363 二人との再会
無事に『ピスケス王国』へと亡命を果たし、ヘルト達とも別れて城内へと案内された後。日もすっかり暮れていた事もあり、顔合わせも兼ねて食事会から始まった。
アーサーら一七人が通されたのは長テーブルのある部屋だ。中ではすでに二人が待っていた。
アクア・ウィンクルム=ピスケスとスゥシィ・ストーム。アーサー、ラプラス、クロノ、メアは顔見知りだ。
アクアは椅子から立ち上がってこちらに歩いて来る。
「ありがとう、アクア。匿ってくれて心から感謝してるよ。滞在中は迷惑をかけないって約束する。ヘルトに頼まれた時以外は動かない」
「いや、気にするな。妾がお主らにやって貰った事を考えればこれくらい大した事ではない。メアとネミリアも無事に再開できて良かった。無論、ラプラスとクロノの二人もな」
「うん。久しぶり、アクアちゃん」
「はい。わたしが無事だったのはレンさんや皆さんのおかげです。ただ……すみません、わたしにはこの国での任務の記憶が無いんです。貴方の事は情報としては知っていますが、今のわたしが会うのは初めてです」
「それは聞いていた。残念だが……レンが取り戻すのだろう? だったら積もる話はまたいずれ」
それを信じて疑っていない様子で言い放ち、次に友人ではなく王女としての顔で他の『ディッパーズ』に目を向けた。
「他の者達も『ピスケス王国』へようこそ。話は聞いている。窮屈だとは思うが、最大限力になろう。城内に限るが存在がバレない程度に自由にしてくれ。早速食事にしよう」
アクアの指示でぞろぞろと全員が思い思いの席に着く。自然と前に『ピスケス王国』を訪れたメンバーがアクアの近くに着く。意図的に空けられたのか、アーサーの正面にはスゥが座っていた。
スゥは頬を赤らめて何となく気まずそうに、
「レン君……その、久しぶり」
「ああ……スゥ。また会えて嬉しいよ」
それはアーサーの本心からの言葉だったが、こちらもこちらで気まずそうだった。理由は彼女と同じものと違うものと両方あるが、どちらにせよ今はあまり話したくなかった。
その様子をアクアに訝しげに見られつつ、アクアとスゥの紹介やネミリアを含めて親睦を深める食事会は進んだ。
それが終わって男女毎に部屋に案内されるためみんなと別れた後、アーサーはさらに透夜と別れて一人別室へと向かう。部屋にノックをしてから入ると、待っている相手も一人だった。
「ああ、来たか。急に呼び出して悪かったな」
「いや、丁度良かった。俺もアクアに相談があったんだ」
「妾もだ。お主、どうもスゥを相手にした様子がおかしくないか? 前のパーティーの時に何かあったのか?」
「何かしかなかった。俺の相談もそれなんだ。だから相談に乗って欲しい。アクアしか頼める人がいないんだ」
「……話してみろ」
スゥの事になると顔色が変わるのを嬉しく思いながら、これから話す事の重さを考えると同時に辟易としながら口を開く。
「問題その一、前のパーティーでスゥにキスされた。意味はまあ……多分、想像通りだ」
「だろうな。スゥから聞いてる。それで他には?」
「問題その二、俺は記憶を失ってた頃の自分を他人のように感じてる。スゥが特別に想ってくれて、彼女を一番に大切に想ってたのはレン・ストームだ。俺じゃない」
「だがお主もスゥを大切に想っているのだろう?」
「勿論だ。でもレン・ストームほどかって聞かれたら自信が無い。俺には大切に想ってる人達が大勢いる。スゥもその中の一人だけど、不誠実だろそんなの」
「一応、自覚はあるようだな。それで他にもあるのか?」
「これが最後だ。問題その三、俺には『担ぎし者』の呪いがある。近しい人を死に近づけるんだ。だから例えスゥじゃなかったとしても、俺は誰かと深い仲になるつもりはない」
肩を竦めてそう言い切った直後だった。唐突に腹部に衝撃が叩き込まれて吹き飛ばされた。アクアが『廻流水槍』を至近距離で撃ち込んで来たのだ。
