46 誰が為に
それはフレッドの持っているものではなかった。フレッドは今も拳銃を片手に持っているし、アリシアがそれを奪う素振りは一切していなかった。
つまりアリシアはアーサー達が管制室に入る前から、その手に拳銃を握っていたのだ。
「アリシア、なんで……!?」
思わず漏れた。
信じられないと言った風なアーサーに、フレッドは心底愉快なものを見るように、
「この女は最初からこちら側だったからに決まってるだろう」
「……どういう事だよ」
フレッドの言葉の真意を確かめようとアリシアを見るが、その表情は俯いていて伺えない。
アーサーの疑問にはフレッドが代わりに答える。
「最初は非協力的だったが、今じゃ誰よりも率先してドラゴン復活を目指している。魔力供給はなるべく自分の魔力で動かしたいといって、薬で魔力を回復して一日のノルマの二割はこいつが補ってる。貴様らの事もこいつが見つけ、始末すると言い出したんだ。まあ思いのほか人数が多かったから支援に向かったがな」
「……嘘だ」
アーサーの背後で、ニックが呟く。
その顔は驚愕に満ちていた。
「嘘だと言って下さい、アリシア様!!」
「……」
懇願に近いニックの叫びに、アリシアは目を背けるだけで何も答えなかった。
つまりそれが答え。アリシアにはフレッドの言葉を否定する気がないのは明白だった。
「はっはっは! 無駄だよ。こいつは誰よりもドラゴンを復活させたくて、誰よりも魔族を殺し尽そうとしていたんだ。まったく無様だな。自分が救おうとしていた女に裏切られたのはどんな気分だ? お前らが救おうとしていた女はどうしようもなく悪に染まった、『タウロス王国』の闇そのものだったんだよ!!」
「……もう良いよ」
愉快そうに大きな声で言うフレッドとは対照的に、ぽつりとつぶやいたアーサーの声は小さいものだったが、それは管制室にいた全員の耳に届いていた。
誰もがその言葉を諦めの意味として受け取った。盛大な裏切りに遭い、助けるべき者を見失った少年が吐いた弱音だと、誰もが信じて疑わなかった。続く言葉はアリシアへの怨嗟や失望の言葉だと思っていた。
しかし、彼が続けて放った言葉は予想とは全く別のものだった。
「そういう御託はどうでも良いよ、アリシア。いつまで言われっぱなしになってるんだよ」
「……?」
一番訳が分からないといった顔をしたのは、言われたアリシア本人だった。
けれどアーサーは構わず、強い意志を込めた瞳でアリシアを見据える。
「だってそうだろ。お前は決してこの国のやり方に賛同してた訳じゃないんだろ、お前は別に魔族を根絶やしにしたかった訳じゃないんだろ? なのに言われっぱなしで良いのか!? あなたは誰よりもドラゴン復活に尽力しましたね、魔族を打ち滅ぼす力を欲していましたね、そんな勝手な解釈を押し付けられたままで良いのか? 良い訳ないだろう!!」
「な、にを……」
「俺はついさっきお前と初めて会ったばっかりだけど、それでも俺には分かるぞ。お前は三年前にドラゴンが見つかった最初の最初から今の今までずっと、国のみんなの事ばかり気にしてるだろ!! そんな人間が国のみんなを不幸にする事を考えていた訳がないだろ!!」
「……ですが、実際に私はドラゴンに魔力を供給し続けていて、誰がどう見ても私さえいなければ成立しない夢物語のプランで……」
「そういう事を言ってるんじゃない!!!!!!」
懺悔とも取れるアリシアの言葉を断ち切るように、アーサーは一際大きく叫ぶ。
「お前がどれくらい魔力を供給してただとか、誰が悪くて何がいけなかったとか、そんな事はどうでも良いんだ! 大事なのはそこじゃないだろう!? お前は何を思って王宮を抜け出していた、そこで何に触れてどう思った!? 最初に思ったその事だけが、お前を形作る真実なんだ! そしてお前は思ったんだろ、この国の人達は素晴らしいって!! だから三度も絶食を耐え抜いたんじゃないのか!? だったらお前の本質は、みんなを犠牲にしてまで魔族を滅ぼす兵器を作ろうとするなんてものじゃないんだよ、絶対に!!」
当然の事だった。
それはわざわざ確認するような事ではなかったのだ。
結局、人はどこまでいっても人なのだ。
アリシア自身、いくらお姫様として生まれようと、膨大な魔力を体内に有していようと、ごく当たり前のものを好きだと感じられる普通の少女でしかなかったのだ。それを守るためなら自分の肉をちぎって周りに配るくらいの事をしてしまえる、そんな優しい少女でしかなかったのだ。
そうじゃなかったら一年間も地下に押し込められて、顔も知らない誰かの代わりに魔力を供給し続ける事なんてできる訳がない。自身が殺されるリスクも顧みず、侵入してきた者達を地上に戻すためにわざわざ出張ってくる訳がない。
だって意味が無いのだから。
アリシアがもし本当に『タウロス王国』の思い描いたシナリオに賛同していたのなら、ドラゴンへの魔力供給をなるべく少人数でするなんて効率を落とすような事をする必要がないし、そもそも人命なんて重要視していない『タウロス王国』が侵入者を逃がす命令を出す訳がない。
だからそれは全てアリシアの意志で行われたものなのだ。
どんな嘘で塗り固められていようと、そこにはアリシアの信じる正義があったのだ。
「言えよ」
そしてアーサーは銃口を向けられているにも関わらず。
アリシアの両肩を掴んで詰め寄り。
耳ではなく直接心に訴えかけるように至近で、感情の色が消えて黒く濁った眼をしっかりと見て吼える。
「だから言えよ! 私は誰よりもこの国を護りたかったんだって、この国のみんなを愛していたんだって!! この国の人を一人でも多く護ろうとして、周りには誰一人として助けてくれる人なんていなくて、毎日毎日魔力を搾取されて罪悪感に押し潰されそうになりながらも、たった一人で抗い続けていたお前にはそれを言う権利くらいはあるはずだろ、アリシア・グレイティス=タウロス!! ただのアリシアでも守られるお姫様でもない、それがお前の本当の名前だ! そこに込められている意味が分からないお前じゃないだろッッッ!!!!!!」
アリシアはしばらく動かなかった。
俯いたまま表情の伺えない恰好で、銃口をアーサーに向けたままじっとしていた。
やがて嗚咽のような呻き声をわずかに開いた口から漏らすと、真っ直ぐアーサーに向けていた銃口をゆっくりとした動作で下ろしていく。
まだ予断を許さない状況なのは分かっているが、ずっと死のリスクと隣り合わせだったアーサーも少しだけ安堵の息を吐く。
その時だった。
パアンッ! と乾いた音が管制室の中に鳴り響く。
銃声だというのはすぐに理解できた。ではどこから何を撃たれたのか、疑問はそこへとシフトする。
まずアリシアが持っていた銃は発砲されていない。下ろしたといっても銃口はまだアーサーの体を向いていて、そこから発砲されたならアーサーの体のどこかしらに命中していないとおかしいからだ。
(じゃあニックか?)
