322 希望の風
その時、地上で大きな変化が起きていた。
『タウロス王国』を覆っていたドーム状の結界が消え、ついに外界との繋がりが復活したのだ。
「……みんな、上手くやったみたいね」
全身の傷を不死鳥の力で回復しながら、疲弊しきったサラは嬉しそうに呟いた。
ヨグ=ソトースとの戦いを続けていた三人だったが、その実態はほぼ一方的に攻撃され続け、何とかそれを防いでいるだけだった。結祈は体力、サラは魔力の消費が激しく動きに最初ほどの機敏さが無くなり、ラプラスはそれ以上に片腕が動かないのが最悪だった。残りの弾数が少なくなっているのもあるが、触手を弾いていた銃弾の支援が無いのが地味に響いている。
「……私達は一度撤退しましょう。他の皆さんと合流して体制を整えないと勝てません」
「ワタシも同感。流石にこの状況はちょっとマズイ」
じり、と前を向いたまま後ろへと下がっていく三人。しかしそんな足取りを敵対者であるヨグ=ソトースは許さなかった。
「いいや、お前達は逃がさない。不穏因子はここで確実に詰む」
不吉な宣言の後すぐ、ヨグ=ソトースが両腕を後ろに向けるとそこから大量の触手が一〇〇メートル以上伸び、内側から破裂して残骸が辺りいっぱいに散らばった。そして大量の残骸一つ一つが蠢くと生えて来た触手が絡み合って人型を形作っていく。
ざっと数えても数百はいるだろう。それら全てが『人型の触手』で、倒さなくてはならない脅威だ。しかし今の三人にそんな力は残されていない。
ちらり、と結祈は自身の後方を見つめてから、今の絶望的な状況をさらに悪化させる言葉を絞り出す。
「……ワタシ達のずっと後ろだけど、この国の避難所がある。ワタシ達が退いたら守る人達が誰もいなくなっちゃう。ここでアレを止めないと」
「止めるったって……どうやって? あたし達、もう魔力も底を突きかけてるのよ!?」
「……いよいよ正念場ですね」
浅く息を吐いた彼女は、二人には内緒でこの状況を打破するための未来を一つでも求めて『世界観測』を使った。しかし答えはゼロ。この状況を打破する未来は一つだってない。あるのは確実な死の未来だけだった。
未来を変えられるのは分かっている。だけどこの状況は流石に『希望』を持つには絶望的すぎた。落胆の溜め息を吐いて隣にいる二人の方を見ると、それだけで通じたのか二人とも気負っていた雰囲気を解いた。
「……よくやったよ、ワタシ達。アーサーも分かってくれるよね?」
「また傷つけてしまいますね……謝れないのも、慰める事ができないのも申し訳ないです」
「ま、後はみんなに任せましょ? 足止めの役割は十分に果たしたんだし、結界が壊れたならお姉ちゃんやアーサーも来てくれるでしょ。……慰める役目は、他のみんなに任せるしかないわ」
すでに戦意は尽きていた。三人とも武器を仕舞い、丸腰になって『人型の触手』の大群を前に並んだ。
そっと、真ん中に立っていた結祈が左右のラプラスとサラの手を握った。
「ワタシ達、生まれも育ちも別々だけど……せめて死ぬ時は最期まで一緒にいよ?」
「……ええ」
「……はい」
そして、終わりの時が迫る。
ヨグ=ソトースが手を前に出すと、彼の後方で動かずに待機していた『人型の触手』の一部が三人に向かって駆け出して来る。
彼女達に死への恐怖は無かった。代わりにあるのは、自分達が最も愛する少年への申し訳なさだ。
(やっぱり、私一人じゃダメでした……)
自嘲的な笑みを浮かべて、ラプラスは静かに目を閉じた。
アーサーがいなくなり、彼の帰還を最も強く信じ続けたのは彼女だ。リーダーが不在の中で全体の動きを指示し、作戦前に発破をかける事もした。けれど彼のように折れないのは無理だった。自分以上にアーサーに性格が近い結祈やサラでさえも戦意が尽きているのだ。ラプラスにだって無理な話だ。そもそもこちらは戦力が限られているのに、向こうは無敵で回復持ちでおまけに半分不死身の軍団まで従えている。この状況では諦めない方が異常だろう。
そこまで考えて、思わずラプラスは笑みを溢してしまった。
最期の瞬間まで、想うのはやはり彼の事だけだった。それが自分だと分かっていたつもりだが、『ポラリス王国』に幽閉されていた頃を考えたら有り得ない事でおかしくなってしまったのだ。死ぬ間際だというのに、それがますます笑えて来る。
(マスター……アーサー!!)
