432 氣力を繋げる者
地獄を見て、飯を食って、地獄を見て、気絶するように寝て、地獄を見て、飯を食って、地獄を見て、気絶するように寝て。
そんな苛烈なスパンを幾度と繰り返して何日経ったかも分からなくなって来た頃。命の危機に晒された時の生命力というのは大したもので、三人は次第にマスクをした状態でも普通に呼吸ができるようになっていた。
しかし出来るようになって改めて三人は疑問を抱いた。呼吸法は身に付けた事で体内で氣力が生成されていくのは感じられた。しかし紬が使っていた『模倣仙人』のような力を感じられない。別の『ユニバース』に行った事でサラや透夜よりも氣力に触れてきたアーサーは特に違いを感じていた。これではカケルには及ばない、向こうで出会ったアリスや敵であったヴァンクロフトやガウロシアと同じ『ただ使っているだけ』のような感覚だと。当然ながら『使う』と『使いこなす』とでは雲泥の差がある。
「さて、次のステップだ」
三人がゴツイマスクを単なる紙のマスクと同じように感じるようになった頃。久しぶりに聞くような大地からの声があった。
「氣力を生成できたが思っていたより弱い、そんな感じだな」
こちらの心情を見透かした台詞だが、それには続きがあった。
「そりゃそうだ。お前達はまだ氣力を生成できるようになっただけの、言ってしまえば歩き方を覚えただけの赤子だ。使いこなすってのはそういう事じゃねえ。使うのと使いこなすのとじゃ天と地ほど差がある。現に氣力がメインの『ユニバース』で生まれたアリスもかなり手こずったしな。使いこなせるようになったのは本当に最近だ」
「えっ、そうなのか?」
「ああ。前までは短時間しか使えなかったみたいだが、別の『ユニバース』で数年修行してたぜ。髪が伸びてるのはそのせいだろ」
「……大地さん、なんでも知ってるのか?」
「お前達を見てただけだ」
お前達と言いながら、確かにその視線が自分に向けられているとアーサーは感じた。
『ストレンジャーズ・オブ・マルチバース』。休憩中にクロノに話を聞いた事が本当で、彼がカケルの親友なら、当然『何か』の事を知っているのだろう。見ていたというなら確実にそれ関連のはずだ。
「話を戻すぞ。そもそも氣力はお前らが主に使ってる魔力や呪力とは根本的に違う『力』だ。『無限の世界』には魔力、呪力、霊力、星辰力、神力、煉力、理力などなど、他にも数多の『力』があるが、例えば魔力は自然界に満ちたエネルギーの一つ、呪力は体内で生成するエネルギーの一つだ。大体はこの二つに分けられるが、氣力は珍しい部類で少し違う。氣力とはこの世の全てに存在する力の事だ。特に想いの強さで増減するバランスの力。動植物は勿論、陸と空、憎悪と親愛、そして生と死。その全てに存在し、間を繋ぎ、バランスを司る。死した者の魂は魔力などの『力』へ還るが、そこへ想いを繋げるのは氣力だ。お前らがこれから扱うのは、その想いの力と言っても過言じゃない」
異色の力というのはアーサーも納得だった。夢のような体験でカケルと繋がり、炎としての形で氣力を扱えるようになった。縁が繋いだのだとしても異例だろう。現にアーサーは他に自分のような人間を見た事ない。
「……もしかして、想いは『ユニバース』すらも超えるのか?」
「勿論、想いだけは時間も空間も生死すらも超える。俺やお前がカケルの事を想うようにな。それ故に氣力を使いこなす感触は魔力や呪力とは全く異なる。この世界にある術だと忍術が近いな。世界に満ちているものを借りるイメージだ。そして何から借りるのかによって力の方向性が変わる」
