357 もう大丈夫だと伝える為に
アーサーは『桜華絢爛』が発動した直後、身に纏っている青白い光を全て右手のみに集約させていく。
それはヨグ=ソトースとの戦いの終盤でも発動させた『星蓮舞奏』。それを見た瞬間、彼が何をしようとしているのか察したラプラスは警告を飛ばす。
「ッ、マスター!! その技はダメです、また右手が灼けてしまいます!!」
「分かってる。だからこうするんだ!」
そう言って、アーサーは開いた右手を前に突き出した。すると右手から光が離れ、アーサーの目の前に集束魔力の魔力弾が形作られていく。
右手に全魔力を集束させると右手が灼けるなら、すぐに思い付く対処法は二つ。一つは全身に魔力を分散すること、そしてもう一つは体外の一ヵ所に魔力を集束させることだ。
「その光には数多の人々の祈りが集い―――幾星霜輝く星々へと手向ける意志の泡沫」
アーサーの正面の集束魔力弾がその大きさを増していく。
やがてその大きさは、アーサーの胴体ほどの大きさになっていく。
「仰げ―――」
そこで魔力の集束は終わらせた。
右手を弓形に引き絞りつつ力強く握り締め、すぐに正面の巨大集束魔力弾に向けて撃ち出した。
「『儚くも希われし祈りの煌雨』ァァ―――ッ!!」
ドッッッ!!!!!! と。
衝撃が走った瞬間、巨大集束魔力弾が爆ぜた。一つだったそれが弾け飛び、無数の小さな超高速集束魔力弾となって飛んで行く。
まるで空を埋め尽くす流星のようであった。
それら全てはアーサーの右手の支配下にある。数え切れない数の超高速集束魔力弾は『MIO』が確定させた未来の光点一つ一つに向かって飛んで行き、『MIO』自身の力を借りてその全てを破壊した。
しかしこれだけではミオを救った事にはならない。救い出すには『天使』の胸の内にある『光の繭』の中へと踏み込み、そこでミオと『MIO』の繋がりを完全に絶って内側から破壊する必要がある。
未来を好きなように確定する力の源泉とも言える『光の繭』の中へ飛び込んでどうなるのかなんて、無論アーサーには分からない。しかし選択肢が無い以上、アーサーに迷いは無かった。
「透夜、頼む! 『天使』の動きを止めてくれ!!」
「っ……!? ……まったく言ってる事は無茶苦茶だし、よりにもよって僕を頼るなんてねッ!!」
透夜も『桜華絢爛』で間接的に『MIO』と繋がった影響で、魔術を使える状態に戻っていた。彼が手を天に掲げると『天使』の周りに何十という巨大な魔法陣が展開し、そこから大量の太い鎖が飛び出すと『天使』の体に巻き付いて拘束していく。
「僕の全魔力だ! でも長くは保たないぞ!?」
「十分だ!! みんなっ! もう一度だけ、力を借りるぞッ!!」
『ええ……っ!!』
『MIO』となった彼ら彼女らから再び力を借り受け、アーサーはクラウチングスタートの体勢を取って足の裏を中心に全身に煌く集束魔力の輝きを纏っていく。
体が悲鳴を上げているのは分かっている。
『ロード』。極限以上の集束魔力を集めて叩き込む一撃は強力だが、それ以上に反動も大きい。それを連続で行使しようというのだから当然だ。
無茶は承知。
無謀も上等。
ただ目の前で死に向かう少女を救うために、彼は全身の疲労を吹き飛ばすように腹の底から叫ぶ。
「その身は数多の祈りを担ぎ―――輝ける駿馬が如く最果てへと至らん!! 疾く在れ―――『祈り纏いし者、担ぎ征くもの』ッッッ!!!!!!」
疲労や不安、あらゆるマイナス要素を置き去りにするように、アーサーは力強く地面を蹴った。
瞬間、寸前までアーサーがいた場所が爆ぜた。彼の体はまるでミサイルのように一直線に『天使』と衝突し、その内側へと突っ込んで行く。
「うォォォおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
◇◇◇◇◇◇◇
その瞬間、ミオはうっすらと笑っていた。
