397 ヒーローとしての責任
アーサーとヘルトを吹き飛ばしたクピディタースは勝利を確信し、踵を返して上に向かおうとしていた。けれど数歩進んだ所で、獣人の第六感が背筋に悪寒を走らせた。
その次の瞬間、なんの前触れもなく唐突に右腕が肩口から容易く斬り飛ばされた。
「なっ……に……?」
振り返ったクピディタースが見たのは、静かな殺意を放つアーサーだった。そして自分の身に何が起きたのかを悟る。
答えはアーサーの今の姿にあった。それは『阿修羅』を発動するアーサーが、ヘルトの『黒無想』を外套のように身に着けた姿だった。
アーサーの呪力纏衣『阿修羅』と、ヘルトの呪力包衣『黒無想』の混成。
その名を―――呪力双衣『阿修羅黒無想』。
今、何の抵抗もなくクピディタースの腕を斬り飛ばされた事から明らかなのは、アーサーの『力』を破る能力と、ヘルトの『万物両断』の能力が合わさっているという事。それはそのまま『力』による障壁も物理装甲も砕く、防御不能の攻撃を意味している。
「チィ―――舐めるな!!」
こうなってからは珍しい怒声と共に拳を叩きつけると、再び周囲から蠢き回転する骨の棍棒が波のように襲い掛かる。
先程までのアーサーなら成す術もなく、苦し紛れの抵抗をするしかなかっただろう。けれど今の状況は先程までとは全く違う。
「無駄だ」
アーサーが腕を横に一振りすると、身に纏う外套から赤いオーラの輪郭を持つ無数の黒い帯が縦横無尽に駆け巡り、クピディタースの攻撃をバラバラに斬り裂いて行く。
それだけでは行動を終わらせない。ヘルトの最後の手段『阿修羅黒無想』が有効的なのは僥倖だが、このままではアーサーは何の役にも立てていない。今こそヘルトとは違う最後の手段を使う時だ。
呪力で強化された身体能力で一直線に向かうのは、地面に突き刺さったままのヘルトの剣。何かをすると察知したクピディタースから骨の棍棒による妨害が入るが、黒布で斬り細いて退けると右手で地面から剣を引き抜く。
その剣にはヘルトの手を離れる直前まで膨大な魔力が集束されていた。そして魔力は霧散する事なく固定されている。その魔力を右手の力で掌握し、自身の体の中へと流していく。
ヘルトが集束した膨大な量の魔力に、アーサーは自身が集束させた自然魔力に掛け合わせていく。
その名を―――『天衣無縫・双魔大成』。
二人の魔力と呪力、それぞれの混成を身に纏ったアーサー。ただでさえ『黒無想』のリスクは無いというのに、人一人では到底練り出せない膨大な量の魔力を行使できるのだ。反則と言わざるを得ない。
「ふざけるな……」
まるで漆黒の騎士とでも形容できる今のアーサーの佇まいに、クピディタースは気付いたら口を開いていた。そして湧き上がる激情に身を任せ、アーサーに向かって飛びかかると必殺の威力を持つ拳を振りかぶる。
「ふざけるなァァァああああああああああああああああ!! 俺は全生物の頂点の位置する帝王だぞォォォおおおおおおおおおおおおおおお!!」
そこにあったのは単なるプライドだったのかもしれない。けれど全生物の頂点に立った者にしか分からない何かがあったのは事実だ。
たとえ薬を使ったものだったとしても、クピディタースの進化は真っ直ぐ突き抜けたものだった。もしかしたら人類がやがて辿り着いていたかもしれない可能性の一つ、欲望という混じりけの無い純粋な想いの延長線上。誰からも認められず、否定され、顔を背けられたとしても、誤魔化しのできない真っ直ぐな人間性。
「……お前が国の為、自分達の幸福の為に戦っているのは分かった」
だけど、アーサーとヘルトのこれは違う。魔力の混成『天衣無縫・双魔大成』と、呪力の混成『阿修羅黒無想』。どちらも自分達の力で辿り着いたものだが、今のアーサーが立っている位置は斜めに突き抜けた場所だ。どれだけの時間をかけても人類が辿り着くはずのない、異端で異質で未踏の領域。
そんな化物は、怪物の拳を前に出した左手で軽々と受け止めた。激しい衝撃が周囲に広がるが、アーサーの立ち位置は変わらず表情は崩れない。
「なら俺は、その幸福の為に虐げられてきたみんなの為に戦う」
