞きますが『紫毒』を作り直す事はできますか?」
「生成自体は記録があるから出来るけド、明日までにってなると不可能かナ。少なくとも一週間は必要になるヨ」
「そうですか……では、治療薬の生成をお願いします」
「……分かっタ。じゃあみんなは明日の戦いと世界の終わりに備えておいテ」
重い空気は無くならない。
しかし選択は成された。
あとは終わりへと向かって転がり落ちていく運命の中で、最後まで抗い続けるしかない。
「……少し時間を置きましょう。一時間後、再びここで明日の作戦会議をするという事で良いですか、アーサー?」
「……ああ、少し休憩しよう。みんなも良いな?」
その提案に反対する者はいなかった。みんなバラバラに部屋の外へ出て行く。
アーサーはラプラスに声をかけようとしたが、それよりも前にラプラスはアーサーの方に視線も向けずに一方的に言い放つ。
「すみません、アーサー。少しだけ一人にして下さい」
そして彼女は一度もこちらを見ずに部屋を出て行った。
アーサーは何も言えずに去っていくラプラスの背中をただ見送る事しかできなかった。