411 ソラという世界
『バルゴ王国』と『ノアシリーズ』の話。
『魔装騎兵』の強襲。
ソラの本当の実力。
停止した世界。
『滅びたユニバース』。
頭の理解が追いつかない事態に混乱に混乱しているアーサーだが、ソラはそんな彼に追い打ちをかけるように話す。
「アーサーさんには、私はローグさんに作られた存在だと言いました。ですがその半分は嘘です。そもそも私はこの世界の人間ではありません」
時間が無いと言っていたように、こうして『ユニバース』を停止させ続けられる時間は長くないのだろう。だからアーサーは湧き出る疑問を一旦頭の隅に追いやり、今はソラの話に集中する。
「……アイネと同じだったのか。ソラも他の『ユニバース』からの異邦人なんだな?」
確信を持って聞いてみたが、ソラは静かに首を左右に振った。
「いいえ、それも違います。私の正体は『かの存在』に滅ぼされ、すでに存在していない『ユニバース』の遺志。それをローグさんが偶発的に再構築して今の形に押し留められた存在であり、言ってみればかつて消滅した『ユニバース』の総体です。私には『滅びたユニバース』の全ての命の記憶、その魂が刻まれています。アーサーさんに分かり易く伝えるなら、ミオさんと同じような感じを想像して貰えれば。あれは選ばれた少年少女、私の場合は『ユニバース』の全てと規模に違いはありますが」
「……、」
流石に唖然としてしまった。
ミオの話はいっても数百人規模だろう。しかしソラは一つの『ユニバース』、つまり全宇宙に存在する星々の生命全ての意識を持っていると言っても過言ではないのだ。それはアーサーに想像できる大きさを優に超えている。
「私の自我が総体として選ばれたのは、おそらく私がかつての『ユニバース』で『担ぎし者』の相棒だったからでしょう。その世界で私は『風音』と呼ばれ、彼の力となって共に戦っていました。……少なくとも、私が死ぬまでは」
冗談でも何でもない一つの『ユニバース』の終わり。一体何故それが引き起こされたのか、そしてソラはどうしてここにいるのか。彼女の本当の目的はどんなもので、それに『担ぎし者』がどう関わっているのか。
あらゆる疑問を解消する為にも、アーサーはソラに聞かなければならない。
「どうしてそんな事が……お前の『ユニバース』に何があったんだ?」
「それは―――」
しかしソラが何か決定的な事を話そうとした所で時間が来た。何も無い空中にき裂が入り、アーサーはそれがこの停止世界が終わる合図だとすぐに悟った。それはつまり大量の『魔装騎兵』と再び戦わなくてはならないという事だ。
「……すみません。もう時間のようです」
「……ああ、まずはこの状況を脱しないとな」
「心配はありません。打開策はありますから」
そう言うとソラは再び金色のオーラを身に纏った。けれど少しだけ様子が変わっており、彼女の体が半透明に透けていたのだ。
「ソラ……お前、体は……」
「……まあ、『担ぎし者』でもないうえに私のような不安定な存在で二回も『グラン』の力を使えたのが奇跡ですね。……あと一回使わせて貰えるのはあなたのおかげですか?」
愛おし気に目の前にいるアーサーではない他の誰かに問い掛けたソラは、さらに体から発するオーラを大きくした。それに比例するようにソラの体もどんどん薄くなっていく。その様子にアーサーの胸中には嫌な予感が渦巻いて行く。
「……ソラ。お前、危険な事をしてないか……?」
「……まあ、私の存在は消し飛びますね。そもそも仮初の存在ですし、私にとって『グラン』の技を使うのはそういう事ですから」
「……ッ!?」
まるで冗談でも言うみたいに軽い口調で恐ろしい事を言うソラの行動を止めようと、アーサーは床を蹴ろうとして体が動かない事に気付いた。それは右手の力でもどうにもならず、何をしようとしてもどうしても動かない。
「くッ……何だこれ!? どうして動かないんだよ!!」
「無駄です。すでにアーサーさんの体も停止させました。喋る以外はできません」
「なっ……止めろソラ!!」
「いいえ、止めません。これしか方法が無いんです。今ここでアーサーさんを失う訳にはいきません」
停止世界のき裂がどんどん広がって行き、アーサーは先程までとは違って早く破れる事を願っていた。その瞬間にソラに飛び掛かって行動を止める為だ。
しかし、それよりも前に彼女は動く。
