341 この流れは誰にも止められない
『ポラリス王国』で開かれた『一二宮協定』の調印式。なぜ会議から間も置かず数日の間隔で開かれたのかと言うと、全ての国王がその場に出席するためだ。レミニアの『転移魔法』で簡単に移動できるセラや『接続魔術』のあるダイアナ・ローゼンバウム=サジタリウスは例外として、他の国々の王はそれぞれが用意した足で時間をかけて来ているため、往復するよりも一度に済ませてしまおうという考えだった。
調印式が始まる前、まだちらほらと席に着いているだけで多くの人が忙しなく準備に動いている中、セラは黙って座って待っている気分でもなかったので、特に誰と話す訳でもなく徘徊していた。いっそ『スコーピオン帝国』にいるサラかアレックス辺りに連絡でもして時間を潰そうかと考えていると、『一二宮会議』よりも他国の王と話しやすい雰囲気だった事もあり、唐突に後ろから声をかけられた。
「セラさん」
「グレイティス……何の用だ?」
「改めて、先日の事件に対してお礼と……その、アンナさんの容体は……」
『タウロス王国』のアリシア・グレイティス=タウロスがどこか申し訳なさそうな佇まいで尋ねる。セラは特に態度も変えないまま、ただ事実だけを伝えるように、
「特に変わりなく意識不明のままだ。血を失い過ぎたのか、それとも他の要因があるのか、いつ目を覚ますのかも分からん」
「そうですか……」
あからさまに表情を曇らせて落ち込むアリシア。セラからすれば国王がこうも感情を表に出すのはどうかとも思うのだが、同時に自分自身が原因となれば仕方ないとも思う。
落ち込む彼女を見て思うのは、毎日アンナの見舞いに言っているアレックスの事だった。
その場にいてアンナに守られた者と、その場におらずアンナを守れなかった者。一体どちらの方が辛い立場なのか、すぐには答えは出せなかった。
「……レンフィールドのヤツだって、表向きは平静を装って仕事を続けている。お前もあまりに気に病むな」
「アーサーさんですか……分かってはいた事ですが、ここに来なかったのは残念です」
「ああ、私もだ。だがお前の場合は別のニュハンスも込められているな?」
「ええ……彼にも謝りたかった。私はいつでもどこでも会える訳ではありませんから、できればここで会って謝りたかったんです」
「だったら調印式が終わった後に来れば良い。アインザームの転移なら時間はかからん。ついでにシルヴェスターの見舞いもして行くと良い」
「セラさん……ありがとうございます」
お礼を言われるのは慣れていなかったので、少しむず痒かった。前までの自分なら相手の事を考えてこんな提案をするなど有り得なかったはずだ。何だかんだで『ディッパーズ』になってから自分も甘くなっていると思う。
『皆様、ご着席下さい。式を開始します』
会場全体にアナウンスが響くと動き回っていた人波の流れが一斉に変わっていく。その様を二人で眺めていると、アリシアは呆然と言葉を紡ぐ。
「……どんな形であれ、今日ここで歴史が変わります。それが良い事なのか、悪い事なのか……」
「それは国によるだろうな。うちやお前にとっては間違いなく悪い方に転がる。だが『キャンサー帝国』や『リブラ王国』にとっては良い方に転がる。元々、そういう目的のための『協定』だからな」
とはいえ、全てが悪い方に転がっている訳ではない。『ディッパーズ』を抱える『スコーピオン帝国』にとっては、先の会議は言わば踏み絵に等しい。『協定』に賛成した国はそれだけ怪しくなるし、反対した国は信用できる。まあ反対した国は軒並み『シークレット・リーグ』なので、今更信用も何も無いのだが。
とはいえ、絞るべきポイントは分かった。まずは『キャンサー帝国』のアンソニー・ウォード=キャンサー。彼の言動については今後しばらく注意した方が良い。
「では、私達も……」
「全員伏せろォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
アリシアの言葉の途中で、それを掻き消すほどの大声が会場に放たれた。
