396 最後の手段
アーサーとヘルト。
二人は一度出てきた穴から再び奈落の底へと戻って来ていた。正直、あまり準備を整える時間は無かった。ある程度の仕込みを終えた段階で、クピディタースも同じように『奈落』の大穴を飛び降りて来たのだ。やはり『獣人血清』を感知して追って来ているらしい。
凄まじい轟音と共に着地した宿敵の姿に、待ち伏せていた二人は顔色一つ変えなかった。
「ヘルト」
「ああ」
アーサーの呼びかけと同時にヘルトは左手の指を弾いて軽い音を鳴らした。すると『奈落』の上空からその穴と同じ太さの巨石が降って来た。穴の壁に引っ掛かって下まで落ちて来なかったが、それは外界への通路を完全に塞いだ。
「お前はもう、どこにも行かせない。お互い顔は見飽きたろ? ここがキルボックスだ」
「邪魔は入らない。嫌い合ってる者同士、いい加減ケリをつけよう」
二人の決意表明に、クピディタースは呆れたように溜め息で返した。
「こんなもので俺を止められると本気で思っているのか? 今の俺ならすぐに上に出られる。お前達の仲間を殺し尽すのに数分とかからない」
「だろうな。でもお前が欲しいのはこれだろ?」
そう言ったアーサーは『獣人血清』を見せびらかすように取り出し、隣にいるヘルトに手渡した。受け取ったヘルトはそれを異空間に収納し、これでクピディタースは簡単に手が出せなくなった。
「……どうやら本当に死にたいらしいな」
「やってみろ!!」
ヘルトが右手の指を鳴らすと、あらかじめ仕込んでおいた設置型の魔術が発動する。
設置型魔術。あらかじめ決められたルール(簡単な例を上げれば上を通過するなど)の動きをした際に、問答無用で発動する魔術行使の技巧の一つ。メリットは設置する時点で魔力を消費する為、回復速度の速いヘルトにとっては自身の上限以上の魔力を使える事を意味している。相手の動きに応じて発動する条件は不意を突けるが、その代わり確実に当たるとは言い難い。けれど自身の動作で発動するように決めておけば発動タイミングは自由だ。膨大な魔力にものを言わせられるヘルトにとっては、そちらの方が都合が良い。
その合図に従い、クピディタースの足場の周りに無数の魔法陣が浮かび上がると、そこから光の杭が連続して放たれる。これが常人相手なら詰みだが、相手がクピディタースでは話が変わる。
「今更こんなものが効くとでも思ってるのか!?」
「勿論―――思ってなんかない。でも意識を逸らすだけなら十分だ」
結局の所、アーサーとヘルトが使える技の中でクピディタースに有効なものは僅かしかない。つまり他の技は全て陽動にしか使い道が無いという事だ。
けれど陽動に使えれば十分。今、アーサーは光の杭の連弾に紛れてクピディタースに肉薄していた。腰を低く落とし、右の拳を左手で包み込むように腰ダメに構え、鋭い呼吸と共に撃ち出す。
魔力と『紅蓮の焔』と呪力を込めた拳。これもヘルトと決めておいた段取りの一つ。最初の一撃だけ試し、成功すれば儲けもの、ダメなら諦めて次の手を打つ。そういう手筈で試みた三つの『力』による一撃。しかし今回も赫黒い閃光が弾ける事はなく、僅かに合わせるタイミングが遅れたのか魔力と『紅蓮の焔』を合わせただけの拳がクピディタースに命中する。どうやら先程は合わせるのが早かった事を意識し過ぎたせいで今度は遅すぎたらしい。アーサーは歯噛みするが、元から成功率が低い事は分かっているので次手までの動きに無駄は無かった。交差した両腕に魔力を集束させ、クピディタースの反撃の拳を受け止める。
ガードしたはずなのに体の芯まで響く一撃に、アーサーの体は宙に浮いて吹き飛ばされるがダメージは深刻ではない。むしろ自分から後ろに飛んで勢いを殺していたので、その次の動きにも淀みがない。地面に足が着くと踏ん張りながら交差させていた両腕を解き放ち、『最奥の希望をその身に宿して』を発動させる。そして『無限』の魔力を両足のみに集束させると床を爆裂させながら蹴った。