「……我が名、我が生命、我が存在、その全てを還そう。それは終わり往く世界。束ねるは全ての星、全ての生命の息吹。世界の壁を越え、我が王の為、その力を今再びここに解き放つ―――」
それは詠唱。
ソラの準備は整ってしまった。
「止めろォォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
動かない体の代わりに、唯一動く口を動かして全力で叫ぶアーサー。
そしてギリギリの所で停止世界が崩壊した。大量の『魔装騎兵』とアーサーの体が自由を取り戻し、ソラに向かって一斉に動き出す。
けれど誰も間に合わなかった。ソラは天に手をかざし、何かを祈るように声を発する。
「―――『■■一つ■祈■■■■を■■る』」
それに音は無かった。
ただ眩い光が周囲を包み込む。
足を動かし続けるアーサーが捉えていたのは蒸発していく『魔壮騎兵』達と、穏やかな様子でこちらに振り返るソラだけだった。
「……ごめんなさい」
バツが悪いように曖昧な笑みを浮かべて、ソラは謝罪の言葉を口にした。そんな彼女の体も大気に溶けるように透けて行くのが見て取れる。
「この技を使えば私は消える。その事がアーサーさんに負担をかけてしまうのは分かっています。ですが……私を形作る力はあなたに残せます。それだけが私にとっての救いです」
「ソラ……っ」
「覚えておいて下さい。あなたが土壇場で纏った炎の鎧は『炎龍王の赫鎧』、行使した剣技は『焔桜流』。どちらもあなたの力となるはずです。―――彼がそう望んでいます」
「ソラッッッ!!!!!!」
彼女が何か大切な事を言っているが、今のアーサーにはそれを大人しく聞いているだけの余裕なんてなかった。けれどいくらありったけの声で叫んでも、必死に右手を伸ばしても、それはソラの行動を止める行為にはならない。
最後の瞬間、ソラは柔和な笑みを浮かべてこう言った。
「ありがとうございました」
その言葉の直後、決定的な衝撃がソラを中心に吹き荒れた。近くにいたアーサー自身も余波によって吹き飛ばされる。おそらくソラがアーサーには致命的なダメージが及ばないように調整していたのだろう。そのおかげで他の『魔装騎兵』とは違い軽く吹き飛ばされる程度で済んだが、全くダメージが無かった訳ではない。
「く……っ、ぁ……」
うつ伏せの状態で痛みに呻き、顔を上げたアーサーの視界が一つの光を捉えた。
彼女の攻撃の跡は焦土と化していたが、ただ一つ、地に突き刺さっている一振りの剣だけが残っていた。まるで力強く咲いている一輪の花のように、透き通るようなクリアブルーの短剣がアーサーの意識を吸い寄せて離さない。
(ぅ……そ、ら……)
現実はしっかりと受け入れていた。ソラは大量の『魔装騎兵』を破壊してアーサーを助ける為に消滅した。
けれどあの剣は、きっとソラが遺してくれたものだから。だから手にしなければならないと思った。それが自分のせいで死なせてしまった少女に対する、せめてもの償いだと思ったから。
信じられないくらい重い体を動かして、頼りない足取りで剣の方に向かって行く。残り数メートルの所で足がもつれて倒れてしまった。もう立ち上がる力が残っていない。だけど構わず這って進んでく。
ようやく傍に辿り着いたアーサーは、その剣に右手を必死に伸ばして持ち手を握った―――はずだった。
その手が届く事はなかった。
そこにあるはずなのに、手が届く距離のはずなのに、まるで幻が存在しているかのごとく、アーサーの右手は何かを握る事もなく剣を透過しただけだった。
それがまるで、掴まれる事を拒絶されたように感じて、アーサーの張り詰めていた糸はそこで切れた。
そしてアーサーの口から、どうしようもない慟哭が発せられた。
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きっとソラは、こんな自分に失望しているのだろう。
彼女の本当の目的も分からない。
何かを託そうとしていたはずなのに、自分はそれを受け取れずに這いつくばっている。
守れなかった。かけがえのない仲間を失った。
心が割れそうだ。こんな痛みに耐えられる気がしない。
だけどそんなもの、ソラが感じていた痛みに比べれば大した事なんてない。
だからいつまでも這いつくばってないで顔を上げろ!
