422 ヴェールヌイ=N=デカブリスト
『ノアシリーズ』筆頭であるヒビキ=N=デカブリストの打倒。まだ残された問題がいくつかある為、これで万事解決とはいかないが解決に近づいた事は疑うまでもないだろう。
そう、誰もが疑っていなかった。
「……あなたには足りなかったんですよ、ヒビキ」
唐突に放たれた透き通るような女性の声に四人は鋭く反応した。アーサーとラプラスも離れて警戒する。なぜならその声は凍り付いたはずのヒビキから発せられているからだ。
直後、内側から氷が弾け飛んだ。
そして、そこから一人の人物が現れる。
「自分本位の野望を持った事は良いでしょう。その為になりふり構わず進み続けた事も評価しましょう。その仮初の『力』を過信せず『ノアシリーズ』に『魔装騎兵』をあてがって戦力を増強したのも間違いではなかったのでしょう」
現れたのはヒビキではない全くの別人だった。涼し気な眼差しに、腰まで届く氷を思わせるような透明感のある白髮の少女だ。
「ですがあなたには足りませんでした。自身も含めた全てを投げ打ってでも目的を完遂しようという圧倒的なまでの『飢え』が。野望なんかよりももっと気高い、この世界にただ独り立つという孤高の『飢え』が」
何が起きたのか理解できなかった。ヒビキを拘束した場所から別人が現れた。様々な憶測が浮かぶが確信が持てない。ただ一つ間違いなく言えるのは、彼女が発してるプレッシャーはヒビキのそれを遥かに上回っているという事だ。
「……お前、は……?」
「ヴェールヌイ=N=デカブリスト。入れ替わった本物の『ノアシリーズ』筆頭です」
「入れ変わった……? お前、一体……」
「そうですね。ヒビキの事は私の別の人格とでも思って頂ければ良いですよ。忌々しくも私の力に恐れをなして封じ込められていましたが、お前達が追い込んでくれたおかげで破れました。その点に関しては感謝しましょう」
つまり彼女はヒビキの別人ではない。ヒビキ本人でありながら、彼とは違う者なのだ。
多重人格という言葉が頭を過る。性別が違うだけならそれで納得できるが、二人の体付きが違い過ぎる。明らかに丸みを帯びた女性的なものに変わっており、服の上からでも分かる胸の膨らみもある。それに口調や仕草、纏うオーラまでも何もかもが変わっている。
だが問題は彼女の容姿ではない。彼女の思想がヒビキと同じかどうか、という点だ。確かめない訳にはいかない。
「……お前の目的は?」
「安心して下さい。私の目的はヒビキとは違います。彼のように『セントラル・ユニバース』以外の『この星』を破壊し、ここを零地点として王として君臨する。そんなちんけな野望は持っていません」
その言葉に僅かに安堵した。
けれど続けられる言葉があった。
「お前も聞きましたよね? 彼は世界の不完全さを謳いながら、同時にその世界を支配しようとしました。その矛盾、それこそが最大の過ちです。この世界に支配する価値などありません。『無限の世界』の『この星』は等しく全て滅ぼします」
「ッ……!?」
想像もしていなかった言葉に絶句している隙にヴェールヌイは動いていた。片手を天に掲げて言う。
「来なさい―――『アガレス=レックス』」
巨大な爬虫類のような『魔装騎兵』が再びアーサー達の前に現れた。まずいと感じたアーサーは四肢に魔力を纏うとすぐにヴェールヌイに向かって飛び込んで殴りかかった。しかし当然のように拳は『無間』によって阻まれる。
「くっ……お前、本気で『無限の世界』の『星』を……みんなの居場所を滅ぼすつもりか!?」
「当然です。そして断言しましょう、アーサー・レンフィールド。私は今まであなたが戦って来たどの敵よりも強い」
直後、『アガレス』が吼えるとアーサーのすぐ傍に雲のような輪郭を持つ穴が現れた。突然の事態に抗う術もなく、アーサーの体や周りの物が奥の見えない穴に吸い寄せられていく。
「っ……アーサー!!」
その窮地にアーサーは呼ばれた声に向かって手を伸ばす。ラプラスを絶対に独りにしない。その約束を覚えているからこそ、今までの彼とは違い躊躇なく手を伸ばした。
けれど直勘した。
ラプラスの手を掴むよりも前に、自分の体が引き込まれてしまうと。だからアーサーは彼女の手を掴むのを諦めて、代わりによく見えるように大きく口を動かす。
端的に―――信じてる、と。
そしてアーサーは穴の中に吸い込まれて消えてしまった。ラプラスはすぐに自分達の間に繋がっている回路を使って居場所を探るが、どういう訳か居場所が分からない。考えられる最悪の可能性は、アーサーは場所を移動したのではなく別の『ユニバース』に送られたという事だった。
「っ……アーサーをどこに飛ばしたんですかッ!?」