アーサーが受けた印象だと、おそらくただ使うだけだと魔術のように自身に合った系統に変換して使うに留まるのだろう。例えばアリスは『光』。ガウロシアは『火』と『土』といった風に。そしてカケルの場合は氣力を使いこなしており、炎龍のヴェルターと繋がっていたからあれだけ高威力の『火』が色濃く出ていたのだろう。
「人は無意識に個と世界を分けて考える。だけどそれは傲慢だ。俺達は皆、この世界の一部として全身全霊で生きている。俺達は個であると同時に世界であり、世界であると同時に個なんだ。理解しがたいかもしれないけどな」
「いや……アドバイスありがとう。なんとなく分かった」
「それなら良かった。ま、話より実践の方がお前らには合ってるだろうしとにかくやってみろ」
言いながら大地は両手をこちらに差し出した。何も持っていないし、何の『力』も感じ取れないごく普通の手だ。
「お前らの内側には気付いてないだけで力を貸してくれる存在がちゃんといる。それが仙術を体得するのに一番必要な素質だ。まずはサラ、透夜、お前らから俺の手に触れろ。そこから先はお前ら次第だ」
具体的に何をされるか聞かされていないが、今は強くなる為に言われた通りにするしかない。サラは左手を、透夜は右手を伸ばしてそれぞれ手を取るが何も起きない。
「サラ、お前は多分簡単でスムーズに行くはずだ。透夜、お前は一つだが大勢だ。ちょっと疲れるかもな」
「それ、どういう……」
サラが深く尋ねようとした途端、二人は意識を失った。大地が手を引っ張りながらゆっくりと床に倒すが、目を覚ます気配は無い。
「……何をしたんだ?」
「俺の氣力で内なる世界に繋いで案内してやった。それとも時間が無いのに何年も座禅と瞑想を繰り返して自力で入門する方がお好みだったか?」
「いや、無い。……俺にはやってくれないのか?」
「お前の場合は二人よりも厄介な事になってるからな。氣力に繋げてくれるのは大体死んでしまった大切な者だ。サラは白くてデカい虎、透夜は大勢の子供達。お前には色々だが、仙術で深く繋がれるのは一人だけだ。つまり……」
「会いたい人に会えるチャンスだけど、先を考えるなら力が強い者を選べって事だな? ちなみにカケルさんはいるのか?」
「いいや、いない。代わりに別の存在がいる。お前の中で一番大きな力だ。……だが選択肢はお前にある」
「いいや、悩むまでもない。一番大きな力を持つ者に繋げてくれ」
もしもアーサーが望むのなら、レインやビビといった会いたくてたまらない人達に会えるという事だ。
とても甘美な誘惑だが、これからの事を考えるなら誘惑に乗るべきでないのは明らかだ。それにすぐに頭に思い浮かんだレインとビビに会いたいとは思うが、同時にどちらか一人と言われたら選べる訳がない。
「良いんだな?」
「ああ、頼む」
アーサーの方から差し出した手を大地は握った。するとすぐにアーサーの意識が暗転し、その場に倒れた。
アーサーの主観では一瞬視界がぐわんと歪んで暗くなり、明るくなると自分が立っている場所の景色が変わっていた。果てしない草原に雲一つない星空。まるで自身の『断開結界』の中のようだった。
「ここは……?」
『心象世界の中だ』
その声はアーサーの後方、それも上の方から聞こえて来た。振り返ってみると、そこにいるのは見覚えのある炎龍だった。
「ヴェルタ―!? お前、カケルさんと一緒に逝ったんじゃ……」
『手を握っただろ? あの時、カケルはワシをオマエの中に移したんだ。忌々しい事にな』
「でも、氣力は死んだ者が繋ぐって……」
『オマエはワシの「ドッペルゲンガー」と関りがあったんだよ。その縁のおかげで繋がるだけじゃなく宿る事ができた。覚えはねえか?』
