387 想い、通わせて
這い出して来るクピディタースに備える為に別れたヘルトとは別行動で、アーサーは一人で施設内へと戻って来ていた。混乱している最中だからか警備の人間もいない。魔力を取り戻した時に位置は感知していたから、その足に迷いもない。別の場所に隔離されていたのは、やはり『魔神石』を内包する『一二災の子供達』だからだろう。
ラプラスが囚われているのは、ユリやアイリスと出会ったホテルのようなエリアだった。まさかこんな所にまた戻って来るとは思ってもみなかった。
胸の内に圧し掛かる重い何かを感じて、深い呼吸を挟む。
会ったら何て言おうか、そればかり考えていた。
ラプラスに対する自分の気持ちなんて、ヘルトに指摘されるまでもなくずっと前から分かっている。それを誤魔化し続けて、ラプラスも配慮してくれたから甘えていただけ。『担ぎし者』の呪いを言い訳にして、宙ぶらりんな状態を心地よく感じていたから、答えを出すのを避けていただけだ。
その結果がこれだ。大喧嘩して別行動する事になって、ラプラスは捕まった。
本当に馬鹿だ。離れ離れになって初めて彼女の存在の大きさを自覚するなんて、他に形容できないほどの大馬鹿野郎だ。
目的の場所まで来ると、流石に扉の前には二人の警備兵がいた。銃で武装しており、魔力無しでは手も足も出ないだろう。けれど今のアーサーには呪力がある。自然魔力の場合は外側から集めた力を必要に応じて使い分けている感じだが、呪力は自分の内側から捻出された力を必要な場所へ移動させていく感触だった。先程のように全身に広げて行くと、赤い輪郭を持つ黒いアメーバ状の痣が現れる。アーサーの呪術、呪力纏衣『阿修羅』だ。
物陰から出ると床を踏み締める。
この『阿修羅』は今後の呪術の可能性の代わりに、状況に応じて無限に成長し続ける力だ。今はまだ呪力を身に纏っているだけの状態だが、それはアーサーの状況に応じてリアルタイムで進化する。
その瞬間、武装した警備兵を倒す為に『阿修羅』はアーサーの身体能力を底上げした。その状態でアーサーが地面を蹴ると一瞬で二人の警備兵に肉薄し、拳を振るって昏倒させる。
次の問題は鍵のかかった扉だが問題無い。拳を構えると思いっきり殴り飛ばした。
◇◇◇◇◇◇◇
ホテルのような一室だった。本来は人を閉じ込める目的がある部屋ではないのだろう。椅子に縛られて見張りは銃で武装した男が一人。先程一時的に魔力が戻った時にあらゆる脱出方法を模索したが、そもそもラプラスはアーサーのように魔力で肉体を強化するタイプではない。あくまで武器があって初めて戦力になる力だ。それを奪われて身動き一つできないとなるとどうしようもない。
けれどラプラスには焦る理由があった。
もしアーサーが自分が囚われている事を知っている場合、必ず助けに来てくれるという確信があった。だが同時に再び魔力を使えなくなった今、間違いなく呪術に手を伸ばしてしまうという確信もあったのだ。
(それだけは阻止しないと! あの力にアーサーが手を伸ばしたらきっと……ッ)
そんな思考を巡らせていると、唐突にドアが吹き飛んで来て目の前の男に直撃した。
誰かが助けに来たのだろう……いや、確認しなくても誰かなんて分かっている。魔力を使えないはずなのにドアを吹き飛ばしたのを見て、嫌な予感が頭を過る。
(ああ……)
そして、廊下の方から出てきた彼を見て全てを悟った。首筋や手の甲に異常な痣が表れており、明らかに魔力ではない『力』を身に纏っている。
