372 逆転の兆し
食堂での戦いは苛烈を極めていた。頭数は七人と四チームの中で一番多いが、魔力が使えない状態ではほとんど意味を成さない。まともに戦力と呼べるのは『オルトリンデ』を纏ったサラと左腕を新調したネミリアくらいだ。
しかし『獣化』と併用する事が前提のため、使える武装は飛行用のジェットと掌から放つエネルギー弾くらいだ。肝心の『バースト』による力の底上げもできない。そしてネミリアもエネルギー弾を撃てるが、戦力になれない凛祢と紗世を突き出した掌から体を隠せるほどの大きさの透明な円形のエネルギーシールドで守っているため、戦闘には参加できない。結祈とリディはそれぞれ剣とナイフを持ち込んでいたので戦えてはいるものの、獣人達は常人よりは身体能力の高い『魔族堕ち』の結祈と異星人とのハーフであるリディよりもはるかに高い身体能力を有している。応戦するにも限界があった。
「もう限界! あと一分くらいで押し込まれる!!」
逆手に持った剣で峰打ちを繰り返しながら、遂に結祈は大声で弱音を吐いた。ほとんど三人で一〇倍以上の数を相手にしているのだ。むしろここまでよく持った方だ。
「同感よ! このままじゃ『オルトリンデ』のエネルギーが持たないわ!!」
「ボクもだ! 『魔眼』無しな上に殺し厳禁はキツ過ぎる!!」
閉鎖空間で追い込まれている以上、選択肢はあまり残されていない。
玉砕覚悟で最後まで戦う。どうにかして壁に穴を開ける。大人しく投降して全員捕まる。ざっと思い付くだけそんなものだ。そしてどれも最適な答えとは思えない。
「……、」
六人は同じ焦燥感を抱えていたが、たった一人だけ冷めていく少女が混じっていた。
近衛結祈。弱音を吐いていた彼女は浅く息を吐いた。
一つだけ奥の手がある。『天衣無縫・極夜』ではない、それ以上のものを。
(……正直、絶対に使いたくない。『極夜』のリスクは覚悟して使ったけど、この力は使ったらどうなるかワタシ自身にも分からないし、そもそもいつから自分の中にあるのかも分からない。ただ二度とみんなと会えなくなる確信だけはある。……それでも使うべき?)
自問は続く。
ヨグ=ソトースの時も内心悩んでいたが、アーサーが来るという『希望』があったから使わなかった。しかし今はそれが無い。アーサーも取り組み中で、助けになんて来るはずがない。全員を救う力は自分にしかない。
迷って、迷って、決めあぐねて。
ドォオオオオオン!!!!!! という爆音に全て掻き消された。
音の発生場所はネミリア達の後ろの壁だった。外側から爆破されたその煙の奥から、人影が一つこちら側に出てくる。
「おー、開いた開いた。やっぱりたまにはガス抜きしないとダメだな。考えに詰まった時は動いた方が早い」
「えっ……だ、誰ですか……?」
それは白いロングコートを着た獣人だった。灰色の長髪で、猫のような耳と尻尾がある。
眠たげな瞳を問いかけたネミリアの方に向けて、棒付きの飴を口の中でころりと転がして彼女は答える。
「シオンだ。お前達に味方する側の獣人と言えば分かりやすいか?」
「っ……!?」
「疑う気持ちは当然だ。だが今のお前達には迷っている時間も選択肢も無いんじゃないか?」
シオンの言う通りだった。迷っている時間も選べる選択肢も他に無い。
「みんな、その人に付いて行って! サラはみんなを守って、リディはワタシと足止め!!」
結祈が短く指示を飛ばし、全員がそれに従って動いた。結祈とリディは食堂に残り、他の五人はシオンに続いて穴の中に入って行く。しかし二人で防ぐには獣人の数が多すぎた。彼女達に続いて獣人達も穴の中に入って来る。それを見てネミリアは途中で足を止め、エネルギーシールドの出力を上げて通路を防ぐように円形の盾を展開する。
「わたしが抑えます! 皆さんはその間に避難を!!」
「一人では耐えられません。ワタシも支えます!」
「アーサーに頼まれてるからな。最後まで付き合ってやる」
凛祢とカヴァスもネミリアと共に足を止めた。シールドを展開する彼女の背に手を当てて、波のように襲い掛かる獣人を抑えつける。
少し先へ進んでいたサラと紗世も戻ろうとするが、それよりも早くシオンが動いた。彼女の手には起爆装置が握られており、そのスイッチを何の躊躇もなく押した。それによりネミリア達との間の天井が崩れ落ち、助けに向かう事ができなくなってしまう。
「ちょ……あんた、一体何を……!?」
「助けに向かえば全滅してた。ここで戦力を失えば、捕まった仲間の救出は絶望的だぞ」