一つだけ思い付くとすれば『タウロス王国』で戦ったドラゴンだ。とはいえあれはフレッドによって機械で制御されていたし、死に目にあった訳でもない。思い当たるのはサラには否定されたが、戦いの最後で何となく意志のようなものを感じた事くらいだ。その時に繋がったのだとしたら少しだけ嬉しい気持ちになった。
「まあ、とにかくお前で良かったよ。力を借りたいんだ。カケルさんみたいに氣力を使いこなせるようになりたい」
『……、』
「ヴェルター?」
『ふん……ワシには分からねえ。どうしてオマエは他人の為にそこまで頑張れる?』
こちらを値踏みするようにじっと見下ろして来たかと思うと、彼は突然そんな事を言い出した。
『ここから修行の様子は見てた。何度も何度も呼吸困難に陥って、あんな苦しい思いをしてまで仙術を体得したいのか?』
「……ネムはずっと、一人だったんだ」
『……あ?』
疑問の答えとしては、アーサーの言葉は分からなかっただろう。
しかし構わずアーサーは続ける。
「造られた命で、母親と慕う相手から記憶を消されるなんて所業を何度も受けて、体は今も死に向かってる。でもネムは悲しむ風でもなく、当たり前の事のように言ったんだ。『世界はわたしを苦しめる為だけにあるんだ』って」
『……、』
「だから俺はあいつに見せてやりたい。世界はお前を不幸にするためだけにあるんじゃないって。あいつは俺を何度も助けてくれた。だから今度は俺が助ける。そして二度と離さない」
『……ったく、嫌になるくらいそっくりだ』
盛大な溜め息をついたヴェルターのそれは、まるで今まで何度も繰り返してきて慣れたような所作だった。
『あの女も救いに行くつもりか? オマエの妹弟子』
「ああ、当然だ」
『ならアドバイスだ。あいつはすでにオマエ以上に「担ぎし者」として生きて来たはずだ。簡単に説得できるとは思わねえ事だな』
「かもな。でも約束した。あいつとはするべき話があるんだ」
『だったら力が必要だよな』
そう言うとヴェルターはぐっと握った拳をアーサーの目の前に突き出した。
『この際だから言っとくぞ。カケルはオマエを認めてたが、ワシはオマエを認めてねぇ。だがもし認めさせるだけの力を示せると思ったら「闘諍」と唱えろ。その結果次第では正式にオマエを新しい相棒として認めてやる』
「超上から目線だな……まあ、何だかんだでアンタも甘いヤツだってのは分かった。いざとなったら頼らせて貰うよ」
応じるように拳を伸ばしたアーサーは、ヴェルターの拳とコツンと合わせる。
「……ちなみに今すぐでも良いのか?」
『オマエのタイミングで良い。どうせワシはいつでも暇だからな』
何か大きな力が流れて来るのを感じた。すぐにアーサーの全身に黄金の炎のように揺らめくオーラが纏わりついて行く。
『炎龍王の赫鎧』に似たような感じだが、その力の大きさは全く違う。どちらの方が強いという話ではなく、やはりカケルの体に合ったものより、自分の体に合った氣力の方が馴染んでいるのだ。
『じゃ、大地のヤツによろしく言っといてくれ』
と、ヴェルターは少し離した拳から人差し指を弾いてアーサーにぶつけた。
サイズ感が全く違うデコピンにアーサーはダンプに当てられたみたいに吹っ飛んで行きながら、その意識がここに来た時のように暗転して現実に戻って行く。
「……って、サイズ感考えろ馬鹿!!」
「うおっ!? もう起きたのか!?」
上半身を起こして飛び起きたアーサーに、大地が驚いたようにビクッと体を震わせた。修行が始まってから初めて見るレアな光景だ。
「……早かったな。ヴェルターのやつ、随分と丸くなったんだな……」
「やっぱりヴェルターを知ってたか。よろしくだってさ」
「別に俺は親しかったって訳じゃないんだけどな……ま、会えたのは素直に嬉しいがな」
