409 合間の時間
エリザベスに案内されたのは郊外にある古い洋館だった。今は誰も使っておらず、何でも古い上に色々あった挙句、前の所持者の急な破産によって曖昧な存在となっているらしい。そこを整えて誰かが住んでいるように見せ、エリザベスが家柄とは関係なく私的に使っている訳だ。
「慎ましい我が家だが、くつろいでくれ」
案内されるまま中に入ると意外にも綺麗に整えられていた。そして玄関に一人、メイド服に身を包んだ女性が立っていた。そしてこちらに向かって深々とお辞儀する。
「お帰りなさいませ」
「ただいま、ルイーゼさん」
「ユウナ様。ライブ、お疲れ様でした」
「ルイーゼ。留守中は何も無かったか?」
「ええ、今の所こちらへの干渉はございません」
見知った相手であるエリザベスとユウナと挨拶を交わすと、ルイーゼと呼ばれたメイドはアーサー達の方に体を向けた。そして改めて深々と頭を下げてから言う。
「『シークレット・ディッパーズ』の皆様もようこそ。お食事を用意しておりますので、まずはそちらからどうぞ」
「えっと……」
「事情はリザ様から聞いております。何か入用の際はお声がけ下さい」
短い銀髪のポニーテールで目付きは鋭いが、睨まれているような感じではなく感情を読めない無表情だ。しかしそれも相まってか、彼女の所作には気品と独特の凄みがあった。
「ルイーゼは余が知る中で最も腕の良いメイドだ。一人でこの洋館を管理してくれている上に、余の身の回りまで世話してくれている。もしルイーゼがいなければ、余はこの国でまともに生きて行けん」
「ちなみにワタシもリザの好意でここに住まわせて貰ってるんだよ。ルイーゼさんには頭が上がらない感じかな」
「ユウナの正体がバレればトラブルに巻き込まれるのは目に見えているからな。ここなら安全だ」
相変わらずユウナには甘々なエリザベスであった。
とりあえず捕まえた『ノアシリーズ』の三人は目を覚ましたら尋問する事にし、エリザベスがルイーゼに頼んで地下に閉じ込めた。それからエリザベス自身が案内する形で、長テーブルが置かれた部屋に来た。ここが食事を取る場所らしく、好きな場所に座って良いと言われた『シークレット・ディッパーズ』の面々は思い思いの場所の座る。アーサーも最後に適当な場所に座ろうとすると、隣に近づいて来たエリザベスが小声で囁く。
「(……話は食後で良いか? 余の話はユウナに聞かれたくないものだが、そなたの問いも聞かせたくない相手がいるのだろう?)」
「(……助かる)」
短いやり取りを交わしてアーサーとエリザベスも食卓に着く。するとタイミングを見計らっていたのか、ソラが静かに近づいて来て耳元で囁く。どうでも良いが、小声で話すブームでもあるのだろうか?
「(アーサーさん。後でお話があるんですが良いですか? 少し長くなるんですが、とても大切な話です)」
「(えっと……リザと話した後でも大丈夫か?)」
「(はい。今日中に話せれば良いですが緊急の話という訳ではないので、用事を済ませた後で大丈夫です。……というか私も話を聞いて良いですか?)」
「(ああ、ソラなら構わないぞ?)」
そもそも最初から一人で行くつもりはなくラプラスも連れて行くつもりだった。あまり大勢でぞろぞろと行くのは流石にマズいだろうが、ネミリア以外なら誰を連れて行っても問題無い。
戻って来たルイーゼが食事を運んできてくれたが、その味はあまり分からなかった。初日の成果としてはまずまずといった所だが、同時に多くの問題も出てきたのだ。ルイーゼが用意してくれた食事が美味しいのは分かるが、それを純粋に楽しむ余裕などないというのが正直な所だった。
早々に重苦しい食事を終えた後。それぞれの部屋に案内され、アーサーはベッドの端に座ると背中を倒して寝転がった。エリザベスの所にはラプラスとソラが来てから向かう予定なので、それまで少しだけ休むつもりだ。
少し頭を空っぽにして天井を見つめているとドアをノックされた。返事をすると入って来たのはラプラスだった。
「失礼します……って、あれ? もしかして休んでましたか?」
「いや、横になってただけだ。ちょっと頭を空っぽにしたくて。二人が来たら起きるつもりだったよ」
その言葉通り、アーサーは体を起こした。しかしラプラスはアーサーの隣に腰を下ろすと自分の太腿を叩いて言う。
「どうぞ」
「え……?」
「膝枕です。少し話もありますし、ソラさんが来るまで休んで下さい」
「……いや、流石にそれは……」
「恋人なんですから遠慮は不要です。……というより、私がアーサーを膝枕したいという理由ではダメですか?」
甘えるように上目遣いをしてくる彼女のお願いをアーサーは断れなかった。というかアーサーも興味が無い訳ではないので、ゆっくりとラプラスの魅惑の太腿に頭を乗せた。下から見上げるラプラスは愛おしげに微笑んでおり、アーサーの頭を優しく撫でる。
