行間二:大戦の足音
セラとアナスタシア(エレイン)との短い会議が終わった後、あらかじめ準備や連絡をしていたデスストーカーはその足で単身『魔族領』に訪れていた。
『サジタリウス帝国』抜けて来て、数日移動して来た地点。目の前に現れたピラミッド状の建造物がエレインに手配して貰ったエナ・フィーラドライと落ち合う場所だったのだが、周囲に人の気配は感じられなかった。おそらくまだ着いていないのだろうと思い、とりあえずピラミッドの階段に腰を掛けて休む事にした。
大きな溜め息を一つ。
他人には決して見せない疲労感と不安が混じったものだった。
リュックから水筒と携帯食料を出すと簡単に食事を取って、少し体力が回復したのを自覚してから胸元のポケットからあるものを手に取る。
角がすれた一枚の写真だった。そこには幸せそうな笑顔の男女が身を寄せ合っている姿が写っている。
まだデスストーカーがジョセフ・グラッドストーンと名乗っていて、ローズ・グラッドストーンという女性が世界の中心だった頃。間違いなく人生で一番幸福だった瞬間で、その全てを失う直前の写真。二人しか写っていないが、彼女のお腹の中には新たな命が宿っていた。
人生の絶頂から叩き落とされて、復讐に身を墜として、色褪せたクソッたれな世界の底で、鮮烈な光を見つけた。
彼はどこまでも人間だった。当たり前のように他人の命と尊厳を守ろうとして、馬鹿みたいに真っ直ぐで、だけど綺麗な訳じゃなくて違法な事にも手を染めて、何か暗い過去を背負っているとすぐに分かった。失敗して挫ける真っ当な心を持っていて、だけど時間が掛かっても立ち直って守る為の力を身に付けていった。その全てはただ、他者を守り救済する為に。
そういう所が似ていた。馬鹿みたいに真っ直ぐで、だけど他人の為にどこまでも努力ができた彼女に。
だから力を貸したいと思った。でも一緒に行動するのは抵抗があり、自身の死を偽装して裏側から守る道を選んだ。
この選択に間違いは無いと信じている。具体的にまずは今回の問題に対処して『大戦』を防ぐ。そういった事を繰り返していくしかない。
「……さて、来たな」
魔力を感じて思考を切り替えると、見上げた先に鳥のような白い翼で飛翔する少女がこちらに降り立った。
地に着きそうなほど長い銀髪をツインテールと二つ結びの四箇所でまとめていて、肌の露出が多い白い服を着ている少女だ。体が小さいので幼さを感じるが、同時にその顔つきは凛々しく戦い続けている者の風格があった。
「エレインさんから聞きました。アナタがデスストーカーですか?」
「ああ、そうだ」
短く答えると、彼女の翼が霧散して消えた。やはり何らかの魔術によって形成されたものだったのだろう。
続けて彼女は開いた手を前に出した。するとその掌に一つ、そしてデスストーカーの周囲にゆうに一〇〇を超える数の魔法陣が浮かび上がった。その一つ一つの色は異なっており、感じる力も全て違う。
「ワタシはエナ=フィーラドライ。すでに聞いているかと思いますが『ガーディアンズ』をまとめています」
これが、その力の一端。
『風』『火』『土』『雷』『水』『闇』『光』。魔力適正に左右されない忍術使いにして天賦の才を持つ近衛結祈とは違い、通常ではありえない素の状態で七つの適正を持つ規格外の存在。
「まずは根本的な問題から解決しましょう。ワタシはローグさんが信用していたエレインさんは信用していますが、アナタの事は信用していません。ワタシに信用させて下さい」
「……なるほど。確かにその通りだ」
とはいえデスストーカーが今使えるのは言葉だけだ。それだけで初対面の相手から信用を得るのは難しい。それに許されるチャンスは一言だろう。そこに自分の命と『人間領』の命運が懸かってる。
「ローグ・アインザームの息子と知り合いだ。アーサー・レンフィールド。お前も知っているだろう?」
「……続けて下さい」
どうやら二言目を許される程度には興味を引けたらしい。とりあえずの命拾いにほっとしつつも話を続ける。
「彼は多忙だ。だから俺がここにいる。『第三次臨界大戦』を止めたいんだ。人間にも魔族にも大勢の死者が出るなんて事態は御免だからな」
「……その話にも根拠が見られませんが? それが嘘という可能性だってありますよね?」
「それは勿論。所詮、人間の言葉なんかいくらでも偽れる。信用を勝ち取るには行動で示すしかない。だから今は殺すな。俺を使い潰してからにしろ」
