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村人Aでも勇者を超えられる。  作者: 日向日影
第一八章 たとえ間違いだらけだったとしても The_Multiverse_Door_Was_Opened.
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384 一〇分間の攻防_Part1

 アーサーとヘルト、魔力を取り戻した二人が突っ込むとアンソニーは獣人達への攻撃を止めた。サラ達が獣人達を守っているおかげで獣人達の犠牲はほとんどない上に、魔力を取り戻した二人は片手間に相手できないと踏んだのだろう。

 それは二人にとっても好都合だった。

 アーサーは『鐵を打ち、(ウェポンズスミス)扱い統べる者(・カルンウェナン)』で先程ヘルトに貰ったものと同じ、ユーティリウム製の刀を創り出すと両手に握る。今度は魔力で身体能力を強化しているので、触手を斬り飛ばすだけではなく着実に前進できる。

 しかしアーサーがいくら近づこうと、アンソニーの意識はあくまでヘルトに向けられていた。ただの刀より『万物両断』の方を危険視しているのだろう。だがそのおかげで遂に刀の射程圏内まで近づけた。


(俺には剣才がない! だからがむしゃらに剣を振れ!! 全部命を取る気で振らないとヤツにかすり傷も負わせられない。もし当たらないんだとしても、ヘルトに向けられた警戒の何割かを削げ!!)


 右下からの斬り上げ。しかしアンソニーが体を逸らしたせいで当たらないのが分かる。

 その瞬間、アーサーは常識では有り得ないことを実行した。本来なら自分の足を切らないように右下から斬り上げる時は左足を前にするのが常識だし、アーサーだって無意識にそうしている。しかし届かないと悟った瞬間、アーサーは咄嗟に右足をもう一歩前に踏み込んだのだ。

 漆黒の刀が右足側面スレスレの位置を通り、ほんの少し射程が前に伸びた斬り上げがアンソニーの体に切傷を刻む。さらにアーサーは回転を止めずに左回りに一回転すると、刀を右手一本に握り直して真っ直ぐ突き出した。回転も相まって普通に突き出すよりも高速で突き出された突きはアンソニーの胸の中心を穿つ。


(心臓を穿った……けどっ、おそらくこれでもヤツは止まらない!!)


 その確信があったアーサーは刀を回して横に向けると、それを横薙ぎに振るって彼の胴体を裂きながら強引に引き抜いた。だが次の瞬間には彼の傷跡は修復を始めていた。やはり普通の攻撃では倒せない。彼はすでに人間でも獣人でもない別の何かだと再認識する。


「チッ……ちょこまかと鬱陶しい」

「くっ……ヘルト!!」

「呼ばなくても分かってる!!」


 周りを飛び回るハエを振り払うような素振りでアーサーを払いのけようとするアンソニーの周囲に無数の魔法陣が浮かび上がる。

 致命傷にはならない攻撃でも、注意を削ぐという目的だけなら達していた。アンソニーの意識がアーサーに向けられたその一瞬、その隙を逃さずヘルトは必殺の一撃を構えていた。


「刻め―――『ただその理想を(アイディールダスト)成し得るために(・オルタナティブ)』ッ!!」


 展開した魔法陣の全てから集束魔力砲を放つ対群仕様の一撃。その全ての砲身をアンソニーへと向けて放った一撃は彼を中心に魔力爆発を引き起こす。

 勿論、近くにいたアーサーは直撃こそしなかったが余波に吹き飛ばされた。そしてサッカーボールのようにゴロゴロと転がった先でヘルトに踏まれて止められた。


「げほっ……おい、俺も一緒に殺す気か?」

「それが分かっていて突っ込んだのはきみだろう? それにヤツは死んでない」


 ヘルトの言葉の通り、晴れた土煙の中からは両腕の触手で自分を包み込むようにドーム状にして守っていたアンソニーの姿があった。


「予想はしてたけど、やっぱり集束魔力砲でもダメか……。ヤツを殺すにはぼくらの右手で直接触れるか、集束魔力砲以上の威力を持つ攻撃で消し飛ばすしかない」

「集束魔力砲以上の攻撃か……」


 ヘルトの言葉でアーサーが思い付いた手は二つ。

 まずは『最奥の希望をそ(インフィニティ)の身に宿(・フォース)して』による全身全霊の一撃。しかしアンソニーを倒せるほどの魔力の集束までヘルトが一人で戦う必要がある為、リスクが大き過ぎる。

 消去法で策は一つになる。それをヘルトに説明しようとして、その言葉は唐突に二人の間の床を突き破ってきた触手によって阻まれた。


(こいつ……!? 身を守ってるフリをして忍ばせてたのかっ!!)