アーサー・レンフィールドは呪術に手を出した。それが答えだ。
ラプラスはくしゃりと顔を歪ませて、
「……どうして、来てしまったんですか……?」
「当然だろ?」
短く答えたアーサーだが、少し気まずそうだった。喧嘩中な上に約束の反故を重ねている身としては気が気じゃないだろう。
アーサーは『阿修羅』を解くとラプラスの後ろに回り込んでしゃがみ、縛っている縄を解き始める。そして僅かな沈黙のあと、彼は口を開いた。
「……ごめん」
「……それは何に対する謝罪ですか?」
「約束を破って呪術に手を出した事。……それと、これから言う事に対して」
「……何の話ですか?」
「単刀直入に言うけど、お前と仲直りしたい。だから不満があるなら言って欲しい。頼むから避けるのは止めてくれ」
「……卑怯です。身動きできない時にその話をするなんて」
「そうだよ、俺は卑怯なんだ。だから今まで生き残れて来たし、お前と仲直りできるならなんだってする」
そこでラプラスを拘束していた縄が解き終わった。手首をさすりながら出口の方に視線を向けながら考えるのは、このままアーサーを無視して外へ行くという選択肢だった。
距離を置こうと言ったのは自分だ。話すべきじゃない、と思った。
「……五〇〇年間、私は閉じ込められて孤独の中にいました。それを苦しいとも悲しいとも思わず、ただ利用されるがままに『未来』の観測を続けていました。……ですがもう、戻れません。戻りたくありません」
けれど思考に反抗するように、ラプラスの口から言葉が溢れた。
出口から視線を切って振り返ると、アーサーは真剣な眼差しでこちらを見ていた。ラプラスはそれを直視できず、咄嗟に顔を背けてしまう。
「……私は怒っているんです。あの時、どうして私だけを逃がしたのか。自分が死ぬかもしれないと知って、どうして私だけを助けようとしたのか」
聞かなくても分かっているのに、どうしても責めるような言葉を止められない。
アーサーはそういう人間だ。天秤にかける命に自分が含まれていない、いつだって誰かの命を、心を助ける事を第一に考える。その為なら世界中から悪人だと蔑まれようと、偽善者として後ろ指をさされようと、絶対に助ける事を止めない。こんな命の価値が暴落しているような生活の中で、それでも誰かが犠牲になる事を許容できない真っ当さを保ち続けているのだ。
極限下を幾度となく生き延びて来た異常性。同時にそれが彼の美徳だと、分かってはいるのだ。
「私はアーサーがいなくなったら、もう生きてる意味なんて無いんですよ!? それなのにアーサーは私を置いて行こうとして、せっかくチームを作っても一人で死地へ行こうとする癖がそのままじゃ意味がないじゃないですか! 『スコーピオン帝国』の時から全く成長していないじゃないですか!! 私はアーサーのいない世界で生きるくらいなら、最後の瞬間まで一緒にいたいんですっ!! どうしてそれを分かってくれないんですか!?」
アーサーが自分の命をどう使おうと、それは個人の自由だ。ラプラスが介入するべき問題ではないし、他者の命を助けたいと願う彼に死ぬなら自分も一緒に連れて行けなど、酷く自己中心的な理屈だとラプラスは自分でも思った。
でも止まらない。止められない。
不合理でも、不条理でも、不適切でも、一度溢れた激情を止められない。この本音にだけは嘘をつけない。
「アーサーのそういう、すぐに自分の命を投げ出す所が大嫌いです!! 嫌で嫌で、本当に嫌いで……っ」
だけど。
だけど。
だけど。
だからこそ!
そんなアーサーだからこそ!!
