395 揺るぎない信念
まず、アーサーは与えて貰った時間を有効に活用する為に周りを確認する。元々ネミリアが治療していた事と、ソラの治療の甲斐もあって『W.A.N.D.』や『ディッパーズ』の面々は大分回復していた。
その事に安堵しつつ、アーサーとヘルト、そして透夜とクラークは互いに顔を見やる。最初に言葉を発したのはヘルトだ。
「さっきも言いかけたけど策は一つだ。撤退するぞ。彼女が血清を回収したらすぐに外に出すべきだ。きみの妹の転移魔法を借りるぞ。『W.A.N.D.』本部に保管する」
「待てヘルト……待ってくれ。今、考えてる」
「何を考える必要がある? きみの渾身の一撃でも殺せなかったんだぞ。他にもう手はない。一度退いて体制を立て直してから討伐するべきだ」
ヘルトが言っている事は正しい。ここまでの被害を負った以上、一度退くのが得策だ。
けれどそれは得策であって最善策ではない。第一、それだと首輪をされている獣人達は置いてけぼりだ。流石に全員分を外して回る時間的余裕は無い。それに懸念事項はそれだけではない。
「お前だって本当は分かってるだろ? それは悪手だ。ここで止めないとヤツはどこまでも追って来る。ああいう人種は一度失敗しても、今度は別の方法で必ず目的を達成する。今日止めないと明日同じ事を繰り返す。獣人達と血清を取り込むまで絶対に諦めない。それに時間経過と共に際限なく強くなるんだとしたら、ここで倒さないと取り返しのつかないことになる」
「きみだって分かるだろう? もう十分取り返しがつかない。もし血清を残す事に懸念があるならこの場で破棄して、獣人達はヤツが絶対に手を出せない安全な場所で保護すれば良い。例えばアイネ・ブライトが本来生きていた『アニマル・ユニバース』に繋がるゲートをどうにかして開いたりして。それならどうだ?」
「ダメだ。どのみち首輪を全員分外す時間は無いし、ここで逃げたらヤツを止める機会を永遠に失う。別の国にでも行かれたら自由に動けない俺達は手が出せなくなるし、おそらくすぐに動ける『W.A.N.D.』の兵力を全て集めたって今のヤツには敵わない。そうなったら誰が止める? 俺達が揃っている今しかチャンスは無いんだ!」
「……、」
アーサーに引く気がないのは明らかだった。それに撤退すれば獣人達の救出ができないのも明白だ。
救いに来たのに救えない。目の前で明らかに理不尽に晒されているのに、見て見ぬフリをして安全地帯へ引き返す。それは二人のような人種には受け入れ難い結末だ。
ヘルトは諦めたように溜め息を一つ挟んで、
「……まあ、確かにきみの言う事も一理ある。クピディタースは強敵だけど今が一番弱い。放置すればするだけ強くなるなら、ここで倒すのが一番効率的だ。でも倒す算段はあるのか? あの閃光を出す技は乱発できないんだろう?」
「正直、あれはどうして出来たのか俺自身にも分からないんだ。だからヤツの体を細切れにしてから集束魔力砲で消し飛ばす。二度と再生できないように肉片すら残さずに。それしか方法は無い」
「ならキルボックスを設けるべきだ。罠を張ってヤツを斬り刻む。問題はどうやって彼をおびき出すかだけど……方法は一つだね」
「ああ。どういう訳かヤツは『獣人血清』を感知できるみたいだし、それを囮にヤツを誘い出す。確か三本あったのよな? 全部シオンってやつが持ってるのか?」
その質問をすると、途端に顔を逸らしたのは透夜とクラークだ。その様子の変化にピンと来たヘルトは盛大な溜め息をついて、
「……使ったのか? 三本の内、二本を」
「仕方なかったんだ……打たなきゃ死んでた」
「こっちもアイリスを殺される所だった」
その答えにヘルトの言葉で予想していたとはいえ、アーサーは少なからず驚いた。ほとんど別行動していたが、打てば一〇〇パーセント死ぬ『獣人血清』を打つほど切羽詰まっていたのだろう。責める気にはなれない。
「なら残りは一本だ。もし失敗すればこの国の非合法な実験を立証する証拠を無くす事になる。別の方法を考えるか?」
「もうそんな時間は無い。これが唯一の方法だ」
「いや、待ってくれ。物証を失ったら獣人達はどうなる? 実験で作られた訳じゃなく、単なる生き残りだと話を流されたら? 国を持たない獣人達は最悪迫害されるんじゃないか!?」
「……まあ、可能性はあるだろうね」
「っ……」
クラークの想像する最悪の未来を、ヘルトは少し考えてから肯定した。人間は理解できないものを恐れる。この世に存在する魔族ですら忌み嫌う彼らに、物語の中でしか聞いた事のない獣人の存在を簡単に受け入れる事はできない。悪意をよく知るヘルトはドライに判断した。
そんな時、紬とシオンが突然傍に現れた。すでに紬から状況の説明を受けているのか、シオンに動揺の色は見られない。しかし彼女達は四人が話していた内容を知らない。
嫌な予感がしたアーサーと、その予感通りにクラークは同時に動いたが、僅かに近かったクラークがシオンが握り締めていた『獣人血清』の容器を奪い取った。