次の瞬間、ミサイルというよりは、まるで一条の光線のように移動したアーサーの足がアンソニーの胸部に突き刺さっていた。
「ぶっ飛べ―――『古代鳥王刺突剣』ッ!!」
尋常ではない威力の蹴りに、今度はクピディタースの体が後方へ吹き飛んで行く。しかし彼は少し飛ぶと両手の指を床に突き立てて堪えた。
「だから……今更そんなものが効くものかァ!!」
「だったらとっておきだ!!」
挑発に応じたアーサーは手刀の形で引き絞った右手に『無限』の魔力を集束させ、それを一気に振り抜いた。直線的な攻撃をクピディタースは身を逸らして躱すが、それで全く構わない。『古代蛇王投擲槍』は撃った後、その魔力を使って加速エネルギーを最大にしてから突き刺す技だからだ。
異変に気付いたクピディタースは躱した『投擲槍』が後ろでどうなっているのか半分振り返ると確認して言う。
「なるほどな。狙いは読めたが無意味だ。お前じゃ俺を傷つけられない!!」
「いいや、串刺しにしてやる!!」
言いながら、アーサーは振り抜いた右手を再び同じように引き絞っていた。
しかし二発目の『古代蛇王投擲槍』を放つ訳ではない。その姿勢のまま、こちらへ向かって来るクピディタースにアーサーの方からも近づいて行く。
「食らえ―――『古代犀王刺突剣』!!」
アーサーの正面からの突きと、背後から加速を終えた槍状の魔力弾。どちらも『無限』の力を最大限集束させた攻撃だ。それを前後から挟まれるような形でアンソニーはまともに食らった。
しかし彼の動きは止まらない。横に振るった手でアーサーは殴り飛ばされる。その途中、クピディタースを見ると彼も無傷では無かった。胸と背中にはそれぞれ傷が出来ている。しかしそれも少しの間の事で、すぐに塞がってしまった。
アーサーは空中で身を捻ると壁に足を着け、手刀の形にした両手を引き絞ってすぐに前に放つ。
「『珂流』―――『双撃・大蛇投擲槍』ッ!!」
『珂流』による凄まじい速度で射出された二つの『投擲槍』が何度も方向を変えながらクピディタースに迫る。しかしその動きを完璧に捉えていた彼は、最終的に二つの『投擲槍』が自身の足元に来る事を察知すると、念のため次の罠を警戒して跳躍して躱す事にした。
動きを読まれたアーサーの攻撃は虚しくも足場を削るだけに留まったが、攻撃を躱されたはずのアーサーは薄い笑みを浮かべると叫ぶ。
「ヘルトォ!!」
「―――『黒無想』!!」
アーサーが叫ぶのとほぼ同時、ヘルトはあらかじめ示し合わせていた通りに動いた。真正面から『黒無想』で攻撃すれば魔力障壁によって阻まれる。隙を突いても獣人の直感で躱される。ならば隙を突いた上で逃げ場の無い空中で斬り刻むというのが、二人が導き出した作戦だった。
ヘルトの立っている位置から床の下を通ってクピディタースの真下から強襲する黒い帯は作戦通り四肢と首を切り離し、さらに半分に切って一二個に分割した。
けれど予定外はそこから起きた。クピディタースを斬り刻んでも再生するのは分かっていたが、頭部を切り離せば多少は遅くなると思っていた。どれだけ異常な変異を繰り返そうと、脳のある頭部を切れば再生が遅れると考えたのだ。
しかしクピディタースは切り離された頭部には目もくれず、最も体積の大きかった胸部のパーツから全身を再生させて、残りの一一個の肉片は全て『パルウム』になった。
「なっ……!?」
破片となったクピディタースを焼き尽くす為に集束魔力砲を準備していたアーサーは思わず絶句していた。
確かに人間に魂がある事は理解しているし、心という概念が頭にだけしか無いとも思っていない。けれど頭部以外のパーツから全身を再生するというのは受け入れ難い光景だった。全身の細胞に記憶があるのだとか、筋肉と脳が一体化しているのだとか、色々な仮説が脳を過ってふと分かった。
(そうか……もう理屈じゃないんだ。あいつは変異を繰り返した事で俺達とは違う、生物として別次元の存在に成ったんだ!!)
