362 亡命
無事に脱獄を果たした仲間達を含めて総勢一六名……となると思っていたが、久遠だけは一旦『ジェミニ公国』に寄って降ろした。彼女が住んでいる場所は忍術で守られているので、そちらに戻った方が自分は安全だという判断だった。
結祈との別れを惜しむ彼女を見送って、残りの一五名は無事に『ピスケス王国』に辿り着けた。『ジェット』を着陸させて早速アクアが待っている王宮へと向かう。しかし傍まで来たところで予想外の人物が待っていた。
「やあ、アーサー・レンフィールド」
「ヘルト……お前、こんな所で何やってるんだ?」
「きみを待ってたんだ。ちょっと二人になれないか? 少し離れるだけで良い」
「俺は構わないけど……そっちの二人は?」
アーサーが言っているのはヘルトの隣にいる凛祢と紗世の事だ。しかし彼女達はアーサーの質問の意図を察したのか、凛祢が紗世を引っ張る形でアーサーの仲間達の方へ向かって行く。
アーサーとヘルトは二人だけで仲間達から離れて話を始める。
「わざわざすまないね。凛祢と紗世は人工的とはいえ『魔族堕ち』だから耳が良いんだ。離れた上に別の音が無いと会話を聞かれる。きみとの会話はあまり聞かれたくないんだ」
「気にするな。こっちも同じだ」
『魔族堕ち』というなら結祈がそうだし、『獣化』の効果でサラは常時五感が鋭い。それに『ラウンドナイツ』からのメンバーは軒並み五感が鋭い。内緒話を警戒するならむしろアーサーの方だろう。
まあ正直、最悪彼女達になら聞かれても良いという考えもあったが。『イルミナティ』関連の話は秘密にはしておきたいが、バレたらバレたで別に良い。それくらいの信用はしている。
「とりあえず、今回は素直に礼を言っておくよ。色々と手を回してくれて感謝してる」
「きみとぼくの協力関係に感謝は要らないだろ? 気にしないでくれ、そもそもぼくがきみに頼んだことが発端だ。とはいえまさか『MIO』の件がここまで大事になるとは思ってなかった訳だけど」
「そうだな……俺も同じだ」
今回の件で失ったものは大きい。だがより大きいものを失わない為にこの選択をした。その事に後悔は無い。
アレックスとの関係は壊れた。
世界からも追われる身。
だけど仲間は一人も失っていない。守りたい者達も守れた。それだけでも価値があったのだ。
アーサーの視線はそんな仲間達と、今はその輪の中で談笑している凛祢と紗世に目を向けていた。
「……あの二人を見れて良かった。お前はあの子達の事、大事にしてくれてるんだな」
「紗世には嫌われてるけどね。どうにも凛祢と仲が良いのが気に食わないらしい。彼女、生粋のシスコンだから」
「……まあ、シスコンに悪いヤツはいないよ」
アーサーは妙に歯切れが悪く答えた。どうもシスコンという単語に敏感になっている気がする。身の回りに増えてきているのが原因かもしれない。
「ところでどうして君が二人の心配を? 家族で無ければ知り合いって訳でもないのに」
「まあ……そうだな。俺も教えられるまで知らなかったんだけど、『魔造の一二ヶ月計画』で生まれた彼女達は遺伝子的に俺の妹なんだ」
「……ん? 待った。じゃあきみは……」
「魔王を名乗ってたローグ・アインザームの息子だ。俺が知ったのも過去に跳んだ時だけど、今の時間じゃ一度も会った事がない。勿論母親にも。笑えるだろ? この見た目で実は五〇〇歳超えてるって言うんだから」
「それを言うならぼくはこの世界で〇歳だよ。でもそうか……ふむ、これは良い考えかも」
妙な事を呟いているが、アーサーが言った所で答えないだろう。それに思考が早いのかコロコロ変わるようだ。
彼の視線の先には凛祢がいた。飛行場でもそうだったが馬が合うのか、今は結祈とこちらを見ながら何かを話している。
「ところでそっちにいる近衛結祈ってどんな子なんだ? 凛祢と随分仲良くなったみたいなんだけど」
「一言で説明すると『魔族堕ち』で忍術使いの女の子かな。『ディッパーズ』で一番強いって言っても過言じゃない。良いヤツだよ、そっちの凛祢って子と同じくらい。流石俺の妹だな」