そして目の前のクピディタースに向かって、肩に担ぐように構えた剣を真っ直ぐ振り下ろす。『阿修羅』の力と二人の掛け合わさった魔力の一撃は魔力障壁などでは防ぎ切れず、『万物両断』の力はクピディタースをまるで紙きれのように斬り裂いた。さらに無数の黒布で追撃を加えるが、それを察知したクピディタースは後ろに跳んで躱した。
戦いの中の一動作とはいえ、苦々しく思っているアーサーから逃げたという事実がさらにクピディタース自身のプライドを傷つけていく。
「クソがッ……お前達の行動は世界を混乱に陥れる! 獣人達を施設の外に出してどうなるか考えないのか!? 待っているのは魔女狩りだ! 全員殺される。なら実験動物として生きている方がヤツらも幸せだ!!」
「お前が獣人達の幸せを語るな。……ああ、お前達の方が正しいなんて百も承知だ。長として自分の国を守り、世界に誇れるものにする。その考え自体は間違ってないと思うよ」
世界を混乱させない為に国を救った二人の英雄を追放した、マーカス・リチャーズ=ジェミニ。
自国の為に魔族を蹂躙しようとした、フレッド・グレイティス=タウロス。
エルフという種族の存続の為に今を生きるエルフ達を犠牲にしようとした、ヴェルンハルト・フィンブル=アリエス。
混迷する世界へ順応するために魔族と手を組んで反乱した、オーガスト・マクバーン。
きっと、彼らは正しかったのだ。
自らの国の大勢の者達の為に、他国の者達や少数の犠牲を許容する。それこそが真の王たる行動なのだろう。そういう冷酷さが必要なのは否定できない。
民の為に自分を犠牲にして生きる、アリシア・グレイティス=タウロス。
未来よりも今のエルフを守る道を選んだ、フェルディナント・フィンブル=アリエス。
妹一人の為に世界全てを敵に回す覚悟をした、セラ・テトラーゼ=スコーピオン。
弟を見殺しにされた復讐の為に世界から魔力を消そうとした、ダイアナ・ローゼンバウム=サジタリウス。
親友の為に自ら進んで幽閉の身となった、アクア・ウィンクルム=ピスケス。
その誰もが心根は優しく、人間としては好感を持てる。しかし一国の主として見た時、その行いは自身の欲望に沿っている事は否定できない。
だから色眼鏡無しに真っ向から見た時、アンソニー・ウォード=キャンサーの在り方は王としては正しかっただろう。
「でも、その正しさの裏には必ず誰かの死と涙がある。お前達の考え方は人の命を数字にする。……でもさ、当たり前の事かもしれないけど、その一つ一つの命に人生があるんだ。それは人間だけじゃなくて、獣人や魔族だって変わらない。お前らがそれを見てみぬフリをして、より多くの人の幸福の為に動くならそれで良い。でも『ディッパーズ』はそうして見捨てられた人達の為に拳を握る。誰一人、どんな命だって見捨てない。理不尽に成す術のない人達の為の救済手段として、みんなが呼んでくれるようなヒーローとして」
ヒーローが何なのか。正義とは何なのか。その明確な答えは存在せず、きっと人の数だけ存在するのだろう。かつてローグはヒーローと呼ばれる者達の特徴を述べていたが、それだけが全てとはアーサーは思わない。
我が身の危険を厭わずに多くの者を助ける者はヒーローだが、きっと少数の者を助ける者だってヒーローになれるはずだ。
「だから俺達は何度だって拳を握って『正義』と戦うんだ」
誰だってヒーローになれる、特別な事をしなくても。
それがアーサーなりの答えだ。
「相も変わらず世迷言をずらずらと。良いか、命の価値は平等なんかじゃないんだよ! 生まれた瞬間から明確な序列が存在している。それを上手く使う事が俺達に課された責務なんだ! 貴様らはそれを妨害しているだけだ!!」
「……やっぱりお前とは理解し合えないな」
分かり切っていた事を呟いたアーサーは地面を蹴った。今の状態なら攻撃の全てが必殺になる。すでに近接で優位なのはこちらの方なのだ。
『天衣無縫・双魔大成』によって強化された肉体は一足でクピディタースの懐に飛び込み、振り下ろされる拳を『万物両断』の力を持つ剣で下から迎え撃つ。けれどクピディタースはアーサーに腕を斬られる前に自切し、剣が通り過ぎた瞬間に再生させる。それはまるで剣が腕をすり抜けたと錯覚するほど滑らかな所作だった。アーサーはたまらず左腕を額の前にかざして拳を受け止める。
(こいつ……ッ、もう適応したのか!?)
