378 『奈落』の底で
アイネを加えて四人になった一行は、新たに加わった彼女を先頭に辺りを案内されていた。といっても案内されるようなスポットは何も無い監獄な訳だが、唯一普通の監獄では有り得ないものが設置されていた。
開けた広場に獣人達がおり、全員がこちらの様子を遠巻きに窺っている。首輪をしている事もあってか、どうやら囚人のように檻の中に閉じ込められている訳ではないらしい。所々に自分達が入れられていたものと同じ牢屋があるが、鍵はかかっていないらしく使いたい者が好きに使っているという感じだった。
そんな広場の中央に天井と言う概念が無い。あるのは垂直に伸びた巨大な穴。おそらく高さは六〇メートルはあるだろう。見上げれば遥か上空に青空が見える、監獄にあってはならない出口だ。
「ここは『奈落』と呼ばれる監獄施設。ご覧の通り出る方法はあるけど、脱出は不可能に近い。第一関節が入るくらいのくぼみはあるけど断崖絶壁。ユーティリウム製の素材だから何かを刺して進む事はできない。身体強化もできないから落ちれば間違いなく死ぬ。もし昇れればアンソニー直属の部隊に配属されて優遇されるけど、これは獣人でもほとんど登れない」
「暗闇の中の唯一の希望、か……実に彼らしい」
皮肉交じりにヘルトは呟くと、情報だけではなく自ら確認するために縦穴の壁面に右手で触れる。しかし分解する事はしなかった。
「……確かにユーティリウム製。分解した所で今の状態じゃ登り切れないだろう。左手で足場を構築し続けるって案をきみはどう思う?」
「登ってる途中で殺されるのがオチだ。戦力になる獣人達はともかく、俺達が昇り切るのを黙って見てる道理は向こうにない」
「だろうね……まったく、今まで自分がどれだけ魔力に依存してたか突き付けられてる気分だよ。真面目に剣術でも身に着けようかな」
「どちらにせよ、それはここを無事に出られてからの話だ」
ヘルトが言った言葉はアーサーにも当てはまるものだ。前は魔力なんて使う事を考えていなかったのに、右手の力を手に入れてから魔力に頼りっきりだ。不甲斐ないと言われても反論できない。
けれど短くも長い旅路の中で、手に入れたのは右手だけじゃない。それ以上に尊い仲間という輪も広がって来たのだ。
(まずは俺達同様に捕まってるみんなと合流するべきだ。その後で壁を登る以外の脱出路……そういえば、クラークは紬と透夜を連れて秘密の通路から逃げてきたよな? もしかしたらここに繋がってる通路もあるんじゃ―――)
「―――レン君!!」
突然、横から飛び込んで来た声に思考が中断された。声のした方を振り向くと、直後に誰かが飛び込むように抱き着いて来た。
「無事で良かった……っ!」
「スゥ!? どうしてここに……」
「逃げて来たからだ」
アーサーの疑問に答えたのはスゥではなく、すぐ傍にいた嘉恋だった。どういった経緯かは分からないが、どうやら二人は揃ってここに来たらしい。
詳しく話す前に、嘉恋はヘルトの方に向き直る。
「やあ少年。やはり大人しく捕まっている訳が無かったな」
「それより嘉恋さん。状況は? ここにいる時点であまり良いニュースは無さそうだけど」
「まったく……君も彼らくらい感動的に再開しようとか思わないのか? 凛祢と再会した時も同じ反応をしたら流石に殴るぞ?」
「お説教は仕事が終わりにコーヒーでも飲みながら聞くよ。とにかく今は状況を教えてくれ」
「それなら私よりも適任がいる。少年達も知ってるチキン君だ」
嘉恋が指さす先にいたのはクラークだ。隣にいたアイリスは何かを悟ったのか、やや駆け足でユリがいる方に移動していく。そして入れ替わるようにアーサーとヘルトはクラークの前に立った。
「それで、チキン君ってのはどういう意味だ?」
「別に大した話でもない。ただ単にクソ親父に臆病者と呼ばれ、彼女にもそうだと言われた。だから常に逃げ道を用意してるって」
「でもその用心深さのおかげで俺達はまだ生きてる。臆病なのは別に悪い事じゃないだろ?」
