358 俺もそうだった
アーサーは少し前……いいや、一〇年前には届かなかった救いを、今度こそ届ける事ができた。
世界に対する『MIO』の脅威は排除できたが、その事実を世界は知らない。透夜が途中で言っていたように、これからもミオは世界に狙われ続ける存在だ。いつまでもこんな所にいないで退散するのが吉だろう。
しかし最後に一つ、やるべき事が残っていた。
「疲れてるのに悪いな、ネム」
「いえ、戦っていたのはほとんどレンさんですから。これくらいなんてことありません」
ネミリアがやっているのは『共鳴』による生命の感知だ。それを今使っているのは、力を貸してくれた『MIO』の思念がどうなったのかを調べて貰うためだ。
「ラプラス。ミオと透夜を連れて先に『ジェット』に戻っててくれ。俺もネムの方が終わり次第戻る」
「分かりました。では待っていますね、アーサー」
呼び方が戻っている。つまりラプラスが観測した未来での事件はここで終わりという事だろう。
脅威は去った。あとはネミリアの最終チェックを待つだけだ。
「じゃあ、僕が来た道を案内するよ。確かあっちにはエレベーターがあったはずだから、そっち方が良いだろう?」
言って、透夜はミオに手を伸ばした。その手と彼の顔を交互に見て驚いているミオに、透夜は頬を掻きながら気恥ずかしそうに言う。
「……今更お兄ちゃん面できないのは分かってるけど、これからは僕も彼みたいに君を守るよ。勿論、ミオが許してくれるならだけど」
「う、ううん……ありがとう、その……お兄ちゃん」
ミオの方も照れながらその手を取った。
無論、兄妹になるには多少なりとも時間がかかるだろう。しかしその切っ掛けはできた。それもまた今回の戦いの成果だ。目に見えるものでは無いかもしれないし、世界中から見れば大した事が無いようにも思える。しかし直接関わった彼らにとっては十分過ぎるほどの成果だった。
先に戻る三人を見送って、アーサーは静かにネミリアの作業が終わるのを待つ。ミオの方もそうだが、ネミリアの問題もまだ解決できていない。ズルズルと引き延ばしになっているが、まだ記憶を戻すという彼女との約束が果たせていない。取っ掛かりすら掴めていないが、いずれ何とかしないといけないだろう。特にネミリアが慕っているお母さんという存在が気になる。
「……ふぅ。レンさん、終わりました」
とにかく彼女の前であまり動揺は見せたくないので、思考を一旦隅に追いやって応じる。
「どうだった?」
「先程まであった思念のようなものは感じられません。皆さん、『MIO』の破壊と同時に逝ってしまったようです」
「そうか……」
感謝も何も言えなかったのは辛いが、無事に逝けたなら何よりだ。
この場にはすでにピアースの姿もない。気づかぬ内に逃げたのか、それとも天使によって存在そのものを消されたのかは分からないが、兎にも角にもこれで『MIO』は完全に終わりだ。いつまでも長居するのは得策ではないので問題が起きる前に退散するに限る。
「なら俺達も戻ろう。みんなが待ってる」
「はい」
流石に二〇階以上の階段を上る気は起きないので、いまいち道順は分からないが透夜が来てみんなが向かった方から外へ出ようとする。しかし足を向けた直後、ネミリアの足が止まった。そして彼女は自分達が降りて来た方に視線を向ける。
「待って下さい。誰か近づいてきます」
「誰かって……」
アーサーもネミリアと同じ方向を見る。耳をすませば規則的な足音が聞こえて来た。
そして、そこから現れた人影は―――
「よう」
「アレックス……?」
それはよく見知った相手だった。しかし今は敵対している相手でもある。すぐに『手甲盾剣』を起動して盾を構える。
「……ミオを殺す必要はもう無いぞ。装置の方は破壊した。二度とミオが能力を使う事はない」
「ああ、そうか。そんな話だったな。そっちはもうどうでも良い、用があるのはそっちのネミリア=Nだけだ」
「ネム……? まだ捕まえる気なのか?」
「いいや。俺はそいつを殺しに来た」
「……は?」
それがあまりにも平坦な口調で放たれたせいで、アーサーはいまいち現実味を得られなかった。
アレックスはそんなアーサーの様子を鼻で笑った。そうして初めて気づいた。アレックスの目には普通とは違う強い決意の現れがあると。
飛行場で戦った時とは明らかに違う。殺意にも似た凄みがある。
そんなアーサーの予感を当てるように、アレックスは核心に迫る言葉を放つ。
「監視カメラの映像を見た。『タウロス王国』の地下でアンナの身にあった本当の事、テメェは知ってたんだろ、アーサー? 知ってて俺に黙ってた、違うか?」
「ぁ……」
すぐに合点がいった。そして同時にマズいと思う。
一番隠したかった相手に一番隠したかった事を知られた。しかも状況は最悪。せめてラプラスと透夜が残っている時だったらマシだったのに、この場には自分とネミリアしかいない。とにかくまずは説得だ。