「い、いきなり何するんだよ!!」
「馬鹿の頭を冷ましてやったんだ。むしろ感謝して欲しいな。……クロウも馬鹿だが、お主はそれ以上の大馬鹿だ。お主は人を好きになる時、その記憶を好きになるのか?」
「それは……」
「スゥが惹かれたのはお主の心だ。妾が見た限りだが、記憶を無くしていた頃も取り戻した後も、お主に大した違いは無い。自信を持ったらどうだ?」
「それを教えるために魔術を撃ち込むか普通……」
「お主には右手があるだろ。防げなかった事までは知らん」
そう返されてはアーサーの方は何も言い返せなかった。
水槍一発で考えが変わる訳ではないが、別の考え方をするための切り口にはなった。もう一度くらい冷めた頭で考えるのも良いだろう。
「だが問題三については同意見だ。今の話を包み隠さずスゥにして、これ以上関係は進めるな。あいつを危険に晒したら、いくらお主でも場合によっては許さんからな?」
「感動で震えるね。肝に銘じるよ。あと会いに行く前に着替えを用意して欲しいかな」
「手配するが見張りも付けるからな。スゥの元へ行かなかったら……分かるな?」
銃の構えを取った手をパーン、と撃つようなジェスチャーをアーサーに向けた。
アーサーは静かに頷いて応じた。そして逃げるように部屋を出ようとドアに向かうと、ドアノブに手をかけた所でその背に刺さるような言葉をアクアが放つ。
「ちなみにお主、今まで衝動に敗けた事は無いよな?」
「そりゃまあ……いや、ちょっと潔白とは言い難いかも」
よくよく考えれば、この『ピスケス王国』でラプラスに対して初めて自分から誰かに望んでキスをした。色々理由付けはしたが、衝動に敗けて自分の意志で望んでやった事も否定できない。
つまりまあ、アクアにとってはアーサーの信用度が落ちる訳だ。
「お主……」
「言い訳はしない。でもスゥは傷つけないよ。約束する」
「……まあ、お主の約束なら信用するがな。スゥは中庭で待っているはずだ。今すぐ行け」
「分かってる。気まずいだけで俺だって会いたくない訳じゃない」
それから部屋を出ようとして、再びアクアから声がかかった。
つんのめるようにして足を止めて振り返る。
「最後に一つ、訊いても良いか?」
「訊くだけなら自由だ」
「なら遠慮なく。お主、誰を一番好いておるのだ?」
「っ……」
一瞬、アーサーの顔が嫌そうに歪んだ。
しかしそれも一瞬の事で、すぐに取り繕った笑みを浮かべて答える。
「……悪いけどそれは禁句なんだ。気恥ずかしさとか度外視で、考える訳にはいかないし、それだけは誰にも言えない事になってる。死なせたくないからな」
そんな誤魔化しが運命相手にどこまで通じるかなんて分からない。
だけどハッキリさせるよりは安心だと、そう思うしかなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
濡れた服からアクアが用意したスーツに着替えて中庭に向かうと、噴水の前で彼女は待っていた。アーサーは一度息を整えてから近づいて行き、背中に名前を呼んで声をかける。するとスゥは振り返って満面の笑みを浮かべた。
「レン君。良かった、来ないかもしれないと思ってた」
「来ないかもしれない相手を待つのにそんな薄着で?」
風呂上りなのか髪は少し濡れているにも関わらず、服装はレースのあしらわれたドレスで上着も羽織っていない。夜に外で待つには不釣り合いな恰好だろう。
しかしスゥはその衣装を見せつけるようにその場でくるりと回ってみせる。
「せっかく来てくれるならレン君には可愛いって思われたいから」
「確かに普段増しで可愛いよ。だけど風呂上りにこんな所で待ってたら湯冷めするだろ。ほら、この上着も羽織って」
「ありがとう」
「アクアに借りた服だ。礼なら彼女に」