「答え合わせはいらないでしょう? 絶対に手が届かない場所ですよ。教えて欲しければ力尽くで聞き出したらどうですか?」
「ッ……サラさん!!」
「ええッ!!」
ラプラスが声をかけるよりも前に、サラはヴェールヌイをラプラスと挟み込める場所に動いていた。『無間』は二方向同時には使えないという弱点を突く為だ。
銃弾と拳による前後からの同時攻撃。しかしヴェールヌイは微動だにせず、その両方を『無間』で防いで見せた。
「なっ……二ヵ所同時に守った!?」
「ええ。私は複数個所同時に『無間』を発動できますが……それが何か?」
そしてラプラスの銃弾を『無間』で止めながら、サラの事を『天弾』で弾き飛ばす。すぐに受け身を取ったサラだが、顔を上げると鋭い目付きのヴェールヌイと目が合った。
「どうやら私の力をヒビキと同等と考えているようですね。とても心外です」
そう言ったヴェールヌイの目の前の空間が突如歪み、その中心に存在そのものが異質な黒い点が生まれる。さらに膨張して人間大に膨れ上がった黒球を見たサラは全身が震えるのを感じた。魔力などの『力』は感じないが、その黒球が危険なものだと本能が察知したのだ。
すぐに回避行動を取ろうとしたサラだが、その寸前にヴェールヌイが手の甲が下を向くように軽く握った手を前に出すと呟く。
「―――『天征』」
そして軽いデコピンをするように親指で抑えていた人差し指を弾いたその瞬間、ただそこに存在していたはずの黒球がサラ目掛けて飛んで来た。回避すら許さず超高速で飛んで来たそれは、地面を消し飛ばしながらサラに直撃すると爆散し、後には全身ボロボロで血だらけになったサラだけが残され地面に倒れた。すぐに不死鳥の炎が治癒を始めるが、すぐに全快とはいかず四肢で体を起こすのがやっとの様子だった。
「生きていたんですね。それに五体満足で済むとは、素直に褒めてあげます」
「ぐッ……いま、の……なに?」
「ある一点に対して『天弾』と『天引』を発動させて、引き裂いた空間から未知のエネルギーを抽出して対象にぶつける技です。そして―――」
続けてヴェールヌイが開いた手を前に出して握り締める。すると瀕死のサラは全方位から壁が迫って来るような圧迫感を覚え、両手でそれを抑えるように抵抗するが次第に押し込まれて行く。
「―――これが逆の『天圧』。特定の空間を引き裂くのではなく押し潰す技です。あなたはどちらで死ぬのがお好みですか?」
問い掛けつつさらに強く手を握ってサラを押し潰そうとするヴェールヌイ。しかし突如『天圧』を止めてサラを解放した。
意味が分からない行動だったが、窮地を脱したサラが見たのは自身の震える手を見ているヴェールヌイだった。
「ヒビキ……無駄な抵抗を。……まったく、仕方ありませんね。『次元門』を開きなさい『アガレス』」
彼女が呟くとアーサーを吸い込んだものと同じ穴がヴェールヌイの背後に生まれたが、先程と同じように周りの物を吸い込むような事は無かった。
「ヒビキを完全に沈めて殺す為に一旦退きますが安堵はさせません。彼がやろうとしていた事をしておきましょう。狙いをペラペラと話していたので期待はしていませんが、精々こちらの思惑通り抗ってみせて下さい」
そう言って指を鳴らすと『アガレス』の力で再び『ホロコーストボール』が『次元門』と呼ばれたものに飲み込まれて消えてしまった。しかし直後、頭上から凄まじい振動が響いて来た。しかも一回ではなく断続的で、それが何を意味しているのかすぐに察したラプラスの顔が蒼白に染まる。
「まさか……『ホロコーストボール』を地上に解き放ったんですか!?」
「ええ。詳しい話はどこかへ逃げたリアス・アームストロングに聞いて下さい」
「っ……!?」
言われてラプラスは気付いた。いつの間にかリアスの姿がどこにも無い事に。アーサーの事でいくら余裕が無かったとはいえ、自分の不甲斐なさに嫌気が差して来る。
「ちなみに私はこのまま『ホロコーストボール』がこの国を破壊しても構いませんので、ヒビキのように交渉が通じるとは考えない事をお勧めします」
最後にそう言い残すと、ヴェールヌイは踵を返して『次元門』の奥に消えて行った。せっかくヒビキを倒して事態が収束に向かうと思っていたのに、現実にはより最悪な状況へと向かっている事に全員の胸中に焦燥感が募る。
「……いよいよ事態の大きさが深刻な事になって来たようだが、この後はどう動く?」
「……決まっています」
ジョーの控えめな言葉に対して、ラプラスは強い意志を感じさせる声で答えた。
「まずは『ホロコーストボール』を止める為にアーサーを連れ戻します。皆さんの力を貸して下さい」