流石は全生物の頂点を自称する事はある、適者生存という自然界のルールに最も適応した存在だ。おそらく『阿修羅黒無想』の力に適応はできないだろうが、それでも今のように別の対抗策を講じ続けられれば優位は再びひっくり返るだろう。色々な事情を踏まえても時間をかけている余裕は無い。
流石に上から押し込まれ続けるとキツイので、アーサーはもう一度剣を振るって今度こそ腕を斬り裂く。さらに黒布を操って無数の帯を真っ直ぐクピディタースに飛ばすが、こちらは察知されて躱された。
「逃がすかッ!!」
しかし時間が無いと分かっている以上、そう何度も攻撃を躱される訳にはいかない。アーサーはクピディタースが逃げた先を感知すると、そこに向かってヘルトの剣を思いっきりぶん投げた。まさかの攻撃にクピディタースの反応が一瞬だけ遅れたが、それでも真っ直ぐ飛来する剣を躱せないほどではない。ぎりぎりの所で身を捻って躱すが、脇腹の辺りを通り抜けて行くはずだった剣の軌道が急に変わり、横っ腹に刃が食い込む。
その謎の挙動の原因は剣の柄に巻き付けられた細い黒布だった。その攻撃の効果は黒布で攻撃した時と変わらないだろうが、真っ直ぐ飛ぶはずだと思っている剣が途中で曲がれば、それは敵の意識外から攻撃できる回避不能の一撃となる。
その事を脇腹に突き刺さった剣を見てすぐに察したクピディタースだったが、剣に注視していたその一瞬をアーサーは見逃さない。無数の黒布の帯を渦巻き状に操ると、それは狭くはないが広くもない地下施設の通路を埋め尽くすドリルとなってクピディタースに向かって行く。
けれどアーサーにとって予想外だったのは、触れたものを細切れにする『万物両断』のドリルにクピディタースが躊躇なく飛び込んで来た事だった。肉片や鮮血を撒き散らしながら全身が細切れになっても足を止めないクピディタースが黒布のドリルの壁を抜けてこちら側に来ると、すぐに全身を再生させてアーサーへと飛び掛かる。それに対してアーサーは右手に『双魔大成』の魔力を集束させて迎え撃つ。
全生物の帝王の拳と、二人のヒーローの力が合わさった拳が衝突し、地下を大きく揺らす衝撃が全方位に吹き荒れる。
その嵐の中心で、それを引き起こした両者は負けじと拳を押し込み続けながら叫ぶ。
「アンタらは王様としては正しいのかもしれないけど、人間としては間違いだらけなんだよ!! お前はいつ心を捨てた? いつから自分は特別だと思い込んだ!?」
「ハッ、今更何を言ってる。俺は生まれた時から特別だ! 俺達は支配する側で、お前達は支配される側なんだよ!!」
「お前ら王様が普通の人と違うと思うなよ!! お前らだって俺達と何も変わらない、一つの命を持った人間なんだ!! アリシアも、フェルトさんも、セラも、ダイアナも、アクアも。王様としては未熟かもしれないけど、それでも人間としては正しかった! お前達とは違って、誰かの命を大切に思う心を持っていた!!」
「それが何の役に立った? 国を危険に晒しただけじゃないのか!? 俺達には国を存続させる義務がある。それを放棄した王など愚民以下だ!!」
「語るに落ちたなクソ野郎! その民あっての王だろうが!!」
「王族でもない愚民が知ったような口を利くな!!」
均衡状態を破るように両者は空いている左手も振りかぶって前に突き出す。今度の接触で発生した衝撃に、二人の体は反発した磁石のように勢いよく吹っ飛んで行く。
クピディタースは体の内側から出した骨、アーサーは黒布を地面に突き刺して体制を整えると着地した。
「人の上に立ってみんなを導くのは、絶対に俺やお前なんかじゃない」
殺意と敵意の視線をぶつけあって、アーサーは黒布で操っていた剣を自分の手の中に戻しながら告げる。
「誰かの痛みに共感して涙を流せて、誰かの幸せに屈託のない笑みを浮かべられるような、そんな愚直で馬鹿な善人が真っ直ぐみんなを導いていける世界じゃないと、私利私欲が支配する世界なんかじゃ誰一人だって救われないんだよ!!」
それはもしかすると、現実を見ていない子供の戯言なのかもしれない。
アーサーだって全ての人々を救えるとは思っていない。けれど救える可能性のある人達が、理不尽に遭う必要もない人達が、誰かの都合で酷い目に遭っているのは見過ごせない。たとえ普通の人が見てみぬフリをするとしても、異常者として迫害されたとしても手を差し伸べたい。
大多数の幸せの為に犠牲になる少数を助け、大多数の幸せを否定する。そう言ってしまえば、アーサーの人助けの信条は悪でしかないのだろう。