「……好きなんです!! 心の底から愛しているんですっ!!」
怒りに任せて口から出たのは、今の状況には相応しくない愛の告白だった。
やってしまった、と思った。
激情に任せて言ってはいけない事を言ってしまった事を後悔した。だが一度出してしまった言葉は無かった事にはできない。
そして後悔が熱くなった頭を冷やしていく。ぼろぼろと溢れる涙を袖で拭って、もう見栄も外聞もどうでもよくなり、どうして自分が怒っていたのか、その本当の理由を先程までとは打って変わって呟くような小さな声で漏らす。
「……それなのに私は、それを許せないと思ってしまったんです……アーサーを誰よりも信頼していて、私のマスターなのに、一緒にいればいるだけ我儘になっていく自分が嫌なんです……」
「だから距離を置こうなんて言ったのか……」
こくん、とラプラスは頷いた。
「……アーサーのせいなんですよ? アーサーが私に全てをくれて……人間にしてくれました。人を愛する事を知りました。……だからもう、強がれません。どうしても我儘になってしまうんです……」
「ラプラス……」
くしゃり、とアーサーはラプラスの頭に手を置いて撫でる。
そこでようやく、ラプラスは視線をアーサーの方へと戻した。
「……不安にさせてごめん。お前に相応しくないマスターで、いつも支えて貰ってばかりで本当にごめん」
「アーサー……?」
彼は慈愛と申し訳なさを合わせたような複雑な表情を浮かべていた。頭を撫でる手を移動させ、ラプラスの頬に優しく触れると頬を伝う涙を親指で拭う。
「我儘になるなんて当然だろ? 俺だってそうだ。こうやってすぐにラプラスに触れたいと思うし、一日話せないだけで凄く落ち込む。それを自覚したのは最近だけど……ここ最近、考えてたのはお前の事ばっかりだ。会った時以来に盛大に喧嘩して、何日も避けられて……それでようやく気づいたんだ。お前と話せないのは嫌だって。お前が俺にとってどれだけ大切な存在なのか」
アーサーにとって、特に自分の支えになっていると思う相手はラプラスを含めて四人いる。
近衛結祈は理解者。
サラ・テトラーゼ=スコーピオンは相棒。
スゥシィ・ストームは良心。
そして、ラプラスはアーサーにとって、
「俺にとってのお前は半身みたいな存在だ。いつも一緒にいたからそれが当たり前すぎて、その価値を全然分かってなかった。いつもラプラスが俺の意志を汲み取ってくれるからそれに甘えてたんだ。……だから、こんなどうしようもなく馬鹿な俺に、好きだなんて言って貰う資格なんて無いと思う」
ああ、と。
何となく、ラプラスは未来を観測する力を使わなくても話の流れが分かった。
おそらくアーサーは告白を断ろうとしているのだろう。それもなるべくラプラスを傷つけず、自分自身が悪いと告げる形で。
その優しさをアーサーらしいと思うと同時に、先程までとは違う理由で涙が出て来そうだった。
「ヘルトに言われたんだ。俺達は女性を幸せにできないって。俺もその通りだと思うし、何より『担ぎし者』の呪いの事を考えたら、大切だと想う相手とは嫌われても距離を置いた方が良いんだ。それに五〇〇年も囚われてたのに、俺がまた縛り付けるのは違う。……そう考えたらさ、お前が俺と距離を置こうとしたのは正解だと思うし、何よりもお前の幸せの為に俺の存在は邪魔になると思うんだ。だから……」
「そう、ですか……ええ。そう……ですよね。分かって、います……分かって……」
気付けばアーサーの言葉を遮るように理解したような口ぶりで、何度もつっかえながらまくし立てていた。
アーサーが言っている事に、思う所がないと言ったら嘘になる。だけど好意を受け取る気が無い者に、一方的に好意をぶつけるのは違うと思った。
これが最適。これで良かったのだと自分を無理矢理納得させようとする。
けれど、どんなに頭で冷静に対処しようとしても、押し殺しきれない感情の涙でじわりと視界が滲む。
改めて痛感した。自分はこんなにもアーサーの事を愛していたのだと。そして自分の初恋はこれで終わってしまったのだと。
一刻も早くこの場を離れたかった。アーサーの顔を見るのが恥ずかしくて、情けなくて、踵を返して出口の方へ走ろうとした。
しかしアーサーはラプラスの肩を掴んでその動きを止めた。そして腹の底から本気の声で叫ぶ。
「だからこれは俺の我儘だ! お前の邪魔をさせてくれ!!」
「えっ……?」
突然の言葉にラプラスの動きが止まり、改めてアーサーの方を見る。すると彼の顔も先程告白した時の自分と同じように朱に染まっている事に気付いた。
「お前を失うなんて考えたくもない。でも一緒にいられないのも嫌なんだ。顔を合わせて話せないのも、気まずそうに避けられ続けるのも耐えられない。いつかお前が別の人を好きになるなんて想像するだけで、胸が張り裂けそうになるんだ」