「なるほどね。魔王の娘を右腕吹っ飛ばしてでも助けたくらいだし、きみも相当シスコンみたいだ。ますます自分の思い付きが良い考えだって思うよ」
奇妙な自画自賛の後、ヘルトは両手を口元に当ててメガホンを作ると叫ぶ。
「紗世! 話がある、ちょっと来てくれ!!」
呼ばれた少女は嫌そうな顔をしながら、それでも凛祢に背中を押されてこちらに歩いて来た。話を邪魔されたのが嫌だったのか、その間もずっと不機嫌そうだ。
「……何の用ですか?」
「仕事の話だ。紗世、きみはこの場に残って彼らと行動を共にしてくれないか?」
「はい……? それ冗談ですよね? ワタシに家族から離れろって言うんですか!?」
「家族ならここにもいるぞ。アーサー・レンフィールド。遺伝子的にはきみと父親は同じ、つまりきみの兄だ」
「お兄さん……?」
全く信じていない警戒色の強い目で睨まれた。アーサーはその警戒心を刺激しないように柔和な笑みを浮かべて手の差し出す。
「一応ね。改めて、アーサー・S・レンフィールドだ。よろしく」
「……水無月紗世です。とりあえず、お兄さんはこの人より礼儀があるようで良かったです」
兄妹としてのファーストコンタクトは最高とは言えないが上々だった。笑顔で固い握手を交わす。親睦はこれから時間をかけて深めて行けば良いだろう。
挨拶もそこそこに、紗世は続けてヘルトを睨みつけた。
「だからと言って引き受ける気にはなりません」
「必要な事なんだ」
「だったら何故ワタシなんですか? 『ナイトメア』から出せば良いじゃないですか」
「彼女達には彼女達にしか出来ない別の仕事がある。他の職員はこの件じゃ動かせないし、頼めるのはきみしかいないんだ」
「……じゃないと凛祢を動かすって言いたげですね」
「確かに凛祢も当てはまるね。必要とあらばそうするよ」
紗世は一度、凛音を見た。
それからすぐにヘルトの方に向き直って睨む。
「……そんな事をしたら凛祢が悲しむって知ってるくせに言うんですね。やっぱりワタシはアナタが嫌いです」
「知ってるよ。それで仕事は引き受けてくれるって事で良いのかな?」
「……本当に最低です。大嫌いです、心底」
吐き捨てるように言う紗世を見てアーサーも気分が悪かった。これは対象が妹だからというだけの話ではなく、脅迫紛いの要求だったからだ。ヘルトが目的の為なら手段を選ばない男なのは知っているが、脅迫なんて誰だって気分が良いものではないのだ。
「……言っておきますが、ワタシがいない間に凛祢を悲しませたら殺しますよ?」
「その時は俺も手伝うよ。一緒にこいつをぶん殴る。俺がこいつを右手で殴れば魔力を使えなくさせられる」
「そこをワタシがトドメを刺す訳ですか……最高ですね。お兄さんの事、好きになれそうです」
「俺もだ。妹と気が合って嬉しいよ」
「ワタシもです」
目の前で繰り広げられる自分の暗殺計画に眉をひそませて、しかし安堵したような笑みも混ぜた複雑な表情でヘルトは言う。
「とにかく、きみ達の馬が合って良かったよ。心配しなくても凛祢を悲しませるような事をするつもりは無い」
「……その言葉、忘れないで下さいよ。それからお兄さんはまた後で話をしましょう」
「分かった。とりあえず今はみんなと親睦を深めてくれ。俺はもう少しこいつと話があるから」
「分かりました。ではまた後で」
そうしてアーサーの方にだけお辞儀をしてから、紗世は再びみんなの方へと戻って行く。それを見送ってからアーサーは用意していた手紙の入った封筒を取り出してヘルトに渡した。
「頼みがある。この手紙を『ディッパーズ』本部に送ってくれ。勿論俺が出したって分からないように頼む」
「まあ、それくらいなら構わない。『イルミナティ』経由でセラ・テトラーゼ=スコーピオンに届けよう」
ヘルトは受け取った封筒を胸元にしまいつつ、アーサーに尋ねる。
「それで、きみはこれからどう動く? 本音を言えばぼくが協力を要請する時以外は大人しくしておいて欲しいんだけど、きみは聞くつもりはないだろう?」