「その頂点は、俺達なんかには務まらない」
正義と悪なんて、立場や状況で簡単に変わる。
そんな事は分かっていても、やっぱりアーサーにはクピディタース……いいや、アンソニー・ウォード=キャンサーの行いは許しがたい悪だった。いくら人間ではない獣人だとしても、自分勝手に命を生み出して利用して良い道理は無い。それが大勢の幸福に繋がるとしても、断じて許容する事はできない。そんな幸福なんてクソ食らえだ。
だからこそ、ただ一人の人間として王族である彼に突き付ける。
「どんな綺麗事を吐き出しても、結局のところ暴力しか解決手段を持たない俺達なんかじゃ、一生立つ事はできない気高い場所なんだ!! だから俺はみんなを守る盾になる! 戦って退ける剣になる!!」
そう言ってアーサーが意識を向けたのは、右手に握るヘルトの剣ではなく左手の五指だった。開いた手に黒布がまとわりついていき、その手を真っ黒に染め上げる。
「その為に、俺はお前をぶっ飛ばすッ!!」
荒げた声と共に左手を真横に振り抜くと、普通に考えれば届く距離ではないのにクピディタースはそれを躱そうと上に跳ぶ。けれどアーサーの攻撃はその程度では躱せない。漆黒の五指から剣のように黒布が伸びてクピディタースに襲い掛かる。
「―――『双王黒神剣』ッ!!」
それは混じり合わせた二人の呪力、それをさらに合わせた最強の一撃。空気すら斬り裂くような一撃がクピディタースの上半身と下半身を問答無用で両断する。
けれどクピディタースもそれだけでは終わらない。下半身を再生させる時間すら惜しみ、体から出した骨で地面を押して空中へと飛び上がる。そして『阿修羅』の力の影響で回復が遅いながらも下半身を再生させながら右拳を握り締めると、それが膨張して体よりも大きな拳となる。
「ぶっ潰れろォ!!」
そしてクピディタースは歪に巨大化した拳をアーサーに振り下ろした。アーサーは剣の腹を手で押さえ、拳を頭上で支えるように受け止めた。少しでも気を抜いたら即座に押し潰されてしまいそうな重圧に歯を食いしばって耐える。
「お前はいつもいつも、世界を救っている気になって国を滅亡へ追い込んでいるのが分からないのか!? 『タウロス王国』からずっとそうだ。本物の王を失脚させ、理想ばかり追いかける馬鹿をトップに据えた! あんなに吐き気がする『一二宮会議』は初めてだった!!」
「それ、で……? 何が……言いたい!?」
「お前は世界にとって害悪だ! 『協定』違反をするずっと前から、お前は根っからの悪人なんだよ!! お前が戦う度に本当に正しい人間が死ぬ。俺の同胞が消えていく! だから俺達の世界の為に、ここで潰れて死ねッ!!」
「ぐっ……潰されて、たまるか……ッ!!」
クピディタースの力が増していく。しかしアーサーも折れない。体一つと剣一本。それがアダマンタイトよりも硬く強靭で倒れない。クピディタースの力が増していくように、アーサーの力もそれ以上にどんどん増していく。
彼の言う正しい人間は、彼にとって都合の良い人間に過ぎない。彼の言う世界とは、彼自身が優位に立ち回れる狭い範囲でしかない。それを許容してしまえば、叛逆する意志が潰えてしまえば、この世界は多くの者にとっての地獄でしかない。
だからアーサーは逆らう。何度でも何度でも、もっと多くの人と彼らが暮らす広い世界を守る為に。自分の目で見て来た心優しい人々を救う為に。
「勘違いしてるみたいだからこの際ハッキリ言ってやる!! 俺はいくつ国が亡ぼうが、お前の言う世界がどうなろうが、どうでも良いんだよ!!」
世界そのものの為に戦った事なんて一度も無い。いつだってアーサーが言う世界とは、そこに住む人々の事だった。誰かを助けたいと思って、だから彼らの住む場所を守ろうとしてきた。かつて自分がして貰ったように、命と心を救う為に。
「ああ、そうだ。俺は確かに悪人だ! それでも俺は、世界よりそこに住む人達の命と心を取る!! 色んな事があって、状況も立場も色々変わったけど! 俺が守りたいと思うものは最初の最初から何一つ変わってないんだよ!!」
こうして戦っている時、思い出すのはいつも守りたい相手や大切な人々の顔だ。
戦って来たのは、大切に想う人達を守りたかったから。
旅を始めたのは、妹達のように人の命と心を救いたかったから。
初心は忘れていない。忘れた事なんて一度も無いし、忘れる事なんてできない。魂の一番深くに刻み込まれた原点を、忘れる事なんてできやしない!
