420 私のヒーロー
『ホロコーストボール』がどこへ移動したのか。全長五〇メートルに及ぶその巨体を隠すのは簡単ではない。整備場のような広大な敷地でないと嫌でも目立つ。ではどこに移動すれば隠せるか。選択肢はいくつかあるが、彼らが選んだ答えは最も大胆なものだ。
「にしてもまさか、そのまま地下に移動させてたとはな」
殺した大量の職員の代わりに周りの機材を操って動かすヨハンが感心するように言うと、ヒビキは得意気に鼻で笑う。
「灯台下暗しって訳だ。実際、お前一人いれば他に手はいらねえしな」
「あのフューリーって男は良かったのか? これを『ホロコーストボール』に兵器化したのはヤツだ。居た方が良かったんじゃねえか?」
「良い線はいってたが、所詮は兵器化が精一杯だった。こいつを破壊じゃなく安全に解除するには、やっぱりお前の力がいる。リアス・アームストロング」
「……、」
この場には別の場所へ向かったヤ―ヴィスとリーゼロッテはおらず、ヒビキとヨハン、そして数人の『ノアシリーズ』の面々と、未だ囚われの身のリアスがいるだけだ。孤立無援の状態にも関わらず、彼女は怯えた様子も見せず二人をキッと睨みつけている。
「アダマンタイトはユーティリウムを超える世界最高の硬度だ。実際、良い案だったと思うぜ? アダマンタイトで完全密閉し、更に『箱舟』のエネルギーを利用した封印も施した。そんな事をできるのは『人間領』広しと言えど片手に収まる。勿論、お前もその一人だ」
「……買い被り過ぎだヨ」
「いいや、正当な評価だ。事実、魔術を超えた力を持つ俺達が手も足も出ない。これ以上は手荒な手段に出る事になるが、その前に天才に敬意を表してもう一度だけ言うぞ。『ホロコーストボール』の中から『バアル』を出せ」
「……君に『バアル』を渡せば数え切れない命が奪われル。それを知って私が素直に頷くと思ウ?」
「意外だな。お前は『無限の世界』の生命の事なんざ何とも思ってないと思ってた。そもそもこれはお前が始めた事だろ? その軽率な行いで『ノアシリーズ』がこの『ユニバース』に集い、世界は俺の手に落ちる」
「……君の言う通り、私は自分の弱さから『箱舟計画』を立案しテ、その結果あなた達の運命を捻じ曲げてしまっタ。本当にすまないと思ってル」
「謝る必要はねえよ。他の連中は知らねえが、俺は今の環境に感謝してる。おかげで『無限の世界』を支配できる立場になれたからな。お前から聞きたいのは謝罪じゃなくて『バアル』を出すか出さねえかだ」
「黙っテ。最初から悪意の塊だった君には言ってなイ。……君にも聞こえてるんでショ? デカブリスト」
デカブリスト、とヒビキを見て言っているのに彼を見て言っている訳ではないような不思議な言葉を向けると、どういう訳かヒビキはあからさまに苛立つと舌打ちをしてからトーンを落とした声で吐き捨てるように言う。
「……もう良い。お前が出さねえならこれを『ホロコーストボール』として使わせて貰う。それでこの国を破壊し尽くす。お前が封印を解かないなら、どうせ止めに来る『ディッパーズ』に頑張って破壊して貰う事にするよ。それまでに何人死ぬか知らねえが、精々自分の選択を恨むんだな!!」
「ヒビキ」
怒声を上げるとヒビキとは対照的に、冷静な声でヨハンが彼の名前を呼ぶ。そして目を合わせると斜め上の方向に指さすヨハンを見てヒビキは溜め息をつく。
「まったく……いや、流石と言うべきだな。もう嗅ぎつけたか―――『天引』」
ヨハンが指さした方に手を向けて呟くと、物陰の壁を破壊して隠れていたアーサー、サラ、ジョー、ラプラスの四人の体がヒビキの方に引っ張られた。対象を弾き飛ばす『天弾』とは逆の対象を引き寄せる力だ。
『世界観測』の力でこの場所を看破して来た彼らだが、何故隠れていた位置がバレたのか。それはヨハンがこの場の金属全てを掌握しており、彼らが移動した振動を感じ取ったからだ。その見落としの結果、四人はヒビキの前に転がった。