共に『MIO』に組み込まれた者達の力を身に纏い、こちらへ突っ込んでくるアーサーを『光の繭』の中からまるでテレビの向こう側の光景のように静かに眺め、その顔に笑みを浮かべていた。
そもそもこの戦いにおいて、ミオは勝利も敗北も望んでいなかった。たとえ彼らが敗ける事になっても、生きてここを出られるならそれで良いと思っていた。だから出来るだけ『天使』の動きも阻害していた。ただミオが阻害しても『天使』の実力は絶対的でどうしようもなかったのだが。
しかし彼は今、この『MIO』の一部を味方に付けて、確定させたはずの無数の未来を消し飛ばした。少なからず勝利の可能性が見えて来たのだ。
だからこそ、彼女は笑っていた。
今、ミオの胸には背中側から貫通している『楔』が突き刺さっている。痛みこそ無いが、それが自分と『MIO』を深く繋いでいるどうしようもない証でもあった。
だけど彼ならきっと『MIO』を破壊できる。すでに魂魄レベルで繋がっている自分ごと、この人類の未来を奪う事しかできない最低な装置を破壊してくれる。
これでようやく終わる事ができる。誰かの都合で殺され、勝手に生み出され、散々利用され尽くして、無数に枝分かれした未来という可能性を潰す。そんな誰かの思惑から外れ、ようやくこの苦しいだけの生を終わらせる事ができる。これこそが何も選ばせて貰えなかった自分に残された最後の救いの道だ。
何はともあれ、これ以上の犠牲が出る前に終われて良かった。自分達を利用した誰かの野望を阻止できて本当に良かった。この結末に辿り着けて、本当に、本当の本当に、心の底から良かったと思う。
アーサー・レンフィールドは強い。
それを確信できたからこそ、彼女は笑っていた。
彼は不確かな未来に怯えて大勢の少年少女を殺した誰かや、世界を牛耳る政府の意向に何の疑問もなく従う人々や、大多数の意見に無条件で頷く臆病者とは違う。
何に流される事無く、ただ自分の内側の衝動に従って動いている。今回のケースで言えば、さっさと自分やネミリアを見捨てて『協定』に頷いていた方がずっと楽だったはずだ。仲間達と対立する事もなく、世界中から追われる立場になる事もなく、今まで通り多くの人の救いになれたはずだ。
だけど彼はその道を選ばなかった。見捨てたくないという理由で、こんな所まで来てしまった。それは誰にもできる事ではない。その証拠に世界は『協定』に賛同する流れを見せているし、彼がいた『ディッパーズ』も分裂したのだから。
何を犠牲にしても助けたいと思った誰かを見捨てられない。それはきっと彼の弱みであり、同時に強みでもあるのだろう。
そして今回も、きっと彼は自分を見捨てない。だからこそ『MIO』を破壊しようとするだろうが、それこそがミオが望む唯一の勝利への道だ。
彼に罪は無い。知らずに『MIO』ごと自分を殺したとしても仕方がない。そして自分はそれに感謝するだろう。
これで良かった。
彼に『MIO』を破壊する力があって良かった。
そう思っていたからこそ、彼女は笑っていた。
「ああ……でも」
だけど。
ただ一人、時間も前後の感覚も分からない『光の繭』の中で思い出したように。
彼女は目前に迫る死を自覚して、呆然と呟いた。
「わたしだって、本当は誰かに助けて欲しかったなあ……」
叶わぬ願いに未練はない。そう呟いたミオ自身、今更助けて欲しいなんて願っていない。だからこの結末で良かったのだ。
自分は生まれて来てはいけない存在だったのだ。どう取り繕っても異質に生み出された生命で、誰かを不幸にする事しかできないのなら生きている価値なんてないだろう。そもそも人間ではないのだ。生まれるはずじゃなかった命が元の死へ戻るだけ。
だからこれ以上何かを望んではいけない。
これが最善。
これ以外にベストエンドは無い。
だから漏らした言葉に意味なんてない。そもそも誰にも届いていない願いで、何に祈った訳でもない。
『光の繭』の中で独り、目を閉じて数秒後の死を受け入れた。
なのに。
それなのに!
その、直後の事だった!!
