356 ヒーローと呼ばれる者達
立ち上がったアーサーに対して、『天使』の方に反応があった。
最初はノイズのような音だったものが段々と鮮明になって来る。そしてノイズの状態が少女の声だと気付くと、アーサーは僅かに体の力を抜いた。
しばし待つと沈んだ様子のミオの声が鮮明に放たれる。
『……ごめんなさい』
「謝らなくて良い」
『でもわたしのせいで、あなたは多くのものを失ったんですよ……?』
「それは俺の選択だ。操られてただけのアンタは何も悪くない」
『だけどわたしは誰かの未来を不幸にするためだけに生み出されて、そうする事でしか生きる事を許されない。だから……』
「……もしミオが言うように生まれた環境で人生の全てが決まるなら、俺は五〇〇年前の地獄で死んでるべき命だった」
五〇〇年前、産まれて間もない自分をサクラとクロノが結託して守ってくれたから、今の世界に自分がいる。それは裏技を使ったからで、普通なら地獄に揉まれて命を落としていた可能性は否定し切れない。
「でもそうはならなかった。その事実を知る前から、俺は俺の意志でこうしてる。世界に牙を向く存在になるのか、それとも今みたいに紛いなりにもヒーローと呼ばれる存在になるのか、それは全て俺の選択で決めて来た事だ」
そもそもアーサーが自分の出生の秘密を知ったのはつい最近だ。
サクラとローグの息子だから戦って来た訳じゃない。あの日、『ジェミニ公国』が魔族に襲撃された時、そうする事でしか誰も助けられない状況だったから戦ったのだ。
『ピスケス王国』でスゥに言ったように、最初に戦う選択をしたからずっと戦う選択しか選んで来なかった。あの日の一番最初の選択に悔いはなく、また全ては自分が決めた事だ。そこに他者が介入する隙は無い。
「だからお前も自分で決めて良いんだ。どう生きたいのか、何をしたいのか。お前がそれでどうなったって、変に甘やかしたりもしない。共感できれば力を貸すし、間違ってると思えば怒ってやる。気が合うなら仲良くしたいと思うし、嫌なヤツになるなら普通に嫌う。誰かを助けたいなら一緒に戦うし、誰かを理不尽に傷つけるっていうなら全力で止める。それが普通ってやつなんだよ」
それがアーサーがミオに与えられる普通だ。
王様だろうと犯罪者だろうと、どんな相手でも対等に見て評価は直接判断する。誰かの意見には絶対に流されない。それは当たり前の事のように思えて難しい、アーサーの異質さを表す長所だ。
『……わたしがどうやって出来たのかはお兄……透夜さんから聞いたんでしょ? わたしは一〇〇人以上の人達が混ざって出来た存在で、音無澪は偶々代表として選ばれただけ。わたし一人に自由なんて許されない』
「全員が元に戻る方法だって、探せばあるかもしれないだろ」
『……アーサーくん。例えば一〇個のコップにそれぞれ同じだけの量の水が入っているとして、それを一つの容器に入れて混ぜ合わせた後に元の十等分に戻した時、それぞれの元素まで全て元通りにコップに戻る確率ってどれくらいだと思う?』
「そんなの……」
『確かにゼロじゃないよ。でも限りなくゼロに近い。ましてやわたし達の場合は一〇〇人以上の体が混ざってる。……あのね、本当はこれを言うつもりは無かったんだけど、アーサーくんが思った以上に頑固だから言うね。本当のわたしの髪の色は黄緑色じゃなくて透夜さんと同じ空色なの。もうわたし自身、胸を張って自分が澪って言えないの』
「……関係ないよ」
一言でミオが自分を縛る理由を否定して、アーサーは微笑を浮かべていた。
「俺は音無澪なんて知らない。俺が知ってるのは責任感が強くて、どうにも死にたがりで、だけど優しい心を持ってるミオっていう女の子だよ。一〇〇人以上の代表だろうとお前はお前だ。自由に生きて良いに決まってるだろ」
『……。』
なんとなく、顔は見えなくともミオの驚いている気配が伝わってきた。
やがて彼女は深く息を吐いてから再び言葉を放つ。
『……アーサーくんは、きっと誰にでも優しくなれるんだね』
「そんな事ないよ」