認識が甘かった。すでに生物としての枠組みから外れている者に対して、生物としての価値観が通用するはずが無かったのだ。
アーサーは集束魔力砲を撃つ為に溜めた魔力の用途を変え、拳を振るって『大蛇投擲槍』を放つと動きを操り、一一体の『パルウム』を貫いて瞬時に絶命させる。
けれど出来るのはここまでだ。元々凝った作戦を考える時間も無かった為、ヘルトと示し合わせていた行動は全てやり切ってしまった。ここから先はいつも通りのアドリブ。けれどいつもと違うのは、敵が全生物の頂点だという事だ。
「終わりか? なら殺そう」
そう告げたクピディタースが地面にめり込むほどの強さで拳を足元に叩きつけると、足場のあらゆる箇所から回転する骨の槍が突き出して来る。アーサーは『無限』の魔力で体を守りながら攻撃を退けつつ叫んだ。
「魔力を剣に込めろ、ヘルトォ!!」
「言われなくてもすでにやってる!!」
『万物両断』の力を持つ鋼色の直剣。ヘルトは半ば無駄と知りつつも渾身の集束魔力砲を放つ為に全魔力をそこへ集束させていく。しかしアーサーが魔力を込めろと言った真意までは気づいていないようだった。
(これが俺の考えられる最後の策だ! もしそれでもクピディタースの細胞を焼き尽くせなかったら―――)
最悪の可能性が脳裏を過り、一瞬の隙を生み出してしまったアーサー。
魔力の集束に意識を傾け過ぎ、周囲への注意を疎かにしてしまったヘルト。
ノーモーションで繰り出された不可視の衝撃波。アーサーは勝機であるヘルトとの間に体を挟み込み、『無限』の魔力を全て放出して魔力障壁を張る。けれどまともな休息も取らずに戦い続けた事、そして度重なる『最奥の希望をその身に宿して』の使用のツケが来た。急速な脱力感と共にレミニアから引き出していた『無限』の魔力が切れる。
(くそっ……『阿修羅』ァ!!)
魔力の代わりに呪力を纏ったアーサーはなおも抵抗する。けれど『無限』の魔力でも抑えきれない衝撃を、限りのある呪力のみでは防げるはずがない。
「ぐっ……ヘル、ッ……!!」
「ッ……かっ、てる……!!」
その様を背後で見ていたヘルトは魔力の集束に意識を向けつつも、左足を上げて地面に落とす。その所作により発動した設置型の魔術はクピディタースの全方位、地面から空中にまで設置された『ただその理想を成し得るために』だった。
全方位からの集束魔力砲―――だけでは終わらない。続けて右足も同じように振り上げて地面に叩きつけると、その魔力爆発が全て凍り付く。先程も通用した足止め程度の技。けれど今欲しいのはその足止め程度の時間だ。
「……先程も言ったが、もう一度言おう」
その言葉にヘルトだけではなくアーサーにも悪寒が走った。
やはり認識が甘かった。
適者生存、それが自然界の鉄則。
つまり。
「今更こんなものが効くとでも思ってるのか?」
常に変異するというのは、環境に適応し続けられるという事。それはつまり、一度受けた攻撃は効かないという事を意味していた。
足止めすらできず、不可視の衝撃波はアーサーを弾き飛ばしてヘルトにも迫る。最後の瞬間、ヘルトに出来たのは一つの悪足掻き。剣に込めた魔力が霧散しないように、その内に固定して歯を食いしばる事くらいだった。
直後、二人の少年の体はゴミのように吹き飛ばされ、ヘルトの手から離れた剣は光を保ったまま宙を舞うと、まるで墓標のように地面へと突き刺さった。
◇◇◇◇◇◇◇
「……始まったようですね、最後の戦いが」
断続的に訪れる揺れを実感しながら、比較的ダメージの少ないラプラスは呟いた。
地上に残った者達はソラの治療により動ける程度には回復していた。これだけの大人数、それも深刻なダメージを受けた者も含めて一人も死者を出さなかった。物理的な強さで言えば『ディッパーズ』と『W.A.N.D.』を合わせても下の方だが、その特異性と能力の高さならトップレベルだろう。
「ラプラスの力で観た未来では二人は勝ってる?」
「……なによ、その物騒な質問」
その疑問を発したのは、仰向けに寝て休んでいる結祈だった。ラプラスの力を知らない獣人のユリが怪訝な顔を向けるが、その点についてはラプラスが答える。
「私の能力です。あらゆる情報から『未来』を観測する事ができるんです」
