393 灯る叛逆の意志
少し前に時間は遡る。
『W.A.N.D.』本部。そこは『人間領』の全てを守る機関であり、同時に最も堅牢な守りを誇る世界一高いビルの中に存在する施設。
「根本的な話になりますが、そもそも人員が足りてねぇんですよ」
相も変わらずの口の悪さで愚痴を溢すしたのは、多種多様に枝分かれした『W.A.N.D.』という組織内においてあらゆる手順を飛ばし、長官であるヘルトの一存のみで自由に動かせる特務部隊『ナイトメア』の一員、ミリアム・ハントだ。
「仕方ないよ。特務部隊になったとしても、そもそも私達がまだ『ナイトメア』として活動してる事が異常なんだし。そう簡単に増員できないよ」
ミリアムの愚痴に答えつつ、手に持ったハンドガンのスライドを引いて五〇メートル先の的に向かって連続で発砲したのは、リーダー不在の『ナイトメア』においてリーダー代行を務めているユキノ・トリガーだ。話しながらでも銃の腕に狂いは無く、数発の発砲が終わった時には的の中心にだけ一発分の穴が空いていた。他を全て外したのではなく、全ての弾丸を狂いなく中心にだけ当てたのだ。
「うん、良いね。流石『W.A.N.D.』製。昔みたいに武器の補充でトラブルが起きる事もなくなって良かった。前は粗悪品掴まされては報復で面倒だったし」
彼女達がいるのは『W.A.N.D.』の武器保管庫。そこに隣接された射撃演習場だ。『キャンサー帝国』の任務に就く前、ヘルトから数日後に任務に当たるように言われた彼女達は武装の確認に来ていたのだ。……まあ、若干一名銃に拘りのない者もいたが。
「そもそも銃なんかに頼るから悪い」
銃に対して否定的な言葉を発したのは、常に刀一本で戦場に立つリリアナ・ストライダーだ。というか彼女の場合は壊滅的に銃の腕前が無い。今もユキノの勧めで五メートル先の的に向かってハンドガンを撃ってみたが、その全てが綺麗に外れていた。最終的には居合抜きで飛ばした斬撃で的を斬る始末だ。リリアナの場合、そっちの方がずっと武器になっている。
「……リーダー、本当に戻って来ねぇんですかね」
「どうだろうね。でも、いつまでも待ってる訳にもいかない。私達は生まれ変わったんだから、新しい環境にも慣れて行かないと」
撃ち終わった銃を元の場所に戻し、次にサブマシンガンを手に取ると先程と同じように的に向かって撃った。ハンドガンよりも連射性能がある反面、一発一発の精度が落ちるはずだが、今度も全て中心の一点のみを貫いていた。それを可能にしているのが左の義眼と義椀だ。義眼で正確な情報を獲得し、義椀が発砲の反動を抑えて情報通り引き金を引く。これが正確無比な射撃を実現しているのだ。無論、本来の彼女の技量もあってこその芸当だが。
そんなこんなで武器の確認が終わると、今日はもう予定が無いので休みだ。任務前というのもあるが特務部隊は休暇が不安定なので、こうして任務と任務の合間に休むしかないというのもある。
「相変わらずだな。その腕、ラプラスに匹敵する」
唐突に後ろから放たれた言葉に、ユキノは流れるような動作で弾を撃ち尽くしたサブマシンガンを手から離し、自身のホルスターから銃を引き抜いて振り向きざまに構えた。
そこには二人の少女が立っていた。
「銃を下げてくれ、ユキノ・トリガー。一応だが顔見知りだろう? 『シークレット・ディッパーズ』のクロノとレミニアだ」
「あなたは……どうしてここに? 確か『シークレット・ディッパーズ』は長官達と『キャンサー帝国』で任務に就いていたはずじゃ……」
「問題が発生した。というよりあの二人が協力して問題が発生しない方が問題だが」
「皮肉が凄い……それで、私達は何をすれば良いの?」
「話が早くて助かるよ。お前達には私達と共に『キャンサー帝国』に来て貰いたい。いつも通り、世界の命運が懸かっている」
突然の事態だが、三人は誰も溜め息を溢さなかった。
これが今の自分達の仕事だと、分かっていたからだった。
◇◇◇◇◇◇◇
そんな『ナイトメア』が現地入りし、最初に行ったのはユキノによる遠距離射撃だった。そして魔力行使を取り戻すと、もう一度レミニアの『転移魔法』を使ってラプラスと合流しつつ施設内へと突入した。
結論から言えば、彼女達が来た時には地獄のような惨状が広がっていた。立っているのは黒い騎士のような何かの一人だけだ。他は全員、地に伏して倒れているか座り込んだまま動いていない。
(長官!? それにボスもやられてる……!! それにあれは何!?)
