未来に向けて出来ること (Untitled.)
光が晴れた後、目の前にあったのは数日ぶりの『ピスケス王国』の中庭にいる三人の待ち人だった。
「残留組を未来に送って五秒、無事に戻って来たな。まあ知ってたが」
「……久しぶりにお前の憎まれ口が聞けて嬉しいよ」
「お前の皮肉もな」
喧嘩腰だが、この場合クロノが涙を浮かべて迎える方がおかしい。そもそもアーサーにはそれ以前にクロノに言いたい事と聞きたい事が沢山あるのだ。
「クロノ……」
「無駄な話をする前に言っておくが、何を聞かれても答えられない。お前達が未来で見聞きしたものが全てだ」
何かを言う前に先んじて封じられた。時間軸の鎖に絡めとられている彼女がそう言うなら、それ以上は何も言えない。質問が厳禁だとクロノが言うなら、アーサーは何も言えない。
だから代わりに確認として、ミオの方に問いかける。
「……ミオが確定させたっていうのは本当か?」
「うん……そうだよ」
未来へ旅立ったあの晩。最後に見た時と同じような暗い表情で肯定した。
「わたしが世界を終わらせた。クロノさんに頼んでみんなを未来に送ったのは、確定を覆す可能性を掴めるかもしれないと思ったから。そのヒントを……見つけられると思った。みんななら終わってしまった世界を救って、あの未来に辿り着かないようにできるって。……本当に、ごm
「任せろ」
一瞬の逡巡もなく、ミオの言葉を遮ってアーサーは答えた。
今更、考えるまでもない。その選択はすでに済ませている。
「未来のお前とも約束した。必ず覆す。だからお前は安心して笑ってくれれば良いんだ。今回の件だってお前は何も悪くないし、お前が背負ってるものは全部俺が代わりに背負う。絶対に実現なんてさせないから」
「うん……ありがとう、アーサーくん」
とにかく短いが話も終わったので、ひとまず各々部屋に戻って休む事にする。未来で数日休んだとはいえ、やはり日光やおいしい空気があると違う。特に『魔神石』を使った透夜にはもう少し休養が必要だ。
解散する流れになると、アーサーはまずラプラスがいた方を振り向いた。しかし彼女の姿はもう無かった。アーサーの動きを察知して素早く逃げ出したのだろう。
仕方ないのでアーサーも自室に戻って休む事にすると、廊下を歩いている途中で後ろから声をかけられた。
「レンさん。少し、お話しても良いですか?」
声の主はネムだった。話の内容は何となく想像できる。先程ミオと話した後、彼女がずっと表情を曇らせていたのを知っていたからだ。
「未来を覆す簡単な方法があります。未来のミオさんが世界を終わらせる原因はわたしだと言っていました。わたしが死ねば世界を救えます」
「ダメだ。それだけは絶対に許さない」
いつかネミリアがそう言い出すのは分かっていた。だから用意していた答えを淀みなく口に出した。
自分を犠牲にする事で、他の大勢を救う。自分がやる分には迷わないのに、自分がやられるのは嫌なんて、最低なエゴイズムかもしれない。だけどシエルを救えなかった時のように、少なくともまだ限界まで追い詰められた訳ではない。他の選択肢だって存在している。諦めるのなら、せめて可能な限りの策を試した後にするべきだ。
「もしネムが自分の命を絶って全員を救おうとするなら、俺は全力でそれを止める。もし勝手に死んだら絶対に許さない。他の方法は必ず見つける。だから……少しで良いから、俺を信じてくれ」
脅しのような、懇願のような、どちらか分からない言葉にネミリアは顔を逸らした。そして俯いたままポツリと呟く。
「……無理です」
その言葉はとても小さかったのに、奇妙なほどハッキリと聞こえた。
思う事はある。けれど信用できないというのなら仕方がない。それはアーサーの努力不足だ。強要すべき事ではない。