『天使』の中に飛び込んだアーサーも、すでに時間や前後の感覚を正確に感じ取れていなかった。一寸先は白い光で、自分が進んでいるのか止まっているのかも怪しい。
だけどアーサーには見えていた。
進むべき道、そして成すべき事を。
アーサーにだって分かっている。『協定』に賛同してアレックス達と一緒に今まで通り戦って行くのが最善で、彼女達を見捨てるのが楽な道のりだと。
だけど、それでも思ってしまったのだ。
強く、強く、わざわざ苦難の道へと進むほどに。
この先、世界で何が起ころうと、ただ利用されるためだけに生み出された女の子が死ぬ事で終わる道は、絶対に選びたくないと。『ディッパーズ』やこれからの世界の事、その全てを天秤にかけて、ミオを見捨てるのが最善だと突き付けられても。なおさら、より一層強く、これが正しい答えなんて自信を持って言えないのに、もしかしたら問題を先送りにしてるだけなのかもしれないのに、それでも惨めったらしくしがみついてしまうのだ。
ミオ一人の犠牲で他の全てを救うのは、確かにベストエンドなのかもしれない。
だけどそれは、決してハッピーエンドではない。誰一人欠ける事なく、全員を全員救い出さなければハッピーエンドにはならない。
だから。
アーサー・レンフィールドは静かに右手を握った。
(頼む……『カルンウェナン』!! もしローグ・アインザームの意志が宿っているなら、お前に理不尽を覆せるだけの力が残ってるならっ、もう少しだけ力を貸してくれッ!!)
『魔力掌握』。
その力の一部を宿す右の拳を、どこまでも強く握り締めて吼えた。
「俺はミオを助けたい!! ただの一度も『たすけて』って言えずに膝を抱えてうずくまっている女の子を、自らが死ぬ事を最適解だと信じて受けれているあの子に救いの手を差し伸べて掴ませたい!! だから頼む! 頼むよ!! 俺にあの子を助ける為の力を貸してくれッッッ!!!!!!」
『大丈夫です』
アーサーの懇願に『MIO』が答えた。
返答が無いはずの願いに対して、彼ら彼女らは代弁する。
『必ず救えます。いいえ救います! 私達が生まれて来て良かったと証明する為に、何より死ぬ事が最善だと思っているあの子の勘違いを正す為に!!』
その声がアーサーが進むための最後の一押しになった。
そして三六〇度全方位眩い光しかない世界の中で、アーサーは移動を止めて正面に拳を突き出した。
何も無い虚空。しかしアーサーの拳は何かに衝突した。
インパクトの瞬間、まるでこちらを弾く意図があるように抵抗して来た。
しかしアーサーも退く気は無い。
この先にいる少女。救うべき対象。たった一人の女の子の元へ辿り着くために。
「ミオォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
こんな馬鹿げたくらい異質で巨大な力に対して、ちっぽけな右手だけで挑んでいるのはまともじゃないと素直に思う。
だけど少なくとも、今回に関しては武器は要らなかった。
この手は敵を討ち滅ぼす為のものではなく、理不尽の檻に囚われている少女に伸ばす救いの手なのだから。
接触していたのは数秒だった。
バギィッッッ!!!!!! という轟音が光の世界の中で炸裂した。
『光の繭』が砕けたその先に彼女がいた。
ようやく会えた少女は膝を抱えたまま座っていて、突如現れたアーサーを見て驚いたように顔を上げる。そしてすぐにくしゃりと歪ませた。
それを見たアーサーは思わず、ぎこちない笑みを浮かべてしまった。
嬉しくて。
ただ彼女と再会できた事が嬉しくて。
世界の為に自らが死ぬ事が最適解だと信じて、命も助けを求める事も諦めて、涙一つ流さず膝を抱えてうずくまっている少女。もしそんな誰かを前にして手を伸ばしたいと思えないのなら、見捨てる事が正しいと全人類が突きつけるなら、それはもう世界の方が終わっている。だったら救う事こそが正しいのだとアーサーは貫き通す。これからの世界が『協定』によってどう変わるのか、協力して共に犯罪者となった仲間達とどうしていくべきなのか、一寸先はいつだって暗闇だ。何を選択しても正解が分からないのなら、まずは目の前の少女を助けたって良いだろう。未来で失われるかもしれない命に怯えて、今目の前で失われようとしている命を見捨てるなんて本末転倒だ。
だから身勝手でも、ここから始めよう。
これから先どうなるのかなんて分からないけれど、今後も人の命と心を守り続ける為に、自分が信じる正義を胸に戦い続けよう。
(だから今、今度こそ、ここでミオを救う……!!)
