339 『W.A.N.D.』の動向
レミニアに送ってもらい、『W.A.N.D.』本部へと足を運んだアーサーとラプラス。フロントで名前を伝えてヘルトに呼ばれたと言っただけで通して貰えたのは『ディッパーズ』として顔が知られているからか、それともヘルトがあらかじめ話を通していたからか。そんな風に考える時点で自分が有名人である事の自覚症状が出てくると共に、『協定』についても考え込んでしまう。
「……良かったんでしょうか」
エレベーターで長官室まで昇っている最中、ラプラスは移り変わる階数表示を眺めながらぼんやりと呟いた。彼女が何を指して言っているのか、当然アーサーには分かっていた。
「本当は『協定』に賛成か?」
「いえ、『協定』には反対です。ですが結果的に『ディッパーズ』の意見は割れました。私は『協定』がもたらす未来を観たので決断を下せましたが、アレックスさんやシルフィーさんの言い分も筋が通っています。結局、どちらが正しいという話ではありません。クロノが言ったように、私は仮にアーサーが『協定』に賛成と言ったら賛成していたでしょうし」
「隠す気ゼロか……」
「はい。アーサーは私のマスターですから付いて行くのは当然です。それに私には『協定』に賛成した未来も観えてますから。最悪の結末もありますが、悪くない未来だってあります。例え不完全でも、チームで在り続けるのも重要だと思いますよ?」
「……それは、誰かを犠牲にしたとしても?」
ラプラスが何を心配してわざわざ忠告してくれているのかは分かっている。だけどアーサーは曖昧な笑みを浮かべながら、首を左右に振って答えた。
「すまない。それでも俺は『協定』に同意できない。『協定』に切り捨てられる人達を見捨てられないんだ」
「……アーサーはそれで良いと思います。そうして救われてきた人達がいた事も、変えようの無い事実なんですから」
謝るアーサーにラプラスは優しい笑みを浮かべて答えた。いつもこうして受け入れてくれる彼女の存在は大きい。こんな良い子が自分の事を慕ってくれて、支えてくれているのだと思うと幸せに想える。
そして彼女のような優しい子が、世界には何人もいるのだろう。そういった人達を助けようと思うのが罪ならば、そんな世界は終わっている。そんな悲劇のために、アーサーは『ディッパーズ』を結成した訳ではないのだ。
考え込んでいると、緩やかな減速が始まってエレベーターが停止する。ドアが開くと目の前にスーツ姿の女性が立っていた。
「待っていたよ、アーサー・レンフィールド」
「えっと……アンタは確か、『魔族領』でヘルトと一緒にいた……」
「柊木嘉恋だ。一応、こうして話すのは初めましてになるな。いつもは少年……ヘルト・ハイラント長官の補佐をしている者だ。よろしく」
「ああ……よろしく、嘉恋さん」
差し出された手を握り返して握手を交わす。すると廊下の向こうからそのやり取りを見ていた三人の少女もこちらにやって来た。
二人には見覚えがある。一人は嘉恋と同じく一目見た程度だが、もう一人は印象的な関りがあったのでよく覚えていた。極彩色の髪色の不思議な少女に、アーサーの方から声をかける。
「アウロラだったよな、確か。随分と久しぶりになるな」
「はい。あの時はおせわになりました」
「……私としては少々気まずいですが。なにせ殺そうとした訳ですから」
「きにしてません。あの時はわたしもそうのぞんでいましたから」
知っているアウロラとは挨拶を済ませ、残りの二人へと視線を移すと何かを言う前に嘉恋が間に入ってくれる。
「アウロラ以外とはほぼ初対面だろうから紹介しよう。こっちが卯月凛祢、こっちが水無月紗世だ」
アーサーは二人とも嘉恋の時と同じように握手を交わして挨拶をしていると、ラプラスは顎に手を当てて何かを考えこんでいた。
「暦に関した名前に『魔族堕ち』……もしかして、お二人は『魔造の一二ヶ月計画』出身なんですか?」
「君は知っていたのか。まあそうだが、あまり気にしなくて良い」
「分かりました」
ラプラスと嘉恋が二人で納得し合っているが、アーサーには何の事だかさっぱりだった。
「なあラプラス。その計画って何なんだ?」
「この世界に来たハイラントさんが初めて関わった事件とされています。表向きはローグ・アインザームの遺伝子情報を用いて、彼の力に近い存在を生み出す計画でした」
「表向き?」
「はい。裏の目的はレミニアさんを生み出すための実験だったらしいです。彼女もローグ・アインザームの遺伝子情報から生み出された訳ですから。つまりまあ、その……」
「?」
袖を引っ張られ、その意図を察して少し屈むと、ラプラスはアーサーの耳元に口を寄せてから小さな声で言う。
「(アーサーはローグ・アインザームと親子関係なんですよね? つまりお二人もレミニアさん同様、遺伝子的にはアーサーと兄妹という事になるんです)」