「いや……そうでもない。『ピスケス王国』が匿ってくれる以上、俺達が目立って迷惑をかける訳にはいかない。不謹慎かもしれないけど、久しぶりにしばらくゆっくりできそうだからそうするよ。お前も働き詰めなんだからたまにはそうしろ」
「どうかな……きみに休めと言った手前だけど、そういうのはぼくには似合わないよ」
ヘルトは肩を竦めて、どこか諦めたように溜め息を溢した。
「昔、この世界に来る前の世界でたった一度だけ泣いた事がある。理想を胸に報われない中でも頑張り続けて、まだ頑張ればいつか報われると信じてた頃。ぼくはぼくが信じたものに裏切られて……何かが切れた。そして泣いたんだ。それこそ、自分の心が壊れるまで」
「……、」
唐突な重い話だったが、まともに聞くのは初めてと言っても良い彼の生前の話だ。アーサーは興味深く耳を傾けて言葉を発さず聞き手に回る。
「死にそうな心を守るために、ぼくはぼく自身の手で自分の心を殺した。それ以来涙は一滴も流れない。それこそ殺された時や唯一の友人を切り捨てた時でさえ、ね」
ヘルトは自嘲気味に笑う。だけどアーサーは笑えなかった。
人生で一度しか泣いた事が無いヘルトがどんな生き方をして来たのか、そんなのは考えるまでもなく分かっている。きっと今と大して変わらないのだろう。いや凛祢や紗世のように身近に誰もいなかったなら、今よりもっと悲惨だったのかもしれない。
アーサーはヘルトがどんな世界で生きて来たのか知らない。どうして殺されたのか、その詳細だって分からない。けれど何となく、彼は大多数に裏切られてこうなったのではないかと察しはつく。
今になって考えれば、彼の用意は周到だった。
『MIO』と『協定』を真っ先に結び付けて『ナイトメア』を動かし、『ピスケス王国』への亡命の手配やその他諸々、いくら何でも慣れ過ぎている。
だから分かった。きっと彼は、今の自分達と同じかそれ以上に酷い状態に陥った事があるのだと。だから対処が迅速だったのだと。
「辛い人生だったんだな」
「自分を憐れむ趣味は無いよ。今は割と幸せだしね。ぼくを家族と呼んでくれる人達がいるから」
「彼女達か……確かに、お前はこの世界に産みの親がいないもんな」
「別にどちらにせよ同じ事だよ」
ん? と声を漏らしたアーサーにヘルトは前を向いたままふっと笑って、
「きみの家庭環境も複雑みたいだけど、両親を知ってる分まだ幸せだよ」
「……どういう意味だ?」
「ぼくは自分の両親を知らないんだよ。産まれてすぐに捨てられたんだ。誰だって愛されて産まれて来たなんて話を聞いた事もあるけど、少なくともぼくは愛された試しがない。前の世界じゃ家族なんて一人もいなかった」
「……、」
「でも彼女達はそんなぼくの事を家族だと言ってくれたんだ。ぼくもそう思ってるつもりだけど……正直に言うとね、実際、愛とか家族とか安息とか、そういうのは別の世界の話みたいで、ぼくにとっては遠すぎるんだ。……そういうのを求めてた男はもう死んだよ。泣き止んだのは別人だ」
こちらを向いたヘルトは笑みを浮かべていた。
アーサーは自分自身が壊れていると思っている。しかしヘルトも大概壊れている。あるいはその弱さこそが、ヒーローと呼ばれる者にとっては不可欠なのかもしれない。狂っているかもしれないが、世界なんていつだってそんなものだ。
「……大丈夫なのか?」
「……ああ、勿論。それでも今の自分の居場所くらいは分かってるつもりだよ。彼女達のいる場所がぼくの家だ」
そうだな、とアーサーも同意した。
一緒にいてくれる仲間がいる。その価値はアーサーにもよく分かっていたからだった。
ありがとうございます。
アレックスと袂を別ったアーサーですが、今後はヘルトとの関係が少し深くなっていきます。ちなみに詳しく描かないかもですが、『ディッパーズ』のリーダーとなったアレックスも、『W.A.N.D.』長官であるヘルトと少なからず関わっていきます。