327 フィリア・フェイルノートとエリナ・アロンダイト
『ジェミニ公国』での用事が終わった彼らは再び『魔族領』へと戻って来ていた。夜明けにはまだ時間があるので、レイナとカヴァスは寝るために家の中へと戻っていったが、すっかり目が冴えてしまったアーサーは戻る気にはなれなかった。何かを考え始めると眠れなくなるのは悪い癖だと自覚しているが、だからといって簡単に解消できる問題でもない。
そうして今、朝までやれる暇つぶしは一つだけだった。
「……こんな時間に天体観測?」
そう。手持ち無沙汰なアーサーは寝床にあてがって貰った家の屋根の上で寝転がって夜空を見上げていたのだ。それを目敏く見つけたフィリアは屋根の上に昇って来て、アーサーの顔を覗き込みながらやや呆れ気味に言い放った。それを受けてアーサーは体を起こして屋根の上に座る形になり、フィリアもその隣に腰を下ろした。
「二人っきりは初めてだね」
「あれ、そうだっけ?」
思い返せば一〇年前、フィリアは常にアインハルトと一緒にいた。ここで再開した時もレイナが一緒だったし、それ以降会うのは今が初めてだ。確かに彼女の言う通り二人っきりというのは初めてだった。
「一〇年か……長かったんだろうな」
「うん、長かった。だからご褒美が欲しいかな? これでもレンに会うまでの一〇年間、結構頑張ってきたんだから」
「えっと……具体的にどうすれば良い?」
「それをわたしに聞いちゃう辺りがレンって感じだね。ま、変わっていないのは嬉しいけど」
「ぅ……ごめん。じゃあ……」
考えた末にアーサーはフィリアの頭に手を伸ばし、そっと置いて優しく撫でた。
その行動にフィリアは少しむっとしながら、
「……なんか、頭を撫でられると子供扱いされてる感じがする」
「嫌だったか?」
「……ううん、嫌じゃない。むしろ好きかも? だから続けて」
そう言ってしばしの間、フィリアは心地よさそうに目を細めてされるがままになっていた。カヴァスが犬ならフィリアは猫という印象が強い。しかし満足してきた辺りで、フィリアは目を開いて静かに口を開く。
「……本当に今日まで頑張って来たんだよ? レンと一緒に戦っても足手まといにならないように、紬と一緒にローグに忍術や戦い方を教わりながらあの日の背中を追いかけて来た。……だからさっきの言葉は拒絶されたみたいでショックだった」
さっき、というのは『ラウンドナイツ』との顔合わせの時の事だろう。確かに協力する気満々だった彼女達を拒絶する形になったかもしれない。理由があったとはいえ、フィリアが傷ついたと言うならそれはアーサーのせいだ。
アーサーは彼女の頭から手を離して、浅く息を吐いてからこう返す。
「未来から戻って……少し後悔してたんだ。一〇年前、お前に手を差し伸べるべきだったのは俺じゃなかったんじゃないのかって。あの時代に生きてる普通の人だったら……」
もっと普通の人生を生きられたんじゃないか、と。
フィリアの力量がかなりのモノなのは見ていれば分かる。一体、どれほどの時間を費やしたのかも想像に難くない。全てアーサーが一〇年前に関わったばっかりにこんな……。
「やめて」
しかしアーサーの懺悔に対して、フィリアはぴしゃりと言い放った。
「それ以上は怒る。今のわたしはこうなって良かったって思ってる。たらればの話は好きじゃない。それに一〇年前、わたしもハルもレンに助けて貰ってなかったら死んでたんだから、その事まで無かった事にされたらたまらない。これはちょっと説教が必要かも」
怒りを含ませた決意を言葉にすると、フィリアは立ち上がって屋根の上から飛び降りた。
「レン、お灸を据えるから付いてきて」
「その言葉で付いていくヤツって……まあ行くけどさ」
どのみち今のアーサーに発言権など無い。生身で飛び降りるのは流石に厳しいので、『天衣無縫』で身体強化を施してからフィリアに続いて飛び降りる。
