44 立ち上がれ
気になる言葉を残して、アリシアはフレッドと何人かの『オンブラ』だけ連れて消えた。おそらく管制室に向かったのだろう。アーサー達は落下防止の手すりの近くで、残った『オンブラ』に囲まれながら一か所に固められて座らされていた。
チラリとドラゴンの方を見ると、頭まで浸かっていた防腐液はすでに胸辺りにまで下がっていた。
アリシア達が消えてから時間も経っている。それなのに出来るのはアリシアが命懸けで作ってくれた安全地帯で黙って全てが終わるのを待つ事だけだ。
「……」
アーサーはその間ずっと、アリシアの問いの答えについて考えていた。それは何となく自分の中で形になっているが、しっかりと口に出して言えるかというと微妙なものだった。
けれどそれにばっかり構っている場合でもない。こちらも早く管制室に向かわないと、すぐ傍にあるドラゴンが動き出してしまう。
ただ。
(……どうしよう)
アリシア達と一緒に何人かは消えたが、それでも十人程度の『オンブラ』は残っている。やはり戦力差は否めない。
となるとこちらも団結して状況に当たらなければならないのだが、
「……」
ニックは黙ったまま俯いていて表情は伺えない。おそらく呼びかけても反応が返ってくる事はないだろう。先にサラの方に話を振る事にする。
「(サラ、お前の『獣化』って動物の力を人間サイズで再現するものなのか? それとも破壊力とかは再現できるのか?)」
「(……それって今重要?)」
「(いいから答えて。それ次第のこの後の行動が決まるんだ)」
「(まあ、あんたがそう言うなら理由があるんでしょうけど……)」
サラはまだ少し半信半疑のようだったが、アーサーの強い語気に何かを感じたらしく、疑問に答えていく。
「(自分で言うのもなんだけど、『獣化』は応用力の高い魔術よ。視力や聴覚みたいな感覚器官は直接変化させなくても使えるし、サイズが変わった場合は破壊力の調整はあたしの意志でできる。まあ本来の破壊力を越える事はできないけどね)」
「(じゃあ今ある『獣化』の中で、この床を全体的に破壊できるほどの破壊力があるものはあるか?)」
「(ないわね)」
「(即答かよ……)」
「(あたしが今登録してるのは四種類で、すでに見せたホワイトライガー、ハネウサギ、それからまだ見せてないけどストーカードッグにグリフォンだけよ。一番破壊力のでるホワイトライガーでもさすがに何枚も重なった鋼板を、しかも全体的に破壊なんてできないわ)」
今聞き捨てならない幻獣の名前が連なっていた気がするが、余裕が無いので聞き流す。それにサラの答えは予想の範疇だったので、親指で後ろにある巨大な水槽を指しながら次の質問をぶつける。
「(それならあのドラゴンを今すぐ登録する事はできるか? それとも『獣化』は死骸から登録はできないのか?)」
「(あのドラゴンを? ……ああ、なるほどね)」
サラも水槽に目を向け、アーサーの考えが分かったようだ。
「(問題ないわよ。そもそもハネウサギとグリフォンも死んでるところを登録したものだし、あのガラスがホワイトライガーの破壊力で壊せれば、アーサーの作戦も実行できるわ)」
「(よし、じゃあ準備を頼む。俺は向こうにも強力を仰がなくちゃならないから)」
向こう、というのは当然ニック達だ。レナートの方はこの状況にだけ危機感があるようで、アリシアの言葉にニックほどのショックは受けていないようだった。レナートが『オンブラ』に入ったのは一年前で、アリシアが消息を絶ったのとほぼ同時期だ。その辺りの時間も関係しているのだろう。
だがニックの方はそうではなかった。うなだれたままの姿勢からピクリとも動いていない。
「(ニック)」
ダメ元で呼びかけてみるが、反応は帰って来ない。それほどアリシアの最後の言葉がショックだったのだろうが、正直今はそんな場合ではない。
「ニック。おい、聞いてるか?」
「なんだ……無駄に喋ってると殺されるぞ。『オンブラ』に容赦は無い」
声の少し大きくしてしつこく呼びかけていると、ようやく反応らしき反応が返って来た。声のトーンは低く、あからさまに落ち込んでいる。はるかに年上の男が落ち込んでいる姿は奇妙なものだったが、今は傷心のニックに優しい言葉をかけて立ち直らせるなんて気持ち悪い事をしてる暇はない。