「……これは良いですね。アーサーを独り占めできますし、甘えられてる感じがして好きです」
「……ラプラスって絶対良い奥さんになるよな」
「それはプロポーズですか?」
「……それで、話って何だ?」
やはりこの手の応酬は不得手なので、アーサーは露骨に視線と話を逸らした。その様子にラプラスはくすりと笑って彼の希望通り話を変える。
「話は私達の新しい力についてです。ソラさんに聞きました。先程の戦闘で感知不能の『設置』された斬撃の位置が分かっているような動きをしていたと。思ったんですが、もしかして『視えて』いたんじゃないですか?」
ラプラスの言う通りだった。意識を取り戻した後、アギリを叩き伏せるまでの間にアーサーには『未来が直接見えて』いた。
いつもの勘とは違う確実な未来。それも『未来観測・逆流演算』のように知るだけではなく直に視えていた。おそらく視えていたのは〇・二秒ほど先だが、それもアーサーの勘と合わされば『設置』された攻撃を躱す事など容易だったのだ。
おそらくラプラス関連の力だと思っていたが、どうやらその想像は正しかったようだ。
「私達が深く結ばれた事で『回路』が強くなったんです。『投影・未来直視』といった所ですね。少し先の未来を映像として、視界に重ねて直視する事ができるんです。……まあ、実際に使うと視界がブレているように視えて使いづらいようにも感じますが。アーサーが使いこなせたようで良かったです。私の方も色々と出来る事が増えましたし」
「そうなのか?」
「ええ。アーサーと同じ『未来直視』や、直近の複数の未来から一つに確定する『未来選定』などですね。まあこちらに関しては燃費の割に使い勝手があまり良くないですが。それでも今までより力になれそうです」
「……なんか聞くだけで凄そうだけど、今は詳細を聞く気分でもないな……」
「頭を空っぽにしたいんですもんね。では少し恋人らしい事をしましょう」
そう言うとラプラスは太腿の上のアーサーに顔を近づけて唇を重ねた。アーサーもそれを拒まずに受け入れ、唇が離れて目を開くと視界一杯に顔を赤くしたラプラスが映った。
「……やっぱり、進んだ関係になっても改まると気恥ずかしいものですね」
はにかむラプラスはどこまでも魅力的で、理性のタガが緩んだアーサーは体を起こした。そして改めてラプラスと視線を交わすと、何かに導かれるように顔を近づけていく。
「あっ、待って……」
しかしラプラスはあと少しで触れ合うという所で制止を促す言葉を放った。見ると彼女は手の甲で口元を隠しながら顔を真っ赤にしていて、これまた反則なまでに可愛い上目遣いで言う。
「……これ以上ベッドの上でキスをしたら、そういう気分になっちゃいそうです……」
「……流石に今はマズいよな」
ラプラスの言葉になんとか残っていた理性をフル動員して衝動を抑えつけた。今は世界の危機が迫っていて、しかも直近にはエリザエスとの約束があるのだ。
自分の中の悪魔が甘言を囁いている気がするが、時と場合を考える天使が残っていた事に感謝するしかない。
「……では、そろそろ良いですか?」
突然ドアの方でした声に、アーサーとラプラスは弾けたように顔を向ける。するとそこには呆れ顔のソラが壁に背を付けて立っていた。
「なっ……そ、ソラ……!?」
「い、いつからそこに……!?」
「声をかけましたしノックもしました。入室に気付かなかったのはそちらの落ち度です」
あからさまに動揺している二人に対してソラは溜め息を吐きながら言うと、やれやれといった感じで仕方なさそうに優しい笑みを浮かべて壁から背を離した。
「……まあ、私はお二人が恋人になった時も居合わせた訳ですし、今更イチャついている所を見ても何も思いませんが。それよりも早くリザさんの所に行きませんか?」
「そ、そうだな……!」
「え、ええ……そうしましょう!」
大人な対応のソラの助け船に全力で乗っかり、ベッドから立ち上がったアーサーとラプラスは凄いスピードでソラの傍に近寄った。
恋人との甘い時間は終わり、今一度切羽詰まった現実と向き合う時間だ。アーサーもラプラスも切り替えが出来る方なので、廊下に出るとすでに真面目な顔つきで浮ついた雰囲気は完全に消えていた。お互いに最初から事件の合間の僅かな時間でしか恋人らしい事ができないと分かっている関係だからこその割り切りだろう。
(……不憫ですね、アーサーさん)
しかしその豹変ぶりに、前を歩くアーサーとラプラスの背を見ながらソラは表情を変えずに静かに思った。
(見て来ていなくても分かります……そうならなくてはいけなかったんですよね? 『担ぎし者』として……いえ、その運命を知らずとも誰かを救う為に、沢山傷つけられながら進んで来たんですね?)
