45 掌の上で踊る
アーサー達の動きはすぐに管制室に伝わっていた。
そもそも崩落時の音はかなり大きく、管制室にまで届いていた。見張りをしていた『オンブラ』と連絡がつかなくなった事もあり、包囲網はすぐに敷かれたのだ。
それでも『オンブラ』には確認をしておかなければならない事があった。それは見張りの『オンブラ』の敗因、つまり確保すれば良いのか、それとも殺してしまっても良いのか。その辺りをハッキリさせないと見張りの二の舞になってしまう。
「いかがいたしましょう?」
「殺せ」
問いかける『オンブラ』の一人に、フレッドは何の逡巡もなく端的にそう命令した。『オンブラ』はそれに従ってすぐに動き出すが、それを近くで聞いていたアリシアは強く反応した。
「お兄様! 約束が違います!!」
アリシアはフレッドに詰め寄ろうとした所で近くにいた『オンブラ』に止められる。しかしそれでも強引に詰め寄ろうとしたアリシアに対して、フレッドは冷たく言い放つ。
「約束は果たした。彼らが騒がない限り危害は加えず地上に帰す、と言ったはずだ。騒いで約束を反故にしたのはあいつらだ。本望だろう」
「そんな……ッ!!」
まだ何かを言おうとするアリシアに、フレッドは懐から取り出した拳銃を躊躇う事なくアリシアの眉間に押し付ける。
「少し黙ってろ。誰もお前に意見は求めてない。お前も約束を守って大人しくしてろ」
「……っ」
絶望したアリシアの動きが止まった。
それを確認すると、アリシアを羽交い締めにしていた『オンブラ』もその手を放す。フレッドもそれを見て踵を返し、ドラゴン起動の最終調整へと意識を戻す。
「……」
言葉は通じない。『オンブラ』も全てフレッドの言いなりで、ここには味方の一人もいない。
けれどドラゴンを止めるために、アリシアは懐から静かにナイフを取り出す。
それは予定していた通りの流れ。躊躇う理由はないはずだった。
それなのに。
『お前が犠牲にならない方法だってあるはずだ!』
少し前、初対面の少年に言われた一言がこのタイミングで脳裏を過る。
理由は分からない。けれどナイフを握る手には揺らぎが生まれた。
アリシアはそれを自覚して。
(……きっとあの少年は、見ず知らずの私の事でも心配できる、とても優しい人なんでしょうね)
ぎゅっと唇を噛みしめ、今一度迷いを捨てるように瞼を閉じる。
(けれどこれは、私がやらなくてはならないことなのです)
アリシアは瞼を開き、目の前の敵を見据える。
そしてこの後に起こる事をしっかりと理解したうえで、彼女は次の行動に出る。
◇◇◇◇◇◇◇
「何が闇討ちっすかァァァあああああああああああああああああああああああ!?」
『オンブラ』の包囲網の中で、レナートは壊れていた。
普通の状況なら精神を心配されるレベルだが、今おかれている現状を見れば当然かもしれなかった。
現在アーサー達は、丁字路の通路の丁度分かれ道の部分にいた。
「ちくしょう……。ちくしょうちくしょうちくしょおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
ニックも叫びながら、右側の通路に向かって短機関銃の引き金を絶え間なく引いていた。
「やばい、もう手榴弾が切れる。レナートさん! シャッターはまだ開かないんですか!?」
アーサーは反対の左側の通路に手榴弾を投げ込み、レナートに催促する。
「必死にやってるっすよ! ちょっと黙ってて下さい!!」
レナートは必死にキーボードを叩きながら声を荒げる。
アーサー達は順調に管制室への道を辿って来ていたのだが、この通路を曲がった所で急にシャッターが下りて、両通路から挟み込むように『オンブラ』が現れたのだ。最初はサラのドラゴンの『獣化』でシャッターを破ろうとしたのだが、ドラゴンへの変化は通常よりも魔力を多く消費するらしくさっきので打ち止め。仕方なくホワイトライガーの拳で殴ってはみたのだが、シャッターはビクともしなかったのだ。