普段ならこんな安易なミスを彼らはしない。隠れていたのがバレても即座に対応できていたはずで、こんな風に無様に転がるはずがなかったのだ。前の戦闘のダメージが残っている事も理由の一つだが、やはりアーサーの不調が大きく影響しているのも否定できないだろう。『シークレット・ディッパーズ』にとってアーサーの存在は良くも悪くも影響がデカい。彼のテンション次第で困難を突破出来る事も多いが、逆に言えば絶不調の時はそれがチームにもモロに現れる。今の状況がそれだ。
「こそこそしてんじゃねえよ、アーサー・レンフィールド! 続きと行こうぜ―――『天弾』!!」
「くっ……『阿修羅』ァ!!」
三人の前で両手を前に出し、『阿修羅』の進化する能力で『天弾』を受け止めようとする。しかし一瞬だけ抵抗できただけで、アーサー達は成す術なく後方に吹き飛ばされた。
状況は悪化の一途を辿る。ヒビキとヨハンは余裕を見せて動いていないが、他の『ノアシリーズ』はそうではなかった。少年少女合わせて八人。ただでさえ戦力で負けているのに数でも負けているのだ。さらに『天弾』を真正面から受けたアーサーは倒れたまま動かず、ラプラスはその様子をチラリと見て確認するとすぐに前を見て叫ぶ。
「サラさん!! 右の四人は私が相手するので、左の四人をお願いします!!」
「分かったわ!!」
明らかに勝ち目の無い戦いへと身を投じていく二人に取り残される形で、動かないアーサーに向かって同じように倒れたままのジョーが声をかける。
「アーサー、起きろ! 起きるんだ!!」
薄い反応が返って来るが、それだけで立ち上がる様子は見られない。
ジョーは歯噛みしつつ、そんな彼に声をかけ続けた。
◇◇◇◇◇◇◇
額を地面に擦り付けているようなうつ伏せのまま、アーサーは意識の狭間を揺蕩っていた。
ジョーが言っていた通りだった。確かにアーサーは今まで多くの人を失って来たが、今回は今までとは少し違った。育ての親や妹達を守れず、オーウェンも死に、『リブラ王国』でデスストーカーが殺されて停滞した。そして多くの人に支えられて『カプリコーン帝国』で立ち直り、『スコーピオン帝国』で『ディッパーズ』を結成した。
最初の犠牲者はアンナだった。アレックスのように表には出さなかったが、多くの命と心を守る為に結成した『ディッパーズ』の仲間から犠牲者が出た事はショックだったし、それが幼馴染となればなおさらだった。
けれどアンナは命を繋ぎとめていた。意識は無いが死んだ訳じゃない。
でもソラの死は確実なもので彼女は絶対に戻らない。家族とも友人とも違う、生まれて初めての仲間の死。それが耐え難いほど苦しいのだ。
『……サーさん。聞こえてますか、アーサーさん?』
幻聴まで聞こえて来ていよいよヤバいな、と思っていると頭を軽くはたかれた。ジョーの仕業かと思って顔だけ上げると、そこには脇に手を当てて溜め息をつく小柄な少女の姿があった。
『ようやく反応しましたね。私の死をここまで重く受け取ってくれたのは嬉しいですが、そろそろ立ち直って頂かなくては困ります。……自分勝手だとは理解していますが』
「ソ、ラ……? お前、生きてたのか……?」
何度か経験があるので、これが夢や妄想の類いでは無いのは実感できていた。その上で唐突に現れた彼女の存在に淡い期待が募る。
しかしソラはそれを裏切るように首を左右に振って、
『いいえ、残念ながら私はアーサーさんとの回路の残滓に過ぎません。この遺志もいつまで残るか分かりませんし、こうして話ができるのは特別な事です』
「っ……」
やはり彼女の死は決定的なものだ。分かっていた事だが、改めて告げられてアーサーの表情が歪む。
『ですが、この特別は利用させて貰います。前は時間が無くて全ては伝えられませんでしたが、「担ぎし者」であるアーサーさんが知っておくべき事です。これは夢の中のようなものですが、私が語るのは全ての「ユニバース」への脅威です。私の魂は阻止できないと叫んでいますが、この会話は必ず覚えておき、どうにかして阻止して下さい』
「……無理だよ」
アーサーの心の準備なんてお構いなしに告げられるソラの言葉に、彼は低い声でそう返した。そしてうつ伏せの状態から体を起こすと、両膝を着いた正座の姿勢で顔を落として叫ぶ。
「俺は……弱いんだっ! 全ての『ユニバース』への脅威なんて阻止できる訳がない!! 俺はっ……俺は仲間の一人も守れないような男なんだぞ!?」