それはソラ自身が、ずっと昔に共に在った少年と同じだから。
(その在り方は本当に不憫ですよ。あなたはごく普通の少年でありながら、いつだってその在り方の為に強さを求めて、その強さを得たが為に、誰かの代わりに戦い続けて来たんですから)
『彼ら』はいつだってそうだった。目の前に広がるのは絶望的な状況で、万全の備えがある訳でもなくて、それでも拳一つでも握れれば立ち向かっていく。弱くても、賢くなくても、気合や根性、綱渡りの奇策に数多の絆。それらを駆使して強敵を打破し続け、何度失敗して惨めに泣き腫らして挫けても、最後には顔を上げて何度でも絶望に抗って行く。
それが『担ぎし者』。そしてヒーローと呼ばれる者達の宿命。
(……そしてどうか許して下さい。私はそんなあなたの在り方を知って、それでも利用しようというのですから)
ソラは彼らに課せられた宿命を分かっている。
分かっているからこそ、だった。
◇◇◇◇◇◇◇
アーサー達が案内された部屋とは違い、元からこの洋館に住んでいるユウナの部屋には私物が多かった。ベッドの上には可愛らしい動物のぬいぐるみが並べられており、机の周りは歌詞のようなものが書かれた紙がびっしりと張られている。さらに近くの本棚には音楽関連の本や小説、ファンレターなどが納められていた。
そんな自室の中央で、ユウナは古びたギターの手入れをしていた。今日のようなライブでは歌うだけの事の方が多いが、路上ライブでは昔からやっているように演奏しながら歌っているので、昔から今も使っているこのギターは相棒のようなものだった。自然とその手付きも優しい物になっている。
路上ライブを行った日も、そうでない日もやっているギターの手入れ。入眠前のルーティンのように毎晩やっているのをエリザエスもルイーゼも知っているので、誰も彼女の部屋を訪ねない。だからその日、ノックが聞こえて来た事にユウナは心底驚いた。それから今日は客人が大勢いる事を思い出し、ギターを壁に立て掛けてからドアを開いた。
「……遅くにごめん。ちょっと話せる?」
「ユリちゃん? ……うん、良いよ。とにかく入って」
意外な来訪者に驚いたユウナだったが、すぐに彼女を部屋に招いた。ドアを閉めながら部屋に入るユリの背中を見るが、その視線は人間には無い獣の耳と尻尾に吸い寄せられる。食事の時も帽子を取らなかったので、ユウナがそれらを見るのは初めてだった。
「……気になる?」
振り返ってもいないのにどこを見られているのか悟っているユリの疑問に、ユウナは少し気まずさを感じながら問い掛ける。
「えっと……その耳、そういうアクセサリーなの……?」
「本物よ。私、獣人なの。『キャンサー帝国』で造られた人工生命体よ」
「っ……!?」
ユウナも国王のエリザエスと関りがあるし、世界でそういう事が起きていると知らなかった訳じゃない。でもそれはテレビの向こう側のような出来事で、いざ目の前に現れるとどう向き合えば良いか分からなくなる。
そんなユウナの反応を見たユリは悲しげに微笑んで、
「……軽蔑した?」
「ッ……」
何か怯えるような気配をユウナは感じ取った。彼女には知る由も無いが、ユリが人間相手にこういった感情を抱いているのは珍しい。
けれどそんなの知らなくても関係無く、ユウナは静かに首を横に振った。
「……ううん」
彼女の問い掛けに否定を返し、ユウナはユリの横を通ってベッドに腰を掛けた。
「そりゃ獣人とか造られたって辺りは驚いたけど、こうして話してる分には普通の人間と何も変わりはないし。それにユリちゃんは命の恩人だから」
そう言って自分の隣をぽんぽんと叩く。隣に座って欲しいという合図だが、それが通じたようで少し躊躇いを見せながらも近づいて来たユリはユウナの隣に腰を下ろした。そして軽く嘆息する。
「……助けた覚えは無いわよ?」
「ステージに落ちて来る鉄骨から守ってくれたでしょ?」
「それはリディのおかげよ。私は咄嗟に体を動かしただけ」
「でも助けてくれたのはユリちゃんだから。それにユリちゃんは知らないだろうけど、巷じゃ既に有名人だよ? 突然現れたと思ったら鉄骨を吹き飛ばしてワタシを助けた美少女は誰だって。ネットじゃ『電撃姫』って呼ばれてるし」
「は? 何よそれ。意味わかんない」
「親しみみたいなものだから。ワタシなんて『歌姫』だよ? 流石に恥ずかしいよ」
「やっぱり人間って理解不能ね……特にアーサー。あいつはホント謎ね」