落胆を顔に出さないように気をつけて、アーサーは笑顔を浮かべる。
「信じられないなら仕方ない。でもせめて、もう少し時間を……」
「っ……そういう意味ではありません!」
叫んだかと思うと、アーサーの腕を強く掴んだ。
それからきゅっと唇を噛み締めて言葉を吐き出す。
「……もう、心の底からレンさんを信じているんです。これ以上信じるなんて、できません。どうやって今以上に信じれば良いんですか……?」
「……っ」
思わず息を呑んだ。なにせ彼女の顔は真っ赤で、感情を出すのが得意ではないから腕を掴む手には力が入っていて震えている。
それが答えだと全てを告げていた。
「わたしが信じられないのはレンさんではなく自分の事です。今まで散々迷惑をかけて、今度は世界を終わらせるなんて……怖いんです。またレンさんを傷つけるんじゃないかと」
「それは……」
「わたしはもう……嫌なんです。大切な人達を傷つけたくないんです。今度はわたしが、レンさんや皆さんを守りたいんです……」
「……それでも、他に方法があるのに死を選ぶのは自殺願望と変わらないよ」
アーサーは腕を掴むネミリアの手に自分の手を重ねて続ける。
「『ディッパーズ』は単なる組織じゃなくて家族だ。ネムが俺達を守りたいって言うなら、俺達だってネムを守りたい。だから選択するのは待ってくれ。まだ時間はあるし、選択肢だってあるはずだ」
「……それで、もしダメだったら……?」
「その時は……」
僅かに言い淀んで、それから覚悟を決めて口を開く。
「……命を捨てるしか方法が無いとお前自身が判断したその時は、俺の右手の力で殺してやる。痛みは感じさせない。失敗した時の責任はそうやって取る。だから一人では絶対に死ぬな。最後まで一緒にいろ」
「それは……嬉しいですね。苦しいのも、一人で死ぬのも怖いですから」
アーサーが冗談を言ってるとは思っていないだろう。それでもネミリアは心の底から笑みを浮かべていた。殺す約束なんてまともじゃないのに笑えるのは、本当に嬉しいと思っているからだ。
「分かりました。レンさんや皆さんの事を信じます。勝手な行動は絶対にしないと約束します」
「じゃあ小指を出してくれ。指きりしよう」
無論、それに魔術的な意味は無い。拘束力も何もないまじないみたいなものだ。
二人もそれは分かっている。分かった上で、互いに小指を出して絡める。
「約束だ。俺は必ず未来を変える」
「約束です。わたしは命を捨てません」
先なんて見えない。現状、確かな未来は終わってしまった二〇年後だけ。
だけど諦めない。目の前で優しく微笑んでいる少女に、これ以上の苦難は与えたくない。だから彼女の幸せの為に何でもやろうと心に誓う。
◇◇◇◇◇◇◇
「報告します」
『ポラリス王国』の『W.A.N.D.』本部にて、『ナイトメア』のリーダーであるユキノ・トリガーは長官室に来ていた。当然、彼女の正面にはヘルトが座っている。
「『キャンサー帝国』の密偵で、何か成果があったのか?」
「でなければここにいません。まずはご報告を。長官が疑っていたアンソニー・ウォード=キャンサーの安否の件ですが、どうも長官の予感は悪い方に当たるようですね」
「やっぱり生きてたか、あの狸親父め」
ヘルトは盛大な溜め息をついた。
予想はしていた。『一二宮協定』で『ディッパーズ』や『W.A.N.D.』の戦力を削ぎに来た男が、あの程度の襲撃で死ぬ訳がないと。
「表向きはロンバード・ウォード=キャンサーに王位が引き継がれてますが、今でも国を動かしているのはアンソニーです」
「それで、幽霊おじさんは何を企んでる?」
「それに関しては映像を見て貰った方が早いかと」
そう言って、ユキノは手に持っていた端末を少し操作するとヘルトに手渡す。