(ああ、そういう事になるのか……)
あらためて二人を見る。ぶっちゃけレミニアどころか自分と比べても似ている所なんて一つもない。それにラプラスから伝えられた一応兄妹という関係性を伝える気も起きなかった。ここにいるという事は、彼女達はヘルトが大切にしている数少ない者達なのだろう。だったらわざわざ混乱させるような事を言う必要は無いと思ったのだ。
「それで、嘉恋さん。ヘルトは長官室に?」
「ああ、君を待っているよ。少年は友人なんて皆無だからな」
「いや、別に友人って訳じゃないんだけど……」
「だが少年と対等に言い合いができるのは君くらいだ。なんだかんだで少年には立場があるから、そういった存在は貴重だ」
「……嘉恋さんはあれだな。本格的にお姉さんって感じの人だな」
「ああ、そんなお姉さんから君にもプレゼントだ」
得意げな顔をして、嘉恋が手渡して来たのは封筒だった。中を覗くと数枚の紙が折り畳まれて入ってあった。
「これは?」
「君が追っている少女について、何かがあった時に開けてくれ。喧嘩友達の少年と君の話がこじれた後、きっとそれが君達二人のためになる」
「用意周到すぎて怖くなってきたんだけど!?」
なんてやり取りを挟みつつ、ようやく長官室へと入り本題へと進める事となった。ラプラスには外で待ってて貰い、部屋にはアーサーだけが入る。ヘルトは独りでデスクワークに勤しんでいた。
「……なあ、あの嘉恋さんって何者? たった数分で評価が凄いから怖いに変わったんだけど」
「元『W.A.N.D.』長官の娘、っていうのが一般的な説明としては妥当だろうね。少し踏み込むならぼくの身近で一番頼りになる人、かな」
挨拶も無しに、お互いに顔を見もせずに言葉を交わす所から始まる。この関係性を嘉恋は喧嘩友達とか貴重とか言っていたが、果たして健全なのかどうかは疑わしい。
とりあえずヘルトの方に近づいていくと、彼も手を止めて顔を上げた。
「急に呼び出して悪かった」
「え? お前が謝罪とか気持ち悪いんだけど……」
「一応、社交辞令の一環として言っただけだ。心は一ミリも込めてない」
「ああ……だと思った」
わざとらしく肩を竦めて言うと、アーサーは数日前に彼に言おうと思っていた事を思い出した。
「そういえばお前に言いたい事があったんだ。例の約束通り頼ってくれるのは良いけど、今度からはもう少しマシな情報をくれ。おかげで酷い目にあった」
「わざと捕まって情報を引き出した上で捕まえる。良い作戦だったと思うけど?」
どういった行動をしていたのかはすでに伝えてあるので、ヘルトも詳細については知っている。だからといってこちらの苦労をそんな簡単な言葉で返されると、相手が相手なだけに流石にムカつくが。
とはいえ一言交わす度に口論になっていれば話が全く進まないので、二人は揃ってさっさと本題に入る事にする。
「きみを呼んだ理由は他でもない。件の『一二宮協定』と『MIO』についてだ」
「だと思ってたよ。それでミオは今どうしてる? 『W.A.N.D.』が保護してくれたのは良いけど、あれから事後処理やらで会いに行く機会がなかったんだ。せめて状況を教えてくれ」
「……悪いけど、どのみち会うのは無理だ」
「ん? 無理って……」
ヘルトが腕時計型の端末のディスプレイを操作すると、部屋の壁のディスプレイにどこかの部屋の映像が映し出される。そこには椅子に座ったままジッとしている黄緑色の髪の少女、ミオが移っていた。
保護、といえば聞こえは良い。だがこの映像には決定的におかしな部分がある。
ミオがいる場所の映像は数台のカメラで撮られていて、その全てが今ディスプレイに表示されている。しかし本来なら部屋にあるべきものが一つも無く、あってはならないものがあるのだ。
「……おい、これどういう事だ……?」
その映像の異質さに声を漏らすと、ヘルトは嘆息しながら答える。
「こうするしかなかった」
その部屋に無いのは窓だった。通信機器の類いも当然のように無いので、彼女が外界とやり取りをする手段は一つもない。
あってはならないものは、外へ出るための扉にかけられた厳重な鍵だった。
その二つから導き出される答えは一つ。ミオはこの部屋に閉じ込められているという事だけだった。
「おいヘルト! 相手はまだ一四歳の女の子だぞ!?」
流石にこれを見過ごす訳にはいかなかった。声を張り上げると、ヘルトもこの行為については一〇〇パーセント納得している訳ではないのか、アーサーにというよりは自分自身に怒っているような佇まいで答える。
「仕方ないんだ。彼女自身があの地盤沈下は自分のせいだって認めてるんだぞ? ここには風呂やテレビだってあるし、牢屋じゃなくてホテルのビップルーム並みの待遇をしてるだけマシだろう? 魔力と電波の両方を遮断した特別性で『MIO』から守るには最適だ」
