385 一〇分間の攻防_Part2
背後から轟いて来る戦闘音を尻目に走るのは、この『奈落』から全員脱出という無理難題を受けた透夜達だ。
『奈落』から飛び立ったクラークとアイリスはいない。そもそも安全な脱出路があるかどうか分からないし、少人数の移動を想定として配置した物を使って何十人という獣人達を逃がすのは無理だろう。
(どう救う……どう助ける? アーサーならどうやって抗う!?)
無駄に走り続けた所で、ここは逃げ場のない監獄。アーサー達が戦う爆心地から遠く離れるのが関の山だ。透夜が足を止めるとみんなの足も止まる。一人の頭では解決できない問題の答えを探る為にみんなの方を見る。
「……この人数、どう脱出する? 何か良い方法を思い付かない?」
「アンタ馬鹿? そう簡単に逃げられるなら誰も苦労してないわよ」
すぐに返って来たユリの辛辣な言葉からは目を背け、この中で『ディッパーズ』としては最古参のサラへと目を向けると、彼女はその意図に気付いて上を指さしながら、
「天井をぶっ壊せば? 透夜の鎖を伸ばしてよじ登れば出られるわよ?」
「……さ、サラさん? 流石にそれはちょっと……」
「とりあえずやってみよう」
呆れた様子の紗世には構わず、透夜は足元から大量の鎖を出現させるとそれが絡まってドリルのように頭上を砕く。しかし透夜に出来たのはそれだけだ。多少の穴は出来たが貫通までにはほど遠い。
「ダメだ……『天地覆う連環の鎖』でこれなら僕じゃ無理って事だ。魔術が使える時間内に穴を開けられるか分からない」
「だったら継続して天井を破壊しつつ別の可能性を考えるべきだ。時間もほとんど残されていないしな」
嘉恋はサラが背中に担いでいる昏睡状態の紬に目を向けて言った。彼女は正確な時間を言っていなかったが、ユリが言うにはこの状態は一〇分程度しかもたないらしい。魔力行使を封じている大元の装置を破壊しに行ったクラークとアイリスが成功すれば制限は無くなるが、それを確かめる術は彼らにない。分かるまでは一〇分後に再び魔術を使えなくなると見て動いた方が良いだろう。
「なら私が『万里跳躍』を使って地上に扉を繋いでみんなを逃がすよ。私のは魔力を使わないから時間が来ても使えるし」
「……それが一番堅実か。では早速移ろう。まずは―――」
と。
嘉恋が今後の動きをまとめようとした時だった。
「ッ……伏せて!!」
唐突に嘉恋の言葉を遮ったのは、先程までそんな様子を見せていなかったアイネの絶叫だった。
直後、変化があったのはスゥの背後だ。黄色い輪郭の円が空中に突然現れると、そこからグレーのコートをたなびかせた灰色の獣人が飛び出して来た。そしてスゥに向かって容赦なく刀を抜き放って斬りかかる。
結果的にそれはスゥが寸での所で『断絶障壁』を発動して防げたのだが、アイネの警告が無ければ今の一太刀で確実に殺されていた。その事実に戦慄すると共に、透夜は両掌から鎖を、サラはホワイトライガーの拳を、紗世は四本の尾を灰狼の獣人スノーホワイトに向かって放つ―――が、向こうはそれよりも早く対処していた。
どういうカラクリなのかスノーはサラが動き出した瞬間には懐に飛び込んでおり、刀を振るって斜めに斬り裂いた。さらに透夜が撃ち出した鎖を掴むと透夜ごと引っ張って壁に叩きつけ、姿勢を低くして四本の尾の下を潜るように駆けると今度は紗世に向かって斬りかかる―――が、そこでまた不可解な行動に移った。スノーは紗世への攻撃を止めると思いっきり右に跳躍した。その直後に一瞬前までスノーのいた位置に一〇個の斬撃が降り注いだ。
「結祈さん、お願いします!!」
「任せて凛祢ちゃん―――『風刃・雷刃』!!」
もう一方の乱入者は脱獄を果たしたばかりの結祈達だった。状況も何も知らない彼女達だが、一目見て仲間のピンチを悟り戦闘に参加したのだ。
