400 想い、結ばれて
自室に戻ったアーサーはすぐに異変に気付いた。スゥの部屋に長居していたはずなのに、先に食事を終えたはずの同居人、透夜の姿がない。その理由までは分からないが、今回の事件で透夜に起きた変化は大きい。新たな魔術に呪術の体得、そして体内に残る『獣人血清』の影響。今は全てがプラスに働いているが、そもそも何の補助も無しに透夜とクラークの体に『獣人血清』が適応した理由も分かっていないのだ。今後どうなるかも分からない中で、何か行動を起こしているのかもしれない。
そんな事を考えながら、アーサーは構わずベッドに倒れ込んだ。いくら不眠症とはいえ疲れるものは疲れるのだ。命を獲り合う死力を尽くした戦いをすればなおさらだろう。それに事件を無事に解決できたにも関わらず、全く気が晴れない懸念があった。仰向けになると右手で目を覆って灯りを遮断しながら考える。
(『ノアシリーズ』……明日にでも『バルゴ王国』に行って真偽を確かめないとな……ネムを助ける手立てがあると良いけど……)
そしてアーサーは珍しく襲い掛かる睡魔に抗わず、そのまま眠りへと落ちて行った。
普段の事だけではなく、最近はラプラスとの事もあって余計に眠れていなかったアーサーにとっては久しぶりにまともな睡眠だった。
……。
…………。
………………。
……………………。
…………………………。
しゅる、と。
次にアーサーの意識が捉えたのは、そんな衣擦れの音だった。寝ぼけた頭ですぐに思い付いたのは戻って来た透夜が着替えているという可能性だったが、次のアクションで即座に否定される。なんとその誰かは仰向けに寝ているアーサーの体に跨るように乗っかって来たのだ。目を見開くと犯人は意外な人物だった。
「ぐっ……ら、ラプラス!?」
「ようやく起きましたか……そんなんじゃいつか寝首を掻かれますよ?」
「いや、敵意があれば流石に……」
アーサーの言葉が途中で途切れた。その理由はラプラスの今の姿にあった。衣擦れの音が聞こえて来たので着替えているとは思っていたが、それは服を脱いでいただけのようだった。今のラプラスが身に着けているのは、肌が透けて見える薄い生地のベビードールだ。何故裸よりも露出を抑えているのにこんなに興奮するのか、自分の事なのに分からない。
「……え、と……この状況は何なんだ……?」
「夜這いですよ。決まってるじゃないですか」
視線が釘付けにされている事を自覚しながらなんとか言葉を絞り出すと、ラプラスはさも当然の事のように答えた。そして当然のようにアーサーがまじまじと体を見ている事を感じ取ったラプラスは妖艶な笑みを浮かべつつ両手を胸に置いて言う。
「男性にはこういうのが喜ばれると聞いた事があるんですが、どうですか?」
「めっちゃ興奮する」
即答であった。取り繕う訳でも誤魔化す訳でもなく、ラプラスの目を真っ直ぐ見つめて答えた。だが真摯というよりは理性を思いっきり殴られたせいで本音がダダ洩れと言った方が正しいかもしれない。
予想外の反応にラプラスの余裕が崩れ、妖艶な笑みから一転して驚いた表情になる。
「そ、即答ですか……もしかして気を使ってます? 私の貧相な体付きでも興奮しますか?」
「うん、ヤバい。今すぐ抱き締めて押し倒したい」
「そ、そうですか……なら良かったです」
あまりにも直接的な表現に流石に赤面してしまうラプラス。『一二災の子供達』と呼ばれている通り、その体つきは五〇〇年経っても子供と同じだ。ラプラスは一四歳程の容姿だが、それでも体型が良い方では無いのは自覚している。背は低いし胸だって無い。およそ女性としての魅力はないだろう。アーサーの好意に嘘があるとは思っていないが、自分に自身が持てないのも偽りの無い本音だった。
ラプラスはその不安を消す為に、アーサーの顔を挟むように両手を添えると顔を近づけて問いかける。
「……もし私が今夜抱いて欲しいと言ったら、アーサーはどうしますか?」
「っ……」
そんな事を言うものだからアーサーの理性は再び思いっきり揺さぶられた。というか揺さぶられるだけではなく完全に破壊され、アーサーはラプラスの背中に手を回すとグイっと引き寄せて強引に唇を奪った。そしてぐるりと体位を入れ替えると、今までとは反対にアーサーがラプラスの上に跨る形になる。唇を離すとラプラスは息を整えながらくすりと笑って、
「ふぅ……激しい答えですね」
「いや、その……今のはエリナと回路を繋いだ分って事で」
「む……そうやって誤魔化すのはずるいですよ?」
「うっ……ごめん。本当は理性がちょっと飛んでた」
恥ずかしさに顔を背けながら謝罪の言葉を述べると、ラプラスは改めてアーサーの頬に手を添え、少し強引に正面を向かせた。再び目が合うとラプラスは悪く思っている訳ではなく、むしろ満足気に笑みを浮かべていた。
「私に夢中ですね?」
「……悪いか?」
「まさか。心の底から嬉しいです」