懐かしむような大地の表情を見て、アーサーは初めて彼の素を見たような気がした。カケルが時々見せた表情と似ていて、アーサーはかける言葉が見つからず逃げるようにサラと透夜の方に視線を向ける。
「二人はいつ起きるんだ?」
「さあな。ただ死に別れた者との対話だからな。どうしたって時間はかかる」
「……それもそうだな」
アーサーが早かったのは、そこまで親しかった訳でもない相手だったからだ。これがもし妹達だったならこうはいかなかっただろう。きっと今頃もサラや透夜と同じく床に転がっていたはずだ。
手持ち無沙汰なので、アーサーは二人の傍に腰を下ろす。透夜の方は普通に眠っているだけに見えるが、サラの方は瞳から涙を流していたので指で掬うように拭う。
透夜の方は子供達と言っていたので『未来決定装置』によって命を奪われた者達だろう。そしてサラはホワイトライガーのシロと話しているはずだ。
アーサーはそっとサラの手を取る。すると彼女の表情が少しだけ和らいだような気がした。
そのまま待って数時間が経った頃、ようやくサラはゆっくりと目を開けた。
「……起きたか」
「……アーサー……?」
寝ぼけ眼のサラはアーサーの顔を見た後、繋がれている自分とアーサーの手を見て一気に赤面するとばっと手を離した。
「えっ……!? あ、あたし、ずっと手を……!?」
「……シロとは話せたか?」
動揺していたサラだが、アーサーの言葉ですぐに冷静さを取り戻した。そして複雑な微笑を浮かべる。
「……ええ。沢山話した。こんな日が来るとは思ってなかったわ」
「そうか……良かったよ」
「アーサーは? 妹とは会えた?」
「あー……実は別のヤツと会ってたんだ。『タウロス王国』のドラゴンの『ドッペルゲンガー』。別の『ユニバース』で知り合ったんだ」
「それは強そうね……でも良かったの?」
「良いんだ……必要な事だったから」
悔いが無いと言ったら嘘になる。
けれどみんなを守れる力を得るチャンスを棒に振って会いに来た自分を、きっと妹達は許さない。だからこれで良かったのだ。
「……アーサー、一つだけ良い?」
アーサーの感情の機微を鋭敏に感じ取ったのか、窺うような視線を向けながら言葉を続ける。
「あんたが別の『ユニバース』に行ったり、この仙術の修行で強くなったのは分かるわ。でもそのせいで、また全部一人で背負おうとしてない?」
「……、俺はただ……」
「続きは言わなくて良いわ、分かるから。ただあたしが仙術の修行に参加を決めた理由の一つはあんたと対等に戦える力が欲しくて、それはあんたを一人にしない為よ。だからこれからもあたし達を頼って」
「そうだな……」
正直、気負っている所はあった。『何か』と相対して、前よりも一層『担ぎし者』として戦わなければならないと思っていたからだ。
それを見抜かれた事に少しだけ安堵の気持ちがあった。彼女達のような存在が、自分をどこまでも支えてくれているのだと再認識できた。
「ちょっともう一回ドラゴンと……ヴェルターと会って来る。俺の体を頼んだ」
「……ええ、任せて」
少しだけ驚いたサラだが、彼女は笑顔で応じてくれた。
アーサーは安心して掌を合わせて唱える。
「『闘諍』」
ヴェルターに言われた合言葉を唱えると、すぐに意識が内側へと沈んで行く。
次に目を開くと、巨大な炎龍が目の前にいた。
「来たぞ、ヴェルター」
『随分と早いな』
「改めて思ったんだ。俺にはみんながいて、足りない力は補い合っていく事ができるって。だから俺は、そんなみんなを守る為に力が欲しい」
『……良いぜ。じゃあ喧嘩だ』
けたたましい声で咆哮したヴェルターに向かってアーサーは怯まず殴りかかる。
それはこれから何度も繰り返される、一人と一体の壮絶な喧嘩の始まりだった。