右手に風、左手に雷を纏う漆黒の剣を携えてスノーに斬りかかる結祈。さらに共に行動していたメアとフィリアも加勢して襲い掛かる。
「魔力込みなら負けないよ!!」
「ん。リベンジマッチ」
双剣、鋼糸、双銃剣。
三つの強力な武器に襲われたスノーが取った行動はシンプルだった。現れた時と同じように『万里跳躍』を通って消えたのだ。
「なっ……!?」
「そんなのあり!?」
「ッ……切り替えて二人共! もう移動してる……凛祢ちゃん!!」
結祈が言葉を発した時には少し遅かった。彼女の背後に現れたスノーはそのまま背中を斬り裂き、倒れる凛祢には目もくれず再び結祈の方に駆けて来る。
友人を斬られた結祈だが、『損傷修復』を持つ凛祢なら問題無いとドライに割り切る。その一瞬すら命取りになる相手だと理解しているからこそ、結祈はスノーから目を逸らさなかった。
獣人の筋力や瞬発力には『魔族堕ち』の自分でも敵わないと諦めた結祈は、例え分かっても躱せない速度の『雷』と『光』を複合させた超高速の一条の雷光を『雷刃』を纏わせた剣からスノーに向けて撃ち出す。だがここでもスノーは先に動いており、ダッキングして結祈の攻撃を躱すと懐まで飛び込み刀を横薙ぎに振るった。驚愕した結祈だが、その攻撃は寸での所で『風刃』を纏わせた剣で受けて防いだ。
それを躱せた事に驚愕していたのは結祈だけではなく、周りにいた者達にとっても共通の疑問だった。すぐに思い当たるのはラプラスのように『未来』を見ているという事だが、『魔神石』抜きにその所業を行っているとは考え難い。
「嗅覚よ!」
その答えを持っていたのは、壁に吹き飛ばされてようやく復帰した透夜の傍にいたユリだった。アイネに『万里跳躍』を使って貰い、他の獣人達を避難させながら彼女はスノーが攻撃を察知するカラクリを叫ぶ。
「他にも聴覚や第六感! スノーはそれで人間はおろか、私達よりもずっと世界を見てる!!」
傍でそれを聞いた透夜は絶句していた。獣人と人間の違いなんて、単なる容姿と身体能力の違いくらいだと思っていた。けれど改めて突き付けられる。種族が違うという事は、それほどまでに圧倒的に違うという事を。
とはいえ、獣人といえど元となった生物の能力を十全に引き出すのは容易な事ではない。むしろ能力をほとんど引き出せない者達の方が多い。
しかしスノーは例外だ。彼女のベースとなっている狼、その嗅覚は人類の一〇〇万倍以上に達する。さらに聴覚も一〇倍程度はあり、その上で視覚はより優れている色覚を持つ人間寄りだ。狼と人間の能力の良いとこ取りで、その能力を十全に引き出せるという事は、もはや世界を見ている尺度が違う。全てが分かるのだ。眼球の動きも、呼吸の乱れも、筋肉が動く位置の匂いも。それらを認識した時点で、人間を凌駕する身体能力で先に動いて隙を突く。スノーに敵と認識された時点で攻撃も逃亡もできない。その上で認識外からの奇襲を仕掛けたとしても、それは野性的第六感で察知されるという万全の構え。
「そんな相手にどうすれば……」
「だったら不可避の技で拘束すれば良いんだよ!!」
スノーとの直接戦闘を結祈とフィリアに任せて移動していたメアは、リディとネミリアの近くで足を止めた。
「リディ、ネミリアちゃん、カヴァス、行ける!?」
「いつでも行ける」
「手筈通りにですね」
「ふん」
確認を取ったメアはワイヤーを使い、なんとリディの体をグルグル巻きにして拘束したのだ。さらにネミリアも両手をリディの方に向けて構える。
準備はそれだけだった。あとは至極単純で、リディが右目の力でスノーと位置を交換したのだ。それだけでまともに攻撃も当たらなかったスノーはワイヤーでグルグル巻きにされた状態で拘束された。さらに間髪入れずネミリアがスノーの体に触れて『共鳴』の力で動きを制限すると、次いでカヴァスが電撃を放って体を麻痺させた。