『……、』
そんな彼の姿に思う所があったのか、ソラは静かに頭に手を置いて優しい手付きで撫でた。体格こそ小柄な彼女だが、その様子はまるでお姉さんが年下の男の子を慰めているようだった。
『……私はこの世界に新たな生を受けてから毎日、眠る度に思っていました。もしかしたら明日の朝には目覚めないのではないか、と。仮初の命に、仮初の人生。全ては「何か」への復讐の為に生き延びているに過ぎない、どこまでも希薄な存在でしたから』
「……でも、お前は復讐じゃなくて俺を助ける為に死んだんだろ? 俺が弱くて、不甲斐ないばかりに……」
『それは違います。私が死んだ事は、仕方が無い事です。遅かれ早かれこうなるのは決まっていた、いわば既定路線でした。……「ロード」が自身の総てを込めて放つ最強の一撃なら、「グラン」は「ユニバース」の総てを込めて放つ究極の一撃です。私の場合、それは命を削る行為でした』
「っ……」
『ですが、私は別にアーサーさんを救う為に「グラン」を使った訳ではありません。遠くない未来、あの時死んでおけば良かったと思う苦しい宿命を背負わせる為に助けたんです。紬さんやフィリアさんには悪いですが、正直に言ってしまえば私はアーサーさん以外でも良かったんです。可能性を秘めている「担ぎし者」ならば誰でも。それがたまたまアーサーさんだったというだけの話で、私が命を懸けた理由の全ては私自身の為で、あなたの都合なんてお構いなしの行動で、だから悲しむ必要は無いですし、むしろ恨んでくれて良いんです』
顔を上げたアーサーには、儚げな笑みを浮かべるソラの表情が目に映った。
彼女が言っているのは本音で、否定できない真実を言っている。けれどそれが全てではない。なんだかんだ言って、アーサーが引け目を感じないようにして言ってくれているのだろう。
『……まあ、底抜けに甘いアーサーさんには難しいかもですが。……ですが恨むにしろ、それ以外の感情を抱くにしろ、これだけは覚えておいて下さい。先程も言いかけましたが、やがて「無限の世界」が脅威に晒される日が来ます。その敵は誰も名前を知らない存在、ローグさん達をこの世界に送り込み「何か」と呼ばれていた存在、そして私という一つの「ユニバース」を遊戯で滅ぼした存在でもあります』
『「ユニバース」を滅ぼせる存在……それにローグ達。もしかして「タウロス王国」で戦ったヨグ=ソトースが言っていた敵の事か?』
『ええ。ローグさんはその日の事を「ディスペア」と呼んでいました。そして、いつか来ると確信していました。私はその予行演習に滅ぼされたにすぎません。「ディスペア」が始まれば一つだけではなく、無限の存在する全ての「ユニバース」が滅ぼされます』
あまりにもスケールが大きい話だ、とアーサーは素直に思った。
それは今直面している『ノアシリーズ』との戦いでも言える事だが、この世界に脅威が迫っていると言われれば想像できる。大小あるが、今までだってその脅威と戦って来たからだ。しかしそれが可能性の数だけ存在する『無限の世界』全てに対する脅威となれば、文字通り話の規模が違い過ぎる。ここから遠い世界でも、近い世界でも、そこで自分のように運命に抗っている者達がいるはずだ。だというのに、話を聞く限りたった一人でその全員を殺して『無限の世界』を滅ぼすと言っているのだ。漠然とした恐怖は感じるが、その最奥は常人の脳では理解するのが難しい話だ。
『……でも、ソラはこうして生き残ったんだろ? 他の「ユニバース」だってソラのようになるって事じゃ……』
『いいえ、私は運が良かっただけです。「何か」によって消滅した私ですが、意識だけはこの「セントラル・ユニバース」に飛ばされました。そしてローグさんによって「ソラ」という形に押し留められた事で、疑似的な生命体として活動できていたに過ぎません。言ったでしょう? 仮初の命に仮初の人生だ、と』
いつ終わるともしれない二度目の人生。自身の世界を滅ぼされた復讐を胸の奥に抱いていたその苦悩はどれだけの重さだったのだろう? もしもこの世界が滅び、自分だけが別の世界で生き永らえたとしたら。きっとそれを引き起こした誰かと、生き残った自分の事を許せないだろう。せめて落とし前をつけようとするはずだ。