「……なら、その落ち着きっぷりからして勝つって事で良いのよね?」
若干、理解を放棄した感じはあるが、理屈がどうであれユリが知りたいのはそこだった。おそらく期待通りの答えが返って来るだろうと予想していたユリだが、それに反してラプラスは表情も変えずに平坦な口調で答える。
「いいえ、九九パーセント負けます」
「そっか」
それに続いて、最初の質問者である結祈はまるで答えを知っていたかのように普通に頷いた。しかしユリはそんな風に受け取れなかった。
「は……? 九九パーセントって負け確実じゃない!! なんでアンタらはそんな落ち着いてんのよ!?」
「一パーセント残っているから……ですよね?」
結祈の傍で話を聞いていた凛祢が問い掛ける気持ち半分で口にすると、先程と同じようにラプラスは頷く。
「お二人とも志や戦闘力に疑いはありませんが、完璧という訳ではありません。例えばアーサーは物理装甲、ヘルト・ハイラントさんは魔力障壁に対して有効打を持っていません。ですが力を合わせればお互いの弱所を補えるはずです」
「……もし、あいつらが勝てなかったら?」
「終わりです。クピディタースは倒せず、私達は全滅です。これは能力を使うまでも無い自明の事実です」
一際強い語気でラプラスは答えたが、彼女自身はその可能性を微塵があるとは思っていないようだった。その証拠に彼女の口元には小さな笑みが浮かべられている。
「ですが大丈夫です。あのお二人なら、絶対にその一パーセントを手にしますから」
「言えてるね」
「ええ、間違いありません」
ラプラスの言葉に一片の曇りなく同調する結祈と凛祢。
ユリにはその感情がまだ分からなかった。ユリ達だけではなく、ここに来た『ディッパーズ』や『W.A.N.D.』の者達だってボロボロだ。特に獣人達を守って奮い立たせたスゥシィ・ストームや、無茶を幾重にも重ねた穂鷹紬の負担は計り知れない。そうまでして命を懸ける理由が分からない。
(……結局、私はこの小さな世界しか知らないのね)
外の世界を直接見た事がない彼女にとって、それは本の物語のような現実味の無い話でしかない。
二人が勝てば外の世界へ。負ければ死ぬ。分かり易い構図だからこそ、胸を締め付けるような痛みは拭えない。
でも託すしかない。あれだけの力を持った敵が相手だ。決着までそう時間はかからないだろう。どうあれ一刻もしない内に結論は出る。それを待つしかない。
◇◇◇◇◇◇◇
衝撃波に吹き飛ばされて壁に打ち付けられた影響か、視界が明滅していて体中の至る所が律儀に激痛を訴えかけて来ている。
最初から勝ち目が無いのは分かっていた。そもそも『無限』の魔力を最大限込めた一撃で倒せなかった時点で、ほぼ全ての策が通じないと言われているようなものだったのだ。敵を細切れにして集束魔力砲で消し飛ばすというプランだって、どこまで上手く行くのかは未知数だった。ヘルトの『黒無想』は対処され、アーサーの集束魔力砲は通用しない。その可能性が大きい事も分かってはいたのだ。
(次の策……思い付くのは一つ。けどそれじゃ拮抗できても決定打にはならない。もう一つ、何かを重ねないと……)
だけどまだ負けてない。意識はあるし体だって動く。ならば最後の瞬間まで足掻くだけだ。その先にしか、望む勝利は無いとも分かっているから。
「……アーサー・レンフィールド」
流血のせいか上手く回らない頭を必死に回していると、傍で同じくらいボロボロのヘルトから声が発せられた。
アーサーが顔を向けると、ヘルトはすでにこちらを向いていた。
「一つ答えろ。どうしてきみは戦っている?」
「……またその話か。今する事か?」
「ヤツを倒せるかもしれない策はある。正真正銘の奥の手がね。だから答えろ」
それは冗談で言っているようには見えなかった。アーサーと同じように、ヘルトにも何か考えがあるのだろう。二つの策が合わされば、もしかしたらクピディタースを倒せるかもしれないという希望が見えてくる。
「ぼくにはこれしかなかった。この世界に来る前からそうしていたし、こうする事でしか生きられない。例え身を削る行いだろうとも、だ。……でも、きみはただの村人だった。止めようと思えばいつでも止められたはずなのに、世界中からお尋ね者になってまで戦って、その後もこうして戦い続けている。ぼくにはきみという人間が分からない」