あの日決めた誓いを思い出せ!!
停滞するのはもう止めた。
……立ち止まらない。
これは、ほんの一時の休息。
少し疲労が抜けたら、また歩き出すから。
だからちょっとだけ、眠らせてくれ。
目が覚めた時には、いつもの自分に戻っているから。
『……―――ね』
意識が途切れる寸前、近くに現れた誰かの声が聞こえて来た気がした。
きっと幻聴だろうとアーサーは思った。
◇◇◇◇◇◇◇
『バルゴ王国』内のどこか。
人気の無い倉庫の中に黄色い閃光が走ったかと思うと、そこには一つの人影が現れた。
腰まで届くピンク色の長髪を首の後ろ辺りで金色の髪留めでまとめた紫紺の瞳の少女。服装はポケットが複数あって機能的な黒の長袖長ズボンのスタイル。上衣は胸にはかからず上腕と肩甲骨辺りまで覆うフードマントが髪の上から付いており、腰には小さいバッグがいくつも付いているベルトを二重に巻いていて、膝裏辺りまで届くマントが付いている。また首には黒いマフラーを巻いていた。
「寄り道はもう良いの、マリア? それとも今はイラストリアスって呼んだ方が良いかな?」
黒を基調とした服にベリーショートの金髪碧眼の少女は気配もなく現れ、ピンク髪の少女に声をかけた。その人物の登場に彼女は嬉しそうな笑みを浮かべて応える。
「ジュディ! あっ、間違った……グローリアス。久しぶりだね」
「わたしはジュディで良いよ。マリアみたいに名前いっぱい無いし変えてもないから」
「うわ、グサッと来た……まあ、今はアリアって名乗ってるからそう呼んで」
「……ちなみにそれ何個目?」
「四つ目かな? また増えるかもね」
冗談っぽく言うと、黒を基調とした服でアリアと同じフードマントを身に着けた金髪碧眼の、今はジュディ=N=グローリアスと名乗っている少女は気配もなく現れ、アリアと名乗ったピンク髪の少女と握手を交わした。それはとても親しげな様子だった。
「それにしても随分髪が伸びたね。あっちの『ユニバース』で何年くらい修行して来たの?」
「うーん、ざっと三年くらいかな?」
「意外と長かったね。長くても一年くらいだと思ってたんだけど」
「思ったよりも『仙術』を完璧に体得するのが大変でね。元々氣力を使える分、呼吸法で練るっていう感覚がイマイチ掴み難くて。それにちょっと事件に巻き込まれたり、色々と訛ってたからついでに鍛え直したりしてたから」
「相変わらずだね……」
別の『ユニバース』で修行という奇妙な内容が簡単に受け入れられている会話だが、互いに疑問は無いらしい。
「……さて、と―――『逢魔の剣』」
ジュディとの話に間が開いたそのタイミングで、アリアは右の中指にはめた漆黒の指輪に意識を向けて呟く。すると指輪が漆黒の直剣に変化した。そしてアリアはその剣を担ぐようにして背中に刃を置く。
その直後、突然現れた何者かが振るう槍と接触して甲高い音が鳴り響いた。
「……手荒い歓迎だね、イリス」
「……ふん。三年も一人で修行して勘が鈍っていなくてなによりだ」
「それを取り戻しに行った感じだからね」
身の丈以上の槍で突然襲い掛かって来たのは、切り揃えられた灰色のボブヘアでアリアと同じ腰マントを身に着けた、今はイリス=N=フューリアスと呼ばれている少女だ。
イリス=N=フューリアス。
ジュディ=N=グローリアス。
そして、アリア=N=イラストリアス。
彼女達こそ『ノアシリーズ』の始まりの一端にして、三人しかいない『フューリアス級』。そして『ドレッドノート級』とも『オライオン級』とは根本から違う存在だ。
「それで? あっちの生活はどうだった?」
「にゃー……我儘を受け入れてくれてありがとね。ホント今更だけど」
「別に良い。お前の突発的な行動は今に始まった事じゃないしな。それに必要な工程だったのだろう? おかげでやるべき事が改めて分かったしな」