そう思って振り返ろうとした瞬間、アリシアの体が前に倒れ、丁度アーサーがその体を受け止める形になった。
「アリ、シア……?」
こういう時の嫌な予感というのはどうして当たるのか。
抱きかかえた手にぬちょっとした嫌な感触を感じ、手のひらを見てみるとそれは真っ赤に染まっていた。
「アリシア!?」
決定的だった。
撃たれたのはアリシア。そして撃ったのは……。
「やれやれ、やはりこうなったか。いちいち手を煩わせるな」
先程アリシアに突き付けていた銃を、今度こそ発砲したのはフレッドだ。その証拠に銃口からはわずかに煙が出ている。
「フレッ、ド……」
「ん? 何か言いたげだな。使い終わった道具を捨てたのがそんなに不服か?」
「フレッドォォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ズダダダダダッ!! と連続した発砲音が、アーサーが叫んだのとほぼ同時に轟いた。ニックがフレッドに照準を合わせて短機関銃の引き金を引いたのだ。
しかし弾はフレッドにまで届かなかった。
いつの間に準備していたのか、透明な板がアーサー達をフレッドを分断するように現れ、銃弾を全て弾いたのだ。
「待てニック、防弾ガラスだ!! 跳弾がアリシアに当たる!!」
けたたましい銃声に負けないように大声で叫ぶ。ニックは忌々し気な顔をしながらも発砲を止めた。
アーサーはフレッドの方に向き直るが、管制室はすでに防弾ガラスによって二つに分けられていた。サラのドラゴンの腕なら砕けるかもしれないが、そもそも魔力が無い。全ての元凶は目と鼻の先にいるというのに、その距離を埋める方法が無い。
その状況を確認したうえで、アーサーはガラスの向こう側のフレッドへと叫ぶ。
「……どうして、どうしてアリシアを撃ったんだ!!」
「取引を破ったからだ」
フレッドの言葉はいちいち要領を得ない。疑問顔のままのアーサーにフレッドは補足するように続ける。
「知っていたんだよ。従順なフリをして俺を殺そうとしてた事も、ドラゴンの復活に乗り気じゃなかった事も、全てな」
「知っていた、だって……!? 知っていたうえで、アリシアの想いを利用してたのか!?」
「ああ、簡単だったよ。騙されてるフリをしてただけで、せっせか魔力を供給してくれてな。全てはこの瞬間、俺を殺すためだろうが、それも失敗して全ては水の泡だがな」
フレッドはやれやれといった感じでわざとらしく首を左右に振って、
「だから取引したんだ。今から来るお前らを殺せたら、ドラゴンの起動を先送りにしてやるとな。それなのにそいつはできなかった。結局そいつには人を殺す覚悟が足りてないんだ。さっきだって躊躇わずナイフを突き出せていたら、『オンブラ』に止められる前に俺を殺せてたかもしれないのにな」
「……っ!?」
正直、アリシアがドラゴンの前で言っていた事を実行に移しているとは思っていなかった。
そもそも目の前でアリシアが行動を起こした時は、止めるつもりでさえいた。もしもアリシアが感情的にフレッドを刺し殺していたら、家族を殺した重責を背負い続けなければならなくなるからだ。
けれどそうはならなかったのだ。アリシアは誰に言われるまでもなく、自身の選んだ道を進み、間違っていると思ったら立ち止まれる強さを持った人だった。
それを分からないフレッドを、アーサーは心底憐れむような目を向けて、
「お前や俺達を殺せなかったのは、アリシアの優しさだ。それが分からないお前にアリシアを馬鹿にする権利は無い」
「だがそのせいでドラゴンは動くぞ、俺の目論見通りに」
フレッドとの会話はどこまでも平行線だった。
彼はそれで話は終わりだと言わんばかりに、アーサー達が入って来た扉とは別の、ガラスの向こう側にあるもう一つの扉に向かって行く。
「……止めてやるよ」
かつてとある村で対峙した、妹に暴力の限りを尽くした復讐者ですら少しは理解の通じる部分はあった。
けれど目の前の男にはその余地すらない。一生掛かっても、理解し合える気が全くしない。
ほんの少し、アーサーは心にしこりのようなものを感じて、でもその感覚を奥にしまい込んでアーサーは立ち去るフレッドの背中に声を投げる。
「俺達が、じゃない。アリシアの信念が、絶対にお前の計画を止めてやるからな!!」