「なるほど……執行猶予付きの協力関係ですか。アナタが不穏な動きを見せれば殺す、という条件ですね?」
「それで構わない。『宝珠』を奪い返すまでの協力関係で良い。とりあえずはな」
「例の『イルミナティ』に関しての話は別、ですか……。そうですね。落とし所としては妥当ですね」
そうして彼女は周囲の魔法陣と掌にあった魔力弾を消した。信用を勝ち取った訳では無いが猶予を得られた事に、デスストーカーは態度には出さずそっと胸を撫で下ろす。
「では早速ですが『宝珠』についての話をしましょう。狙っているのはクロノさんや青騎士と並び立つ『上級魔族』の一人、フィアー・サージェント。彼はすでに首都の『キャメロット』に保管されていた『宝珠』を奪いました」
「……戦ったのか?」
「いえ、奪われた事に後から気づきました。そもそもあそこに保管されている事を知っていた者はごく少数です。まさかフィアーが知っているとは思っていませんでしたが、『上級魔族』ならどこかで知る機会があっても不思議ではありません」
「ふむ……」
知り得たはずのない情報を得た可能性はかなり限られる。単純なのはエナ自身が知らなかっただけで、実はフィアーも知っていたという説。エナはこれだと思っているようだが、デスストーカーはまだ断定できなかった。
いくつか可能性は残されている。しかしどれも想像の域を出ないので、結局は可能性でしかない。
この件に関してデスストーカーの直感は無視できないような引っ掛かりを覚えたが、今は考えても答えは出そうに無いので頭の片隅で気に掛けておく程度に留める。
「そして一つはここにあります」
エナが掌を上に向けると魔法陣が浮かび、そこから中心に光がある透明な球体が出てきた。文脈からだけでなく、それを目前にして確信した。
それが『宝珠』。『魔神石』とはまた違う、不思議な力を放つ秘宝。
「ワタシが今『宝珠』を所持しているのを知っているのは、『ガーディアンズ』のメンバーを除けばアナタだけです」
「つまり漏洩は即俺の死という訳だな。それにしても準備が良い。もしや最初から全ての『宝珠』の場所を知っていたのか?」
「そもそも『ガーディアンズ』が組織されたのは、ローグさんに守れと頼まれたからです。この『宝珠』と、ある『魔神石』を」
「『魔神石』もあるのか?」
「ええ。ですがそちらは今回関係無いので詳細を話すつもりはありません。今は『宝珠』について対処しましょう」
気にならないと言えば嘘になる。が、ここでわざわざ突っ込んで悪印象を与えるのは得策ではない。それに『魔族領』の治安維持に努めている『ガーディアンズ』が場所を把握しているなら悪い事にはならないだろうと自分の納得させる。
「賛成だ。それで早速だが、残り一つはどこにある?」
「『人間領』にあります。あまり詳しくありませんが、『リブラ王国』と呼ばれている場所です。そして彼らはすでに『人間領』に向かっています」
「なに……!?」
それが本当ならここへ来た意味が無くなる。だか反面、慌てる様子にエナは落ち着き払って言葉を続ける。
「言っておきますが、今から戻っても無駄ですし意味がありません。そもそも『リブラ王国』に保管されている『宝珠』の場所は誰も知りません。封印も施されているはずなので、位置を知る為には二つの『宝珠』を集めるしかありません。『宝珠』は互いに引き合うので、二つ揃えば封印されていてもおおよその位置くらいは掴めますから。アテも無く『人間領』に乗り込むほどフィアーも馬鹿ではありませんし、確実に『魔族領』にはあると分かっているこちらの『宝珠』を先に狙って来るでしょう」
言いながらエナは『宝珠』を持った手を掌を広げた。すると明確に一つの方向に向かって僅かに動いた。これが引き合う性質で、その先にフィアーがもつ『宝珠』があるという事だろう。
となると疑問が一つ残る。
「なら、何の為に『人間領』に……」
「話自体は単純です」
『第三次臨界大戦』を止める為にここに来た。
その前兆を速い段階で掴み、阻止できると思っていた。
しかし、彼はすでに数手遅れていた。
「彼らの目的は『宝珠』以外の強力な武器を奪う事で、現在『スコーピオン帝国』にあるとされている『魔神石』が目的です」
大戦の足音。
それが徐々に、しかし確実に近づいて来ているのを明確に感じた。