ほんの数十秒の映像。しかしそれを見たヘルトの顔つきが明らかに変わる。そこには少女達が映っているが、皆に共通して獣のような耳と尻尾が付いているのだ。ユキノ達にはそれが何か分からないが、ヘルトはその容姿を持つ者達の事を何と呼称するのかくらいは知っていた。
「……これ、本物か?」
「ミリアムがドローンを飛ばしてライブ映像を録画しました。偽装の可能性は薄いですね。その施設自体、周りは魔力を封じる壁で防がれている上に人の出入りも頻繁です。何か良からぬ事をしているのは間違いありません」
「まあ、そうだろうね」
ヘルトは一切驚かなかった。むしろあそこまでやってのんびり隠居生活を送っている方が驚愕だ。この報告はあくまでヘルトが予想していた動きの確認に近い。
「報告ありがとう。『ナイトメア』には追って別の指示を出すから待機してくれ。とりあえず午後は休んでくれて良い」
「わかりました。では失礼します、長官」
ユキノが退室した後、ヘルトは一度背もたれに体重をかけて、天井を見上げながら肺の中の空気を吐き出した。
そして目を閉じて今後の対策を思案する。
熟考して一〇秒。ヘルトは目を見開いて体勢を元に戻すと、電話機のボタンを押してある相手を呼び出した。数コール待って相手が出ると、ヘルトはすぐに声を出す。
「嘉恋さん。いくつか頼みがある」
『どうした? 声色からして急を要する事態みたいだが』
「ああ、急を要する。明日からの二日、ぼくと凛祢、それから嘉恋さんの予定も開けてくれ。『キャンサー帝国』に向かう。それから一時間後にハッキングがあると思うから、ぼくが長官の立場を利用して悪事に手を染めてるっていう嘘の情報を捏造して欲しい」
『一時間だな? 用意できたら連絡する。他にやっておくべき事は?』
「御厨影人を呼べ。ぼくらが不在の間は彼に任せる。それから紗世に連絡してくれ」
その理由を述べるために、一度呼吸を挟んでから告げる。
「今回は『ディッパーズ』にも協力して貰う」
次なる舞台は因縁の『キャンサー帝国』。
『W.A.N.D.』と『ディッパーズ』。そしてヘルト・ハイラントとアーサー・レンフィールドの共同戦線だ。
◇◇◇◇◇◇◇
二〇年後の世界を救う戦いは終わった。
二〇年前の世界を救う戦いが始まる。
ありがとうございます。
という訳で第n章完結です。今回の章はナンバリングをしない上に、ほぼ英語表記などタイトルで遊んでみました。次回からはナンバリングを戻します。それにしてもより一層投稿部数と話数がズレましたね。むう。
今回の話は言うまでもなく今後に大きく関わってきます。未来の事だけではなく、ラプラスとの長引いている喧嘩もです。これらの問題の解決は次章とその次の章で描いていきます。
では次章、第一八章のあらすじです。
未来の世界から無事に帰還できたアーサー達。しかしまだ全てが終わった訳ではない。あの終末の未来を回避するために、ミオが決定してしまった未来を変える必要があるのだ。手掛かりがない今、アーサーは喧嘩中のラプラスと仲直りする為に奔走しつつ、さらにヘルトからの要請で『キャンサー帝国』へと赴く事になる。『一二宮協定』を提唱した因縁深い国が隠していたのは、かつての大戦で絶滅したはずの獣人たち。彼らが閉じ込められている施設では獣人の兵士の教育、売春、そして『獣人血清』の研究が行われていた。『シークレット・ディッパーズ』とヘルト達は彼らを救うために協力して現地に向かうが、そこで待っていたのはヘルトとはまた形の違う異邦人だった。そして遂に『無限の世界』を巻き込む『マルチバース』の扉が開かれる。
次回はアーサーとヘルトの二人が主軸の物語です。
そして舞台は『キャンサー帝国』。第一七章で張った伏線を回収しよう!