そうして現在の地獄絵図が出来上がった訳だ。
「みんなストレス溜まってるわね……」
その中でサラは一人、落ち着いていた。この状況ではやれる事の無い彼女は、他の三人よりも少し余裕が残っていたらしい。
「よし、開いたっすよ!」
そんな状況もシャッターが開くと終わる。
開いたそばから四人ともシャッターの向こう側に身を転がす。
しかしそれで終わりという訳ではない。応戦を止めた事でけたたましい足音が近づいてくるのが分かる。
「レナートさん! このシャッターもう一度閉じられますか!?」
「さすがにもうやってるっすよ!」
レナートの行動は早く、シャッターは『オンブラ』が辿り着く前に閉じ始める。しかしそれだけではシャッターは管制室からの操作で開いてしまう。どうにかしてシャッターの向こう側の『オンブラ』を足止めしなければならない。
そこでアーサーはシャッターが閉じ切る前に残っていた全ての手榴弾のピンを外して、シャッターの向こう側に投げ込んだ。
数秒後、完全に閉じ切ったシャッターの向こう側で爆発音が鳴り響く。
「……これでしばらくは追っ手は来ない、か……?」
「安心してる場合じゃないだろ。せっかく拾った武器を全部使ってどうするつもりだ!」
詰め寄るニックにアーサーはバツの悪い顔をして、
「……あれは『モルデュール』と違って任意で爆破できないし、どうも安全面が心配なんだよ。情けない話だけど、正直二度と使いたくない」
「さっきはあれだけ大口叩いておいて、何だその体たらくは!!」
「あーはいはい」
アーサーは耳を抑えてわざとらしく聞こえないふりをする。アーサーだってニックの言い分は理解できるが、これは生理的な問題で今すぐにはどうしようもない事だった。
「ところで向こうは大丈夫なの? アリシアさんだけじゃなくて、大量の人質がいたら手も足も出せなくなるわよ?」
サラの疑問はずっと感じていた事だが、今はアーサーとニックの言い争いを止めさせる意味合いもあった。
しかしアーサーはそんなサラの配慮には気付かず、
「ああ、それなら大丈夫だ」
アーサーはさらりと言った。
その根拠は? と言いたげに見てくるサラにアーサーは続ける。
「あいつは何だかんだでやる時はやるヤツだからな。それに結祈やニックの仲間もいるし、俺達が目立ってるおかげで向こうには『オンブラ』の手は及んでないはずだし心配はしてないよ」
「その人を信用してるのね」
「……まあね、ある意味じゃ世界で一番信用してるよ」
気恥ずかしいのか早口で言ったアーサーは、照れ隠しをするように目線を切って続ける。
「それよりも今はアリシアだ。どっちみち、管制室を抑えれば全部終わらせられるんだ」
「レナート、管制室まではあとどれくらいだ」
「もうすぐっすよ。まあ追撃がなければの話っすけど」
レナートの言葉を受けて、ニックは残りの武装を確認する。
手榴弾などの爆弾系は全て使い果たしていたし、マガジンも残り一つしかなかった。レナートの方も同じような感じで、サラは元々無手。アーサーも拾った手榴弾を捨てるように使い切ったので、現状は一番戦闘力がない。
おそらく今までで一番警備の堅い管制室を襲撃するには、どう見ても火力不足だ。
アーサーは誰にも見られないように、浅く息を吐いた。
ここまでの道中で、アーサーは色々な手を使って逆境を打破してきた。でも今回は持てる手札も少なく、準備といった準備をできるものではない。それなのに挑もうとしているのは敵の胃袋のど真ん中、どう考えても普通じゃない。
多分、それは他三人も同じように考えていたのだろう。今までにないくらい慎重になって進んでいる。
時間が引き延ばされたような感覚で歩いていると、不意にレナートが足を止めた。
「……ここが管制室の入口っすね」
