398 ダイヤを磨けるのはダイヤだけ
レイナ・ブラッドクロス。彼女は『ラウンドナイツ』のリーダーにして、今は『魔族領』の集落の長をやっている。『ラウンドナイツ』の中では唯一、『ディッパーズ』に加わらずに帰って行った女性だ。
そんな『魔族領』の集落の広場に巨大な魔法陣が浮かび上がる。そこから現れたのは『ディッパーズ』や『W.A.N.D.』の面々、そして獣耳や尻尾を生やした獣人達だった。
突然の事に魔族達がどよめくが、その中に紬やフィリアなど元『ラウンドナイツ』の面々の姿を見るとパニックが起きるほどではなかった。
何が起きたのか分からない状況に、集落側からはレイナ、来訪者側からはアーサーが前に出る。
「いつ来ても歓迎するとは言いましたが、これだけの大人数で来るなら事前に連絡の一つはくれても良いんじゃないですか?」
「ごめん、レイナ母さん。いつも頼りっぱなしだけど、他に頼る伝手が無かったんだ」
あの後。
アーサーとヘルトがクピディタースを打倒した後、ヘルトの分解の力とアーサーの『珂流』で獣人達の首輪を全て取り外し、アーサーの提案で『魔族領』のこの集落にレミニアの転移魔法で飛んで来たのだ。
獣人達を『魔族領』に匿う。これはヘルトにも賛同された意見だ。いくら『ディッパーズ』や『W.A.N.D.』が獣人達の存在を受け入れたとしても、それは『人間領』全体から見ればマイノリティだろう。やはり迫害を受ける懸念は払拭しきれなかった。獣人達を一定数の人々に受け入れられる形で公開するには、それなりに準備が必要なのだ。
それに、事件の全容を世界に公開すれば『キャンサー帝国』が間違いなく傾く。最悪それでも構わないと考えていたが、首謀者であるアンソニー・ウォード=キャンサーは今度こそ死んだ。今回の件で大打撃を与えた事もあるし、『獣人血清』の製造計画は頓挫するだろう。ならば世界に混乱を招くと分かっていて、進んで立場を危うくする必要も無い。それに今回のカードは脅迫という形で使える。カードはただ単に切れば良いというものではない、むしろ切らない事で一二〇パーセントの効果を発揮する事もあるのだ。
「……世話になったな」
レイナへの事情説明が終わり、人間よりも偏見の無い魔族達は獣人達と早速打ち解けていた。『ラウンドナイツ』の面々は顔馴染みと会話を弾ませ、『ディッパーズ』や『W.A.N.D.』のみんなは獣人達と揃って集落を案内されていた。
それらを眺めつつ、アーサーとヘルトはクラークとユリと話をする。
「いや、結局こんな解決方法しかなかった。本当は『人間領』でみんなが生きられたら良かったんだけど……」
「それは仕方ない。今の『人間領』は獣人達にとって安全とは言い難いし、それにここだって良い場所だ。みんなも馴染んでる」
「クラークも残るんだよな?」
「ああ、今更離れるなんて考えられないからね。君達には感謝してる。すぐに戻るのか?」
「ぼくらには次の仕事が待ってるからね」
暗に次の仕事が決まっているという意味深な台詞にアーサーは少し辟易として来るが、それは置いておいてユリの方を見る。
「いつか、『人間領』でも普通に獣人が暮らせるようにするよ。約束する」
「ええ、あんたは約束を守る人間だしね。だから傍で見させて貰うわ」
ん? と三人の男が首を傾げる中でユリは表情一つ変えずに言う。
「私は戻る。あんた達と一緒に『人間領』を見るわ。みんなが安心して暮らせる場所かどうか見定める為にもね。どっちみち『ディッパーズ』って隠れて暮らしてるんでしょ? 私一人増えても問題ないわよね。っていうか結祈達には許可貰ったから」
つまりこれは事後報告という事だろう。ユリが『ディッパーズ』に付いて来る事は確定事項らしかった。
言いたい事を言い終えたユリは獣人達との別れのあいさつに向かい、クラークも二人と握手を交わした後でユリに付いて行った。
「……結局、俺達が彼らに出来る事なんてこれが限界か」
外の世界に連れ出すなんて息巻いて、結局は『魔族領』に避難させただけ。後の事もレイナに任せるしかない状態で、いつ『人間領』に存在を公にできるか分からない状況だ。
確かに命と尊厳は守れたかもしれない。だけど出来たのはそれだけだ。結局、暴力で解決出来る事なんて僅かしかないのだろう。