「くっ……何をした!?」
「ようやく表情が変わったね、スノードロップ。言い忘れてたけど、仲間がいれば私達は負けないんだ」
「……くだらない。そんなものがいなくたって私は独りで生き抜く」
「その道を通って来た先輩として言うけど、その生き方は寂し過ぎるよ。仲間だって大勢いるのに」
「うるさい……お前は絶対斬ってやる」
強気な口調だが、ワイヤーで拘束しているだけならともかく、ネミリアの力で動きそのものを封じているのだ。いくら膂力がずば抜けていても動けるはずがない。
ひとまず去った脅威に、特に長く戦闘していた結祈は尻餅を着いて深く息を吐いた。
「ふぅー……キツかったぁ」
単独での戦闘力なら『シークレット・ディッパーズ』でトップレベルの結祈がここまで疲弊しているのは、スノーの先読みだけではなく剣技に理由があった。
おそらく獣人としての人間離れした身体能力と心肺機能、そして正しい太刀筋に秘密があるのだろう。いくら連撃を軸にした剣技でも切れ目があるはずなのに、スノーの剣技にはそれが全くないのだ。つまり体力が尽きるまで連撃に果てはない。時間制限があって急いでいたというのもあるが、この短時間で無力化できたのはかなり運が良かったと言える。
「おつかれ、結祈」
「うん、フィリアもおつかれ」
武器を仕舞ったフィリアが差し伸べてきた手を取って立ち上がる。少し休んだおかげで乱れた息も大分回復していた。そして周りの状況を見回すと、獣人達の地上への移動もほとんど終わっていた。残りは自分達くらいだ。
「残り時間ってどれくらいだっけ?」
「あと一分くらい。それまでに彼女の拘束を強めておいた方が良いかも」
「だよね。メア~」
「おっけー」
気の抜けた結祈の声に合わせるようにメアは軽く返事をすると、右腕からさらにワイヤーを出してスノーを完全に拘束しようとする。
けれどその寸前、何の前触れもなく唐突に。
みんなの前でネミリアが倒れた。
それこそ糸が切れたように、意識を失った彼女の体がその場に崩れ落ちる。
突然の事態に全員の思考が停止した。
何が起きたのか正確に理解している者はいない。けれど状況は単純だ。スノーを完全に拘束する前に、彼女の動きを封じていたネミリアが倒れた。つまり―――
「メア!! ワイヤーを離し……っ」
「ふんッ!!」
結祈の絶叫も届かず、力いっぱい地面を踏みしめたスノーは気合の一声と共にワイヤーを思いっきり引っ張った。その膂力にメアが叶う訳もなく投げ飛ばされ、先程の透夜のように壁に叩きつけられた。そして緩んだ拘束から抜け出すと、スノーは刀を構えて一直線にメアに向かって駆ける。
おそらく有言実行を意図しての事だろう。背中への強い衝撃で身動きの取れないメアに向かって、斜め上から刀を振り下ろす。それが体の正面から深々と肉を斬り裂き、大量の鮮血が撒き散らされた。
ただしそれはメアのものではなく、二人の間に割り込んだ透夜のものだった。
「……とう、やくん……?」
「ぶっ……ぐぼ、がぁ……ッ」
肩から脇腹にかけて刻まれた傷口から大量の血が溢れ、口からも同じように血が流れる。急速に死へと近づいていく透夜は立っていられず後ろへと倒れた。
「透夜くん!?」
衝撃から復活したメアが倒れて来た透夜の体を受け止める。ぬるっとした感触と共に手がすぐ真っ赤に染まる。
それは致命的な量の出血だった。この場で回復手段を使える唯一の存在であるネミリアは未だに倒れているし、それ以前にネミリアの力では透夜の命が尽きる前にこの傷を治す事はできないだろう。
「『風刃・雷刃』―――『過剰神剣』ッ!!」