上下の位置が変わったのに下にいるラプラスの方が余裕があった。二人揃ってこういう状況は初めてだが、やはり女性の方が肝が据わっているのだろう。まあ、そもそもアーサーは女性の尻に敷かれるタイプなので当然と言えば当然かもしれないが。
「激しいアーサーというのも魅力的ですが、私もこういうのは初めてなので今度は優しくお願いできますか?」
「……その割には余裕がありそうだけど?」
「まさか。さっきから心臓が破裂しそうなくらいドキドキしっぱなしですよ。余裕なんてありません。……なんなら直接確かめてみますか?」
そう言ってラプラスが両手を広げた意味が分からないほどアーサーも子供ではない。ラプラスの体を押し潰さないようにそっと覆い被さると、彼女は広げていた両手を背中に回して抱き締めて来た。心臓の音がうるさい。それが自分のものなのか相手のものなのか互いに分からない。
少しだけ体を離して至近で見つめ合うと、潤んだ瞳に吸い込まれそうだった。ベビードールの片方の肩紐が外れていて、肩から首まで邪魔の無い白い肌が目に入ると無自覚に唾を飲み込む。
ラプラスの唇が動く。小さな動きで名前を呼ばれているとすぐに分かった。
アーサーが右手をラプラスの頬に添えると、彼女は左手で包み込んで心地良さそうに目を細めた。こちらの手の甲を撫でる感触には背筋が震えるような感覚があって、彼女の妖艶な笑みには隠し切れていない期待の色があった。
顔を近付けていくと、何をされるのか察したラプラスはゆっくりと目を閉じた。今度は優しくするように心掛けて唇を重ねる。
「んっ……ちゅぅ、あむっ……」
ラプラスとは何度もキスをしているのに全く慣れる気がしない。それどころか繰り返す度に愛おしさが増していくのを感じる。
数秒程で唇を離すとラプラスは恍惚の表情で自身の唇に触れた。
「……今度は優しいキスでしたね。激しいのも愛されてる感じがあって良いですが、優しいのも大切にされてる感じがして良いですね。甲乙つけがたいです」
「つける必要はないよ。もう恋人だから回路なんて言い訳も要らないし、したい時はいつでもキスするぞ? まあ流石に人目は気にするけどな」
「いつでも……いやいや、甘やかさないで下さいっ。ただでさえ自制心が足りていないのに、再現なく甘えてしまいます!」
「えっと……問題あるか?」
アーサーの言葉に最初は嬉しそうにしていたのに、自分でそれを抑え込んでしまったラプラスに疑問が浮かんだ。何か思う所があるのかと疑問をぶつけると、ラプラスは少し声のトーンを落として、
「その……恋人になった後に言うのもなんですが、私は重い女ですよ? すぐに嫉妬するし、死ぬ時は一緒に死なせて欲しいなんて普通は言いませんし……」
「……ぷっ」
ラプラスは精一杯の勇気を振り絞って自分の弱さを告白してくれたのに、アーサーは思わず笑ってしまった。流石にアーサー自身もどうかと思うその行動に、ラプラスは当然のように強く反応する。
「なっ、なんで笑うんですか!?」
「いや、笑ってごめん。ただ普通ってあまりにも俺達には似合わないなって思って。だって俺達の関係は普通じゃない事の方が多いだろ? 戦い漬けの人生で二人揃って五〇〇歳だし、未来に行ったり過去に行ったりさ。今更普通っていう方が妙な気分だよ」
「た、確かにそう言われればそうですけど……」
アーサーなりにフォローしたつもりだが、ラプラスはまだ釈然としていないようだった。その様子に嘆息しつつ、アーサーは思考を奪うように一瞬触れ合わせるだけの軽いキスをする。突然の行動に驚くラプラスにアーサーは優しく微笑んで、
「重くても良いよ。そういうのも全部ひっくるめて、俺はラプラスの事を愛おしいって思うんだから」
「い、愛おしいって……」
「愛してるよ、ラプラス。今までも、この先の『未来』もずっと」
「っ……私も愛してます、アーサー!」
今度はラプラスの理性が吹き飛んだ。彼女はアーサーの首に手を回してぐいっと引っ張ると、唇を重ねて舌を差し込んだ。口内を柔らかいそれが這いまわり、アーサーの脳髄に痺れにも似た感覚が駆け巡る。今までしたキスの中で最も刺激的な体験だった。
気付くとアーサーもラプラスの体を強く抱き締めていて、自ら望んで舌を絡ませ合っていた。初めは一方的に押し付けるだけだった口付けが激しさを増していく。お互いの唾液を交換し合い、息継ぎする暇すら惜しんで互いの口内を蹂躙し合う。まるでどちらが主導権を握るか競っているようでもあった。
やがてお互いに唇を離した時、激しい運動をした後のように息が上がっていた。二つの荒れた呼吸音だけが室内に響く。アーサーはラプラスの上気した表情の内に期待が込められているのを感じ取って、自分も同じような表情になっているんだろうなと思った。
もう我慢する事も、躊躇う必要も無かった。
呪いなんて関係無い、それはただ当然の行動だ。
互いに好き合っている者同士。愛し合う事には本来、何の障害も無いのだから。