「ま、それが落としどころとしては最適だろう。『W.A.N.D.』長官のぼくが弱みを握っていれば、ロンバート・ウォード=キャンサーの動きを抑制できるしね。ま、向こうも向こうでぼくが犯罪者であるきみ達と行動を共にしていた事を突いて来るとは思うけど。だから一応、これはきみが預かっておいてくれ」
そう言って異空間から取り出したのは最後の『獣人血清』が入った容器だった。アーサーは黙って受け取る。そもそも非合法な代物の血清を、いくら弱みとはいえ『W.A.N.D.』長官のヘルトが持っていると体裁が悪いとの事だった。
それを受け取りながら、アーサーはヘルトの言葉の意味を考えて眉をひそめる。
「……痛み分けって事か?」
「行動を抑制するなら、片方が一方的に弱みを握っているよりは銃口を突き付け合っていた方が良い。その方が無駄に腹を探られなくて済むしね。それに正しい行いをしたつもりだけど、やっぱり法律的にはぼくらの今回の行動は問題が多すぎる」
ヘルトが言いたい事は分かる。結局の所、いつもそれが付きまとうのだ。
そもそも大前提として、正義は悪よりも脆弱だ。ルールを無視して悪逆の限りを尽くす悪に対して、正義はルールに縛られる。悪はじゃんけんで全て出せるのに、正義はグーしか出せないようなものだ。
そんな不利な状況で誰かを助けるには、こちらもルールの外側に出るしかない。例えそれで悪党になるとしてもだ。
「……結局、正しさってやつは何なんだろうな」
「それこそ千差万別だ。明確な答えなんか無い。もし世界が明確に善と悪で区別できるような分かり易いものだったら、ぼくやきみのような人間は生まれなかっただろうね」
あるいはそれこそが真に平和な世界かもしれない、とアーサーはヘルトの言葉で思った。というよりヘルトの言葉から、彼がそう感じていると受け取った、と言った方が良いかもしれない。
自分達は本来世界に必要ない。彼らは頭の何処かでそう考えている。
「……ふと、考えた事は無いか? もしかしたら俺達が動かない方が平和に繋がっていたんじゃないかって」
「仮にそうだとして、きみは目の前の命を見殺しに出来たか? どんな選択をしたとしても、ぼくらはこの荒野を進むしか無いんだ。きみだって分かっているだろう?」
「……まあな」
停滞するのは止めた。
例え失敗しても、間違えたとしても、それで後悔はしても停滞はしないと決めた。次の誰かは救えるように最善を尽くすと。人助けを生業にしていても、全員を救える訳じゃない。それは自分を見失わない為に、絶対に忘れてはならない事だ。
「という訳でこれ。きみへ頼む次の仕事だ。ぼくは別件で動くから今度はきみ達だけで頼む」
そう言って渡して来たのはUSBだった。詳細は後で確認しろという事だろう。
「早速か……次はどこだ?」
「『バルゴ王国』だ。きみは『ノアシリーズ』という言葉に聞き覚えは?」
「いや、無いけど……」
「名前に『N』を持つ者達の事だ。きみの仲間にもいるだろう?」
ヘルトが言っているのはネミリアの事だろう。彼女の名前はネミリア=N。確かに条件には当てはまる。けれど彼女だけではない事には気づいていないようだった。
メアリー=N=ラインラント。それがメアの最初の名前だと本人が言っていた。つまり彼女もまた、名前に『N』を持っているのだ。
「その『ノアシリーズ』と呼ばれる者達の行動が水面下で行われているらしい。ただ『W.A.N.D.』を動かせるほどの証拠は揃っていないし、『ナイトメア』にも別件がある。だから自由に動けるきみ達が直接行って調査してくれ」
「何事も無い可能性もあるのか?」
「少しはね。その場合は身バレに気をつけて軽く観光でもしたらどうだ? 『バルゴ王国』はそういった点で見るなら最適だ」
つまり仕事は仕事でも、半分は今回の協力に対する慰安みたいなものだろうか。とはいえ『担ぎし者』のアーサーには慰安になる可能性はほぼ無いが。それはヘルトも分かっていて言っているのだろう。
だがそれよりも、この仕事にはアーサーにとって別の好機があった。
(『ノアシリーズ』……もしそれがネムの同郷なんだとしたら、救う手立てが見つかるかもしれない!)