回りくどく言ったせいで、自分の至らない言葉がラプラスを傷つけたのは分かっていた。その贖罪のように、必死に、懸命に、真摯に彼は言葉を紡ぐ。
「俺はお前と一緒にいたい。くだらない事で笑い合ったり、一緒に綺麗なものを見たり……難しい問題があるなら二人で解決策を考えて、公私合わせて支え合って行きたい。良い時も悪い時も、一緒に歩んで行きたい」
自分みたいな人間は独りで生きて行くべきだというのは分かっている。近しい人を死に近づけてしまうのに、大切な存在を作るべきじゃないのも分かっている。
だけど止められなかった。
この想いにだけは歯止めをかけられなかった。
「もしかしたら俺は、お前を幸せにできないかもしれない。だけどずっと一緒にいたいと想う相手はお前なんだ。だから絶対に幸せにする。矛盾してるかもしれないけど……これが俺の素直な気持ちだ」
「そ、それって……」
「好きだ」
今まで言わないようにしていたのが嘘みたいに、その言葉は自分でもびっくりするくらいすらりと出てきた。
そしてもう一度、今度は自分でもその言葉の意味を噛み締めるように告げる。
「俺もラプラスの事が好きだ……愛してる」
「っ~~~アーサー!!」
堪えきれなくなったラプラスは思いっきりアーサーに飛びついた。背中に腕を回し、彼の胸の顔を埋める。
もはや遠慮する必要なんて何もなかった。これで死に近づいても良い。今はただ最愛の人に触れていたかった。
「私も好きです……大好きですっ!!」
その想いに応えるように、アーサーは強く抱きしめ返して申し訳なさそうに言う。
「さっきも謝ったけど、本当にごめん。これを言ったらお前が死に近づくって分かってたのに、どうしても我慢できなかったんだ」
「いいえ……いいえっ、良いんです! 嬉しいです!! 本当の本当に、死んじゃいそうなくらい嬉しいんですっ!!」
それが嘘じゃないと伝えるように、ラプラスはアーサーを抱き締める力を強めた。
「せっかく恋人になれたのに死なれるのは困るなぁ……」
「むぅ……照れ隠しとはいえ揚げ足取らないで下さいよ」
「ごめん……」
そんな会話も笑い合いながら、とても楽しそうな様子だった。
こんな状況だというのに、お互いに胸の内に感じた事のない幸せが溢れて行くのを感じた。
「一つだけ不満があるとしたら、私の幸せを勝手に決めつけた事ですね。私の幸せは長生きする事じゃありません。アーサーとずっと一緒にいられればそれで良いんです! 共に『未来』を生きて行きたいです!! だから私を離さないで下さいっ!!」
「っ……ラプラス」
「んむっ」
絶対に離さないという想いを伝えるように、アーサーはラプラスの唇を強引に奪った。ラプラスもそれを受け入れ、積極的に唇を押し付ける。
二人がキスをしていた時間はほんの数秒だった。唇を離すとラプラスは恍惚の表情で感触を確かめるように唇に指を這わせて、
「アーサーとは何度かキスをしましたが……今までのどれよりもドキドキしました」
「っ……俺もだ」
簡素に返答したアーサーは心臓が痛いほど早鐘を打つのを感じていた。それほどまでに今のラプラスからはフェロモンのようなものがダダ洩れていて、咄嗟に奥歯で頬の内側を噛みしめていなければ、後先考えずにラプラスを傍のベッドに押し倒していたかもしれない。
ラプラスともっと愛し合いたいという欲望が大きくなるのを感じたが、理性をフル動員してその情欲を抑えつけると言葉を吐き出す。
「……終わらせなくちゃいけない事がある」
「分かっています。今も戦っているみんなと合流して獣人達を救いましょう」
能力的に言えば何も変わっていない。事実だけを簡潔に告げるなら、単に囚われていたラプラスという一つの戦力を取り戻しただけ。
けれどこの変化は大きい。特にアーサーのように他者を理由に強くなれる人間にとっては、最愛の女性の存在ほど力になる者はいないだろう。
ありがとうございます。
さて、ようやくアーサーが誰かに好意を伝えました。相手はラプラスです。
なんだかんだ、第一〇章で再開してから常に行動を共にしていた唯一の存在がラプラスです。『スコーピオン帝国』で死亡扱いになった後も、過去の改変でみんなが消えた時も、『ディッパーズ』決裂の戦いの場でも。彼女は必ずアーサーの傍らにいました。
第三八四話でヘルトが言っていた、「長い時を共にした女性が魅力的なら当然の帰結だ」という言葉通りな訳ですね。
ヒロインレースはラプラスが一歩リード。さて、色々と問題だらけの危うい恋人関係ですが、これからどうなるのか。
……それにしても、主人公がヒロインとくっ付くまで387話って掛かり過ぎじゃない?