そう決めて、アーサーは最後の行動に移った。
力強く握りしめていた右手を開き、そのままミオの華奢な体を抱き寄せた。そして背中に手を回してミオの胸の中心に突き刺さった『楔』を、磁石の同じ極同士を無理矢理くっつける時のような抵抗感を受けながら強引に掴んで背中側から引っこ抜く。その直後に『楔』は大気に溶けるように霧散していった。
これでミオと『MIO』の繋がりは絶てた。そうして今度こそ、アーサーはミオの細い体を両腕で優しく抱き締め、彼女の耳元で囁いた。
「……もう、良いんだ。もう大丈夫だからな。お前が死ななくちゃいけないなんていうクソッたれな現実も、お前やこの国のみんなが抱えてる絶望的な状況も、そんなのは俺がまとめて踏破してやる。だからもう、何も心配しなくて良いんだ」
何の根拠も無い言葉だった。
誰の目に見ても事態は少年一人の想いの差異で覆る域など越えているのは明らかで、何の説得力もない言葉だった。
それでも意味はあった。腕の中の少女に熱が灯る。回された腕には力が込められ、アーサーの服が握り締められる。
言葉は要らなかった。
たったそれだけの行動で、アーサーはこれまでの全てが報われた気がした。
「どうして……」
小さな疑問の声が、腕の中から挙がった。
ミオはアーサーの顔を見上げて訊ねる。
「どうしてアーサーくんはこんなわたしに何度も手を伸ばすの……? 見返りなんて何もなくて、自分は損をするばっかりで、そんなにボロボロになって、わたし自身も含めてみんながわたしが死ぬ事を受け入れてるのに……どうしてアーサーくんは助けてくれるの?」
「どうして、って改めて聞かれると答えるのが難しいんだけどさ」
アーサーは曖昧な笑みを浮かべて、それでも真摯に答える。
「でもこれだけはハッキリ言える。俺はお前の味方だよ、ミオ。たとえ世界中全部ひっくるめて、お前自身でさえ自分が助かる事を望んでないんだとしても、俺だけはお前を助ける事を諦めない。世界の全てがお前は死ぬべきだって言うなら、俺はその何倍も大きい声でお前は生きて良いんだって叫んでやる。世界の全てがお前の敵に回るんだとしても、俺は最後の瞬間までお前の味方になって立ち続けてやる」
それはきっとアーサーには日常茶飯で、彼自身は何てことないように言っただけだ。
しかし気づいていないだろう。そんな彼の異常性が、誰かにとっては救いになっているという事を。
「だからもう何も心配するな。お前は一人じゃない、素直に助けを求めてくれて良いんだ」
「っ……」
ぎゅっ、と。
改めてミオの手に力が入ってアーサーの服が掴まれた。
「……お願い、します」
そして小さな声で、アーサーの胸に顔を埋めたまま絞り出すように言う。
「わたし、やっぱり死にたくない……。だから……けて」
再びこちらを見上げたミオは涙を流していた。
ようやく取り戻した人としての感情を表に出して、彼女はどこにでもいる女の子と同じように叫ぶ。
「『たすけて』アーサーくん……っっっ!!」
アーサーが自分自身の事で気づいていない事があるように、ミオもきっと気づいていないのだろう。『たすけて』なんていうありふれた普通の言葉を、アーサーが彼女の口から聞く事をどれだけ望んでいたのかを。
だからアーサーはその言葉を噛み締めて、ずっと前から用意していた言葉を返す。
「……ああ、喜んで」
これでやっとスタートラインだ。
『MIO』は破壊できても、世界はミオの命を狙うだろう。だからこれからも戦いは続くが、とりあえず無関係な人々の未来が不当に決められるのだけは阻止できた。今はそれだけでも喜ぶべきだろう。
やがて『光の繭』が霧散していく。
アーサーはミオから離れた。光が晴れたそこで振り返れば、彼らの帰還を待ち望んでいた仲間達との再会が待っていた。