その声の主はセラと一緒に来ていたクロノだった。会場中の意識がクロノに集まる中、それは突然訪れた。
ドッッッガァァァン!!!!!! という衝撃が会場に襲い掛かったのだ。
セラが確認できたのは白い極光が斜め下から床を穿ち、天井に突き刺さる様だった。感じた魔力は体感した事のある高密度の集束魔力だ。その威力で足場が崩壊し、さらに頭上からは崩れた天井が降り注いでくる。
しかしそこでセラの認識がズレた。瞬きをした訳でもなく、一瞬でアリシアと共に崩れかけの床からまだ無事な床へと移動していたのだ。クロノに体を掴まれていたので、時間を止めてから助けられたのだとすぐに分かった。
「セラ、天井の瓦礫を操作して止めろ! 私は床の方を何とかする!!」
「ッ……ああ、分かった!」
すぐさま天井へと手を向けて『武器操作』の力で降り注ぐ瓦礫を全て静止させる。クロノは床へと手を向け、そこだけ時間を止めて崩壊を阻止していた。
とはいえこの状況は長くはもたない。すぐさま手持ち無沙汰のアリシアへと声をかける。
「グレイティス、私達が抑えている間に会場の全員を避難させろ! その後で襲撃者へ対処だ!!」
「はっ、はい!!」
現状でも酷い被害ではあるが、まだ最悪と決まった訳ではない。あの極光は建物を破壊したものの、運良く人に直撃はしていなかった。それならばまだ死者を出さずに収められる可能性があったのだ。
アリシアが先導する形で避難は進み、二人は何とかして持ち堪えた。だからこそ外へ出てから受けた報告は心底落胆するものだった。
死者数名。
しかも、その中の一人は―――
◇◇◇◇◇◇◇
『先刻、「ポラリス王国」にて開かれた「一二宮協定」の調印式が何者かに襲撃されました。負傷者は五〇人以上、死者は九名。その中には今回の「一二宮協定」提唱者でもある、「キャンサー帝国」のアンソニー・ウォード=キャンサー氏も含まれているとの事です。監視カメラに映っていた容疑者はネミリア=N。「ポラリス王国」を拠点に活動している工作員との事です。大変危険な人物なので、一般人の方は見つけても決して近づかず、すぐに通報を―――』
「どうなってるんだ……」
『W.A.N.D.』本部の一室でテレビのニュース速報を見ていたアーサーは呆然と呟いた。必要最低限の情報を見ている方に伝えている機械的な言葉では、全く現実味が湧かなかった。
「どうして、ネムが……」
テレビに映っている監視カメラの映像は、確かにアーサー達もよく知るネミリアの姿を映し出している。しかし彼女がどうしてこんな行動を取ったのかが分からない。考えられる可能性としては、『タウロス王国』の地下でアンナを撃った時のように、何者かに操られていることだ。
「……調印式の様子を探ってたミリアムとリリィから連絡が来た。確認もしたみたいだし、犯人がネミリアさんなのは間違いないみたい。でも……首謀者は彼女の裏にいる。だけどその事情を知ってる人達はほとんどいないから、多分彼女が確保されるか殺されるかでこの事件の決着はつくと思う」
「ネムさんはトカゲの尻尾という訳ですね。彼女が言っていた例のお母さんですか? その人物が気になりますね」
「……それで、これからどうなる?」
テレビ画面を見たまま疑問を発するアーサーに、ラプラスは酷く答えづらそうに、
「……襲撃されたのは一二の国の国王が集っていた場です。世界はその威信にかけてでもネムさんを探し出すでしょう。それに映像が公開された今、全人類が彼女の存在を認識しました。逃げ場はどこにもありません」
「……じゃあ、やる事は決まってるな。行くぞラプラス」
テレビ画面から顔をラプラスの方に向けて言い放つと、彼女はそれを想像していたように嘆息してから、
「歩く度に仕事が増えますね。ミオさんだけのつもりがネムさんまで問題を抱えているとは……」
「二人とも利用されてるだけだ。助けないと」
「ええ、分かっています。特にネムさんは私にとっても大切な友人ですから」
