421 誇れる道へ
「っ……あ、がっ……!?」
目覚めた瞬間、頭の整理が追い付かなかった。
ソラと話していた記憶はあるが、ヒビキに倒された記憶もある。いくら考えても整合性が取れない。それから冷静になってきた頭で考えると、ソラとの会話が気絶中の夢だという答えに辿り着く。
その事を少し残念に思っていると、攻撃されたはずの痛みが消えている事に気付いた。傷跡もなく完璧に治癒している。まるで誰かに治療された後みたいだ。
(ソラ、か……? ソラが、治してくれたのか……?)
他に考えられない。だとしたら今の会話も夢なんかじゃない。確かにあった時間なのだ。
じんわりと胸が温かくなる。それと同時に鋭い痛みが胸に走る。
「アーサー、起きろ! 起きるんだ!!」
近くで声が聞こえて来た。
首だけ動かして声のした方を見ると、自分と同じように倒れているジョーが賢明に叫んでいた。
「くそっ……立て、アーサー! お前が立たないと仲間が全員死ぬぞ!!」
(死、ぬ……? また、仲間を失うのか……?)
未だにハッキリしない頭の中に、鮮明なソラの姿が浮かび上がる。
初めて会った時は値踏みするような目線を向けて来た。それからセツナに殺されかけて信頼を得て、『ディッパーズ』として共に戦った。『手甲盾剣』と融合できる彼女は、姿は見えなくても一番近くで自分を支えてくれた。そして最期は自分の犠牲を顧みず、アーサーの事を救う為に戦った。
目を背けたい。
あの瞬間の事を、思い出したくもない。
逃げて、逃げて、どこか硬い壁に頭でも打ちつけて記憶を消してしまいたいとさえ思う。
「アーサー、自分の中の痛みと向き合え! どんな術を使おうと心からは逃げられない、この世で最も強い敵だ!! だから目を背けずに戦えッ!!」
ジョーはとても辛いことを強いて来る。
そんな事を言われてしまえば、思い出したくなくても思い出してしまう。
最期に見せた笑みが頭から離れない。
自分が大切に思う人達の笑顔は好きだが、あの最期の笑みの記憶にだけは蓋をして奥底に仕舞い込んでしまいたかった。
最期に聞いた言葉が頭から離れない。
感謝される覚えなんて何も無い。彼女の声は好きだが、それでも忘れられるなら耳を引き千切ってしまいたい衝動に駆られる。
自分で自分が許せない。
何度も何度も、何度も何度も何度も何度も考える。
他に方法があったのではないか。例えば無理矢理にでも『ロード』の技を使えば良かったのではないかとか、そもそも『魔族領』で協力して貰ったのが間違いだったのではないかとか、それが無理でも一度の協力で『魔族領』に戻って貰えば良かったのではないかとか。
『無限の世界』。世界のどこかには、そんな有り得たかもしれない『IF』の可能性を体現した世界が無数にあるのだろう。その可能性があったのに、自分は全てを見過ごした。そんな愚鈍で愚昧で愚図な自分がどうしても許せない。いっそ自ら命を絶ってしまいたいとさえ思う。
「っ……自分を責めるな! お前を救った誰かが誇れる自分になれ!!」
「……ッッッ」
ソラに誇れる自分―――その答えなら、もう出ている。
彼女はアーサーをヒーローと言ったが、アーサーは彼女こそが真のヒーローだと思う。
アーサーは世界の為に戦って来たが、ソラは知らない所で『無限の世界』の全てを案じていた。その規模は計り知れない。そして同時に重圧も。それなのに彼女は自身の目的よりもアーサーの命を取った。アーサーこそが自分の遺志を継いで成し遂げてくれる存在だと確信していたのだ。
ならば、やるべき事は決まっている。
まだ乗り越えられた訳じゃない。まだまだ向き合うべき傷は残っている。
だけど今だけは隅に追いやる。悲しみから目を背けるのではなく、成すべき事を果たしてから向き合う為に。
体を回して仰向けになると、暗い天井の先にある、どこまでも青い蒼穹の奥に向かって真っ直ぐ右手を伸ばす。
どくんっ、と。
胸の奥で何かが脈打つ鼓動を全身で感じた。
ソラとの回路は消えてしまった。けれど似たような強い繋がりを新たに感じる。彼女が遺してくれた力が高速で近づいて来るのが分かる。
天空の彼方に、まるで星のような小さな煌きがあった。それが流星のように一直線に落ちて来ると天井を突き破り、奇妙なくらい自然とアーサーの右手の中に納まった。
その瞬間、説明のできない強い波動が周囲に広がる。
透き通るようなクリアブルーの短剣。ソラが消滅した後に残った、彼女からアーサーへの贈り物。
(……行こう、ソラ。これからはずっと一緒だ)
触れた瞬間に全てを理解した。
その短剣の銘は『エクシード』。他の誰でもない、ただアーサーの為だけにソラが遺した神器を上回る武器。人も他の生物も植物も、そして神話の時代から連なる神々さえも含めた一つの終わり往く『ユニバース』の全てが込められた、全ての生命の息吹の象徴。
その力の結晶が、ソラという一つの世界の総体が、その名の通り世界そのものを超えてアーサーの手の中に納まった瞬間だった。
(―――約束するよ、ソラ。この世界だけじゃない。俺には脅威も敵も何も分からないけど、必ず『無限の世界』の全てを救うって)
きっとそれだけが、命を懸けてくれたソラに対して誇れる唯一の術だと思うから。