「でも……ッ!!」
「この際だからハッキリ言っておく。私達が介入しなければ、お前達は全滅していた。お前達だけじゃなく、アーサー・レンフィールドやヘルト・ハイラントも。アンソニー・ウォード=キャンサーが普通の人間だからと甘く見てたんじゃないか?」
「っ……」
図星を突かれてサラは押し黙った。
確かに甘く見ていたのだろう。前に参加した大きな戦いは無敵に思えたヨグ=ソトースが出てきて、その後は未来を確定する少女にまつわる事件で仲間達と決裂し、未来では不毛の大地で異星人や機械兵と戦った。それに比べれば特別な力も無い人間の相手など容易だと高を括っていたのは否定できない。
「まあ、二人だけでも救出できたのは運が良かった。とりあえず基地に案内するから付いて来て。後でクラークがお前達の仲間を連れて来るはずだ」
「……クラークというのはあなたの仲間ですか?」
「そうだ。今頃、私と同じようにお前達を助けに向かっている。それに捕まった仲間はすぐには殺されないから安心しろ。助け出す手段も考えてある」
「「……、」」
サラと紗世はもう、何も言わなかった。
自分達の作戦は失敗し、彼女達は状況を掌握している。多くの仲間を失って孤立している今、流れに身を任せるしかなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
通路で獣人に挟まれてる透夜と紬の方にも変化があった。
前後から獣人達が迫って来る。一応、近くに通路はあるが逃げた所で結果は同じなのは目に見えてる。そもそも脚力が違うのだから最初から逃げきれるはずがないのだ。
もう覚悟を決めて獣人と戦うしかないと腹を括ったその時だった。
「こっちだ! 早く来てくれ!!」
突然、曲がり角から少し身を乗り出した少年が声を上げた。怪しさは満点だが、他に逃げ道は無いし迷っている暇は無かった。その少年に付いて行き、手近な部屋の中に入る。
数秒後、獣人達がその部屋に飛び込んで来た時には、その三人の姿はどこにも無かった。しばらく匂いを嗅いだり耳をすませて探した後、彼女達は外へと出て行った。
「……行ったみたいだね」
紬の漏らした声は天井近くのダクトから発せられた。そして三人はそこから飛び降りて着地する。
「ダクトの中って意外とバレないものなんだね」
「静かに。彼女達は五感が鋭い。匂いだって少しの間しか消せないんだ」
「確かにスプレーをかけられた時は殺されるかと思ったよ。匂い消しだとは思わなかった」
「それについては謝罪する。説明してる時間はなかったんだ」
一応謝罪する少年を透夜は睨んだ。
「……助けてくれた事には礼を言う。でも君が誰かは教えて貰えるんだよな?」
「ああ、勿論」
茶髪に碧眼の少年。年は一五歳くらいだろうか。見た目が若いが容姿に比べて佇まいはしっかりとしていた。
「僕はクラーク。事情があってこの施設にいるけど、何とかして獣人達をここから救い出したい。君達は『ディッパーズ』だろ? もし目的が同じなら僕達に協力してくれ」
「僕達? 君にも仲間がいるのか?」
「獣人達を説得して組織した『反乱軍』だ。人間嫌いの彼女達を説得するのは中々骨が折れたよ」
冗談なのか本気なのか、とにかくそう言って肩を竦めながらクラークは携帯端末を取り出した。
「それは何だ?」
「この施設の監視カメラの映像はこれで全て見られる。シオンに頼んで調整して貰ったんだ。君達の動きはこれでずっと見てた」
それを聞いて目の色を変えたのは紬だ。ぐっと身を前に乗り出す。
「なら通信妨害がどうやってされてるか分かる? 外の仲間と連絡が取れなくて困ってるんだけど……」
「いいや、連絡が取れないのは通信妨害じゃない。君達の仲間は襲撃されて、一人は捕まった。警告はしたんだけど……すまない。間に合わなかった」
そう言ってクラークは端末の画面を紬と透夜の方に向けた。そこにはどこかの個室で柱に縛られて動かないラプラスの姿が映し出されていた。
「そんな……ラプラスが捕まったなんて」
「……君はどこまでこの状況を掴んでるんだ?」
「待ってくれ。全部説明したいのは山々だけど、その前に向かう場所がある」
どこへ、と聞く前にクラークは再び端末を操作した。
次に画面を見せた時、そこには先程とは別の場所のカメラの映像が映っていた。ホテルの一室のような場所に、何人かが集まっている。
「アーサー・レンフィールド。まずは彼に会いに行く」