と、堂々と『協定』に違反する話を続けている訳だが、そのすぐ傍には紛いなりにも『W.A.N.D.』所属のユキノがいる事を忘れていた。
しかし彼女は彼女で『タウロス王国』で共に戦ったネミリアに思う所でもあるのか、ふっと息を吐いて、
「私は今日、長官に『MIO』についての調査報告をしに来ただけ。アーサーやラプラスさんには会ってない……って事で良いよね?」
「すまない。助かる」
短い感謝の言葉を放ってアーサーとラプラスは外に向かって走り出した。
幸い事件が起きたのは同じ『ポラリス王国』だ。すぐに追いつける距離だった。
◇◇◇◇◇◇◇
調印式の襲撃から少し経った後。
被害を最小限に抑えたセラとクロノだったが称賛される訳でもなかった。それよりもアンソニー・ウォード=キャンサーの死亡と、襲撃者であるネミリア=Nの動向を探る方が重要だったのだ。
「セラ」
疲労と混乱から適当な椅子に座って休んでいたセラに、彼女の代わりに今の状況を聞いて来たクロノが声をかけた。その声色からあまり芳しい状況ではない事が窺える。
「……状況は?」
「かなり悪いな。実行犯はネミリア=Nで確定らしいが、そうなった経緯にアーサーが現在進行形で追っている『MIO』が絡んでいると憶測が飛び交っている。その影響で『W.A.N.D.』が保護しているミオという少女を殺す方向で話がまとまっている。ついさっきアーサーがそのミオを連れ出しに行くと言っていた。タイミングは最悪だ」
「……謀られたか。ずっと誰かに誘導され、すでに罠に嵌まっているような懸念がある。中心はやはりレンフィールドだ」
「『一二宮協定』、『MIO』、ネミリア=Nの凶行にアンソニー・ウォード=キャンサーの死亡。これだけの繋がりが見えているのに全容が見えない。アーサーが今まで相手にしてきた敵とは全く違う。直接ではなく影から操るタイプの敵はあいつと相性が悪い。……別に適役が必要だな」
「それは……」
クロノが頼るであろう頭に浮かんだ人物の名前を言い当てようとしたが、それよりも前にマナフォンに着信があった。
何となく嫌な予感がして画面を確認すると、案の定発信元はアーサーだった。
『セラ、大丈夫か?』
「……レンフィールド。その様子だとすでにおおよその情報は掴んでるみたいだな」
『ニュースの情報程度だけどね。ただラプラスはミオが処刑される可能性が高いって言ってる。答え合わせは必要か?』
「……、」
思わず舌打ちをしそうになるのをセラは必死に堪えた。何故話し合いの後、この情勢下でアーサーとラプラスが一緒に行動する事を止めなかったのか。『協定』の件や調印式で忙しかったとはいえ、自分の不甲斐なさに苛立ちが募る。
しかも沈黙が長くなってしまったのもダメだった。すぐに答えを返せなかったセラは、間接的にラプラスの予測が正しいと言ってしまったようなものなのだ。その失態に気づき、セラはすぐに取り繕うための言葉を放つ。
「……よく聞け、レンフィールド。この一連の事件の裏には誰かがいて、そいつがずっと糸を引っ張っている。お前が人助けに並々ならぬ想いを抱いているのは分かっているが、これまでの状況を考えると、お前が動けば動くほど事態が悪化する。だから頼む、動かないでくれ」
『動けばセラが捕まえに来るのか?』
「いや……だが、他の誰かが捕まえに行くのは間違いない。具体的に『ディッパーズ』か『W.A.N.D.』か他の国かは分からんが、全員がお前を追い、その行動を力尽くで止めようとするはずだ」
『そうか……ならそいつらに伝言を頼むよ』
セラとの通話が良い方向に流れないと分かっていたのか、アーサーはあらかじめ用意していたように次の言葉を強気で放つ。
『出来るもんならやってみろ、ってな』
そしてアーサーは一方的に通話を切った。おそらく正真正銘、ミオの救出に向かったのだろう。すでに聞かれる心配もないので、セラは舌打ち混じりに呟く。
「まったく……」
すでに事態は一つの国の一存では止められない所まで来てしまった。
顔も見えない黒幕の思惑に沿う形で、ほとんどの人がそれに気づかないまま。