47 引き金を引かせるな
最後までフレッドは振り返る事も足を止める事もしなかった。
フレッドが完全に視界から消えた瞬間、ニック達も倒れたアリシアに駆け寄る。
「アリシア様!」
「大丈夫だ。幸い銃弾は抜けてるみたいだし、急所も外れてる。まだ破片が残ってる可能性はあるけど、その辺りはちゃんとした病院じゃないと何もできない。とりあえず何か応急処置のできるものは持ってないか?」
「一通りのものは揃ってる。消毒用の薬に包帯で良いか?」
「ああ、それだけでもこのまま放置するよりもマシだ。手伝ってくれ」
とは言ったものの、アーサーには人並みの知識があっても包帯を巻く技術がある訳では無い。基本はニックとレナートがやっていく。
「女の子の、それも妹に銃弾を撃ち込むなんて、あいつ普通じゃないわよ」
「普通だったらそもそもドラゴンを動かして魔族を滅ぼそうなんて考えないだろ。サラはああいうタイプの人間は許せないのか?」
「当然よ、あたしは理不尽な暴力が大嫌いなの。あんたは違うの?」
「いや、俺も同じだよ」
そんな当たり前の事が、分からない男もいる。それがとても悲しく思える。
「……?」
そんな感傷にも似た思いに浸っていると、奥にしまい込んだしこりのようなものが再び浮上してくる。今度はその正体について明確に考えようとするが、
「……いか、ないと……」
その弱々しい声は、アーサーの腕の中から洩れた。
「……ドラゴンが、動き出したら……全てが手遅れに……」
応急処置で少しは余裕ができたのか、アリシアが呻くように呟く。その様子にアーサーも思考を切って意識をアリシアに向ける。
「大丈夫か?」
弱々しい動作でアリシアは首肯する。そして腕の中にいる彼女の体に力が入る。
「アリシア……?」
「私が……行かないと」
「……なんだって?」
「私が、始めた事です。……私が終わらせないと」
アリシアは本気だった。脇腹に風穴を空けられても彼女は止まる事をしない、ある意味ではアーサーと同様の異常者だった。
だからアーサーにもなんとなく、止まれない意味は分かった。きっとアリシアは誰に何を言われても止まらない。ただ止まらないと分かっているのと、それを止めようとしないのとでは話が違う。
「……少しは頼れよ」
アーサーは今にも泣き出しそうな表情で、腕の中にいるアリシアの顔を除き込む。
「ニック達は一年間もお前を助けるために息を殺して今日を待ってたんだぞ。俺やサラなんかは確かに部外者かもしれないけど、それだってこの国を救いたいっていう思いは一緒なんだ。ずっと孤独に戦って来たからいきなりは難しいかもしれないけどさ、それでも少しくらい苦労を背負わせてくれても良いだろ、仲間なんだからさ」
「仲、間……?」
キョトンとした顔のアリシアに、ニックはアーサーの言葉に重ねるように、
「約束しただろ? 嬢ちゃんは国を、俺達は嬢ちゃんを支える。そして嬢ちゃんはその約束を十分に守った。あとは俺達が約束を果たす番だ」
ニックがそう言うとしばらく表情は変わらなかったが、やがて面映ゆそうに笑みを浮かべると、
「……昔の口調に戻りましたね」
「……やっぱり敬語は性に合わないからな」
恥ずかしそうに言うニックにアリシアは苦笑すると、浅い息を吐いてから、
「……お兄様はおそらくドラゴンに搭乗するつもりです。あそこが今、この国で一番安全ですから」
「あれを操縦できるのか!?」
「動作は基本的にAI任せですが……最悪の場合は操縦できます」
「ドラゴン自体を止めるのはガラスの向こうに行けばできるか?」
「……防腐液の排出はすでに終わっているはずですから、もういつでも動き出せるはずです。ここからではもうドラゴンを止められません」
アーサー必要な情報を端的に聞き出し、今後の方針を頭の中でまとめていく。
(とりあえずあいつに連絡しないとな)
アーサーはポケットからマナフォンを取り出し、今も別の場所で働いているであろう相棒の番号を押す。