「今はそんな事どうだって良い、それよりもアリシアの事だ。どうにかしてこの場を切り抜けて助けに行かないと。俺一人じゃこの状況を打破できない。知恵と力を貸してくれ」
「……もう無駄だ。アリシア様は俺達に助けられる事なんて望んでなかった。結局あの人の邪魔になっただけだ。それならいっそこのまま……」
ニックの言いたい事も理解はできる。
アリシアはそもそも自分のやる事を定めていて、それがどんなに受け入れ難いものとはいえ彼女は助けを望んではいなかった。むしろここまで潜入したせいで逆に自分達を逃がすという仕事を増やしてしまった。それに今は倍以上の数の人に銃口を向けられたまま動きを押さえつけられている。ニック自身『オンブラ』だった事もあり、彼らの実力はアーサー以上に熟知しているのだろう。
もしかしたらここで全てを諦めて、流されるままアリシアの意志通りに地上へ帰るのがベストなのかもしれない。これからやろうとしている事は全て蛇足で、そもそも一個人に国なんて大きなものが抱えてる闇をどうこうできる訳ではなかったのかもしれない。
それでも。
「ふざけるなよ、ニック」
その全てを理解したうえでなお、アーサーは吐き捨てるように言った。
「何に絶望して何を諦めようとお前の勝手だけどな、俺達がこうして足止めを食らってる間にも、アリシアのやつは死ぬつもりなんだぞ! それがお前の目指したゴールって事で良いのか? お前は一年間、こんな結末のために頑張って来たのか!? 違うだろ! サーバールームでの意気込みはどこに行ったんだよ!!」
「……だがアリシア様はこの国の事を考えていたのに、俺はそんな事は考えずに自分の事ばかり……」
「それは違うだろ! 一年前を思い出せ。『オンブラ』なんてのに所属していたのにもかかわらず、国王を裏切ってまでアリシアを助け出そうとしたのはなんでだ!! お前がそれを思い出せなくても、俺には分かるぞ!」
「なに、を……」
いくつもの銃口を向けられている中で、それでもアーサーは構わず吠える。
「お前は自分自身に誓ったんじゃないのか!? あんな国王とは違う、本当の意味で国の事を考えてるアリシアを、自分の命をすぐに天秤に掛ける危なっかしいあいつを、他の全てを捨ててでも守ろうとしたからじゃないのか!!」
「……っ」
その言葉で。
今までまったく動かなかったニックが初めてピクリと反応した。
「かつての仲間に言ってやれよ。俺はお前らみたいな国王の傀儡なんかじゃないって。自分達の意志で、この国に絶対に必要なアリシアを救い出したかったんだって! だってお前らは徹頭徹尾、それしか考えてなかっただろ! 今更何を迷ってるんだ!!」
「……おれ、は……」
「お前がやらなくても俺はやる。捕まってる人達もアリシアも、誰一人だって死なせない。絶対に助け出してやる。俺に全部かっさらわれても良いならそこで黙って座ってろ。でも少しでもアリシアを助け出したい気持ちが残ってるなら立ち上がれ!!」
「俺、は……!」
ダン、と音が響いた。
ニックが地面の鋼板に拳を落とした音だった。
ニックの体に再び血が巡る。うなだれていた背筋を伸ばし、今一度アリシアを救い出すべく立ち上がる。
「……ああ。ああ! その通りだ。お前に言われるまでもなく、今更俺があの嬢ちゃんに遠慮する理由なんてなかったんだ! 俺は約束通り、あいつを俺の手段で救い出してやる!!」
「色々吹っ切れたみたいだな。よし、動くぞサラ!!」
アーサーが言った瞬間、サラが水槽目掛けて飛び出した。下手に水槽に穴を開けて防腐液の減りを早くする理由は無い。胸よりも上の、防腐液が抜けている部分にホワイトライガーのものに変化させた拳を叩きつける。
後は水槽のガラスが割れるかどうか、そこが一番の懸念だったが杞憂に終わった。
さすがに一撃で砕くには至らなかったが、サラはハネウサギのものに変化させた足で空中を蹴り、超加速させた拳をヒビ割れた部分に叩き込む事でガラスの壁を突破した。
(たしかグリフォンって宙を蹴って走るんだっけ……? それをハネウサギの脚力と合わせたのか?)