「ちっ……『魔の力を以て世界の法を覆す』!!」


 同時に宙へと舞った二人だが、歯噛みするアーサーを置いてヘルトは魔法のトリガーとなる言葉を唱え、体勢や距離などお構いなしにアンソニーを睨むと剣を振るう。

 ヘルトが使ったのは、彼が最も愛用している距離の概念を無視する魔法だ。しかし今や生物としての格が違うアンソニーは、サラが持っている野生の第六感を超えた危機察知能力で体を屈め、ヘルトの距離を無視した斬撃は虚空を斬り裂くに留まった。


「化物め……っ!!」

「それはお前の方だろ」


 ヘルトの奥の手も通じず、アンソニーは涼しい顔をしている。焦りばかり募るアーサーは迷いを置き去りにするように超高速の飛び蹴り、『鷹刺突槍(ホーク・スナイプ)』を使ってアンソニーと距離を詰めるが、肝心の攻撃は腕で防がれた。そしてアーサーは勢いを保ったままアンソニーの背後へと跳んで着地する。

 不可視の攻撃も、速度のある攻撃も当たらなかった。しかしアーサーの狙いは最初から蹴りを当てる事ではなく、自分とヘルトでアンソニーを挟むこの位置関係だ。


「ヘルト、あれやるぞ! 『スコーピオン帝国』のやつ!!」

「っ……!?」


 打ち合わせもしていない策を強行する為の合図は、他の誰かが聞いても訳が分からなかっただろう。しかし二人だけには分かり合える合図だった。アーサーとヘルトが『スコーピオン帝国』に関係する事で共にやった事、そしてアンソニーに通じる手といえば一つしかない。

 言葉で示し合わせる必要はなかった。

 アーサーは右手に魔力を集束させて引き絞り、ヘルトは剣に魔力を集束させると肩に担ぐように構える。

 それは二人の必殺の一撃―――


「―――『ただその祈りを届けるた(エクスカリバー)めに』ッッッ!!!!!!」

「―――『ただその理想を叶えるた(アイディール・ダスト)めに』ッッッ!!!!!!」


 二つの極光がアンソニーを挟み込むようにぶつかり、それが混じり合って膨張していく。

 それは高密度で膨大な魔力を放出する集束魔力砲同士がぶつかった時に起こる、集束魔力による飽和爆発。かつて隕石と化した『スコーピオン帝国』の大地を跡形もなく消し飛ばした制御不能の大技だ。

 無論、地下で使えば自分達まで崩落に巻き込まれる事は分かっているので、二人も威力を絞って放っていた。だがそれでも威力は十分。今度は触手でも防ぎ切れない威力だという確信が二人にはあった。


(……もし、これが効いてなかったら……)

「縁起でもない事を考えているところ悪いけど、また終わってないようだ」

「……だよな。むしろプレッシャーが増してる」


 土煙が晴れた時、そこにはやはりアンソニーが立っていた。

 しかし、その様子はかなり変わっている。

 吹き飛んだシャツの内側の筋肉が、元の彼のものではないと明らかなくらい膨れ上がっていた。そもそも為政者である彼は中肉中背で白い肌だったはずなのに、今は筋骨隆々で褐色の肌に変わっている。そして特に変わっているのは頭部だ。髪の毛は全て抜け落ちており、顔面の部分には顎のない髑髏が張り付いていた。

 もはや正真正銘、人間でも獣人でもない。容姿だけなら拳で命を刈り取る系の死神のようだった。彼はそんな自分の変化を確認してから二人の方に視線を向けた。そして開いた両手を向けると、そこから先程までのような骨の刃の付いた肉の鞭ではなく、背骨のような長い骨が回転しながら飛んで来た。

 アーサーは咄嗟に展開した『手甲盾剣(トリアイナ・ギア)』の盾、ヘルトは剣の腹でそれぞれ受け止めるが、受け切れずに足が宙に浮いて後方に吹き飛ばされた。

 その最中で理解する。彼は集束魔力の飽和爆発によってさらに進化したのだ。有り余る力を乱雑に振るっていた今までから、より洗練された力の使い方へと。


「……目の前にあった煙が晴れた気分だ。ハッピーバースデーといった所だな」


 似合わない冗談を言うほど高揚しているアンソニー・ウォード=キャンサー()()()()()()、まるで初めて会うように自分の事を指してこう告げる。


『偉大な(クピディタース)る帝王』(=エンペラー)と呼んで崇めろ、人間」


 両手を広げて高々に宣言するアンソニー……いや、クピディタース=エンペラーを見たアーサーとヘルトの行動は、示し合わせた訳でもないのに同じだった。起き上がると同時に彼に向かって駆け出したのだ。