そう返すとスゥは渡された上着に袖を通しながらふふっと笑みを溢して、
「わたしの環境は一変しちゃったけど、レン君は何も変わってないね」
「変化ならあったさ。世界的大犯罪者になった」
「ネミリアさんとミオさんを守るためでしょ? それに約束もちゃんと守ってくれた。こうしてまた会いに来てくれた」
「もっと大手を振って会いに来れれば良かったんだけどね。でもまあ、こんな事でも無いとすぐには会いに来れなかったのも事実だから、その点に関してだけは感謝かな。他のみんなとはもう話を?」
「うん。みんな良い人だね。友達が沢山できた」
「それは良かった」
もしかするとアクアはこれも狙っていて亡命を受け入れた部分もあるのかもしれないと不意に思った。スゥの事になると血相を変える彼女の事だ。十分に考えられる。
「……ありがとう、レン君」
心の中でアクアに礼を言っていると、こちらも正面から礼をされた。心当たりの無いアーサーは途端に疑問符を浮かべる。
「えっと……何の事?」
「全部。今の私があるのは全部レン君のおかげだから。この国の事も、アクアの事も、私自身の事も。約束を守ってくれた事や、友達を連れて来てくれた事も全部。こうして二人っきりになったらまたお礼が言いたくなっちゃって」
「スゥ……」
申し訳なさが胸の内から込み上げて来た。
彼女が好意を抱いたのはレン・ストーム。そして彼はアーサーが記憶を取り戻したと同時に死んだ。直接的に言い換えるならアーサーが殺した。
感謝される資格どころか、笑顔を向けられる資格もない。本来なら恨まれてしかるべきなのだ。
「……スゥに話がある」
「話? えっと、その顔はもしかしてあんまり良い話じゃない……?」
「……ああ、謝る事があるんだ」
スゥは首を傾げた。
アーサーは深く息を吸い込んで、重い口を開く。
そして、アクアに話した事を何もかも全て話した。
その間、スゥは何も言わず黙って聞いていた。どんどん顔を下げて行く彼女には言いたい事があるはずなのに、アーサーが全て言い終えるまで待ってくれたのだ。
「……俺の事は恨んでくれて良い。二度と顔を見せるなって言うならそうする。今すぐこの国を出て二度とスゥには近づかないって約束する。だから―――」
「……っ」
アーサーが申し訳なさに耐え切れず、目を逸らした一瞬の事だった。
前と同じように不意にスゥが飛び込んでくると唇を奪われた。柔らかい感触を楽しむ暇も無く、がりっと唇に鋭い痛みが走る。スゥがアーサーの唇を噛んだのだ。しかしアーサーは痛みに堪えて離れずにいると、スゥの方から先に離れた。そして見せつけるように瑞々しく赤い唇をぺろりと舐めた。
「噛んだのは馬鹿なこと言った罰だからね。謝らないよ」
「いやそんな事よりっ、お前また……!!」
「……レン君、何度も隙を奪われ過ぎじゃない?」
からかうように言ってスゥは嘆息した。
そしてアーサーが何かを言うのを止めるように、人差し指をアーサーの唇に当ててから話を続ける。
「レン君はレン君だよ。たとえアーサー・レンフィールドの記憶が戻ったって、レン・ストームを他人のようにしか思えなくたって、私にとっては何も変わらない。私が好きになった人は、誰かのために頑張れて、約束は絶対に守ってくれる人だよ?」
「……そんな風に言って貰える資格」
「俺には無い、なんて言ったらもう一度キスして口塞ぐからね。……そっちの方が良いかも」
割と本気めの口調で冗談を挟むスゥだが、アーサーはそれに反応する余裕が無かった。
「……不誠実で悪い。スゥの気持ちは本当に嬉しい。でもさっき言った通り、これ以上はダメなんだ」
「うん……分かってる。だから答えはその呪いが無くなった時で良いよ。それまでずっと待てるくらい、レン君の事が好きだから。みんなと同じように」