メアに向かってもう一度刀を振り下ろそうとしているスノーに向かって、結祈が激昂しながら今までの『風刃・雷刃』よりも威力と射程が拡張された双剣を振るいながら突っ込む。感知したスノーは斬撃から防御へと切り替えたが、受け止めた瞬間、雷を纏った突風によって吹き飛んで行った。
透夜とメアの方を一瞥した結祈は、一瞬の油断を後悔して唇を噛みしめた。けれど自分の役割はスノーの動きを止める事だと定め、後悔を振り切るように吹き飛ばしたスノーに向かって飛び込む。
その間、メアが透夜を助ける為に考え付いたのは、自分のワイヤーで傷口を縫った後に『紅蓮界断糸』の熱で無理矢理傷口を焼いて塞ぐというものだった。
しかし実行に移す前に一〇分の猶予が終わってしまった。その瞬間、魔力の使用ができなくなり透夜の治療ができなくなってしまう。
「そんな……待って! あと少しだけ魔力を使わせてよっ!!」
奈落の底からの悲痛な叫び。
それはどこにも届かない。
◇◇◇◇◇◇◇
ぼやけた声で名前を呼ばれている気がした。
体は動かないけれど、意識だけはしっかりしているような奇妙な感覚。
(ああ……なんだろう、これ。走馬灯ってやつかな……)
何となく死ぬんだろうな、というのは分かった。
その時、頭に響いたのは誰よりも大切に思っているミオ―――ではなく、最近知り合ったばかりの少年の言葉だ。
『理不尽を前に立ち尽くすしかない人に、不安を感じさせない声で大丈夫だって言ってやれ。それでお前はヒーローだ』
死を近くに感じた瞬間、真っ先に頭に浮かんだのは『キャンサー帝国』に乗り込む前夜に聞いたアーサーの言葉だった。
どうしてかは分からない。そもそも自分は人助けに憑りつかれているような部類の人間じゃなかったはずだ。妹のミオを失って、生まれ変わった彼女を殺そうとして、アーサーと出会って守り続ける道を選んだ。
(そうだ……大切なのはミオだけのはずだった。僕はいつからこうなった……?)
どうしてメアとスノーの間に割り込んだのかは自分でも分からない。間違いなく言えるのは、少し前の自分ならこんな行動は取らなかったという事だ。
『つまりお前も自然にそうなるって事だよ。誰かの為になりたい。その想いはヒーローへの第一歩だからな』
アーサーの言う通り、いつの間にかそうなっていた?
ミオだけじゃなくて、誰かの為になりたいと想っていた?
消えゆく意識の中でうっすらと目を開くと、目に涙を浮かべたメアが懸命に叫んでいる姿が見えた。彼女の無事を確認すると安堵すると共に、きっとそうなんだろうと納得できた。
(メアだけじゃない……いつの間にか、みんなの事を大切に想ってたんだ。だから僕は守りたかった……そしてミオがもう、引け目を感じなくて良いように。胸を張って心の底から生きて良いんだと笑えるように……その為に救える限りの人達を助ける。みんなや世界を守るんだ!!)
自己中心的な動機だが、それは命を懸けて進む道を選ぶには必要な事だろう。決意を新たにした透夜は最後の力を振り絞り、胸ポケットから奇蹟的に無傷だった円筒型のケースを取り出した。
何故、そんな行動を取ったのかは分からない。だけど頭ではなく魂が、これが正しい道だと思ったのだ。
「透夜、くん……? ……待って、それはダメ!!」
「ッ……」
最初、メアはその動きを疑問を浮かべて見ていた。すぐに体を動かせなかったのは、透夜が突然動いた事に驚いてだろう。
彼女に止められない内に、透夜は円筒型のケースの上部を押して針を突き出し、それを自分の胸へと突き刺した。
何の補助もない状態での、致死率一〇〇パーセントの『獣人血清』の投与。その液体が透夜の体へと流れ込み、死に体の彼にトドメを刺すように凄まじい激痛が襲い掛かる。