二〇年後の世界のラプラスから貰った警告。ネミリアが死にかけており、それを見捨てる事で未来を変えられるという話。
けれど『ノアシリーズ』が同郷なら、死にかけているネミリアを救う手立てが見つかるかもしれない。そして同時に、世界滅亡を食い止めるチャンスだってあるはずだ。
「それから『阿修羅黒無想』の事だけど、あれはぼくら二人だけの秘密にしよう。どうやってクピディタースを倒したのか訊かれたら『双魔大成』で倒した事にしてくれ」
「理由は?」
「切り札にしたい。あれは強力だけど弱点が分かり易いからね。きみの仲間達が漏らすような真似をするとは思ってないけど、誰かの耳に入るリスクは極力避けたい。……多分だけど、あの力が必要になる時が遠くない内に来る。だから絶対に誰にも言うな。勿論、『一二災の子供達』にもだ」
「そこまで念を押さなくても……」
「きみは信用ないからな。人の忠告を無視して彼女との関係を深めたようだしね」
「っ……」
まだ仲間の誰にも言っていないラプラスとの関係を指摘されて、思わずアーサーは体をビクッと震わせるほど驚いた。
それに対してヘルトは肩をすくめて、
「見れば分かる。きみは彼女を危険に晒すと知って関係を深めた訳だ。もう『仕方がなかった』じゃ言い訳できないぞ」
「する訳がない」
そこだけは強い語気でアーサーは否定する。
「これは俺が自分の意志で選んだ答えだ。誤魔化すつもりはない」
「……相も変わらず、きみは度し難いほど愚かだね。ぼくには理解ができないよ。ぼくらみたいな人間に、大切な人を作る資格なんて無いだろうに」
「お前は理解できてない訳じゃないだろ。理解した上でなお、それを認めようとしてないだけだ」
そう言って、アーサーは握り締めた右拳をヘルトに向けて告げる。
「だからいつか、俺がお前の凝り固まった思考をぶっ壊してやる」
それに対し、ヘルトは開いた右手をアーサーの方に向けて答える。
「やれるものならやってみろ。まあ到底無理だと思うけど」
結局の所、アーサー・レンフィールドにとって当たり前の事がヘルト・ハイラントにとっては当たり前ではなくて、ヘルト・ハイラントにとっての当たり前がアーサー・レンフィールドにとっては当たり前じゃないだけ。
似ている点があるのは分かっている。けれどやはり平行線。永遠に交わる事はない近くて遠い道を歩く同族。
だから、これで良いのだ。
互いに最大の武器を相手に突き付けながらの言葉の応酬。
これくらいの関係が、丁度良い。
◇◇◇◇◇◇◇
外で交流する者達が多い中で、その二人はわざわざ人目を忍ぶように家の中で話をしていた。
「レイナ。例のものはできた?」
「ええ、言われた通りドヴェルグに頼んで作って貰いました。あまり気は進みませんでしたが……」
「でも必要な事だから」
少しぶりの再開とはいえ、紬とレイナの会話には不穏な雰囲気があった。
レイナが取り出したのは細長い刀袋だ。受け取った紬が中を確認すると、一振りの刀が納められていた。それを出して刀身を少し抜いてみると、魂に浸食してくるような桜色の妖しいオーラを放っている。
「これが妖刀『紅桜』。……頼んでおいた能力もちゃんと秘めてるみたいだね」
「余計なお世話かもしれませんが、使いこなせる人材に心当たりはあるんですか?」
「勿論、ぴったりの子がいるよ」
そう断言して、刀の確認も出来たのですぐに刃を鞘に納め、刀を袋の中に戻して紐を肩にかける。それは今すぐにでも移動を始めようとしているようだった。
「アーくん達には、あたしは療養の為に動ける内に『魔族領』の奥に行ったって伝えておいて。心配も要らないって」
「また嘘ですか……アーサーにした過去の話も嘘だったのに、これ以上嘘を重ねる気ですか?」
「ならもっと酷い真実を言えば良かった? 今の彼に変な気を使わせるつもりはないよ。……それに全部が嘘だった訳でもないしね」
アーサーとの顔合わせがあった夜、彼に話した過去の経験。
全てが嘘だった訳ではない。けれど真実を話していた訳ではない。人が良いアーサーはそれを真に受けていたが、紬はあの時のアーサーに話しても意味が無いと知っていた。だから隠したのだ。
必要とあらば平気な顔をして嘘をつく。普段の飄々とした態度の裏に隠された、これが彼女の本性だ。
「あたしはあたしの落とし前をつけたい。これはあたしがつけなくちゃいけないケジメだから」
「……ローグさんも言っていたように、あれはあなたのせいではないんですよ?」
「分かってる。……でもこんな穢れたあたしの事を仲間と呼んでくれたみんなの為にもやり遂げないと」
