340 奇妙な予兆
長官室を出たアーサーは自分の中の何かを切り替えるように一度だけ深い息を吐くと、すぐに嘉恋から貰っていた封筒を取り出した。結局彼女の言う通りの結果になったので、これに頼る事にしたのだ。
「お話はどうでした……と、訊く必要は無さそうですね」
言葉の途中でアーサーが例の封筒を手にしているのを見て、話が終わるのをずっと待っていたラプラスは苦笑しながら訂正した。
とりあえず二人で落ち着いて読もうと椅子が無いか探して通路を歩くと、丁度発見したのと同時に前から意外な人物がやって来た。
「あれ? こんな所で何してるの、ボス」
前から歩いて来たのは、先日『タウロス王国』で共に戦った『ナイトメア』の現リーダー、ユキノ・トリガーだった。
「お前の方こそ。私服って事は非番?」
「これはこれで仕事着だよ。数日前から長官に『MIO』に関する調査を頼まれてて、その報告に行く所。『ナイトメア』は『W.A.N.D.』でも長官の一存で動ける融通の利く部隊だから、この情勢下だと適任なの」
「『一二宮協定』か……ユキノ達もサインを?」
「これでも一応『W.A.N.D.』だから。一部のあくどい大人達に良いように利用されてた身としては全然納得できないけど、いざとなったら無視するから別に気にしてない」
その辺りは余計なしがらみの無い彼女達ならではの考えな気がした。元々世界の裏側で誰かから逃げて生きて来た暗殺者の『ナイトメア』なら、今更また逃亡生活に戻っても良いという考え方なのだろう。
アーサーにはそう簡単に決断はできなかった。アンソニー・ウォード=キャンサーの事は気に入らないが、国王の中には親しい者達だっている。彼らをそんな形で裏切るのは流石に良心が痛む。……まあ、いざとなれば行動を起こす覚悟はあるが。
「それで、ボス達はどうしたの?」
「ヘルトと『協定』と『MIO』について話をしに来たんだ。今は口論したまま出てきて、嘉恋さんがくれた封筒の中を見る所。……まあ口論になるのは分かってた事だけど」
「仲良いですからね、お二人は」
「だから仲良くなんかないって。色んな人に誤解されるんだけど何でだ……?」
そんな色んな人の内の一人、ユキノへとジト目を向けると彼女はラプラスと目配せをしてから、
「だって質問の答えが一言一句同じだったし?」
「喧嘩するほど仲が良い、とも言いますしね。嘉恋さんが言っていたように喧嘩友達なのは否定しようがないかと」
「……なんかもう、何でも良いや」
これ以上この話題を続けても自分には不利益しか無いと悟ったので、二人から離れるように元の目的である椅子に向かう。するとラプラスはアーサーの左側に腕がピタリとくっつく距離で座り、さらに右側には澄ました顔でユキノが腰を下ろした。
「……おい、ヘルトに報告は良いのか?」
「嘉恋さんが渡した封筒っていうのも気になるし、別に今どうしても長官に報告しないといけない訳でもないから」
「意外と適当だなあ……」
まあヘルトの事なのでどうでも良いが。というか『MIO』案件ならむしろ政府と直接繋がっているヘルトに報告されない方が都合の良い事もあるような気がしてきた。
「……。」
「ん? どうしたの?」
「いや何でも」
考え込んでいたせいでユキノの顔をじっと見たままの姿勢になっていて声をかけられた。妙に考えこんでしまったのは、やはりヘルトの事を継続して考えていたからだ。
口論したばかりで少し心配になっていたが、人の性分はそうそう変わるものではない。なんだかんだで甘いあの男が、自分が関わった事件で理不尽に晒されて不幸に向かっている少女を見捨てられるとは思えなかった。
「アーサー。ハイラントさんの事を考えるのも良いですが、嘉恋さんから頂いた封筒を早く開けてください」
「待ってラプラスお前ってエスパーなの?」
「アーサー限定ですよ。これくらいなら結祈さんやサラさんも出来ると思いますよ?」
悪戯っぽく笑って言うラプラスだが、冗談という訳ではなく本気で言っているようだった。アーサー自身、自分がそこまで分かりやすい性格をしているとは思っていないのだが、感情が表に出やすいタイプである事は自覚しているので少し気をつけようと思った。
そんな阿保みたいなやり取りを超えて、ようやくアーサーは嘉恋から渡された封筒を開いた。そして中に入っている折り畳まれた数枚の紙を取り出して開く。
「……なんだこれ? 数字しか書いてないぞ……?」
念のため裏面と封筒の中を確認するが、やはりこれしかない。数字同士で感覚が開いていたりするので、なんかしらの法則に基づけば読めるのは分かるのだが、その法則がすぐには分からない。
アーサーが頭を捻っていると、左右の二人は今までの様子が嘘みたいに真面目な顔で紙を凝視していた。
「暗号ですね。今解きます」
「私もやってみる」
両サイドの少女がよく紙を見るためにアーサーの方へ近寄って来たため、間のアーサーは二人に押されて挟まれる形になる。しかし左右の二人は気にした様子もなく、暗号解読へと意識を集中させていた。
「数字の羅列の規則性……アルファベットを示していますね。なるほど、意外と単純ですが―――」
「それはブラフ。それを踏まえて数字を組み替えると丁度綺麗に単語が出来上がる。そうして―――」
「できた単語はすべて数字を表す単語ですか……凝っていますね。これを並び替えれば……はい、これでメッセージは受け取りました」