 アーサーは『黒い炎のような何か』を纏った拳を引き絞り、ヘルトは再び距離の概念を消失させる魔法を使って『万物両断』の力を持つ剣を肩に担ぐように構える。

 対するクピディタースは回転する骨の棒を放つ事はせず、両腕を胸の前で交差させると、それを一気に解き放つ。すると不可視の衝撃波が放たれ、成す術もないまま二人は再び吹き飛ばされる。

 クピディタースの衝撃波はただ吹き飛ばすだけではなく、そのもの自体に殺傷性を持っていた。幸い二人は放とうとしていた技が威力を殺し、多少の裂傷で済んでいた。けれど不可視の攻撃、それも全方位への衝撃波となると近づくのは容易ではない。かといって生半可な遠隔攻撃では獣人以上の感覚を持つクピディタースには当たらないだろう。

 その現状に、唇の端の血を拭いながらヘルトは忌々しげに言う。


「見事に詰んでる……ここは一旦引いた方が得策だ。余計な攻撃を加える度に彼の強化を手伝ってるんじゃ勝負にならない。確実に屠れる一撃を絶対に当てられる状況を整えないと勝てない。足止めする方法を考えろ」

「分かってる……」


 こういう策を練るのはアーサーの方が得意としているのは共通認識なので、ヘルトは思考を投げてアーサーは思考に没頭する。

 けれどその最中、クピディタースの口から聞き流せない言葉が放たれる。


「今の体なら『魔神石』のエネルギーにも耐えられそうだ。捕らえた『未来(ラプラス)』を殺して取り込むとしよう」

「あ……?」


 聞き捨てならなかった。

 それが冷静さを奪う為の言葉だというのは理解できていたが、それでも反応せざるを得なかった。


「お前もしラプラスに何かしてみろ!! その体を肉片も残さず跡形もなく消し飛ばしてやるッッッ!!!!!!」


 激昂し、拳を引き絞り、魔力を集束させた所で隣からその腕を掴む手が伸びてきた。


「冷静になれ! 囚われているなら助け出せば良いだけだ。その為にも策を練れ!!」

「ッ……分かってる!! ヘルト、どんな方法でも良いから天井をぶっ壊せ! ヤツを生き埋めにして足止めするぞ!!」


 一瞬だけ驚いた顔をしたヘルトだったが、すぐに満足気な笑みを浮かべると彼の周囲に先程と同じ魔法陣がこれでもかというくらい展開される。


「憤慨した頭で出した策にしては悪くない。ご注文通り一発で生き埋めにしてやる」


 二度目の『ただその理想を(アイディールダスト)成し得るために(・オルタナティブ)』。その砲身は全てクピディタースの頭上の天井に向けられており、一斉に放たれるとアーサーの注文通り天井を破壊して大量の瓦礫が降り注ぐ。

 そこまでなら良かった。唯一の誤算はヘルトの攻撃の威力が大き過ぎた事か。天井の崩落はアンソニーの頭上だけには留まらず、アーサーとヘルトが立っていた場所にまで伝わって来ていたのだ。


「……って、やり過ぎだ馬鹿力!! 俺達まで生き埋めにするつもりか!?」

「問題無い。この程度なら走って逃げられる」

「みんながみんなお前と同じだと思うなよ!? 逃げてる途中で魔力が使えなくなるリミットが来たらおしまいなんだよ!!」


 怒鳴りつつもアーサーはヘルトの腕を掴んで上を睨んだ。

 最初からこうすると決めていた。地上までの大体の距離は『奈落』の深さから分かっている。少しだけ余裕を持たせて『幾重にも重ねた(ワンヤードステップ)小さな一歩(・カルンウェナン)』を行使すると一瞬で地上へと飛び出した。少し高かったが、魔力で強化している二人には問題のない高さだったので無事に着地する。そして狙いすましていたかのように、今まで使えていた魔力の感じが再び消えた。