フィリアが向かったのは集落から離れた森の中だった。先程カヴァスとレイナと一緒に来た場所と同じ少し開けた原っぱに出ると、そこにはもう一人の少女が待っていた。
月明かりに照らされ遠目でも分かる綺麗な少女。先程も会ったエリナ・アロンダイトだ。
「フィリア。ちゃんと王様を連れて来てくれたんだね」
「ん。わたしも参加する」
「あれ、良いの? フィリアは反対じゃなかったっけ?」
「レンが石頭だからカチ割る」
やはり怒った口調のままフィリアは腰の後ろに手を回し、短剣と拳銃を合わせた特殊な銃剣を二丁、それぞれ左右の手に握る。エリナもそれに合わせるように肩から背中に手をまわし、真っ黒な光沢を放つ漆黒の剣を抜き放った。
「構えてレン。わたし達の力を見せるから」
「いや、いきなりそんな……っ!?」
お灸を据える、と彼女は言っていたようにアーサーが構えるのを待たなかった。一直線に飛び込んで斬りかかって来たのに反応して、咄嗟に『手甲盾剣』を駆動させて漆黒の盾で受け止めたのは反射に近い。次に盾ごと体を押し込んでフィリアに距離を取らせてからようやくアーサーは思考を切り替えた。
フィリアは本気だ。エリナも剣を抜いた以上は同じだろう。とにかく対話による解決ではなく真っ向からぶつかって無力化する事を考える。
「エリナも行くよ、王様!」
ぐんっ、と低い姿勢で素早く走ってエリナは距離を詰めてくる。
どう見ても近接が得意そうな彼女の土俵にわざわざ上がってやる必要は無い。十分に引き寄せてから『鐵を打ち、扱い統べる者』でエリナの全方位に数本の鉄の棒を作り出し、それを一斉にエリナへと飛ばす。
殺傷力を落とした鉄の棒で、少しでも怯ませられれば良いという考え方だった。十分に引き寄せたのは、その隙に右手で触れるためだ。
「ふッ!!」
しかし、アーサーも予期していない事が目の前で起きた。
全方位から同時に襲い掛かったはずの鉄の棒を、エリナは高速で剣を動かして全て弾いて見せたのだ。さらに不思議な事に鉄の棒はエリナの剣がぶつかった瞬間に跡形もなく消え失せた。
目の前で見せられた剣劇に背筋がぞっとする。次手として用意していた右手での接触は即座に断念し、代わりに引き絞った右腕だけに『シャスティフォル』を発動して『加速・投擲槍』を撃ち出す。
だが再びの恐怖がアーサーを襲う。エリナは高速の魔力弾である『加速・投擲槍』を漆黒の剣で以て斬り落としたのだ。それを見て疑念が確信に変わる。
(やっぱり魔力を消し飛ばしてる。これは俺の右手と同じ魔力消去か……!?)
驚きの連続だが深く考える時間もない。二度の攻撃の突破でエリナはもう目前にまで迫っているのだ。
逃げる、という選択肢しかこの状況には残されていなかった。『幾重にも重ねた小さな一歩』でエリナから離れた場所に転移して逃げる。
「『天衣無縫』―――」
しかし安全地帯に転移した先で、謳うようなフィリアの声が聞こえて来た。
その方向を向く間もなく、その声は続けざまにこう言い放つ。
「―――『無限琴弓』!!」
周囲の空気が変わったのを肌が感じ取った。それは比喩的な表現ではなく物理的な意味で、だ。
(風の流れが変だ……何かが向かって来てる? これは風の矢か!?)
見えはしないが刺すような感覚が全方位から感じ取れる。
転移は論外。連続使用の負担は大きく、もう一度転移したとしてもこの攻撃から逃れられるとは思えなかったからだ。
迎撃も現実的ではない。攻撃の位置は魔力や雰囲気で何となく感じ取れるが、見えないというのは想像以上に不利だ。
撃ち漏らせば敗北は必至。しかし安全策は何も思い付かない。
(くそっ、使うしかないか!)
そう決断した瞬間、アーサーの全身から『黒い炎のような何か』が溢れ出た。それがまるで鎧のように全身を包んでいく。
(……『消滅・蜜穴熊装甲』!!)