「難易度的にはボスでも時間をかければ解ける程度のものだったし、嘉恋さんのちょっとした悪戯って感じかな?」
「……、」
正直、アーサーは二人の少女の間で戦慄していた。
ラプラスが暗号を解けるであろう事は疑っていなかったが、ユキノが彼女の処理能力と同じレベルで付いて行けてたのが何よりも驚いた。左の義眼の処理能力を使っているとはいえ、もし『一二災の子供達』の能力と同等なら、もはやその力は人間離れし過ぎている。
「……能力が向いてたとしても、ラプラスさんは暗号を頻繁に解いてるって訳じゃないみたいだから。私はそういう訓練も受けてて慣れてるし、その差で追いついてたって感じかな」
こちらの視線の意図を察したユキノは、問われる前に答えた。彼女は暗号解読のために近づいていたので、意図せず至近距離で見つめ合う恰好になった。
しかし一秒の間もなく、もう片方のいるラプラスが頬を膨らませながらアーサーの腕を引っ張って二人の距離を強制的に離した。
「ユキノさん、アーサーを誘惑しないで下さい。アーサーもです。誰でも彼でもデレデレしないで下さい」
「そんなつもりは無かったんだけど……ごめん、ラプラスさん」
「俺ってそんな見境なしに見られてるのか……」
うんざりしたように呟くアーサーだが、内心では少し安らいでいた。
『協定』や『MIO』、そしてアンナの件も……。
最近は色々あり過ぎて、一つの事件を終えても休める時が全くと言っていい程なかった。だから彼女達とのこんなくだらないやり取りさえ、心安らぐ時間だと思えてしまえるのだ。
(自分の人生、か……)
アリシアからの問いかけを思い出してしまうのは、それだけ胸の中にしこりとして残っているからか。そしてしこりとして残っているという事は、それだけ自分にとって重要度の高い問題であるからだろう。
相変わらず考えても答えは出ない。それは手を伸ばせば届きそうな位置にあるのだが、煙のようで絶対に掴めない。そんな代物だった。
そんな事を考えていると、突然ポケットの中のマナフォンが震えた。大体こういう時に掛かって来るのはロクでもない内容なのだが、表示されている番号は珍しくクロノのものだった。とりあえず無視する訳にもいかないのですぐに出る。
「クロノ、どうしたんだ?」
『今「ポラリス王国」に調印式のために来ている。その連絡をしておこうと思ってな』
「あれ? クロノも来てたのか。……それにしてもさっきの今とか、本当に忙しないな」
『「キャンサー帝国」は徹底的に私達を潰したいみたいだな。大方、予想していた私達の決断がブレるのを嫌っての事だろう』
それでも調印式に出席するのはてっきりセラだけだと思っていたので、特にクロノが付いて来ているのが意外だった。というか彼女が来ている時点で、自分とラプラス以外のみんながどういう決断をしたのか何となく察せてくる。しかし事実を確認するために、アーサーはクロノに尋ねた。
「それで、誰が同意したんだ?」
『私とセラとシルフィー。それにリーヴァとシャルル……アレックスもだ。他は保留と言っていたが、結祈やサラがサインする事はないだろうな』
「そうか……」
自分から質問しておいて、しかも予想していた名前を言われただけなのにアーサーは続けて何を言うべきか分からなくなってしまった。
『協定』に賛成か反対かで、今までの友情が全て終わってしまう訳ではない。だというのに、見えないき裂のような隔たりが出来てしまったように思えるのだ。
『それで、ヤツとの話はどうだった?』
突然クロノが話題を変えたのは、一向に何も話さないアーサーの心境を察しての事なのか。こういう時、だてに五〇〇年生きて来ていないと思う。そしてアーサーは新しい流れにありがたく乗っかる事にした。
「別に。いつも通り憎まれ口を叩き合っただけよ。あとミオって女の子が『協定』のせいで軟禁されてるのが分かった。今から面会がてらにちょっと連れ出しに行って来る」
『そんなアホな事をおつかい感覚で、しかも調印式をやっている場所にいる私に言う事か? 密告する事だってできるんだぞ?』
「クロノはしないだろ? それくらいには信用してるよ」
『まったく……なあ、お前h―――ッ!?』
「ん? どうしたクロノ? おーい」
急にクロノの声がしなくなり、大きな雑音が聞こえてきたかと思うとすぐに通話が切れた。不審に思いながらもマナフォンを耳から離すと、それ以上に不審に思ったラプラスが声をかけてくる。
「どうかしたんですか?」
「急に切れた。何か言いかけてたし、こんな切り方するようなヤツじゃないと思うんだけど……」
とはいえ切れたものは仕方ない。こちらから掛け直そうにも、調印式で忙しい彼女を単なる違和感で煩わせる訳にもいかないだろう。
「そんな……っ」
すると近くで同じように誰かと通話していたユキノが声を上げた。それからアーサーとラプラスに注目されている事に気づいたのか、少しやり取りをしてからマナフォンを仕舞ってこちらを見る。
「ごめん、取り乱した」
「……何があった?」
近くでマナフォンを通じた二つの会話が奇妙だったのが単なる偶然とは思えない。次第に大きくなってくる今まで何度も感じた事のある嫌な予感を自覚しながら尋ねると、ユキノはこの場では答えずに踵を返した。
「……口で説明するよりも、実際に見て貰った方が早いと思う。付いて来て。近くでテレビを見れる部屋に案内する」
進んでいくユキノの背中を尻目に、ラプラスと顔を合わせて頷き合う。
ひとまず疑問は置いておき、彼女に付いて行く事にした。