ソラは今、その状態だ。アーサーは彼女が優しい人物だと理解しているが、同時にどうしようもない復讐者だという事も分かってしまった。
「……お前が生きていた『前の世界』はどんなだったんだ?」
ソラの新たな面が見えたからだろうか。今の状態が長く続かない事は分かっていたが、もう少し彼女の事が知りたいと思った。復讐に走るほど彼女が愛した世界の事を知りたくなって問い掛けた。
するとソラは一瞬だけその問いに驚きを見せたが、すぐに懐かしむような笑みを浮かべて、
『そうですね……まあ、平和な世界ではなかったんでしょうね。「あの人」は世界やそこに住む人々を助ける為に何度も戦っていましたし、私も最初からではありませんが、そんな彼の相棒として共に戦い続けました。でも仲間や友達も沢山いて……私にとっては家族でした。後にも先にも、あの時ほど幸福な時間は無いと断言できます』
「……そっか。なんとなくだけど想像できるよ」
きっとそれはアーサーにとっての『ディッパーズ』と同じで、彼女にとってはかけがえのないものなのだろう。だからこそどうしようもなく理解できた。
『ですが、「ラウンドナイツ」や「ディッパーズ」で過ごした日々も楽しかったです。まるで失ったあの日々のようで……それにこの「ユニバース」でアーサーさんに出会えました。「セントラル・ユニバース」の「担ぎし者」であるアーサーさんは「無限の世界」の重心で、私達に残された最後の「希望」です。「何か」を倒せるとすればあなたしかいません』
そう言ってソラが目を閉じて自身の胸の前に手を重ねると、そこから青白い暖かな光が生まれた。彼女がその手を退かすと、そこには神々しくも透き通るような綺麗な短剣があった。
『……私はもう、アーサーさんの傍にはいられませんが……この遺志と力は残せます。ささやかな贈り物ですが、どうか受け取って貰えませんか……?』
「……、」
自分にその資格があるのか、アーサー自身には分からない。
だけど導かれるように、今度こそアーサーは立ち上がった。そして右手を伸ばしてクリアブルーの短剣の柄を握る。すると光が弾けてアーサーの内に溶けて一つになった。
『その銘は「エクシード」。他の誰でもない、あなたの為だけの剣です。アーサー・S・レンフィールド』
「……これがお前の遺志と力なんだな?」
『ええ、そうです。私を使って下さい。たとえ意識が無くとも、常に傍らであなたを支え続けます。やがて必ず来る「ディスペア」を乗り越え、そして「何か」を踏破して、この素晴らしい「無限の世界」を救って下さい。これからも停滞する事なく進み続け、目の前の運命を踏破し続けて下さい。これが正真正銘、最期のお願いです』
「……俺はまた、どこかで失敗するかもしれない。もしかしたらお前の遺志を正しく継げなくて、立ち向かっても打倒できないかもしれない。そんな俺を信じられるのか?」
『ええ、そんなあなただから信じられます。アーサーさんは「あの人」に似ていますから』
アーサーは胸に手を置いた。ソラの遺志が宿っているそこはもう、自分一人だけのものじゃない。
いや、それは今に始まった話ではないのだろう。『ジェミニ公国』を旅立ったあの日から、数多の戦いといくつもの出会いを重ねて、その度に自身の内に誰かの祈りを宿して来た。多くの運命を背負って来た。
『みんながあなたを待っています。これまで出会って来た人達も、未だ見ぬ人達も、あなたの存在を必要としています。……だからそろそろ戻る時間です』
その言葉の直後、自分の意識が遠のいていくのを感じた。特別な時間が終わり、現実へ戻る時が来たのだ。
しかしソラがいった時間というのはコレの事だけではないだろう。ジョーが言っていたように、いつまでも間違った方向へ進むのを止めて元の自分へ戻れと言っているのだ。アーサーはその意味を考えなければならない。
『どこまでも自分勝手で申し訳ありませんが……』
そうして意識が引っ張られて行くその寸前、今にも泣き出しそうな笑みを浮かべたソラは最後にこう言った。
『後は頼みます―――私のヒーロー』