だから!!
「だから俺は潰されないし、今ここで、お前の全部をぶっ潰すんだよォォォおおおおおああああああああああああああああッ!!!!!!」
一際大きな声を上げて、アーサーはクピディタースの巨大な拳を弾き飛ばした。
あの日、あの時、『ジェミニ公国』で魔族に立ち向かったのはみんなを守る為だ。『タウロス王国』でフレッドに立ち向かったのも、『アリエス王国』で魔族と戦う事を選んだのも、その後の選択も全て誰かを守る為。
それは見えもしない未来よりも、目の前で脅かされている命を見ていたから。だから行動の結果を悪だと言われても、それで救えた命があるなら後悔はない。そのせいで将来、別の誰かの命が脅かされるならまた拳を握るだけだ。
それはもはや、善悪の環を超えた話だ。目の前で失われる命があるなら救う。その終わりの無い繰り返しの円環の中で藻掻いて生きて行くのがヒーローなのだろう。まるで巨大な装置の歯車のように、錆び付いて動きを止めてしまうまではただひたすらに前へ。
闘争は一度始めたら終わりが無い。スゥに言った言葉の中には、そういう責任を取り続けるという意味も含まれている。
(ここだ!! 決めるならもう、ここしか無いッ!!)
渾身の一撃を弾いたその瞬間、明らかな動揺と共にクピディタースに隙が生まれる。
二人のヒーローはその隙を絶対に見逃さない。
『阿修羅黒無想』はアーサー・レンフィールドとヘルト・ハイラントの呪術の混成にして、二人にとって最強の技だ。その一撃は何者にも防げず、阻めず、敵対者を容赦なく両断する。
ヘルトはアーサーの『阿修羅』を纏った攻撃がクピディタースに有効だと気付いた時には思い付いていた。それなのに、何故この土壇場まで使わなかったのか。それは単に信頼関係の問題だ。
『黒無想』を発動中、その代償としてヘルトは魔術などの呪術以外の『力』を一切使えない。それは『黒無想』を誰が纏っているかではなく、発動しているヘルト自身が負うリスクだ。つまりアーサーに全ての黒布を託した状態のヘルトは、魔力による身体強化がされていない無防備な状態になるのだ。その時にヘルトが攻撃されてやられれば『黒無想』は解け、状況は元に戻る所か最悪に落ちる。『阿修羅黒無想』は強力だが、弱点に気付かれれば終わりの諸刃の剣なのだ。だからヘルトは最後の手段と位置付けていた。
(……だけど、一つだけ抜け道もある)
それは『黒無想』の代償で使えなくなる対象に呪力は含まれていないという事だ。つまり『黒無想』に使っているものと同じ呪力ならば使う事ができる。無論、アーサーに託した『黒無想』にはありったけの呪力を込めた。今からべつの呪術や身体能力の底上げに使う余力は残されていない。
けれど、すでに呪力を使って行使した呪術ならば話は変わる。
(使うならここだな……)
そう決意したヘルトの体から不意に呪力が溢れ出す。アーサーに呪術の存在を教えられ、制約を魂に誓約し、今まで使わなかった力。
……いや、その表現は相応しくないだろう。
なぜならヘルトは呪術を使っていなかった訳ではなく、気付かれていなかっただけで体得した瞬間から今の今までずっと発動していたのだから。
その最後の手順。ヘルトはクピディタースを睨みつけながら祝詞のように唱える。
「これは絶対不可避の報復。全てきみの自業自得だ。甘んじて受け取れ―――『復讐するは我にあり』!!」
その言葉の直後、遠くにいるクピディタースに明確な変化が起きた。アーサーが何か攻撃をした訳でも、ヘルトが割り込んで攻撃した訳でもない。ただ唐突にクピディタースの全身に傷ができ、あらゆる場所から血が噴き出したのだ。