「ギリギリだったね……どうやら彼は間に合わなかったらしい」


 平坦な口調でヘルトは残酷な真実を告げる。こちらから安否を確認する術は無いが、せめて作戦は進行中である事を祈るしかない。

 そして、こんな馬鹿みたいな策が上手く行ったのは、クピディタースの慢心が大きな要因になっている。急激な進化で強くなった彼は、元の性格もあり確実にこちらを見下していた。だが次に戦う時はそうはいかないだろう。向こうも今度こそ本気で殺しに来るはずだ。再び魔力が使えなくなった以上、その時の為にできる準備はしておく必要がある。


「ヘルト、話がある。もしクラークが間に合わなくて、また魔術が使えなくなった時の為に」


 呪術を広める危険性については理解している。けれどヘルトなら大丈夫だというくらいの信頼はある。それに彼が呪術を覚えるのは絶対に必要な事なのだ。

 そしてラプラスから止められていた禁を破り、リディから受けた説明を全てヘルトに伝える。それを考えながら聞いたヘルトは、自身が呪術を行使する際に最も懸念となる部分に突っ込む。


「それで、ぼくの魂はどうやって呪術を視認すれば良い? きみが使えるならさっき使っていたはずだ。つまり使えないんだろう?」

「……今まではな」


 条件を満たしているアーサーは呪術を使う事ができる。けれどそれはラプラスとの約束を破る事になり、それはただでさえ喧嘩中の現状に油を注ぐ事にしかならない。

 だが自分の事情と誰かの命を懸けた時、アーサーの天秤は簡単に傾く。今回もそれは例外ではなかった。


(……呪術の肝は代償の設定だ。ラプラスの言う通り、一度払えば俺は同じ状況で同じ決断をする。だったらその未来を代償にしたらどうだ……? 俺はこれを最後に、もう二度と自分で自分の魂に制約を誓約しない。行使できるのは単純な呪力操作とこの制約で得られる呪術だけ。だから俺に戦い続ける為の力を寄越せ。どんな状況、どんな逆境でも適応し、進化して戦い続けられる力を……っ!!)


 魂への誓約の完了。同時に今までにない力が体に宿るのを感じた。丹田に意識を向け、感情のエネルギーから生まれる呪力を全身に広げていく。

 赤い輪郭を持つ黒いアメーバ状の痣が全身に広がり、服に覆われていない手の甲や首筋からはそれが見える。


「これが俺の呪術……呪力纏衣『阿修羅(あしゅら)』だ。俺が今後、呪術を会得する可能性を代償に支払った。あらゆる状況下で戦い続ける為の力をもたらしてくれる」

「なるほど……それが呪術か。危険だけど悪くない。魂への制約の誓約か……。……よし、二つ出来た。これは戦力になる」

「二つ……!? お前、嘘だろ……?」


 彼が沈黙していた時間はほんの数秒だ。その間に二つとなると、ヘルトは呪術の説明を受けた時から力を決めていたという事だろう。彼の思考を考えるとロクでもない上に強力な力だと容易に想像できる。


「……で、お前の決めた呪術は」

「まあ見てろ」


 そう言うと、ヘルトの体に呪力で形成された黒い布が包帯のように巻き付いて行き、それが丈の長い外套の形になって包まれる。


「きみのパクリだ。呪力包衣『黒無想(こくむそう)』。『万物両断』の力を持つ呪力の黒布で身を包み、かつそれを操る呪術だ。まあ代償として、これの発動中は呪術以外の『力』を使えなくなるけど。ちなみにもう一つの方は秘密だ。きみを含めて誰も知らない事に意味がある力にしたからな」

「……それでアンソニーを倒せるか?」

「可能性くらいは上がるだろ」


 適当に答えつつヘルトが『黒無想』を解除するのを見て、アーサーも『阿修羅』を解いた。これはもしクラークが間に合わず、魔力が使えなくなった時のカウンターに取っておく方が良いという判断だった。