結祈に握られている手に無意識に力が入る。彼女からも同じように力が込められるのが分かった。自身の強さを自覚し、アーサーの代わりにみんなを守ろうとしていた、誰よりも責任感の強い彼女の事だ。きっと同じような事を思っているのだろう。
アーサーともう一度会いたい。もっと色々話したい事があるし、行きたい所だってあった。
しかしそんな風に思っても今更遅い。人の形を成した化け物はこちらの命を狙って明確に近づいて来る。
そして―――
◇◇◇◇◇◇◇
ドッッッ!!!!!! と。
空気を震わせる衝撃が空から落ち、『タウロス王国』の大地を駆け抜けた。
◇◇◇◇◇◇◇
衝撃の正体は突如落ちて来た稲妻だった。思わず顔を覆うほどの風を生み出し、三人に襲い掛かろうとしていた『人型の触手』を吹き飛ばした雷の爆弾の奔流の後。
戦場に生まれたクレーターの中央、そこに七つの新たな影が現れた。
三人の前に現れた彼らの背中は、どれも見た事のないものばかりだった。だから突然現れた彼らの詳細を知る者は誰もいない。
しかし見届ける必要があった。彼らの中心にいる一人の少年だけは、七人の中で唯一そこにいた三人も知っている人物だったからだ。
その少年には今、この場の空気の中心になっている自覚はあるのだろうか? ゆっくりとした動作で『人型の触手』の大群を見渡しておおよその状況を把握すると、視線をある一点で止めた。
彼にとっても最大の敵である、ヨグ=ソトースを射抜くように。
「……よう」
声を放った。
直後、その少年の四肢に膨大な魔力が集まり輝きを放つ。
ッッッドン!! という音が鳴った時には、その少年はすでにヨグ=ソトースの懐に潜り込んでいた。そしてすぐに両拳で嵐のような連撃を何発も何発も叩き込む。
「ォォォおおおおおあああああああああああっっっ!!!!!!」
言葉から抑えきれない衝動が伝わる。
自分自身や相手への怒りを込めて、四肢の魔力を右手の一ヵ所に集めて全力を一撃を叩き込む。
『無敵』に対しては無意味な攻撃。
だがその一撃はヨグ=ソトースの体を浮かせ、一メートルほど後ろへと後退させていた。
続けざまに放った一撃は、右腕から噴き出した『焔』を放つ必殺の技だった。その灼熱の光線はヨグ=ソトースの体を飲み込み、さらに後方の『人型の触手』の大群の元まで吹き飛ばした。
ダメージ自体は通っていないだろう。
それでも、この一連の技は一度目の邂逅でヨグ=ソトースを一歩も動かせなかった連撃だ。
具体的な力の総量が変わった訳ではない。ただ彼の内側から溢れ出る想いが、無意識に限界を引き上げているだけの現象。それでも想いの力は確実に技の威力とキレを最大にまで引き上げていた。
「戻って来たぞ、ヨグ=ソトース!!」
その少年は最初の戦いで一撃で倒された。
ここに至るまで、今回の事件に全く関われなかった。
それでも決定的な瞬間には間に合った。総力を尽くしてぶつかり合う、この場面に。
アーサー・レンフィールド。
ただその場にいるだけで、周りに『希望』を伝播させていく不思議な力を持った少年。
「ごめん、待たせた」
踵を返して三人の方に歩いて来た彼の最初の一言は、緊張感の欠片も無い言葉だった。
聞きたい事はいくらでもあった。
今まで一体どこにいたのか。一緒に来た六人は何者なのか。
でも彼の顔を見てそんな疑問は全部吹き飛んだ。三人は一斉に駆け出して、アーサーに向かって飛びつきながら同時に叫んだ。
「「「遅い(よ)(わよ)(です)!!」」」
三人に抱きつかれたアーサーはそのまま押し倒された。だけど両者とも、ここまでやってようやく実感できた。
アーサーは戻って来れたと。
三人は戻って来てくれたと。
この絶望しか見えなかったクソッたれな状況に、彼は風穴を開けるように『希望』を届けてくれたのだ。
「……っと、再会は嬉しいけど上から退いてくれ。まだやる事が残ってる」
「……うん。そうだね」
三人が名残惜しそうに上から退くとアーサーは立ち上がった。それから辺りをきょろきょろと見回して三人に質問する。
「これで全員か? 随分人数が減ってる気がするけど……まさか」
「心配しないで下さい。崩落に巻き込まれて地下にいますが、結界が解除されたのでじきに合流するはずです。むしろ減るどころか増えていますよ?」
「それって……」
アーサーが言葉を続けようとしたその時だった。地の底から凄まじい振動が伝わって来たかと思うと、大地を突き破って蒼い『魔装騎兵』が飛び出して来た。
「この力の感じはクロウか? あんな派手好きだったか、あいつ?」
「……こうなるとは想像していませんでした」
元々地下の格納庫にあった三機の内の一つ、『シメイス=カサルティリオ』。地下で肌色の『魔装騎兵』を破壊して結界を解除した後、天井を突き破って這いあがって来たのだ。