アーサーのように分かり易くない、ヘルトならではの気づいた時には手遅れの陰湿な呪術。そういう面で見るならば、やはりアーサーよりもヘルトの方が呪術の才能があるのだろう。
ヘルトが仕込んだ呪術は、『敵と認識した瞬間から発動するまでの間、その相手が他者に与えた傷をそのまま返す』という呪詛返しからイメージを受けた力だ。ある程度の傷を受けなければ意味がない上にダメージも等倍の呪術なので制約も軽く、少しでも自身が傷を受けるというものだけで良い。その上でヘルトが受けたものだけではなく、別の誰かが受けた傷も返すというのが肝だ。
(……この呪術は対象が与えた傷が治癒しても関係無い。ぼくやアーサー・レンフィールドは治癒した分も含めてかなりのダメージを受けてるし、彼は他にも大勢傷つけた。おそらくこれでも殺しきれないだろうけど……一瞬くらいは動きを止められるはずだ)
ほんの一瞬、されど一瞬。
好機の瞬間を僅かでも伸ばせれば御の字。同じようにクピディタースの隙を見逃していないアーサーがトドメを刺すには十分すぎる時間だ。
「さあ、決めろ! アーサー・レンフィールド!!」
目の前で全身から血を噴き出したクピディタースに驚きはしたものの、直後に聞こえて来たヘルトの声で全てを悟った。
これはヘルトが作ってくれた金塊にも等しい好機。僅かにできた隙を広げる値千金のフォロー。
やるべき事は一つだけだ。
「ああ……!!」
応じたアーサーは剣を右から左へ真横に振るって両足を根元から斬った。そこから上に振るって右腕を、さらに下に振り下ろして左腕を斬り飛ばす。
三角形を描く連撃で四肢を奪ったが、すぐに再生するのは分かっている。だからヘルトの言う通り、ここで決める為にアーサーは左の腰に剣を構える。
「お前がどれだけ命を踏み台にして―――!」
雄叫びを上げ。アーサーは力強く左足を踏み込み、左下から右上に剣を振るって斬り裂く。さらにその勢いは殺さずその場でぐるりと一回転する。
「謀略を重ねて俺達を追い込もうと―――!!」
そして、今度は右足を力強く踏み込んで左上から右下に斬り裂いた。
瞬く間に八つに分かれたクピディタースの体。その頭部で爛々と光を放つ瞳を睨みつけてアーサーは真っ向から宣言する。
「その全てを踏破して、何度だって俺達が止めてやるッ!!」
そうして、今までやって来た事と同じように。
自分の正しさの為に、誰かの正しさを踏みにじる。
そして、アーサーは剣の柄を両手で握り締めて頭上に掲げた。
「お前が奪って来た命の代償だ! 甘んじて受け入れろ!!」
「二度と再生できないように、元素の塵まで消し飛ばせ!!」
アーサー・レンフィールドが力を借りている自然魔力。
ヘルト・ハイラントが扱う高密度の膨大な体内魔力。
その二つの魔力が剣を中心に混じり合い、暗い地下をどこまでも照らす眩い極光を放つそれを、渾身の力を込めて真っ直ぐ振り下ろす。
「「―――『双璧織り成す救済の烽火』ッッッ!!!!!!」」
ゴウッッッ!!!!!! と。
似た者同士で、だけど平行線の二人。
その両者の魔力を合わせた黄金の集束魔力砲が、まるで邪悪な物が蔓延るこの場を浄化するように、地下施設の中を真っ直ぐ突き抜けて行く。
集束魔力砲の飽和爆発すら超えたその威力に、今度の今度こそクピディタースは耐えられなかった。八つに分かれていた彼の体は、その一撃で二度と再生できないほど跡形もなく蒸発して消えていく。
命を奪い、命を救う。
この痛みを背負って生きて行くのもまた、ヒーローとしての責任なのだろう。そして彼らはその罪により、救われた命がある事も忘れてはならない。それこそが彼らが叛逆を繰り返す、かけがえのない理由なのだから。