「……アレックス、あれは違う。ネムは……」
「誤魔化すんじゃねえよ、レンフィールド!! テメェは知ってたんだろ!?」
完全に頭に血が昇っているアレックスに言葉は無意味だった。
どう答えれば良いのかアーサーは少し迷って、やがて短く答える。
「……ああ」
「ッ……だろうな。テメェもあの場にいたんだから当然だ」
深く息を吐いてアレックスは何度か大仰に頷いた。それから予備動作も無しに素早くネミリアに掌を向け、そこから一条の光線を放つ。しかし反応していたアーサーはネミリアの前に右手を出してギリギリの所で防いだ。
「くっ、止めろアレックス! ネムは操られてただけだ!!」
「知った事か、その言い訳はもう聞き飽きたんだよ! そこを退け!!」
凄まじい速度で突っ込んで来たアレックスを、アーサーはネミリアを背中に隠すように移動して盾で受け止めた。
「逃げろネム! 外に出てラプラス達と合流するんだ!!」
「で、ですが……ッ」
「いいから行け、早く!!」
「っ……」
ネミリアは歯噛みしながら透夜達が通って行った通路に向かう。エレベーターがあるという話だったが近くには見当たらない。とくかく階段を上がった先に別の通路が見えるので、そこへ念動力で自分の体を持ち上げて移動を始めた。
そしてアーサーはアレックスの方へと集中する。右手に『シャスティフォル』を発動させて盾と入れ替えるようにして殴りかかる。しかしアレックスはそれをいとも容易く片手で受け止めた。
「飛行場と同じだと思うなよ。こっちのバージョンは一つ上だ」
返す刀で今度はアレックスの方が殴りかかって来る。しかし普通の拳ではない。肘のナノマシンが変形してジェットに変わると噴射しながら殴りかかって来る。アーサーは再び盾で受け止めたが今度は威力に耐え切れず体が宙に浮いて吹き飛ばされる。
(重っ……!? バージョンって、あいつが作ったスーツの事か!?)
「遅せえよ」
吹っ飛ぶアーサーよりも早く移動して来たアレックスはアーサーの体を蹴り飛ばした。すぐに体勢を立て直して着地したアーサーだが、それ以上の追撃は来なかった。アレックスはアーサーをネミリアが逃げた出入り口から離し、その間に扉を潜って中へと入って行く。
「待てアレックス!!」
「うるせえ。テメェは邪魔すんな」
そしてアレックスはアーサーが来る前に出入り口の上の壁を破壊して瓦礫で塞いでしまう。そうして邪魔者が入らなくなった状況でアレックスは上空を見上げる。そこには宙を浮いて上に向かっているネミリアがいた。アレックスはそれより遥かに速い速度で飛び上がるとすぐにネミリアに追いつき蹴りを放つ。ネミリアは咄嗟に念動力の壁で受け止めるが、受け止め切れずに壁まで吹っ飛ばされた。
アレックスはネミリアに対処する暇を与えない為にすぐに肉薄すると喉を掴み、反対の手にアーサーのような手甲剣を作るとすぐにネミリアの顔に向かって突き出す。ネミリアは苦悶の表情を浮かべながら念動力を使って全力でそれを受け止めた。
「どうしてテメェはアンナを撃ったんだ!?」
「っ……覚えて、ません……ですが撃った事は、間違いありません……ッ」
「覚えてねえからテメェ自身は悪くねえってか?」
「いえ……わたしは恨まれて、当然です……ですがっ、レンさんの為にも、貴方にだけは殺される訳にはいきません!!」
その瞬間、アレックスの側面から魔力の槍が飛んで来た。彼はネミリアに向けていた剣を振るってそれを弾くが、さらにもう一発飛んできていたのに気付くのが遅れた。仕方なくネミリアの喉から手を離して弾く。
犯人は考えるまでもなく下にいるアーサーだ。瓦礫の山はすぐに吹き飛ばされるとは思っていたが想像以上に早かった。
「チィ―――!!」
「もう一発喰らえ―――『加速・追尾投擲槍』!!」
上を見上げたアーサーはもう一発槍状の集束魔力弾をアレックスに放つ。しかし今度は不意を突いた訳でもない正面からの攻撃だ。アレックスは宙に浮いたまま掌から魔力弾を放って打ち消した。
「っんな攻撃、何発撃った所で効くかよ!!」
「だったらこれはどうだ? 『大蛇投擲槍』!!」
一際輝く右手から先程までよりも巨大な槍状の集束魔力弾を撃つ。アレックスはそれを避けたが、すぐにアーサーが上から下へ叩きつけるように操作して背中側から直撃させる。アレックスは落ちてくるがこれで倒せるほど甘くはないだろう。その隙にアーサーは『幾重にも重ねた小さな一歩』でアレックスと入れ替わるようにネミリアの傍に転移する。
「今の内に逃げるぞ。アレックスはもう止まらない」
「ですが、わたしは……」
「今は話をするのも無理だ。とにかく……っ」
会話の途中で下から凄まじい魔力を感じ取った。通路の手すりから顔を出して確認すると、アレックスが刀に魔力を集束させていた。
(こんな所で集束魔力砲なんて正気か!? 生き埋めになりかねないんだぞ!!)