それが敵だというのはすぐに分かった。しかし攻撃する気が起きない。しかもそのプレッシャーが半端じゃない。ただ立っているだけで死の気配が全身を包み込んで動けなくなる。
ユキノと共に来たミリアムも、リリアナも、レミニアも、ラプラスも、クロノでさえ動けなかった。けれど唯一、エリナだけは怯む事も迷う事もなくクピディタースに向かって飛び込んだ。そして魔力を斬る魔剣『断魔黒剣』で斬りかかる。それなら強力な魔力障壁も紙のように斬り裂けるが、その先にある骨の鎧には傷一つ付けられない。
「っ……かったあ! 何これ!?」
「力量差が分からないとは哀れだな」
「いやー……エリナの何倍も強いのはビリビリ伝わって来るんだけどね。でもだからって挑戦しない理由にはならないし、王様がやられてるのに王様の剣のエリナが戦わない訳にはいかないんだよ!!」
その一言に『ナイトメア』が揺れた。
彼女達だって、暗部組織だった『ナイトメア』を特務部隊として『W.A.N.D.』に迎え入れてくれたヘルトの助けになりたいと思っている。それなら死に恐怖を感じている暇は無い。
「ッ―――ミリアム、リリィ! 『一閃』で決めるよ!!」
策がバレないように端的にまとめて伝えると、二人はすぐに行動に移った。そしてユキノも二丁の拳銃を取り出すと、エリナが飛び退いたのを確認してからクピディタースに向かって躊躇なく発砲する。着弾した瞬間に爆発する特殊弾丸だ。しかし全てが着弾しても、クピディタースには傷一つ付かない。
(爆裂弾でも傷つかないなんて……これ、普通の人なら一発で十分なのにっ)
しかし問題は無い。ダメージを期待していなかった訳ではないが、その目的は注意を引く事と爆炎で視界を塞ぐ事だ。
その間に動いていたのはミリアムだ。『身体変化』の力で二〇メートル近い巨体に変わると、その巨大な拳を振り下ろした。だがその巨大な拳をクピディタースは軽く挙げた片手で簡単に受け止めてしまった。
「なっ……片手で止めるとかマジですか!?」
「十分! 決めて、リリィ!!」
「『雲耀―――」
ユキノの言葉に呼応するようにクピディタースの背後で呟いたリリアナは腰を低く落として鞘に収まった刀に手をかけていた。
今の『ナイトメア』における最大の一撃。全てはこの『一閃』に繋げる為の連携。超神速の抜刀による攻撃がクピディタースに襲い掛かる。
「―――いっせ
「無駄だ」
そう断じて。
放たれた超神速の一刀を、クピディタースは何てことないように人差し指と親指の腹で挟んで止めた。
「な、ん……!?」
その光景にはリリアナは勿論、ユキノやミリアムも絶句した。
避けたのなら理解できる。掠り傷すら負わせられないなら納得できる。掌で受け止めたというのならまだ許容できる。
けれどこれは、二本の指で挟んで止めるというのは理解の範疇から外れている。それは抜刀の速度と軌跡を完璧に見切り、その加速エネルギーの全てを横からの力だけで止めたという事を意味している。どう足掻いても勝てないと言われたようなものだ。
「『重力操作』―――『衝波』!!」
その光景をマズいと感じたエリナが再び動き、前方に切っ先を真っ直ぐ伸ばした状態のまま凄まじい速度で横に落ちた。それは胸の中心に当たるが、切っ先すら喰い込まない。さらに離れた位置からラプラスが二発の銃弾をクピディタースの両目に放つが、瞬きをする必要もなく銃弾は眼球に弾かれた。
両手を封じ、脇腹を突き刺し、両目を撃ち抜いてもダメージ一つ入らない。
「気は済んだか?」
言葉の直後、再び予備動作なしの衝撃波によってミリアム、リリアナ、エリナの三人が吹き飛ばされる。
だがそこに、透夜やクラークから遅れて到着した者達が乱入する。中でも獣人達の惨状や、アーサーとヘルトが倒れている事、先行していた透夜とクラークの様子を見て事態の深刻さを目撃したアイリス、結祈、サラ、凛祢、紗世、メア、フィリア、カヴァスの八人はクピディタースに向かって襲い掛かる。
彼女達は直感や経験で全員が理解し、その思考を共有していた。少なくとも全員で同時に襲い掛からなければヤツは倒せない、と。
けれどそんな彼女達の僅かな期待さえも裏切られた。クピディタースは凄まじい量のエネルギーを放出する衝撃波を連発したのだ。それに跳ね返されるように、飛び掛かった八人は全身に致命的な衝撃を受けて吹き飛ばされる。『ディッパーズ』でもトップクラスの戦闘力を持つ結祈や、自動で回復する能力を持つ凛祢でさえ昏倒して動けなくなっている有り様だ。
(なっ……あんな強力な技を連発できるの!?)