「確かこの『ユニバース』の未来が悲惨なんだっけ?」
「うん。時間はもう残されてない。未来で得た断片的な情報だけど、間違いなく『ノアシリーズ』が関与してる。なんとしてもヒビキを止めないと」
「……『シークレット・ディッパーズ』に頼めば良かったんじゃないか? そういうのは十八番なんだろう?」
「彼らを関与させないだけで未来が変わる可能性があるから。意図せず現れた事に関しては相変わらずとしか言いようがないけど。……それにこれが始まった一端にはあたしも関わってるから。あたしはあたしの落とし前をつけたい」
そこにはアリアの強い決意があった。
でもそれはアリアだけのものだ。こんな自分に付いて来てくれた二人の方を見ると、少し申し訳なさそうな顔をして言う。
「……ここまで二人を巻き込んでごめん。嫌だと思ったら手助けしてくれなくても良いから」
「今更だろう? 今も昔もリーダーはお前だ『フラッシュ』。最後まで一緒に戦ってやる」
「……すっごい久しぶりに聞いたなぁ、その呼び名。ちょっと懐かしいね」
「まあ、そもそもヒビキの狙いが本当に成功したらここ以外の『ユニバース』は全部滅びる訳だし。やるしかないよね」
「二人共……ありがとう」
そこには付き合いが長いからこその空気があった。
名前や場所が変わっても変わらない友情にアリアは心の底から感謝した。一人でもやるつもりだったが、やはり仲間がいるというのは何よりも心強い。そう思っていると、不意に彼女達以外の仲間の事が頭に浮かんだ。
「そういえば他の三人はどうしてる?」
「別件だ。最初から眼中にない私達ならこそこそしても問題無いが、あの三人は嫌でも目立つからな。その時までは牙を隠して貰うさ」
「そっか……まあ、策に関してはイリスに任せるよ。あたしよりも冷静に物事を見れるだろうし」
「ああ。……では、そろそろ戻るか。あいつが隠してくれているとはいえ、あまり長く消えていると疑われる」
そう言ったイリスが長い槍を手から離すと虚空に消え、代わりにポケットから端末を取り出した。それを操作するとイリスの正面に奥が暗くて見えない円形の穴が開いた。
「お前にとっては久方ぶりの帰還だな」
「そうだね……じゃ、いこっか」
先に向かうイリスとジュディの後ろに立つアリアは、その後に付いて行こうとして一度足を止めると夜空を眺めた。
ここに来るまで多くの者を裏切って来た。汚い行いに手を出した事も幾度となくあるし、この身に消せぬ罪過と穢れを背負って来た。多くの者を偽り、騙し、利用して来た。それは今も変わらない。
いつか終わりの時が訪れたら、この身は煉獄の業火に灼かれる事になるだろう。例え全てを欺いて誰にも悟られていないとしても、この天に浮かぶ星々はその所業を全て見通しているのだから。
そんな終焉を覚悟して、アリアは静かに目を閉じた。
―――その縁がきっとお前を導く。
頭の中にとある人の言葉が過る。
恩人で恩師でもあるその人物の言葉は、ずっと昔からアリアの生きる指針だ。こんな風に思い起こす事は稀だが、きっとこれから待っている動乱に気が立っているせいだろう。
一つだけ浅い呼吸を挟んだ後、アリアはゆっくりと閉じていた瞳を開いた。そしてかけがえのない仲間であるイリスとジュディの背中に視線を移して思う。
(……もしその言葉の通りなら、あたしはまた変わるよ。そして何度だって変えてみせる。他の誰でも無い、かつてのどのあたしとも違う……アリア=N=イラストリアスとして)
今一度、覚悟を決めた少女はイリスとジュディの後に付いて行く。
それは『シークレット・ディッパーズ』とは違う、『ノアシリーズ』に対抗する為のもう一つの軸。そんな彼女達は誰にも存在を知られる事はなく、揃って門の中に消えて行った。