「させないぞ……これが僕らにとって最後の頼みの綱なんだ」
「クラーク、よく考えろ。目的は実験を明るみにする事じゃなくて、獣人達みんなの安全だろ? ここでヤツを止めないと待ってるのは永遠に逃げ回る人生だ。それでも良いのか!?」
「けど君達の計画は賭けだ! 今のあいつは僕らが束になっても勝てないほど強力なんだぞ!? 分が悪すぎる!!」
「ヤツが獣人達や血清を手にするチャンスは今回だけだと言えるか? ここでみんなを逃がして、血清を遠ざければ二度とヤツが手を出して来る事はないって断言できるか? これが唯一の道なのか!? そう言うなら俺も引き下がる。でも今日を生き延びれば終わりだと言えないなら、その血清をこっちに渡してくれ」
獣人達の安全を確保する。アーサーが今の不利な状況で、それでもクピディタースを倒したい理由はそれが全てで、ヘルトとクラークに話した事が全てだ。これ以上に説得できる言葉をアーサーは持っていない。
「……クラーク。私は今の状況を理解しているとは言い難いが、どう動くにしても急ぐべきだ」
「うん、もう時間が無いよ。クピディタースはあたし達の移動に気付いてるだろうし、すぐにでもここに戻って来る。何の準備もなく会敵したら今度こそ全滅だよ」
追い打ちをかける言葉を発したのは意外にもクラーク側のシオンだった。それに紬も乗っかり、クラークは渋々ながらも手に持った『獣人血清』をアーサーの方に向ける。
「……これを奪われたら本当に終わりだ。獣人達の安全だけじゃない、世界がクソ親父に蹂躙される。この血清は絶対に渡せない」
「死んでも渡さない、絶対に。だから俺達が戦ってる間に獣人達の首輪を外して避難させてくれ。安全な場所のアテならある」
そう言って、アーサーはクラークから『獣人血清』を受け取った。正真正銘、最後の切り札を右手で強く握り締めてヘルトを見ると頷き合う。
その様子を傍で見ていた透夜は、恐る恐るといった感じで訊ねる。
「……例え作戦通りおびき出せてもクピディタースは強敵だ。もし二人が生きて戻れなかったら? その時はどうすれば良い?」
「必ず戻る」
相変わらず根拠もない言葉だが、いい加減慣れて来た透夜はそれ以上何も言わずに頷いて了承した。
これで方針は決まった。クピディタースが戻って来る前に準備を完了しなければならないので、ヘルトと共に駆け出した。目指すのは地下の監獄エリアだ。あそこなら暴れてもみんなに被害がいかないし、移動を制限できるので罠を張るには効果的だからだ。
ここから近いクピディタースが出てきた穴に向かっている途中、アーサーは一度だけ足を止めて振り返った。
一人の例外もなく全員が全員ボロボロだ。ネミリアやソラが治癒を施しているとはいえ、中には重傷の者も多い。いくら助かると言っても、ここまでやられて怒りを覚えていないほどアーサーは人間ができていない。それが大切に思う人達となればなおさらだ。
少し離れた場所でそれを目にすると、今まで以上に頭に血が昇って全身に形容しがたい怒りがまとわりついていくのを感じる。
「……ヘルト、俺の方針に危険があるのは重々承知だ。待ち伏せして奇襲しても確実に倒せるとは言い切れない。それでも……」
「もう良いよ、まどろっこしい。遠慮する仲でも無いんだし、端的に『俺の我儘に付き合え』って言えば良いだろ? それに流石にぼくもそろそろ沸点飛び越えた。悲劇の元はここで断とう」
表面的にはアーサーよりも冷静に見えるヘルトだが、彼も同じように人助けに憑りつかれている生粋の狂人だ。その内にはアーサーと同じ激情が渦巻いているに違いない。
そんな二人はみんなの方に背を向けて、もう振り返る事なく決戦の地へと足を踏み出した。
「いい加減、頭に来た。何も言えなくなるまでぶん殴ってやる」
「珍しいけど同意見だ。二度と口を開けないように殺してやる」
この行動は世界から見たら、やはり悪かもしれない。一つの国の重要な政策を、人間ではない別の種族の為に叩き潰す。そもそもヘルトは良いとしても、アーサーは『協定』違反の世界的犯罪者として追われる逃亡者なのだ。多くの人に尋ねた時、アンソニーの味方をする人の方が多いのかもしれない。だがそれを理解している二人の少年は、それでも万人が漠然と正しいと信じて従う世界のルールではなく、一片の曇りも無い自分自身の揺るぎない信念を選んだ。
この世界に生まれた一つの種族、獣人達を必ず守る。
それを悪だと言うなら構わない。立ち塞がる者がいるなら望み通りねじ伏せる。誰にも邪魔なんかさせないし、遠慮する必要すら感じない。例え犯罪者になろうと曲げなかった、目の前の命を守るという当たり前の行動を取るだけだ。
先に仕掛けて来たのは向こうで、この場において平常心なんかクソ食らえだ。
漲る激情に身を任し、二人のヒーローは今一度宿敵へと立ち向かう為に、声を合わせて世界の全てに対して堂々と宣言する。
「「クソッたれな野望なんか、全部ぶっ潰してやる!!」」