「守る? おい頼むから冗談止めてくれ。これは軟禁だろ!!」
「『MIO』本体は見つけて破壊する。でもそれには時間が必要だ。その間にまたこの前みたいに大惨事を引き起こしたら? その責任をきみが取るのか?」
なんだかんだ、アーサーはヘルトとの付き合いも短いものでは無くなってきた。だから多少なりとも彼の考え方や行動だって分かって来ているつもりだ。
だからこそ、たった一言放たれた彼らしくない一言。それで頭に上がった血が一気に下がるのが分かった。
「……待て、責任? らしくないぞ。何があった?」
溜飲を下げたアーサーに見習い、彼も怒りを納めて代わりにうんざりとした感じで答える。
「『一二宮協定』だよ。ぼくら『W.A.N.D.』の職員は全員、半ば強制的に『協定』に署名させられた。これからは長官のぼくでも独断は許されない。彼女の処遇も全ての国で話し合って決められる」
「……じゃあもし、ミオが危険だって判断を下されたら? もし殺せって言われたらお前はどうするつもりなんだ?」
「勿論殺すよ。今まで誰かの為にって言い訳しながら殺して来た人達と同じようにね。……というか本当はオフレコなんだけど、すでに彼女を殺した方が良いという意見も出てる。どうなるかは『協定』次第だけど現状では半々だ。もし次に何かが起きれば、可決の方向で進んでいくはずだ」
「そんなの認められる訳……っ、……はあ、お前に怒っても仕方なかったな。まったくお前は本当に、直接助けを求められないと随分と冷たくなれるんだな」
「全人類の命と、たった一人の女の子の命。どっちを取るべきかなんて自明だろ。ぼくはより多くを助けられる道を取る。甘いきみとは違って、冷たいぼくは簡単に命を天秤にかけられるからね」
「前に言った事、いつまで根に持ってるんだよ」
「どの命も重さは同じだなんて、そんな馬鹿みたいな言葉はそう簡単に忘れられないよ。ぼくは多くの人のために選択して戦い続ける」
結局、アーサーがアーサーで、ヘルトがヘルトである限りいがみ合う関係性は変わらないのだろう。しかし彼らは共に、その関係を良しとした。歪でも自分達以外の誰かを救える選択肢を増やすために。
おそらく、彼と心の底から分かり合う事はできないのだろう。それをようく分かっていながら、アーサーは溜め息を挟んでから答える。
「……じゃあ約束通り、俺は見捨てられた少数の方のために動くよ。『協定』にもサインはできない」
「犯罪者になるつもりなのか?」
「誰も助ける事が出来なくなるくらいなら、そっちの方がずっとマシだよ。……たとえ世界中が俺を非難しても、仲間が誰もいなくなって一人っきりになったとしても、俺は切り捨てられそうな誰かを助け続ける」
とりあえず、当初の目的であった『一二宮協定』と『MIO』についての話は一通り終わったし、前の『イルミナティ』の会議で知ってはいたが『協定』によってヘルトがどう動くのか確認も取れた。特に長居する理由も無いので、さっさと踵を返してドアの方へと向かって行く。
「前の世界で」
出て行こうとするアーサーを、ヘルトは強い語気で放った一言で止めた。彼は思わず高ぶった感情を自覚して、一呼吸置いてから改めて言葉を放つ。
「前の世界で……ぼくは理想の果てに辿り着いた。正しさを信じて抗い続けて、自分を犠牲にして他人を助け続けた末路にね」
「……どうだった?」
彼の一挙手一投足を注視しながら、やや慎重に訊き返した。するとヘルトは自虐的な笑みを浮かべて、
「言葉で言い表せないほど―――酷い末路だったよ。自分を犠牲にし続けたぼくの最期には何も残ってなくて、誰かに看取られる事もなく孤独に死んだ。もしその道を進み続けるのなら、きみも同じ運命を辿る事になるぞ?」
彼がこの世界に来る前、どんな場所にいたのかは知らないが、よほど酷い環境に置かれていたのだろう。ならせめて、この世界では嘉恋たちと一緒に少しはマシな人生を歩んで欲しいと素直に思う。
そんな風にアーサーがヘルトを心配するように、彼も柄にもなく自分を心配しているのは分かった。けれどやはり、同族嫌悪し合っている仲だからだろうか。互いに心配しつつも、素直になる訳ではない。
「……忠告はありがたく受け取るよ。受け取るだけだけど」
「本当、きみとは馬が合うんだか合わないんだか分からないな」
最初の挨拶が挨拶なら、終わりもこんなものだった。
アーサーはそれ以上は何も言わずに長官室の外へ出る。また一つ、ヘルト・ハイラントという人物の事を少しだけ理解しながら。
ありがとうございます。
という訳で、もう一人の主人公であるヘルトの立ち位置は賛成側でした。まあ功利主義者なので当然といえば当然ですが。
次回は行間です。今回の章の行間は黒幕の動向についてです。