レナートが見た扉は、やはり今までのものと変わらないものだった。もしかしたら全ての扉を統一する事で、重要な施設を特定されないようにしているのかもしれない。
しかし。
「ここが管制室? それにしたって警備がずぼらじゃない?」
サラの疑問は他の三人も感じていた。重要拠点のはずなのに、『オンブラ』どころか警備ロボットの一体もいない。まるで入ってくれと言わんばかりだ。
「……でも入る以外に選択肢はないんだ。十中八九罠だけど、行くしかない」
アーサーの言葉に他の三人も無言で肯定を示す。
そしてアーサーはその扉に手をかけ、四人揃って中へとなだれ込む。
するとそこにいたのは。
「ようこそ、袋のネズミ共」
余裕の笑みを浮かべるフレッドだった。アリシアはそのすぐ後ろで縮こまっていた。
しかしどれだけ注意深く回りを見ても、どこにも『オンブラ』はいない。それどころか管制室だというのに、フレッドとアリシア以外に機械を操作するはずの人がおらず、全ての機械の電源が切れていて、部屋の明かりは天井にある照明だけだった。
「……おかしい、なぜ『オンブラ』がいないんだ……?」
ニックの呟きに答えたのは、意外にもフレッドだった。
「近くで他のネズミ共がこそこそと何かやってたからな、そっちに回したんだ」
(アレックス達の方か!?)
ギチリ、と歯軋りする。
その反応はフレッドが望んでいたものだったらしく、ニタニタと気味の悪い笑みを浮かべて、
「貴様らのお仲間だろ? 残念だったな」
「……ッ!!」
アーサー達が無謀にも管制室に踏み込めたのは、居場所のバレていない別動隊のアレックス達の存在が大きかった。
だがその居場所が露見していて、しかもその事を知らずにいきなり『オンブラ』に襲われたとしたら……。
「ニック! すぐにミランダさんに連絡を!!」
「させる訳がないだろう?」
フレッドが取り出したのは簡素な拳銃だった。武器としての性能ならニックの持つ短機関銃の方がはるかに上だろう。
しかし、フレッドが銃口を向けたのはアーサー達ではなかった。自身の後ろ、アリシアのこめかみに銃口を突き付ける。
「んな、にを……!?」
こちらに対してアリシアを人質として使っているのは分かる。けれど何故そんな行動に出たのかが分からない、そんな呟きを漏らす。
「ん? 貴様らにとって一番効果的な人質に銃を向けてるだけだろう?」
「ふ……ふざけるな!! 自分の妹に銃を向けて、何をやってるんだって言ってるんだ!!」
アリシアに銃口が向けられていなければ、なりふり構わず殴りかかっていたかもしれない。それぐらいにアーサーは頭にきていた。そしてそれは他の三人も一緒だった。管制室に殺伐とした緊張感が広がっていく。
「くっく。妹、ねえ……」
「……何がおかしい」
慎重に、言葉を選びながら疑問を口にする。
それに対してフレッドはなおも愉快そうに笑いながら、
「おかしいさ。俺はこれを妹と思った事など一度もないからな。そもそも兄と言っても遠縁で、本当に血の繋がりがあるのかどうかも怪しいくらい考え方も違うしな。魔力を生むただの道具だよ、これは」
限界だった。
人を、それも自分の妹の事を道具呼ばわりする目の前の男がどうしても許せなかった。
アーサーはフレッド目掛けて飛び出す。その軽率なその行動が、アリシアが殺されるリスクを冒しているのは理解していた。
それでも、どうしても我慢できなかったのだ。
しかし、拳を握り締め、引き絞った所でその行動は止める事になった。他でもない、アリシア自身が盾となるようにフレッドの前に立ち塞がったのだ。
銃口は外れている。フレッドはアリシアの背後でニタニタと笑っているだけだ。
手を伸ばせば届く。すぐにでもアリシアを取り戻し、その先にいるフレッドを取り押さえ、ドラゴンを止めさせなければならないはずだったのに。
アリシアが手にしていた拳銃を、真っ直ぐアーサーに向けているせいで動きを封じられてしまった。