戦慄するユキノはあまりの驚きに、共に離れていて無事だったラプラスと固まっていた。そして二人に加え、戦う力を持たないスゥや嘉恋や紬、出遅れたネミリアとリディ以外の全員がやられてしまった事を意味している。
「……リディさん。弱所は分かりますか?」
「……無い」
ネミリアは左腕から薬莢を飛ばして『白銀の左腕』を発動させて問い掛ける。しかしリディは青い顔をして答えた。
「体のどこにも死が視えない……弱所が無い! それに感じる圧が尋常じゃない、これじゃランチャーが赤子同然だ!! ボク達に勝ち目はない!!」
「っ……『突き穿つ神槍の絶光』!!」
リディの話を聞いてもダメ元で集束魔力の攻撃を放つ。けれどやはり、その一撃を食らってもクピディタースには何の変化も無い。
ネミリアは魔力を集めて両手が白い光に包まれると、それを体の前で構える。しかしそこから先、どう動くべきなのかが分からない。それに必死に我慢しているが、先程一時的に意識を失ってから自覚症状があるほど具合が悪い。気を抜くと視界が不規則に揺らぐし、ハンマーで叩きつけられているような頭痛が止まらない。そんな体調で何ができるのか必死に考えを巡らせていると、スゥと嘉恋に担がれている紬が残された最後の力を使って叫ぶ。
「……リ、ディ……あたしと!!」
名前を呼ばれて振り返り、正直リディは正気を疑いながら右の魔眼の力を使って満身創痍の紬と位置を入れ替えた。支えを失って地面に倒れる紬だが、そんな事には構わずネミリアの方に視線を向ける。
「あれやって! アーくんや結祈にやったアドレナリンのやつ!!」
「……っ!? で、ですが……」
「リスクは知ってる……お願い!!」
元からあまり使いたくない力なのもそうだが、紬自身に蓄積された疲労は『ピスケス王国』の時のアーサーよりも酷い。その記憶がないネミリアだが、この力を使うべきかどうか判断する能力はある。
「おい、二人共!!」
万全の状態じゃないとはいえ、感知能力に長けたネミリアと紬はそれに気付けなかった。リディの声で初めてクピディタースがすぐ傍に移動していた事に気付き、遅れてその殺気と明確な死のイメージが脳内を埋め尽くしていく。
ネミリアは片手を自分の前に弧を描くように動かして魔力障壁を生み出す。しかしこんなものが紙一枚の役割も満たさないのは分かっていた。
結局、窮地を救ったのはリディの魔眼の力だった。そもそも初めからそのつもりだったのだろう。転移した傍からスゥと嘉恋の傍をダッシュで離れ、今度は自分とクピディタースの位置を入れ替えたのだ。それによって寿命が数秒だけ伸びる。
「早くしろ! ボクの瞳力も打ち止めが近い!!」
「お願い……っ」
「ッ……」
迷っていられる贅沢な時間は一秒だって残されていなかった。二人に急かされ、今の状況を考えて、そして歯を食いしばり紬の体に手を押し当てた。脳内にアドレナリンが強制的に分泌され、疲労で動かないはずの紬の体は嘘に騙されて活力を取り戻す。
「ありがとっ」
軽い調子で感謝を述べた紬は光速移動をすると、戦場を駆けて倒れている全員をスゥと嘉恋の周りに集める。その後、一呼吸の内にクピディタースの体を幾度も斬りつけた。その攻撃は当然のように効かないが、紬の実力ならリディの位置替えと合わせれば多少の時間稼ぎくらいはできる。
そしてネミリアは、二人が戦っている場所に背を向けて逆方向へと走り出した。スゥと嘉恋以外の倒れている全員に白いオーラを広げ、傷の様子を確認して治癒を始める。スゥは全員を『断絶障壁』で覆って守りながら、ネミリアのその行動に戦慄していた。
「ネミリアさん……確か生物に力を及ぼすには近づかないとダメだったはずじゃ……」
「……わたしも成長していますから」
それは嘘ではなく、対生物相手に力を行使するには五メートルほどまで近づかなければならなかったが、今はその距離が大分広くなっている。それで全員の遠隔治癒ができるようになっているが、実際はそれしかできないというのが本音だった。クピディタースの戦闘力以前に、今の体調では治療をする事でしか力になれないのだ。
「……少年達は動けそうか?」
嘉恋が言っているのはアーサーとヘルトの事だ。
ネミリアは表情を歪めて、
「……お二人共ダメージが深いです。それにわたしの力の本質は治療ではないので、そこまでの回復は望めません。強制的に起こす事もできますが……」
