371 仕組まれた罠
アーサーと別れたヘルトと嘉恋は、引き続きゲイリーの案内に従っていた。
胸糞悪いフロアを抜けて、さらに下へと潜って行く。
その部屋はそこにあった。大仰な扉に入口と同じ三重のロック。しかもゲイリーがそれを開けても扉が開く訳ではなく、インターホンの使用が可能になるだけだった。それを使ってゲイリーが中の人物と話す事で、ようやく扉が開く。
そこに誰がいるのか、ヘルトは何となく想像が付いていた。
「こうして顔を合わせるのは初めてだな、ヘルト・ハイラント。死人に会った気分はどうだ?」
「死んだと思ってた相手に会うのは三度目だ。新鮮味なんか無いよ、アンソニー・ウォード=キャンサー」
ヘルトは顔色一つ変えなかった。室内は豪華な作りで会社の社長室みたいだ。
彼はすでにソファーに座っている。ヘルトは彼と対面になるように、テーブルを挟んだ反対側のソファーに腰を下ろして足を組む。
「行儀が悪いな」
「こんな地の底で行儀もクソもないだろ。ましてや死人相手に尽くす礼儀なんて一つもない」
「ふん……お前達のそういう所が腹立たしい」
「達っていうのはアーサー・レンフィールドの事か。ぼく達を目の敵にするのは、この施設で行ってる何かの為か? まさか風俗店の為に『一二宮協定』を提唱した訳じゃないんだろう?」
「そして、お前はそれを探る為にここへ来た。わざわざ嘘の情報を掴ませてまで」
「……ま、バレてるとは思ってたよ」
「だろうな。お前はそこまで純粋じゃないし馬鹿じゃない」
お互いに肩を竦ませたり、ジェスチャーを使ったり、軽く笑ったり。
体を使ったアクションは見られるが、その目はずっと相手に向けられていた。互いに相手の動きに警戒しているのだ。お互いに座っているだけに見えるが、見えない銃口を向けあっていると捉えるのが正しいだろう。
そして、先に引き金を引いたのはアンソニーだった。彼自身が動かなかった所を見ると、おそらくヘルトが入って来る前にタイマーをセットしていたのだろう。水の中に入ったような感覚だった。
「……魔力の使用を封じたのか」
「施設に何匹かネズミが入り込んでいるようだからな。これで簡単に捕らえられる」
「彼らを甘く見ない方が良い。そしてぼくの事も」
今度はヘルトが動いた。左手を上げながら拳銃を構築し、アンソニーに向けると躊躇なく引き金を引く。が、その弾丸は二人の間でエネルギーの壁に阻まれた。
「何の策も無しに、お前と至近距離で対面に座る訳がないだろう?」
「ならこうするまでだ」
ヘルトはソファーを蹴って後ろに跳ぶと、そこに立っていた嘉恋の体を左腕で抱き寄せると、右手を床に付ける。その瞬間、床が分解されて全員に重力が襲い掛かる。
ゲイリーは真っ先に落ち、アンソニーも落下する。そしてヘルトは嘉恋の体をお姫様抱っこで抱えて着地した。魔力による身体強化はできないが、それでも常人以上の身体能力を有しているヘルトにとって、この程度の高さは造作もない。
「……少年。彼はどうなった?」
「どうせ死人だ。殺した所で構わないだろ」
「君は……そういう所、治した方が良いぞ?」
「治す必要は無いよ。自分の中の優先順位は理解してる。今も昔も、それを守る為なら何だってする。それに……」
嘉恋の体を下ろして、ヘルトは土煙の向こうを睨みつける。
「彼はまだ死んでない」
「その通りだ!!」
土煙の中から信じられない速度でアンソニーが飛び出して殴りかかって来た。ヘルトは咄嗟に腕を交差させてそれを受け止める。
お互いに魔力が使えない者同士。有利なのは基礎身体能力の高いヘルトのはずだった。
しかしおかしい。アンソニーの拳の重さは常人のものをはるかに超えていた。ヘルトでも受け止め切れず、吹き飛ばされた体は壁を砕いて廊下に転がった。
(なっ、ん……だ!?)
訳が分からなかった。
アンソニー・ウォード=キャンサーは人間のはずだ。考えられる可能性としては、天童涯のような全身機械化か部分的な機械化。しかしそれは『ポラリス王国』の技術だ。自己顕示欲の強い彼が好んで他国の技術を使うとは思えない。
「あのヘルト・ハイラントを殴り飛ばせる日が来るとはな。それも忌々しいアーサー・レンフィールドと共に葬れるとは、今日はなんて良い日だ」
「ぷっ……その力は何だ?」
口の中の血を吐き出しながらヘルトは問いかけた。
アンソニーは得意気な顔で答える。
「『獣人血清』だ。打てば獣人なみの力を得られる。良い代物だろう?」
「それが目的だったのか……獣人を生み出したのは血清を作る為だったんだな」
「ああ、ついでに獣人の軍団も手に入る。『獣人血清』はまだ研究段階で成功例は俺だけだがいずれ量産する。そうすれば『スコーピオン帝国』の軍事力や『ポラリス王国』の科学力など比較にならん軍事力が手に入る。だから邪魔なお前達を消しておく事にした」
「……なるほどね。ぼくが情報を掴んでここに来た訳じゃなく、わざと『ナイトメア』に情報を掴ませたのか。認めるよ、一本取られた」
罠に掛かったのは素直に認める。そこに思惑通り『ディッパーズ』も巻き込んだ非も受け入れる。
だが謝る相手は断じて目の前の男ではない。
「逆にぼくがきみを殺せばそれで終わりだ」
「やれるもんならな」
膂力では勝てないが、ヘルトにもまだ武器がある。右手の分解と左手の構築の力があれば、特に右手は触れればそこを分解できる必殺になる。
(問題は左手だな。前腕が見事に折れてる……)
一応、ヘルトの代謝は常人の数倍の速度で行われている。そのせいでヤケ酒を飲んだ時は全く酔えなかったが、怪我の回復が早いという利点もある。腕の骨折程度なら数時間で治るだろう。
しかし今はその数時間が無い。仕方ないので右手に意識を向けて手首の関節をコキリと鳴らす。
「嘉恋さん! 逃げてアーサー・レンフィールドと合流しろ!! ぼくはこいつをやる!!」
右手一本を頼りにヘルトはアンソニーに向かって突っ込んだ。
彼自身、知らないだろう。その戦い方はアーサーの十八番だ。そしてその手を警戒しないほど、アンソニーは馬鹿では無い。床を一回蹴ると目にも止まらぬ速さでヘルトに肉薄し、鳩尾に拳を叩き込んだ。ヘルトの体は真っ直ぐ通路の奥まで吹っ飛んでいく。
(こ、これは……マズい! 勝ち目ゼロだ……っ!!)
アーサーなら諦めずに何度も立ち向かうだろうが、ヘルトは冷静にそう判断を下した。贅沢を言うなら助けが欲しい所だが、アーサーの元には嘉恋が向かっている。彼に助力を求める訳にはいかない。
しかしアンソニーはそんなヘルトの思考を読んだのか、嫌な笑みを浮かべて言う。
「アーサー・レンフィールドは一三号室だな。ついでに片付けてやろう」
「くっ……行かせないぞ!!」
今一度、ヘルトは拳を握る。
何か策を考えなくてはならないが、今の状況で有効な策がすぐに思い浮かぶほど都合が良い事は起きない。
その結果は目に見えていた。