それともそんな判断すらできないほど正常さを失っているのか。とにかくいつまでもここにはいられない。ラプラスがおらず正確な距離が分からないからあまり使いたくなかったのだが、アーサーはネミリアの腕を引いて抱き寄せる。
「しっかり捕まってろ。転移で上に逃げる!」
有無も言わせず遥か上空へと転移する。確実に外へ出たかったので余分に重ねると転移先は上空だった。だがまだ脅威を脱した訳ではない。アーサーは右手を引き絞りつつ魔力を集束させる。
直後、大地を貫いて雷の集束魔力砲が昇って来た。アーサーはそれに対して右手を突き出し、同じ集束魔力砲で応戦する。
二つの集束魔力砲がぶつかり合い、凄まじい爆発が起きた。上空のアーサーの体が再び吹っ飛ばされ、やがて錐揉みしながら地面に接触した。地面に衝突する前にネミリアが自分とアーサーの体を念動力の壁で包み込んでダメージを軽減したおかげで、雪が積もっていた事もあり大事にはならず多少の痛みを覚えただけで無事に地面に降りられた。
互いに支え合いながら立ち上がると、今し方開いた大穴からアレックスがゆっくりと飛んで出て来た。そしてアーサー達から少し離れた位置に着地する。
「アレックス……っ」
「……アンナは今も眠ってる。生死の境を彷徨って、こうしてる今も起きるか死ぬかは五分だ。だって言うのにテメェは見舞いに来ねえどころか主犯を庇ってる。意味が分からねえ」
「何度も言ってるだろ……あれはネムの意志じゃない。操って惨劇を起こした張本人がいる。対処するべきなのはそっちだ」
「だがやったのはそいつに間違いねえんだろ? 仮にテメェの言うようにそいつが操られてたとして、また操られる可能性だってあるんじゃねえか? そうなりゃまたどこかで悲劇が起きる」
否定はし切れない。むしろその可能性は大いにあるだろう。
だからアーサーはネミリアの傍にいる道を選んだ。排除するのではなく近くで見守り、その時が来たら今度こそ止められるように。
しかしその方法は酷く不確実で不安定なのも否定できない。安全性を求めるならアレックスが彼女を殺そうとするのは合理的だ。ただしそこに理性という名のフィルターを通さなければの話だが。
「テメェが通って来た道は俺にはなぞれねえ。凡人に救えるのなんざごく少数だ。少しでもそこへ害をなす可能性があるなら、俺は『とりあえず』でそいつを殺す。不要な情に絆されて背中を刺されるなんざ御免だ。その方が確実に安心を得られるっていうなら殺すべきだろ」
アレックスの意見は普通で、おそらく世界的に見て正しいものなのだろう。
本質的に敵対者を倒すという事が何を意味しているのかを理解して、言葉を濁すことなく殺すと断言している。その点は戦いに常に甘さを持ち込むアーサーよりもずっと誠実なのかもしれない。
「……だけどそれは暴君の理論だ。自分の害になる人達を殺し続ける事を容認する世界なんて、そんなの地獄以外の何物でもないだろ。弱肉強食なんて理性を持ってる人類が振りかざして良い摂理じゃない」
しかしアーサーは否定しなければならない。
彼は知っている。その正義の裏には、必ず涙を流す誰かがいる事を。彼はこれまでの道のりで嫌というほど見て来た。
もしアーサーまでアレックスの理論に頷いてしまえば、彼らを助ける手段が完全に潰える。このクソッたれな世界の中で、それでも理不尽に立ち向かいながら懸命に生きようとしている者達を見捨てる事になる。その道だけは選べない。
世界にどちら側かがいれば良いのではない。この不安定な世界にはどちらも必要だから、アーサーとアレックスはこうして武器を手に向き合っているのだ。
「だから俺は拳を握るんだ。暴力で無力な人達から普通を奪って行く人達に、同じ暴力で対抗する間違いだらけの道で、自分が守りたいものを守り続けるために。俺は友人も、仲間も、理不尽に晒されてる誰かの事だって守りたいんだ。だからネムも守る。例えお前が相手になろうと!!」
「ああ……だろうな」
分かっていた。最初から、分かってはいたのだ。
アーサーは悪くない。ネミリアに何か深い事情がある事だって分かっている。操られているというのならそうなのだろう。彼女がアンナに向けて引いた引き金は、彼女の意志に反するものだ。それくらいの事は、アレックスにも分かっていた。
だけど。
だけど。
だけど。
「―――俺もそうだった」
それでも、許せない事がある。
ミシィ!! と、ありったけの力を込めて拳を握り締める。
正義か悪かなんて立場はここにはなかった。ただ、お互いの立場がこうだっただけ。
片方には守りたい人がいて。
片方は守りたい人を失って。
全く逆の立ち位置にいた可能性だってある、二人の違いはそんな些細なものでしかない。
だけど、理由はそれだけで十分だった。
アーサー・レンフィールドとアレックス・ウィンターソン。
ずっと同じ道を通って来た二人のヒーローは、そうして決裂に至る激突を始める事になった。
ありがとうございます。
次回は行間を挟み、その後一七章最後の戦いであるアーサーとアレックスの激突です。