『ううん、きっとそう。アーサーくんは例え化け物相手でも、世界を終わらせるような誰かにも、同じように優しくできる。……でもね、世界には優しくしちゃいけない相手もいるんだよ』
「自分のようにって言いたいのか……?」
『うん。だからもし、アーサーくんがわたしを助けてくれるなら……お願い。わたしを「たすけて」』
直後、『天使』が動く。
こうなると話をしてもいられない。アーサーはラプラスの方を向いた。
「ラプラス、あいつの攻撃を防ぐ方法はあるか!?」
「『天使』は物理法則を超越しているので私の能力が及びません! 端的に言って防ぐ方法は観測できていませんが、防げるかもしれない方法なら思い付いてます!!」
「それも端的に!!」
「『ピスケス王国』の時と同じです! ネムさんと『回路』を繋げばお互いの能力を底上げできる可能性があります!!」
「ん……? 待て、待ってくれ! それって今すぐネムとキスしろって言ってるのか!? またそのパターンかよ!!」
『天使』の動きは遅い。しかしこうしている間にも刻一刻と攻撃の準備をしている。今は丁度巨大な腕を振り上げ終えた所だ。
「あっ……ダメです、もう間に合いません!! 防御ではなく回避を!!」
「くそっ、全員俺に掴まれ!! 透夜、お前もだ!!」
とにかく腕が振るわれる前に転移で逃げるしかない。『天使』の後方の上空に逃れ、その後で背中側から集束魔力砲なりで攻撃を加えるしかない―――とそこまで考えて『幾重にも重ねた小さな一歩』を使おうとしたその時に違和感に気づいた。
「ッ……なんだこれ、魔術が使えない……!?」
「私の『未来』の力まで……これが『天使』の力ですか!?」
いよいよ本格的にマズい。『天使』はすでに腕を振り下ろし始めた。衝突まで数秒無いだろう。回避という手段が消えた以上、もう防ぐしか生き残る道は無い。
(くそッ……連発は意識を持って行かれるから控えたいけど、もう四の五の言ってる場合じゃない……!!)
その瞬間、全身から『黒い炎のような何か』が噴き出した。やはり魔力ではないこの力は制限されていないらしい。その全てを右手に集束させて『天使』の腕に向ける。
「『深淵よりも穢れた蓮の盾』!!」
直後、接触した―――刹那、破壊された。
まるで紙のようだった。一瞬たりとも耐えられず、漆黒の盾は光に呑み込まれて消え去った。
その後の動きはほとんど直感だった。上手く行くかどうかも分からず、三人を掴んだまま距離の『消滅』を使って『天使』の背後に移動して九死に一生を得る。
「はっ、はぁ……くッ、みんな無事か……!?」
「え、ええ……ですがあの攻撃、物理で殴るのではなく存在そのものを掻き消すような……マスターの力に似ています。それよりも強力なようですが」
「ああ……そうだな。しかも向こうには制限が無いらしい……」
ラプラスに応じるアーサーの顔色は最悪だった。目はとっくに深紅色で、髪もほとんど真っ白に染まっている。状態としては『ピスケス王国』で暴走した時とほとんど同じだ。まだ正気を保てているのが自分でも不思議なくらい五感の全てが遠くに感じられる。
(本当にマズい……意識がもう、切れそうだ……っ)
おそらく『消滅』の力は使えてあと一回。その回数では回避に残しても意味が無いし、防御は無意味だとたった今証明された。
残された手段は一つだ。
アーサーは開いた右の掌に残った力を全て集束させて前に伸ばす。
「ラプラス……頼む、ヤツの位置と撃つタイミングを教えてくれ」
「マスター……? まさか、視界がもう……」
「ああ、だから頼む。俺には触れないように気を付けろよ」
「……もう少し角度を上げて下さい。その先に『天使』の胸があります」
ラプラスの指示通り腕を上げて、針孔のような視界で『天使』を睨む。そして耳をすませてその時を待った。
「今です!!」
「―――『た■その■■を■け■■めに』!!」
指示が来たと同時に『消滅』の極光を放った。
そして分かる。見えなくとも効いていない。それどころか『天使』はこちらに反撃しようとしていると。
「マスター、『天使』はこちらに手を伸ばしています! もう避けられません!!」
「くそっ……諦めてたまるかッ、食い下がってたまるか!!」