 どちらにせよ、クピディタースが上がって来た時の為に備えておかなくてはならない。有体に言えば仲間達との合流だ。


「ヘルt

「まずは捕まってる『一二災の子供達ディザスターチルドレン』の救出だな」


 しかしアーサーが言葉を発するよりも前に、ヘルトの方が先に話を切り出した。驚くアーサーにヘルトは肩を竦めて、


「仕方ないだろう? じゃないときみが冷静になれないみたいだし、万が一『魔神石』を取り込まれたら本当に手がつけられなくなる」

「……すまない」

「別に謝る必要はないよ、ぼくにとっても必要な事だしね。ただ一つだけ警告はしておくぞ。彼女の事だ」


 彼女というのが誰の事なのか、わざわざ確認するまでもない。何を言われるにしても嫌な予感しかせず、アーサーは喉が渇いていくのを感じていた。


「……一体、何の事を……」

「誤魔化しても無駄だ。きみと彼女はいつも一緒にいるだろ? 『スコーピオン帝国』できみを吹き飛ばした後も、『イルミナティ』の会議でも、過去が改変されてみんなが消えた時にも、『ディッパーズ』が分裂して戦った時も。そして今回のきみの取り乱しようも異常だった。それだけ見ればきみの彼女への気持ちを察するのは難しくない。長い時を共にした女性が魅力的なら当然の帰結だ」

「……俺は別に」


 言われた事に対して取り繕おうとしたアーサーだが、その言葉をヘルトは手を出して制止させる。


「きみとぼくの仲だ。別に本心を聞かせて貰おうとは思ってない。お互い、色々と事情を抱えてるのは分かってるしね。だから忠告だけしておこうと思ったんだ」


 そう言ったヘルトは哀愁を漂わせ、他意はなく心の底から助言を与えようとしているようだった。まるで人生を一周してからここにいるように、彼は実感のこもった声音で言う。


「ぼくらは身近な人を……ましてや女性を幸せにする事はできない。自分の幸せすら掴めないのに、他の人を幸せになんてできる訳がない。例え一時は幸せになれたとしても、それは普通の人よりも脆くて儚い幻想だ」

「そんなこと……確かに俺には事情があるけど、お前だって幸せになろうと思えばなれるはずだ」

「ハッ……きみは本当に甘いね」


 吐き捨てるように言って、ついでに自嘲するように笑って彼はこう続ける。


「ぼくはこの世界で生前の……たった一人の友人と殺し合った。きみは親友を一人失い、もう一人の親友と決裂した。それでもまだ幸せになれると?」

「……いつか分かってくれると信じてる」

「来ないかもしれない。ぼくらの人生は常に戦いと死に塗れてる。誰かとずっと一緒にいられるとは限らないし、そうならない可能性の方が高い」

「それは……」


 言われなくても分かっている事を改めて突きつけられて、アーサーは何も言い返せなかった。

『担ぎし者』に安寧はない。闘争の輪廻から逃れられず、近しい関係の者を死に近づける。そんな自分に誰かを愛する資格がない事くらい分かっている。

 葛藤するアーサーを見かねてか、ヘルトはわざとらしく大仰に肩を竦めて、


「まあ、見方を変えればきみを取り巻く状況は少し前とは違う。『協定』施行前の『ディッパーズ』にいたきみには、世間からヒーローという期待をかけられていた。でも今のきみに戦う事を要求している人は誰もいない。ぼくときみ自身以外はね」

「……何が言いたいんだ?」

「分かるだろう? この活動を止めても誰もきみを責めない。自分の幸せってやつを模索するには良い機会だ。……だけど、それでも誰かを助け続けるこの荒野を進むなら覚悟してるとは思うけど……代償が必要だ」

「……、」


 その時、スゥと買い物をしていた時の事を思い出した。あの時過った嫌な考えはこれだったのだ。

 ここで戦うのを止めてしまえば、安寧の日々を送れるという甘い誘惑。何の苦労もない訳ではないが、今よりも確実に命の危険が少ない人生。当たり前に誰かを愛し、一緒に生きていくという選択もできる。


「ぼくはきみ達の関係を深くは知らないし、これが絶対に正しいとは言わない。でもぼくから言えるのは……彼女の事は諦めろ。紛いなりにもヒーローを名乗るなら人並みの幸せを望むな。これは意地悪じゃなくて、きみ達自身の為に」

「……分かってる」


 そう。あくまで頭では分かっているのだ。

 この生き方は自分で決めた。たとえ『ディッパーズ』で無くなったとしても、世界から追われる立場になったとしても、救える限りの命を救うと。理不尽に涙を流す事しかできない人達の、その涙の意味を変えると。行き着く所まで辿り行くまで、この生き方を変えるつもりはない。

 そして同時に、頭で分かっていても止められない事もある。

 誰かを大切に思ったり、愛しいと感じたり。それはどうあっても止められない。そもそも他者を思う心があるから人助けをしているのだ。幸せを求めて人助けを止める事なんて、最初からできやしないのだ。

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