しばらく待つと、相手の声が耳元で聞こえてくる。
『やっと掛けて来やがったか。何か進展でもあったか? ちなみにこっちは一つずつ手作業でカプセルを開けていく終わりの見えない地味な作業を継続中だちくしょうめ』
どうやら捕まってる人達の開放作業の方には大した進展が無いようで、数刻ぶりに聞くアレックスの声は随分と疲弊していた。
「毒づくなよ、それだって重要な事なんだ」
『つーか俺達はこれが何に使われてるかも説明されてねえ訳だが、その辺りの説明もしてくれんだよな?』
「今は時間が無いからそれはまた後で。それよりも今からそっちに『オンブラ』っていう親衛部隊がお前らを殺しに行くから、なんとか対処してくれ」
『詳細の説明どころかまさかの追加業務だとう!? テメェブラックが過ぎやしねえか!?』
「文句ならこの国の暴君に言ってくれよ」
『言えるもんなら言いたいね! つーかマジで何でこうなった!? 俺達はほとんど観光目的でこの国に来たはずなのに、どうなったらこんな国の深い部分に関わる事になるんだよもー!!』
「その辺りについても悪いと思ってるよ。まあ旅は道連れ世は情けって言葉があるだろ? お前の分の文句も言っといてやるから、引き続き頼むよ」
『俺が文句の言いてえ相手筆頭はテメェなんだが、その辺りは理解してんのか?』
こんな馬鹿話をしてる場合では無いのは重々承知だが、今はこのやり取りが良い具合に気分転換になっている。
だからだろうか。
「止めるぞ、アレックス」
今は言わなくても良いような事が、思わず口から洩れた。
「この国がやろうとしてる事を止めないと、それこそ『第三次臨界大戦』の引き金を引く事になる。そうなったら結局、一番苦しむのは何も知らない一般人なんだ。……それに、あの方角はビビが来た方角だ。もしかしたらビビの母親がいるかもしれない」
最後の方は少し声のトーンが落ちた。それはアレックスにも伝わっていたようで、息を飲む気配を感じた。
そして電話口の向こうでわざとらしい深い溜め息をついた後に、
『……ちくしょう。結局やるしかねえって事か』
「そういう事だ。俺はドラゴンの方を何とかするから、お前は地下の方を頼む」
『ああ、分かったよ』
必要最低限の情報だけ伝えてマナフォンをしまう。
ちゃんとした情報を伝えないで手伝ってくれてる事に後ろめたさはあるが、どうにも時間がない。後で何か奢ってやろうと決めて、ニック達の方に向き直る。
そしてこれからの動きについて説明しようとしたところで。
ズッズン!! と大きな揺れが管制室を襲う。
その揺れは先程の施設で感じた揺れよりも格段に大きいものだった。
「まさか……」
「ちょっとアリシア何その不穏な前振り!? まさかって、ドラゴンが動き出したなんて事ないよな!?」
アーサーの不安と期待の入り混じった声に返答せず、アリシアはガラスの向こうのフレッドが出て行った扉を見つめていた。
「……おそらくあの扉はさっきの施設への直通通路なんだと思います。今から追っても間に合いません。……もう終わりです」
アリシアは絶望と悔しさをない交ぜにしたような複雑な表情で、今すぐにでも泣き出しそうな顔をしていた。
ずっとドラゴンの復活に携わって来たアリシアだからこそ、この場にいる誰よりも手遅れだと理解しているのだろう。
「……まだだ」
けれどアーサーはそんな現状を理解しつつ、静かに言い放つ。
「まだ終わりじゃない」
アリシアにはそれがただの負け惜しみのように聞こえていた。
しかしアーサーはアリシアの木の洞のように黒く淀んだ瞳をじっと見据えて、現状残されている唯一まともな打開案を言う。
「お前にはなくても、フレッドには無いのか?」
アリシアはドラゴンもAIで動いていると言っていた。ならば万が一制御できなくなった場合を想定して、緊急停止させられる何かしらの安全装置のようなものがあると踏んだのだ。