サラ自身が言っていたように、アーサーは『獣化』の応用力に舌を巻く。しかしいつまでもそうやって眺めてばっかりもいられない。アーサーの策で行くと、このままぼーっと突っ立っていると地面の崩落に巻き込まれてしまう。
アーサーは素早くウエストバッグからワイヤーを取り出すと、手すりと自身の体に巻き付けて端をニックに渡す。
「アンタらもすぐ体に巻き付けろ!」
「俺がうなだれてる間にお前らは一体何を企んでた!?」
「いいから早く! 崩落に巻き込まれるぞ!!」
こんな状況でも言い合いながら、やや手間取ってニックとレナートも体にワイヤーを巻き終わる。すでにサラはドラゴンの登録を終わらせたらしく、右手を赤い竜鱗を纏ったものに変化させて落下して来ている。着弾まで一秒無いだろう。
チラリと、ここまで何のアクションも起こさない『オンブラ』に目を向ける。
ニックは『オンブラ』に容赦は無いと言っていたが、彼らはアーサー達に銃口を向けたまま撃つかどうか迷っていた。ここに来てアリシアが命懸けで結んでくれた約束が生きて来たようで、彼らは殺すかどうかで迷っているのではなく、あくまで国王の言葉に従い制圧に留めるか、それとも今この場で脅威を取り除くかで迷っているのだ。
「だからお前らはダメなんだ」
ニックがかつての仲間に冷たく言い放った瞬間、サラの拳が地面に届いた。
水槽を砕いた二撃目と同じように、ハネウサギの脚力とグリフォンの能力で加速された拳はまるで隕石そのものだった。アーサーが頼んだ通り、サラは一撃で『オンブラ』の立つ地面の鋼板を砕いた。
しかし、それはアーサー達の立つ場所も例外ではなかった。打ち砕かれた地面は重力に逆らわずに下に落ち、そこに立つ『オンブラ』とアーサー達も落下が始まる。
アーサー達は落下に逆らうためにワイヤーを体と手すりに巻き付けていたのだが、
「そういえば地面と手すりは繋がってるんだから、巻き付けた所で意味なんて無かったかも……」
「なっ!? この残念ポンコツが!!」
「変な呼び名で呼ぶなあ―――あああああああああああああああああああああ!?」
アーサーの懸念通り、手すりはあっけないほど簡単に崩れた。
一瞬、気持ち悪い浮遊感が襲い掛かって来た後、本格的な落下が始まる。
(……どうする?)
さて、ここで基本的なおさらいをしよう。
アーサーは魔術を使える事には使えるが、それは低性能の身体強化と強い突っ張り程度のものだけだ。当然、空を飛ぶなんていう高難度な魔術は使えないし、それはニックもレナートも同様だ。
では問題は戻る。
(どうする!?)
だがその問題に対して打開策を出すよりも前に変化が起きた。
自由に動けないはずの空中で、誰かがアーサーの腕を掴んだのだ。
「お、重……ッ!」
「サラ!」
間一髪の所でサラがワイヤーの端を掴み、グリフォンの力を使って三人の落下を阻止してくれたのだ。しかしグリフォンの力は空中にずっと力場を作っておける訳でもないらしく、落下は再び始まる。
「三人を抱えたまま上がるのは無理ね。このままグリフォンの力で細かく停止しながら下に降りるわよ」
「頼む」
それから時間はかかったが、サラのおかげで何とか四人無事に下に着いた。アーサーのワイヤーは無駄には終わらなかったようだった。
地面に降り立って周りを見ると、そこには何の抵抗も出来ずに血を撒き散らして動かなくなっている『オンブラ』が転がっていた。
「変に気負うなよ。そいつらだって任務中に殉職したんだ。その程度の覚悟はできている」
「……分かってる、同情なんてしない。言ってみればこれは俺達とこの国との戦争なんだ。そしてこいつらは銃を向けてた。自業自得だ」
それは自分に言い聞かせているような言葉だった。正直言って気持ちの良いものではなかったが、それでも気持ちを立て直すために吐き捨てるよう言う。
ニックもそれ以上は何も言わなかった。代わりに短機関銃を構え直して、
「さっさと管制室に向かおう。向こうがこっちの異常に気付く前なら闇討ちができる」
「……ああ」
アーサーは気の抜けた返事をしながら動かなくなった『オンブラ』に近付き、腰のベルトに付いていた手榴弾を取り外してウエストバッグの中に突っ込む。
倫理的にも大分おかしいと自覚しているし、自分が自然にこんな事をしている事に吐き気がする。
しかしここから先、管制室まで丸腰で進むというのは無理があると分かっていた。
一瞬、無造作に転がっているマシンガンの方に目が行くが、意識的に視線を切る。普段から使っている『モルデュール』に似た手榴弾は使う覚悟があるのに、死とイメージが繋がりやすいマシンガンを握る覚悟がない。
「……」
そんな中途半端な覚悟を自覚しながら、ニックの後ろに付いて行く。管制室までの道中はここまでと同じく、ニックが先頭、レナートが道を誘導しながらその後ろを、最後にサラとアーサーが付く。
この施設を抜ける前に、アーサーは最後にドラゴンの方を見る。
防腐液はすでに腰回りにまで減っていて、半分を切ったという事になる。ドラゴンが動き出すまで本当にもう時間がない。
その現状を確認して、アーサーは拳を固く握りしめる。
「やってやるよ……」
その言葉は、ほとんど無意識に漏れた。しかし漏れ出たのは紛れもないアーサーの本音だった。
アリシアの事もそうだが、アレックス達の方も気掛かりだった。
やらなくてはいけない事は多い。人手も戦力も足りていない。正直、全てを丸く収めるなんて不安しかない。
けれどアーサーはそんな不安を拭うように、誰に言う訳でもなく宣言するように叫ぶ。
「ああ、やってやる。やってやるとも! いつまでも自分の思い通りに事が進むと思うなよ。こんな誰も幸せにしない計画なんて、いくらだって踏破してやるからなッッッ!!」
ありがとうございます。また何話かアーサー側メインです。