もはや体に感覚なんて無かった。
それでも精一杯、『天使』に叛逆する罪深き人類代表として力の限り抵抗する。
「俺達は、未来をッ、掴むんだ!!」
そして決定的な瞬間が訪れた。
アーサー・レンフィールドの限界。『消滅』の力が尽きたのだ。途端にアーサーの瞳と髪の色が元に戻るが、それはそのまま死を意味している。
『天使』の掌が迫り来る。
圧倒的な力の差。
物理的に押し潰すのではなく、存在そのものを消し飛ばす破格の力。魔力を自在に操れるアーサーの右腕でも、この世界とは別の場所から溢れる得体の知れない力にはなんの意味も成さない。
それを真っ向から受けて無事でいられる道理なんてなかった。そのはずなのに、アーサー達は傷一つ負う事なくその場に生きていた。視力は戻っているので見間違えではない。
ここで全てが終わるはずだった。光り輝く掌に押し潰され、そこに残るのは『天使』だけのはずだった。
そのはずなのに。
『ありがとう、アーサー・レンフィールド。あなたが諦めなかったからこそ、この未来を掴む事ができました』
そこには無数の光の粒子に守られるように囲まれているアーサー達の姿があった。その無数の光が絶対不可侵に思えた『天使』の手を弾いていたのだ。
アーサーは全身に温かい心地良さを感じながら訊ねる。
「アンタ達は……?」
『ミオ……彼女が「未来確定装置」の代表ならば、私達はただの部品です。彼女の能力を向上させるためだけの歯車に過ぎません』
それは一〇〇人以上の、代表に選ばれたミオとは違うその他大勢。絶体絶命だったアーサー達を助けてくれたものの正体。
その意志が本体である『MIO』から離れ、理由は分からないがこうして助けに来てくれたのだ。
『今の彼女は魂魄レベルで「MIO」と繋がっています。あの「天使」の奥にある「光の繭」を破壊すれば、同時に彼女自身も死んでしまうでしょう。そしてその事を彼女自身も知っていて、それを受け入れています』
「……だから俺に殺せって言うのか?」
『いいえ、違います。むしろその逆ですよ。私達はあなたの意見を支持しています、アーサー・レンフィールド』
怪訝な表情を浮かべるアーサーに、彼ら彼女らは自虐気味に続けて言う。
『これが「MIO」としては正しい判断でないのは重々承知です。ですがそれでも、私達はあなたに力を貸しましょう。部品になった私達がそれぞれ元の個体に戻る事は不可能だけれど、私達の存在はいてよかったと証明するために、あなたの行動は正しかったのだと証明するために、そして何よりも彼女を助けるために、私達が全力で支えます』
一体、どちらが先だったのだろう。
代表であるミオが他の者達への罪悪感を感じた事か、それとも選ばれなかった彼らがそんな彼女の事を不憫に思った事か。きっと同時だったのだろうとアーサーは思う。
一度の悪意で命を奪われた者達と、命を奪われた後も人々の悪意に晒されて利用された者。どちらの方が不幸なのか考えて、きっと両者は互いに相手の方を不憫に思ったのだろう。だからこうして本来は有り得ない対立構造が生まれてしまったのだ。
あるいはそれは、ただ当たり前に他人を想える優しさがあったからこそだったのかもしれない。その優しさが起こした奇跡だったのかもしれない。
『だからあの子を、あの子の魂にある私達を、どうか「たすけて」下さい』
「ああ……」
その瞬間、アーサーは掛け値なしに思っていた。
間違っていなかった、と。
ミオを助けたいと思ったのは正しかった、と。
だからこそ答えはずっと前から決まっていた。
「そのために、お前達の力も貸して貰うぞ」
その瞬間、薄い青の光がアーサーの全身に広がって行く。そして再び困難へと向き合うべく立ち上がる。
『桜華絢爛』。その力は意志だけの存在となった彼ら彼女らとも繋がれる。さらにそれだけには留まらず、傍にいるラプラスやネミリア、そして透夜にも同じ光が現れる。
たとえ法を破ったとしても。
人々の意志に反する行いだとしても。
誰かの想いを背負い、どうしようもない運命に抗い、何度でも拳を握って戦う者。
人は時にそれを、英雄と呼ぶのだ。