直後、無数の見えない攻撃が着弾した。しかし音は何も無い。風の矢はアーサーに届く前に『黒い炎のような何か』に接触して『消滅』していたのだ。
攻撃が止んだのを確認してからアーサーは全身の『黒い炎のような何か』を解いた。両手を見下ろすと鎮火されるように『黒い炎のような何か』は静かに消えていった。無事に攻撃は切り抜けたがアーサーの表情は晴れない。この力は便利だが、未来の自分によると使い過ぎれば記憶や大切な何かを蝕んでいくらしい。強すぎるが故につい頼ってしまう麻薬のような呪いの力。だがこれを使わされた時点で敗けのようなものだ。
アーサーは一度深い溜め息をつき、ゆっくりと両手を上に挙げた。
「……降参だ。フィリア、エリナ、お前らの勝ちだ」
「あれ、もう良いの?」
「ん、不完全燃焼。……もしかして適当にあしらおうとしてる?」
「いいや、あの力を使わされた時点で俺にとっては敗けなんだ。正直に言うと、二人の事を舐めてた。反省するよ」
突然のアーサーの降参に怪訝な表情を浮かべていた二人だったが、説明を加えると一応は納得してくれたようだった。
(フィリアの力は『天衣無縫』による周囲の風の完全制御って所か……そして)
「エリナのそれは……魔剣か?」
「そうだよ。『断魔黒剣』っていう、察しの通り魔力を斬れる魔剣。魔王様がくれたの。エリナの力とも合ってるだろうからって」
言いつつ遊ぶようにエリナは剣を振るう。だが遊びのはずのその剣筋が見えないくらい早い。
アーサーの視線から何を考えているのか感じ取ったのか、エリナは得意げな笑みを浮かべながら、
「エリナの剣術は全部我流だけど、それでも誰にも負けるつもりは無いよ。そうじゃないと王様の剣には相応しくないから」
「俺の剣……?」
「そうだよ? エリナを扱えるのは王様だけだから。エリナは王様の剣、王様はエリナの鞘。だからエリナは王様のために力を尽くすよ。エリナには剣しか無いから、この力で平和を守りたい。それがエリナのやりたい事かな」
きっとそれは、エリナなりのアーサーがした問いかけへの答えなのだろう。
「エリナ。俺は……」
「いい加減にしたら、レン」
双銃剣を腰の後ろに仕舞いながら、フィリアは有無も言わせぬ口調で言い放った。
「一度考え出すとうじうじぐずぐず。一〇年前から変わってないのは安心するけど、いい加減見てられない。戦う以上、大なり小なり命の危険が伴うのは当然。それが嫌ならもう戦うのは止めた方が良いと思う」
厳しいように聞こえるかもしれないが、これもフィリアなりの優しさの表れだ。あえて敵役を演じる事で、アーサーに逃げ道を用意しているのだ。
一応、そういった配慮はしている。だが彼女がアーサーに本当にして貰いたい事はまた別にあった。
「わたしだってみんなを護りたい。レンはそのために『ディッパーズ』を作ったんでしょ? 『ラウンドナイツ』には『人間領』も『魔族領』も関係なく守ろうとする意志がある。レンと同じように」
アーサーの影響を色濃く受けた少女の真っ直ぐな眼差しは、一〇年前に廃墟で見たものと同じだった。体つきは昔よりずっと女の子っぽく成長しているが、彼女の中にある芯は何も変わっていない。あの時、アーサーを立ち直らせようとして言葉を発した少女は、目の前で今日も同じように真っ直ぐだった。
「わたし達はレンに力を貸す。だからレンはわたし達に力を貸して。……家族って、そういうものだと思うから」
「……そうだな。フィリア、お前の言う通りだ」
肺の中の空気全部と一緒に吐き出すようにアーサーは応えた。
結局、悩んだって答えは出ない。守れるか守れないかも全てはその時の行動次第だ。
だったら仲間は多い方が良いに決まってる。もうずっと前に出ていた答えのはずなのに、改めて思い至るとは情けなさ過ぎて笑えてくる。
(そうだ。俺はシエルさんを救う事ができなかった)
心の中で確かな言葉にして、しかし俯く事なくしっかりと前を向く。
彼女が手紙で残したように、残ったこの世界を守ろう。自分を支えてくれる人達のいる、かけがえのないこの世界を。
停滞しないと決めたあの日を思い出し、今度は突き放すのではなく素直に手を伸ばす。
「みんなの力を借りたい。この世界を……なによりみんなを護るために」
「ん、任せて」
「オッケー、王様」
フィリアがアーサーの手を取り、その横でエリナもそう答えた。
もう誤魔化すのは止めて、あの日の初心を思い出せ。
右手の力なんて無かった時、ほとんど魔術を使えなかったあの時期を。使えるモノを使って、守れる限りのものを守っていたあの頃を。