眉一つ動かさずに告げるヘルトの姿勢に寒気すら覚えた。そして同時にアーサーの事が分からないという言葉に、思わず笑みがこぼれる。
「……これまでも同じような事を訊かれたよ。その度に全く同じ答えを返してる訳じゃないけど、やっぱり根幹は一つだと思う」
ラプラスとの事があって、あの時はヘルトの問いに答えられなかった。
けれど忘れた訳でも、見失っていた訳でもない。その答えはいつだって胸の真ん中に宿っている。
「理不尽の底にいる誰かを見捨てる理由は一つも無い。でも助けたいと思う理由は沢山ある。だったら俺は戦うよ。悲しい涙を流す人が多い結末よりも、みんなで笑って終われる結末の方が良い。例え間違いだらけでも、周りには異常者としか思われなくても、傷つけて傷つけられるだけの道だとしても……その方が、幾分か素敵だと思うから。だから俺は俺の為に、誰かを助ける事を絶対に止めない。かつて俺が救って貰ったように、救える限りの命と心を救い続ける。停滞しないと決めた時、そう誓ったんだ」
レインやビビに見せて貰った。
エレインやアナスタシアに教えて貰った。
そう生きて行く事を。この道を歩いて行く事を。たとえ間違いだらけだったとしても、ヒーローなんて柄じゃないとしても、ただ目の前で理不尽に晒されている誰かを助ける為に。それがアーサーが思う人助けで、ただ一つの貫徹するべき生き様だ。
「……なんだ、ぼく以上に病んでいるだけじゃないか」
微かに笑って呟かれたその言葉の真意を、アーサーは掴む事ができない。嘲笑している訳でないのは分かっているが、なぜ少し嬉しそうなのかが理解できない。
それはヘルト自身も自覚していなかったはずだ。元から同族嫌悪し合っていると分かっていても、それは本当の意味で同類を見つけた瞬間で、ほんの少しだけ嬉しく思ってしまった事など。
「……間違えた事もあった。間違えてばかりだった。咄嗟に下した判断も、考えた末に下した判断も、絶対的に正しかったとは断言できない。でも……あの時、『魔族領』できみと戦った時。咄嗟に分解しなかったのは正しかったと思ってる」
「ヘルト……? お前、何を……」
「アーサー・レンフィールド」
言葉を遮るように名前を呼ぶヘルトの瞳には、覚悟を決めた強い意志が込められていた。そして続けてこう言う。
「ぼくを信じるか?」
なんともヘルトには似合わない言葉に面食らってしまったが、その強い眼差しからはからかいや計略の色は見えない。その言葉通りに問い掛けているのだ。
アーサーがヘルトを信じるかどうか。
そんなもの決まっている。
「今は信じる」
仲良しこよしじゃない。一分後には仲違いして殺し合いを始めても不思議な関係じゃない。大多数を取るヘルトと、少数を見捨てられないアーサー。根本的に合わないし、いがみ合っている方がしっくり来る。
だけど信用していない訳では無い。特に命を救うという点において、彼は誰よりも信用できる。ただそれも永続していなくて、やはり救済対象が違えば対立が避けられないとも思っている。ただ今回はそれがたまたま同じだったというだけの話でしかないから。
そういう意図を含んでの答え。アーサーが同じように強い眼差しでそう答えると、ヘルトは少しだけ呆れた溜め息を溢す。
「……曖昧な返事だね」
「悪いな。でも俺はいつでも正直だ」
「ま、息を吐くように嘘をつかれるよりはずっと良い」
結局の所、二人は仲間でも友人でもない。ただの協力関係で共犯者でしかない。仮に質問者と回答者の立場が逆だったとしても、ヘルトは同じような言葉で返していただろう。元来、そういう関係の二人だ。
話はそこで終わりだった。ヘルトは再び『黒無想』を発動させると、その『万物両断』の力を持つ黒い布を全てアーサーの方に向けて体に絡ませて行く。
「おい……!?」
「これが最後の手段だ。証明してみろ」
突然の行動に声を上げたが、ヘルトの様子は変わらない。そして次第に形を成して体に纏わりついてくる『黒無想』を見て、ようやくアーサーはヘルトが何を考えているのか理解した。そのあまりにも荒唐無稽で、しかし奥の手と呼ぶにふさわしい手段を。
「それで敗けたら、今度こそきみを『分解』するからな」