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件の『キャンサー帝国』のある施設。
広大な敷地内のある一室。天井はパイプが向き出しで、地下だから窓もない簡素な部屋。そこに灰色の長髪で、猫のような耳と尻尾がある少女と人間の少年がいた。人間の方はまだ幼いが、仕草や佇まいは妙に大人びていた。
「それで? 急に呼び出して何の話だ、クラーク」
「シオン。良い話と悪い話がある。良い話をしないと悪い話ができないから、良い話からで良いか?」
「どっちからでも事実は変わらないんだ。好きな方から話して良い」
そう言って、シオンと呼ばれた獣人の少女は口の中で棒付きの飴を転がした。こんな施設の中で毎度どこからくすねて来るのかは知らないが、彼女が着ている白いロングジャケットのポケットには常に棒付きの飴が常備されており、それをいつも飴を舐めている。そして割と重要な話をしようとしているのに垂れ目のせいか眠そうに見える。
まあ、シオンのこの姿勢はいつもの事なので、クラークは苦笑して本題に入る。
「この施設にヘルト・ハイラントからコンタクトがあったらしい。多分だけど、潜伏中の『ディッパーズ』もここに来るかもしれない。これはチャンスだ」
「なるほど……確かに良い話だ。で、悪い話は?」
「僕が予想できたくらいだから、十中八九クソ親父にもバレてる。彼らも予想してるだろうけど、罠に飛び込んで来るようなものだ。確実に捕まる」
それに関して、クラークは一〇〇パーセント断言できた。この施設の事を熟知している上での判断だ。どれだけ策を練り、どれだけの人数だろうと、飛び込んで来れば二度と出る事はできない。それは嫌というほど分かっている。
ころん、と飴を転がしたシオンは浅く溜め息をついた。
「つまり、このチャンスを生かす為に手助けしようって提案したいのか?」
「このチャンスに掛けるしかない。時間が経つほどクソ親父に従うしかない獣人が増えていくし、『獣人血清』も完成に近づく。それに……もうアイリスには時間がない」
その名前を出すと、シオンは眠たそうな目を少し見開いた。それから飴の棒を持ってコロコロ回しながら、少し声のトーンを落とす。
「……そうだったな。お前が獣人に肩入れしている一番の理由はそれだったな」
「個人的な事情なのは重々承知だ。でも……頼む。僕を信じてくれ」
「今更お前を疑ってるヤツはここにいない。だが外部から来るそいつらは信用されてないぞ? 特にユリの人間嫌いは筋金入りだ」
「何とかする。だからシオンは僕の端末をこの施設の全ての監視カメラの映像を見れるように改良してくれ」
「ああ。分かった」
クラークから端末を受け取ったシオンは、それをロングジャケットのポケットに突っ込んで部屋の外に向かい、壁もない作業用のエレベーターで下へ降りて行く。
クラークも肩が上下するほど深く呼吸してから、彼女に続こうとした。
そして一歩踏み出した瞬間、背後に強烈な気配を感じた。跳ねるように振り返ると、そこに一人の男が立っていた。自分より年上の二〇歳近くだろうか。しかしそこにいるようでいないような、現実離れした妙なオーラを放っている。
「やあ、待ってたよ」
「……どこから入った?」
「空を飛んで壁を超えた後は普通に歩いて。まあ、自分の体を見えないようにはしたけど」
「一体、何者なんだ……?」
まるで蛇に睨まれた蛙のように、口以外が上手く動かせない。
その男はこちらの問いかけにうっすらと笑みを浮かべて答える。
「ぼくは翔環アユム。クラーク、きみに少し用がある。すぐに終わるし、その出来事の記憶も消すから大丈夫」
そんな事を言われて大丈夫な訳がなかった。クラークは固まっている体を無理矢理動かし、彼から逃げる為に走り出そうとした。しかしそれよりも早くアユムが肩を掴んで動きを止めた。掴まれたのは肩だけなのに、どういう訳か全身が固まったように動かない。
「悪いけどきみの周囲の空気を固めた。手荒くなってしまって本当に申し訳ない。でも痛みは無いし、これはきみの為でもあるんだ」
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「あ、れ……?」
白昼夢でも見ていたような気分だった。
シオンと話をした後、部屋を出ようとした後で何かがあったような気がするが、どうしてもそれが思い出せない。まるで記憶が切り取られたような気分だ。
「今、誰かいたような……?」
呟いた声には何も返って来ない。
やがてクラークは気のせいだと結論付けて、再び外へ向かって足を踏み出した