そしてすぐに全身に光を纏う。それは誰にも捕まえられないスピードで行ってしまう合図だった。
レイナは今更自分の言葉で紬の中の固い何かを変えられるとは思っていない。それでもこの集落全体の母として、言葉を投げかけずにはいられなかった。
「……アーサーやフィリア達には話すべきです。彼らならあなたの力になれますから」
「だからだよ。この問題にみんなは巻き込まない。例え同じ地で再開する事になっても……対立するなら戦うしかない」
不穏な言葉を言い残して、紬は光速でレイナの前から消えてどこかへ去っていった。
彼女が消えた跡を見て、ふと思う。
「……やはり、あなたが一番アーサーに似ていますよ。一人で背負い込む所も、妙な所で頑固な所も」
◇◇◇◇◇◇◇
人間と魔族と獣人の全員が思い思いに行動している中で、アーサーとヘルト、紬とレイナ以外にも二人で密会している者達がいた。
「クロノ。これが言われていた品だ」
「ああ、助かる」
人目に付かない場所で嘉恋がクロノに手渡したのは、青く発光するエネルギーを内包する円筒型のケースだった。『獣人血清』の容器に似ているが、その中身は全く違う。
その容器の中身の正体は、『W.A.N.D.』が保有する『箱舟』の『魔神石』のエネルギーだ。クロノはその容器を誰にも見られないように何も無い虚空に開いた異空間に仕舞う。
「それで、何に使うつもりかは聞かせて貰えないのか? 少年には秘密でとなると聞いておきたい」
「脅威に備える為だ。これの事も、あの二人を組ませた事も、全てはこれから来る本当の災厄に備える為に必要な事だった。だから例の件も助かった」
「……私がやったのは、少年に『キャンサー帝国』に不穏な動きがあると伝えただけだが?」
「ヤツが知れば独自に調べて真実に辿り着く。そうなれば同盟関係のアーサーと協力して立ち向かうのは分かっていた。『獣人血清』でアンソニー・ウォード=キャンサーが手を付けられないほど強くなる事も、それを倒す為にあの二人が成長する事も全て予想通りだ」
彼女はあくまで『時間』を司るのであって、『未来』のように先を見通している訳ではない。
だからこれは技術だ。五〇〇年という経験則、それに裏打ちされた未来予知に近い行動分析。昔は単純に未来へ跳んで結末を見る事もしていたが、今はこれが彼女のスタイルだ。
「……そうまでしてあの二人を組ませた理由はなんだ?」
「確かめておきたかった。ヘルト・ハイラントは単独でも破壊的な戦闘力を誇るが、実際は中距離タイプで援護にも向いている。根っからの近接タイプのアーサーとは相性が良い。そしていずれ来る大きな戦いにあいつらの力は不可欠だ。だが原石のままでは絶対に届かない。もっと研ぎ澄まされた力が必要だ。何者にも負けない、この世界の理すら砕けるような、そんな常識外れの力が。それがお前の問いに対する答えだ」
実力を上げるのに最も適しているのは実戦だが、その中でも同じレベルの相手と切磋琢磨するのが最も効果的だ。アーサーとヘルトはその条件に当てはまる。二人で協力して個々では歯が立たない強敵に立ち向かえば、必ず成長するという確信がクロノにはあった。
「ダイヤを磨けるのはダイヤだけだ」
それはかつて、クロノがとある人物から五〇〇年前に聞いた言葉だった。
正しい言葉なのかどうかは分からない。けれど今回は上手く行った。二人の主義主張に違いはあれど、一つの事実として戦っている最中に息がピッタリなのは否定できない。
戦闘において互いに動きを指示したい時、相手の名前を呼ぶだけで完結している場面が幾度もあったのだ。おそらく二人はその凄さを自覚していないのだろう。というか実際に意識してやっている事ではないので、その凄さが解らないのだろう。二人の場合は単に指図されるのが気に食わない程度にしか思っていないのかもしれないが、それは長年共に切磋琢磨してきた者達が踏み込める領域だ。初めてと言っても良い共闘であっさりと出来る代物ではない。
(全てはやがて来る『本当の災厄』に備える為に。……それに目的は同じとはいえ、手段が違うあいつも動き出している頃だしな)
クロノが不意に見つめた先にあるのは『人間領』の中心地。そこにそびえ立つ『W.A.N.D.』本部もある巨大なビルだ。
「……言い得て妙だな」
クロノの視線の意図には気付かず、嘉恋は微妙な表情でそう言った。
硬すぎる信念が交わる事はない。けれど互いに磨き合い、研磨する事はできる。
二つの原石。その輝きは一体、どこまで磨きがかかるのだろうか。