「……俺は恵まれてるな。本当、今回の件では特に自覚できたよ。みんな犯罪者になるのを覚悟して俺の我儘に付き合ってくれた。ネムとミオを見捨てないでくれた」
「それはきっとレン君がこれまで積み上げて来たものの成果だよ。みんなレン君だから協力したくなるんだと思う」
「だったら嬉しいよ」
それはアーサーにとっての救いで、きっと世界にとっても救いになる。二〇人にも満たない叛逆者は法に縛られず誰でも助けられる。ヘルトやアレックスの救いが及ばない人達を救える。そう考えると今までの『W.A.N.D.』と『ディッパーズ』の二つの体制に三番目の組織として参戦できるのだ。数が増えればそれだけ同時に動ける事を意味している。つまり救える数も増えるという事だ。
「これから何て名乗ろうかな。『ディッパーズ』はアレックス達の事を指すし、何か別の名称を考えないと」
「じゃあ……『シークレット・ディッパーズ』なんてどう? これからは秘密裏に動くって話だし、丁度良いと思うけど……」
「……良いね。気に入った。じゃあ今後は『シークレット・ディッパーズ』って名乗ろう。語呂も悪くないし」
「私が名付け親なのはちょっと変な感じ……くしゅんっ」
言葉の途中にも関わらず、スゥは可愛らしく小さなくしゃみをした。アーサーが上着を貸したとはいえ、流石にそれだけでは防寒対策は万全とは言えない。長話をし過ぎたようだ。
「冷えて来たな。今夜はここまでにしよう。明日からも一緒なんだし、話ならいくらでもできる」
「あっ、待って」
アーサーのお開きムードを止めて、スゥは上着を脱いでアーサーに返した。そして両手を分かりやすい意図のある構えで出した。
アーサーはその構えを見て念のため訊き返す。
「……もしかしてダンスの誘い?」
「うん。実はドレスを着て来たのはそうしたかったからなんだ。前のパーティーじゃ踊れなかったから今度こそはと思って、アクアにも手伝って貰って練習してたの」
「アクアが着替えにスーツを用意してたのもこの為か……通りでおかしいと思った」
あの時は水で張り付いた服が気持ち悪くて、どうしてパーティーに出る訳でもないのにスーツが用意されていたのかという疑問を先送りにしてすぐ着替えたが、そういう意図があったらしい。
得心がいったアーサーは息を吐いたが、それを別の意味として受け取ったスゥは不安げな目でアーサーを見上げる。
「……ダメ?」
「……お手柔らかに頼む。正直、自信が無いんだ」
「良かった。プレッシャーが少し無くなったよ」
アーサーは笑い返してからスゥの手を取って引っ張った。
それから稚拙で音楽もないダンスを二人で踊る。
ほんの数分の逢瀬。ただ激動の一日を締め括るには、悪くない一時だった。
ありがとうございます。
という訳で今回はしばらく拠点となる『ピスケス王国』の話という事で久々登場のヒロイン、スゥ回でした。ついでにちょっとしたアーサーへのご褒美回だったり。
シエルには届かなかった救いをミオには届かせる事ができ、デスストーカーの時は失敗した逃走劇を今回は成功させてネミリアを救ったりなど、今回の章はどちらも少なからず『ニーデルマイヤー』が関わっていた事件を多少なりとも克服できた側面があります。
アーサーにとって、今回の黒幕であるエミリア・ニーデルマイヤーは鏡映しのような存在です。直接的な関わりはないのに、シエルの事やヘルトが人質を消し飛ばした件など、絶望した事柄が同じだからです。
そして同時に両者はどこにでもいるごく平凡な人間でした。
片や村人、片や科学者。しかしアーサーはこの短期間で世界最強のチームを率いるリーダーとして相応しい力を身に付けて来ました。それは同時に鏡映しであるエミリアにも同じ事が言えます。
同じように絶望し、ただ立ち直り方が違っただけ。
その時に誰が傍にいて、誰がいなかったかの違い。
たったそれだけの差異で、彼らは互いに最大の敵としてどこかで相まみえる事になるのです。