しかし、その案にもアリシアの表情は晴れない。
「……ある、かもしれません。ですがお兄様は死んでも止めません。あの人はやると言ったらやり遂げます、プライドのためなら命は惜しみませんから」
「……だったら」
まともな策の方が潰され、頭にはまともじゃない策しか残らなかった。
アーサーはそれが不可能に近いと知りながら、苦悩を抱えたまま呻くように言う。
「だったらドラゴンを破壊する。俺達の手で!!」
それは口にするだけなら簡単だが、成し遂げるには最も困難な道だった。そもそもアリシアはそういった事態にならないように動いていたのだから、こうなった時点でどうしようもないのは当然だった。。
アーサーだってそれくらいの事は分かっている。分かっていてなお、それしか手が無いと判断したのだ。
「……どうやって破壊するつもりなんですか?」
「二手に分かれよう。ドラゴンとフレッドの方は俺とサラで何とかする。ニックとレナートはアリシアと一緒にミランダさん達と合流してくれ」
そう言うとニックは正気を疑うように、
「本気か……?」
「なにが」
「フレッドはともかく、本当にドラゴンを止められると思うのか?」
「止めるしかないってのが正しいけどな。そうしないと『第三次臨界大戦』が始まる事になる、それだけは止めないと」
「それはさっきも言ってたが、どうしてそう断言できる?」
アーサーはまっすぐ見てくるニックから視線を逸らし、少し悩んだ後に重い口を開く。
「……これは魔族だけの話じゃないけど、あんなもので大規模攻撃なんてしたら報復されない訳がない。しかも戦力差についてはドラゴンで均衡が保てるとしても、それは『タウロス王国』だけの話で他の国には関係ない。それだってドラゴンの魔力が切れれば全部終わりだ。俺達が始めた『第三次臨界大戦』は、間違いなく人類が負けて終わる」
アーサーが言っている事はあくまで推測でしかない。他の国にだって『タウロス王国』のように防衛のための隠し玉があるだろうし、『ゾディアック』の中心国としてそんな状況を放置しようとする『ポラリス王国』ではないだろう。
けれど人間だろうと魔族だろうと、戦争が始まれば多くの死者が出るというのは確実に言える。それだけは阻止しなければならない。
「……それなら二手に分かれないで一緒に事に当たった方が良くないか?」
「そうしたいのは山々だけど、アリシアは負傷してるしミランダさん達の方だって危機が迫ってる。それにそもそもあんたらの仕事は捕まってる人達を助け出す事でも、ましてやドラゴンやフレッドを止める事でもなかったはずだ。あんたらはアリシアを助けに来たんだろ? だったらまだ半分だ、そっちに集中してくれ。むしろここまで協力してくれて感謝してるよ」
「それは……そうだが……」
ニックはチラリとアリシアを見る。話が出来てるとはいえ、風穴は開いたままだ。長い時間連れまわすのは好ましくない。
結局それが決定打になった。ニックは苦虫を噛み潰したような顔になって、
「……分かった。ドラゴンとフレッドはお前達に任せる」
ニックの承諾を得ると、腕の中に横たわるアリシアを慎重にニックの腕に移す。
それからニックはすぐに立ち上がると、先程から黙ってパソコンのキーボードを叩いているレナートに声を掛ける。
「レナート、さっさと行くぞ」
「ちょっと待って下さいっす」
レナートの返答にニックはイラついた目を向けるが、すぐにその行動の意図が分かった。
どうやっても突破できないと思っていた防弾ガラスが、出てきた時と同じように収納されたのだ。
「これですぐに追えるっすよ。後は頼むっす」
「レナート……お前ずっとこれをやってたのか?」
「これしか取柄がないっすからね」
何はともあれ、これで回り道をせずに最短でフレッドに追いつけるようになった。
アーサーとサラはレナートに礼を述べると、すぐにフレッドの後を追うために扉に向かって行く。
「じゃあ頼んだぞ」