「そんなに謎なの? 見た感じ、良い人そうだったけど」
「騙されちゃダメよ。あいつは超の付く変人だから。なにせ私達が囚われてた研究所に乗り込んで来て、人間じゃない獣人の私達に肩入れして、状況も親玉も全部ぶっ壊して私達に安全な場所まで提供してくれたんだから。そんなの普通の人間じゃないでしょ?」
「なんだか話が壮大過ぎて付いて行けないけど……ユリちゃんがアーサーくんを信頼してるのは分かるよ」
「……ま、アンタの言葉を借りるなら命の恩人だしね。っていうかずっと気になってたんだけど、そのユリちゃんって呼び方は止めてくれない? なんかゾワゾワするのよ。呼び捨てにしてくれる?」
「じゃあ……ユリ?」
「ええ、そっちの方が良いわ」
話している内にユウナは奇妙な感覚を覚えていた。ユリと話していると、ルイーゼやリザと話している時とは違う安心感のようなものがあったからだ。
「そういえば、どうしてワタシに会いに来たのか聞いてなかったけど……」
「別に深い意味は無いわ。ユウナと話したかったからよ。あんな事があって何事も無かったようには過ごせないでしょ?」
「……確かにいつも通りとはいかないよ。勿論、聞きたい事は沢山あるけどリザが大変そうだったから。だから何も聞かなかったし隠してたつもりなんだけど……ユリはよく気付いたね? 仕事柄、隠し事には自身があったんだけど」
「私も経験あるから」
「……『ディッパーズ』の日常は濃そうだもんね」
「ま、世界の終わりってのは身近で感じるようになったわね。でも私は一緒に行動してるけど『ディッパーズ』って訳でもないのよ。誰かを救いたいっていうより、ただこの世界を見たいだけってのが本音だし」
「見たい……?」
「この世界が私達獣人にとって住みやすいかどうか確かめる為に……って言い訳して、私は私自身が安心できる場所を探してる。これは誰にも言ってない私の一番弱い部分だけど、あんたには特別」
「……どうして私に話すの?」
「恩人だから」
唐突なその理由に、ユウナは心当たりが無かった。それを仕方ないと思うようにユリは微笑むと、今度はちゃんとその理由を語り出す。
「私はどこにいても馴染めなかった。獣人のコミュニティでも浮いてたし、変人揃いの『ディッパーズ』の中にいても気が休まらない。私が唯一現実から離れられるのは、施設にいた頃くすねたこのヘッドフォンを付けてる時だけ。盗んだものだから曲数も多くなくて、何度も何度も同じ曲を聴いてたわ。……ストリートで聴いた時は気付かなかったけど、さっきのライブで確信したわ。私はずっとユウナの歌を聴いてた。あんたの歌に救われ続けて来たんだって」
何故人間嫌いのユリがユウナにだけは心を開いているのか。彼女の事を知らないユウナもずっと気になっていた答えは、ユウナ自身には覚えの無い恩によるものだった。
全てユリの勝手な感情で、明らかに自分の中で贔屓している自覚もある。
命懸けで獣人を助けたアーサーの事は信用しているが、未だに信頼はできていない。それはとても根深いもので、簡単に拭えるものではないから。
けれどユリの中で、ユウナだけは根拠が無くても信頼できると思っている。でも同時にそれは一方通行の感情で、初めて出会った相手にこんな事を言われても困るだけだとユリは分かっていた。
「嬉しい……」
けれどユウナの反応はユリの予想とは違った。
その言葉が嘘では無いと裏打ちするように、ユウナは涙を浮かべて瞳を閉じた。
「ワタシは家に馴染めなくて……打ち捨てられたギターを自分に重ねて、それを使ってストリートを初めた。そしたらリザだけじゃなくて色んな人達に応援して貰えるようになって……ワタシは歌で誰かを救いたかったから。ワタシが歌に救われたように、他の誰かを救えたらってずっと思ってたから……っ」
そして感極まったユウナは飛びつくようにユリに抱き着いた。突然の行動にユリは驚いたが抵抗するような事はせず、むしろ背中に手を回して抱擁を受け入れていた。
「……きっとワタシにはユリが味わった苦しみを理解する事はできないんだろうけど、それでもユリの苦しんでいる時に少しでも救いになれたなら嬉しいよ」
「……ええ。ありがと、ユウナ」
そう答えて、ユリはユウナの背に回した手に力を込めた。
ユリにとって、人間はやはり理解不能で好きになれそうにない。
でも確かに感じるこの温もりは、悪くないと思った。