「動けなければ意味がない、か……」
忌々しげに嘉恋は呟く。自分と大して年も変わらない少年達に頼りきりな事に負い目が無い訳ではないが、残念ながら嘉恋には直接戦う力がない。『断絶障壁』の外側。まだ戦っている紬とリディ、そして援護に回るユキノ、ラプラスは必死に抵抗しているが、攻撃が効かない相手を倒す術を持っていない。やはり今のクピディタースを倒す為には、どうしても二人の力がいる。
いよいよ万策が尽きて来た状況に、戦いに直接介入していなかったクロノとレミニアも隙を見つけて動く。リディの『魔眼』の力で紬と二人の位置が変わり、クロノはレミニアに魔力を供給されながらクピディタースに触れる。
「―――『時間凍結』!!」
対象の時間を凍結し、あらゆる攻撃から身を守る防御魔法。しかし前に使った時に彼女自身が言っていたように攻撃に使える代物ではなく、クピディタースには成長する力がある。
「ぐっ……ダメか、もう適応した!!」
レミニアの『無限』の魔力でブーストしても動きを止められたのは数秒。たったそれだけでクピディタースは静止した世界に適応して意識を取り戻し、体を動かせない事を悟ると不可視の衝撃波を放った。その規模は今までのどれよりも大きく、戦っていた六人だけに留まらずスゥの『断絶障壁』とぶつかる。
スゥは両手を前に出して堪え、それを見ていたネミリアも片手はみんなの方に向けて治療を継続しつつ、もう片方の手をスゥと同じ方向に伸ばして障壁を強化する。薄い青から赤色へと変わった障壁は強度が上がり、クピディタースの衝撃波を防いだ。
けれど防げたのはそこまでだ。一足で飛び込んで来たクピディタースの拳までは防げず、僅かに抵抗した後に障壁は破られてスゥは殴り飛ばされた。
「スゥさん!?」
ネミリアは宙を舞って吹き飛んでいくスゥを念動力の光で包み込んで静かに地面に下ろす。さらにすぐ治療をすれば何とか助かる事を確認すると、スゥ一人に治療を専念して応急処置をする。
「選べ、劣等種共」
けれど、その時間が無かった。
背後から低い声が放たれる。
「頭を垂れ、生涯をこの帝王に仕えるか。それとも周りにいる屍の仲間になるか」
戦える仲間はもう残っていない。あとは自分一人だけだ。
降伏を促すタイミングとしては他に無いだろう。現に獣人達は何も答えてはいないものの、その表情からは諦めの色が見て取れた。
「……したがわ、ないで……」
けれど抗う小さな言葉が後方から聞こえて来た。
今し方吹き飛ばされて満身創痍のスゥの声だった。
「助ける、から……みんなを、絶対っ、自由に……ッ」
「スゥさん……」
彼女は血の混じった咳をしながら、指一本動かせない状態で、それでも命を削りながら獣人達に訴えている。
スゥにはもうその力が無い。けれど彼女の魔力障壁が破られた時、吹き飛ばされた者はおらず、スゥ自身が殴り飛ばされただけで獣人達は守り切ったのだ。そんな彼女の言葉には説得力があった。
そして、その姿を見たネミリアは折れかけていた心を今一度奮い立たせ、両手に白いオーラをまとわせながらクピディタースを睨みつける。
その背後で守られていた獣人達は互いに顔を見合う。そして頷き合うと一人、また一人と立ち上がってネミリアと同じようにクピディタースを睨みつける。そこにはユリ、アリウム、アイネの三人の姿もあった。
スゥとネミリアの姿が最後の一押しだった。獣人達が今立ち上がったのは、これまで自分達を守ろうとボロボロになりながら戦ってくれた人間達を見たからだ。この施設で自分達を道具としか見ていなかった人間とは違う、一つの命として対等に見てくれた者達。
潜入はバレていた。クピディタースの力には歯が立たなかった。作戦なんて何の意味もなくて、ギリギリの状況を何とか繋ぎ合わせて敗北を遅らせていただけかもしれない。
けれど意味はあったのだ。中には生きる事を諦めていた者もいた。この状況から脱却できるなんて考えてもいない者もいた。だが今は全員が同じ方向を向いている。ここにいる全員が叛逆の意志を灯す『反乱軍』だ。
「そうか……」
行動で示された答えに帝王は静かに頷いた。
そしてネミリアを先頭に一斉に襲い掛かる獣人達に対して、どこまでも平坦で冷酷な口調で突き付ける。
「では死ね」