「待って下さい、アーサーさん」
最後に一声かけて走り出そうとした時に、アリシアに呼び止められた。
何かと思ってアリシアの方を見るが、彼女はその後に言葉を続けなかった。呼び止めたは良いが、本当に言おうか言わないかで悩んでいるようだった。
「アリシア?」
「……少し、失礼な事を言いますが、良いですか?」
「……? 別に構わないけど……」
確認を取ってもまだ躊躇していたが、このままでは仕方ないと思ったのか、やがて意を決したようにアーサーの目を真っ直ぐに見据えて、
「……どうしてですか?」
突然の疑問にアーサーは首を傾げる。
アリシアの言葉は、疑問というよりは訝しんでるようだった。
「あなたは別に王族に所縁のある人でもこの国の人という訳でもなくて、『オンブラ』に所属している訳でも、私やニックに特別な恩義がある訳でもない、今日『タウロス王国』に来たばっかりのただの一般人なのでしょう? それなのにどうしてここまでしようとするのですか?」
それは当然の疑問だったのかもしれない。
素性の知れない男が何の所縁も無い国のために命を懸けると言い出したら、何か企みがあるのではと疑うのは当たり前の事なのだろう。
しかし。
「……別に大それた理由はないよ」
アーサーは轟音鳴り響く地上の方を見上げながら、口を開いた。
「そりゃあ、できる事なら危ない事に首を突っ込みたくなんてない。見て見ぬ振りをできる程度のものならそうしてる。別に戦うのが好きな訳じゃないし、この国のみんながみんな助ける価値も無いくらいのゲス野郎で、『オンブラ』みたいに命令通りに動くだけの木偶の坊なら、俺だってさっさと次の国に行ってたはずだ。……でもさ、そうじゃないんだろ?」
大きな地震が起きたように、地下はずっと揺れている。機材は倒れて破損し、地上からは立て続けに轟音が鳴り響くせいで、アーサーの声はアリシアに届いてないかもしれない。それでも構わず続ける。
「さっきの質問の答えだ。メインストリートの賑わいを見て思ったよ。コロッセオに集まる人達を見て感じたよ。商業が盛んな国だけあって、凄い賑わいだって。みんながみんな一生懸命に生きてて、誰一人として死んでいい人なんていなかった。見ているこっちが元気を貰うくらいに、活気があって良い国だと思った。だからアンタだって王宮を抜け出してまであの場所に通い詰めてたんじゃないのか? ……だったら、それで十分だろ。大それた理由だとかお姫様としての責務だとか、そういうのは関係ないんだ。ただどうにかしたいと思ったから動いた、なんて単純な動機でも良いだろ」
アリシアはしばらく表情を変えずにアーサーを見ていた。
その後で、彼女は儚げに笑って言った。
「……もしも」
「?」
「もしもあなたみたいな人が『オンブラ』にいたら、この国はまた別の方向に進んでいたかもしれませんね」
それは多分、アリシアの願いだったのだろう。
『オンブラ』は国ではなく、王族のために命を使う親衛部隊だ。ニック達もその辺りは同じで、彼らは王様であるフレッドではなくアリシアのために動いているから『オンブラ』とは違うように見えるが、それだって国ではなく王族のためだ。捕まってる人達の開放に乗り気じゃなかった事がその証拠になる。
それはある種洗脳のように『オンブラ』に言い聞かされてる事なので仕方が無い事なのかもしれない。でも、もしかしたらアリシアはニックのように自分を守ってくれる存在ではなく、同じように国とそこに住む人々を慈しめる理解者が欲しかったのかもしれない。
アーサーはそんな風に感じ取って、でもそれについては何も言わず、今度こそ反対にある扉に向かう。
「死ぬなよ」
「そっちもな」
最後まで軽口を叩き合って、アーサーとサラはニック達と分かれる。けれど最後まで別れの言葉は言わなかった。
どちらに進もうと命の保証なんてものがないと分かっている。
だから必ずまた会えると、微かな希望にすがるように。