新たな運命を背負い、苦悩に塗れた正しき道へと返り咲く。
「うっ……ォォォおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
アーサーは腹の底から雄叫びを上げ、再び体を転がしてうつ伏せに近い状態になると逆手に持ち替えた『エクシード』を地面に深々と突き刺した。
「……その様は絶望から這い上がる希望。遍く星々のように世界を優しく照らすもの!!」
荒々しくも自然の言葉が口から流れた。途端に体の芯まで凍り付くような冷気が周囲に広がる。それは詠唱こそ違うが、ソラが得意としていた技と同じだ。
すなわち―――
「―――『絶対零度の青蓮華』ッッッ!!!!!!」
それは瞬きする間もないほどの一瞬の出来事だった。
忍術での模倣とは違う。ソラのものに勝るとも劣らない威力で周囲にいた『ノアシリーズ』を軒並み凍り付かせていく。
サラやラプラス達を避けて『オライオン級』であるヨハンも含めて瞬時に凍り付いていく他の者達を見て、ヒビキが声を荒げて叫ぶ。
「ふざけんな!! こんな氷で俺を止められると思うんじゃねえ―――『天弾』ッ!!」
今までのような一方向への弾く力ではなく、自身を中心に全方位へ力を放って氷を吹き飛ばした。しかしすぐに氷結し直されていき、再びヒビキの体が足元から凍り付いていく。こここまで来るとヒビキに成す術はなかった。
「ちくっ……しょう!! アーサー・レンフィールド! アーサー・レンフィールドォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
すでに胸元まで迫って来ている氷を素手で掻きむしるように砕きながら、ヒビキは喉が張り裂けんばかりにアーサーに向かって吼える。
「お前はなんで邪魔をする!? 俺は散々虐げられてきた! 世界の闇を嫌というほど見て、味わって来た!! 俺にはこれをする権利があるはずだ!! それにお前も少なからず見て来たはずだろうがッ!! なのにどうしてだ? どうしてお前はこんな世界の為に戦えるんだ!? 俺には何が足りなかった? どうすれば勝てたんだ!? やれる事は手段も選ばず全てやった!! なのにどうして俺はお前に敗けたんだッ!!」
魂の絶叫は首元まで凍り付いても続けられた。
アーサーは何も答えない。それが一層ヒビキを苛立たせる。
「答えろよッ!! アーサー・レンフィールドォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!」
その言葉が彼の最後の台詞だった。叫びながら全身が凍り付いた彼は物言わぬ氷のオブジェと化してしまった。
アーサーは静かに体を起こして膝立ちの姿勢になると、大地から『エクシード』を抜き取った。すると短剣の形だったそれが光に包まれ、気が付くとクリアブルーの指輪に姿を変えてアーサーの右手の中指に納まっていた。
「……やりましたね、アーサー」
冷気が漂い静寂が包み込む戦場の中、アーサーの傍に近づく影があった。
ラプラスは『ノアシリーズ』を止められた事とアーサーが立ち直れた事の両方に対して喜びを感じながら近づいた。しかしアーサーの膝立ちの姿勢のまま動こうとしておらず、次第に疑問が浮かび上がる。
「アーサー……?」
「……信じてくれたんだ」
やっと反応を返したアーサーはラプラスの方に振り返る。その頬には止まらない涙が流れていた。
「俺が守らなきゃいけなかったのに……守れなかった。ソラは俺のせいで死んだんだ……っ」
「アーサー……それは違います」
「違わないっ……俺が守らなきゃいけなかったんだ! それなのに……ッ、俺は目の前で死なせたんだ……!!」
改めてソラの死と向き合うアーサーだが、やはり自己嫌悪の念からは逃れられない。もしできるのならば、自分の爪で胸を引き裂いて心臓を抉り取ってしまいたかった。
「アーサー……。っ……!」
そんな、今にも自分で自分を殺してしまいそうなアーサーをラプラスは見ていられなかった。頭で考えるよりも早く、ラプラスはアーサーのすぐ傍まで近寄ると彼の頭を胸の抱え込むようにして抱き締めた。
「ぇ……?」
「良いですよ、好きなだけ泣いて」
突然の事に困惑の声を漏らすアーサーの耳元で、ラプラスは柔らかい声音で囁いた。
「アーサーは停滞する事を嫌がっていますが、少しくらいなら立ち止まって休んでも良いと思うんです。大切な人が亡くなった時くらい、泣いて、喚いて、悲しんで、満足がいくまで悼んでから立ち上がれば良いんです。誰にも弱みを見せたくないなら、私がこうやって隠しますから」
「ぁ……」
そんな風に優しい言葉をかけられて、アーサーは今までとは別の感情で涙が溢れて来るのを止められなかった。その言葉に甘えて、すがるように今度はアーサーの方からラプラスの体を抱き締める。
「ラプラス……ごめん。それから、ありがとう……」
「恋人ですから。当然ですよ、これくらい」
情けないとは思う。
だけど寄り掛かる事に躊躇いは無かった。
二人はすでに、それを遠慮するような仲では無かったから。そして特別な理由が無くても、お互いに支え合える関係なのだから。