「僕もそう思ってた。この小さな箱庭では絶対に失敗できないから、常に脱出プランを用意していた。……だけど君達の仲間に言われて思ったんだ。だから僕は今までみんなを助けられなかったんじゃないかって」
そう言って肩を竦ませたクラークは、なおも自虐的に続ける。
「一番手っ取り早い方法を意図的に取らなかった。肉親を殺してでもみんなを助けると言いながら、一番簡単で確実な施設外での殺害を躊躇い続けた。同じ食事を取る事もあったんだ。毒でも混ぜれば良かったのにな」
「それは臆病とは言わないだろ。人としては当然の想いだ」
「だろうね。例えばきみの父親なら、国や利益の為に息子の皿に毒を混ぜるのを躊躇わなかったのかもしれない。でもきみは人工的に造られた存在である獣人達の命を尊び、それを救おうと二つの立場で板挟みになりながらも選択して来た。嘉恋さんもそこは分かってる。姉後肌だからね。気付きを与えたかっただけで、悪気があって言った訳じゃないんだ」
「……だが魔力は取り戻せなかった」
「でもみんな生きてる。それに方法は残ってるんだろ?」
「……外に魔力使用を抑制するバリアを作ってるアンテナがある。それを物理的に破壊すれば魔力行使を取り戻せる。だけど……やるべき事は分かってる。ただ出来るかどうか自信がないんだ……」
どうやら本当に参っているらしい。クラークからすれば親から今までの努力を臆病だと突き付けられ、嘉恋にその傷口を広げられた形なのだ。そうなるのは無理もないだろう。
その経験はアーサーにもある。だから先駆者としてアドバイスをする事にした。
「誰だってそうだ。俺も……多分、ヘルトも。自分の力が及ばない無力感を知ってる。後悔や絶望で、底の無い暗闇に墜ちて行った事もある。でもそれは、俺達が今の俺達になる為に必要な事だったんだと思う」
「どうして……?」
「這い上がる事を学ぶ為に。だから俺達はどんな状況でも諦めない。例え活路が残されていないんだとしても、強大な敵を前にひれ伏す事しかできなくなっても、決して抗う事を止めたりしない」
「……それは、あなた達がヒーローだから?」
「違う。負けず嫌いの頑固者だからだ」
自嘲気味に笑って答えると、今度はヘルトが口を開く。
「まあ、彼の言い分はそのまま受け取って貰うとして、きみはぼくらとは違う形のヒーローになれる」
「僕が? 一体、どうして……」
「多種族を繋ぐ橋だ。それはぼくにも彼にもなれない、きみにしかできない務めだ。人には務めがある。運命と言い換えても良い。それを自覚しないまま死ぬ者も、自覚して目を逸らす者もいるけど、ぼくらは全うするべきだ。例えそれで地獄を味わおうと、助けた相手に殺される末路が待っていようと」
「……それに価値はあるのか?」
「あるとも。より多くの命を救える」
どこか影を落としたヘルトの断言に、クラークは少し圧倒されるのを自覚した。
今の二人に言えるのはこれくらいだ。そもそも助言はするよりされる事の方が多い異常者だ。クラークも自分達と同じ道に片足突っ込んでいるとはいえ、進んで同じ異常者への道にどっぷり浸からせる必要もないだろう。頑張るのは今回だけで、獣人達を助けたら彼女達とのんびり過ごすのもクラークが取り得る選択肢の一つだ。
まあ、それはこの状況を打破しないと敵わない夢だが。それまではクラークにも死力を尽くして貰う必要がある。
「ところでサラ達は?」
「ねえ、アーサー」
クラークへ質問を飛ばした時、後ろからアイネに声をかけられた。初対面だというのに距離間が近いのはローグやサクラの友人だからか。アーサー自身、両親についてあまり知らないので奇妙な感覚だ。
「そのサラって人、長い銀髪の女の子?」
「そうだけど……なんでアイネがサラを知ってるんだ?」
「見たから。それより上に注意して。その人が来るよ」
「上? ……んん???」
縦穴の上空に向かって指をさすアイネに従うように、アーサーは顔を上に向ける。
そこで彼が見たのは―――