それが巨大な手を開くと、そこから一緒に行動していた五人が飛び出してくる。さらに胸の部分から蒼い光が飛び出すと、それがアーサーの近くまで飛んできて人が現れた。
「よォ。オマエには会うだけで一苦労だな。少しは休みとかねェのか?」
「世界が平和ならずっと休めるんだけど、そうはいかなくてな。お前の方こそ、事件の現場でまた会えるとは思ってなかった」
「テメェに会いに来ただけなんだがなァ……互いにクソみてェな運命を背負わされんな」
「まったくだ」
会うのは久しぶりだが特に挨拶らしい挨拶は交わしたりしない。同じ目的で同じ敵に向かう以上、二人には今更そんなものは必要なかった。
そして次の変化はすぐに訪れた。アーサーの立つ位置の少し後方、大きな魔法陣が現れると光を放ち、そこから新たに数人の仲間が現れる。
「あれ? 兄さん、いつの間に戻っていたんですか!?」
「あいつ、こっちの心配もお構いなしにいつの間にか戻って来てるし……」
「なんだかボク、段々アレックスの苦労が分かって来たよ……」
意識を取り戻してから『転移魔法』を使ってみんなを地上へと送り届けたアーサーの妹、レミニア。呆れ顔で少し刺激したらお仕置き感覚で炎を飛ばして来そうな古い親友、アンナ。『スコーピオン帝国』にいる友人の気持ちに同調して遠い目をしている黒髪サイドテールの少女、シャルル。彼女達はそれぞれ別々の感情を抱きながらこちらへと歩み寄って来る。
そんな彼らにとってはありふれた様子を、慎重に観察する視線がそこにはあった。
「あれがアーサー・レンフィールド……レンさんですか」
「ええ……この国にとってのヒーローです」
「まったく。前も今回もタイミングが絶妙だが、狙ってやってるんじゃないだろうな?」
自身の消された記憶について悩みを抱える『ポラリス王国』から来たエージェント、ネミリア。アーサーの姿を見ただけで安堵の表情を浮かべる『タウロス王国』を治める王女、アリシア。呆れの中に隠せない喜びの笑みを浮かべている筋骨隆々な『オンブラ』のリーダー、ニック。
「ああ……もう避難所に帰りたいっす」
「戻った所で彼らを倒さなければどっちみち死にますよ?」
「言ってやるなマルコ。経験不足の新人はそこまで思考が及ばないんだろう」
「いやホントいつまで新人扱いするんすか!?」
相変わらずの新人扱いに抗議の声を上げる男、レナート。眼鏡を片手でくいっと上げて位置を戻している好青年、マルコ。そんな彼らをまとめている立場である『オンブラ』副リーダーの強気な女性、ミランダ。
「リリィとミリアムも無事だったんだね。良かった」
「まだ終わりではありませんが。アレを全て斬れば終わりですか?」
「だから斬ったら増殖するって学習はしねぇんですか!?」
「ええ、ですから今度は再生できないほど細かく刻みます」
「話してる次元が違い過ぎるんですが……」
言い合いをする二人の様子を嘆息しながら宥めている冷静沈着な『ナイトメア』のリーダー、ユキノ。声を張り上げて常識を訴えている口が悪い女の子、ミリアム。とりあえず物なら斬れば何とかなると考えている脳筋刀馬鹿の凛々しい少女、リリアナ。
「知らない顔も増えてるな」
「それはマスターも人の事を言えないと思いますが……」
さらに、アーサーと共に現れた新顔の六人。
総勢二三人。こうして彼ら彼女らは最終決戦の地に集まった。それは目の前に佇むヨグ=ソトースを倒し、この世界を救うという一つの目的の下に。
「ラプラス。あの気持ち悪い大群と戦う良い案はあるか?」
「そうですね。ではどこかの誰かさんを見習って……みんなで、というのはどうでしょう?」
こんな風に微笑を浮かべてからかえるようになっているのも、アーサーが戻って来たことで同時に心の余裕が戻って来ているからであろう。そこには先程まで死を覚悟していた少女はどこにもいなかった。
「……しつこい男だ」
遠く離れているはずなのに、ヨグ=ソトースの声はよく響いて聞こえて来た。意思統一をしていなくとも、対峙している者達全員がそうしなければならないと知っているかのように臨戦態勢を整える。
「まあ、これで雌雄を決するには相応しい舞台が揃ったな。全にして一、一にして全。お前達全員対俺全員だ。願ってもない戦いだろう? だが無駄な戦いだ。お前が戻って来ようと、頭数をいくら揃えようと、俺は誰にも止められない!!」
「いいや、止めてみせる! たとえお前が無敵でも、戦力に絶対的な差があったとしても!!」
一言発する度にヨグ=ソトースから飛んでくるプレッシャーをはね退けるように、アーサーも声を大にして叫び返す。
その声に呼応するように、その場にいた全員がアーサーの下へと集まって構える。
これは勝って全てを守るか、敗けて全てを失うかの戦いだ。和解の道は最初から無い。お互いの全てを懸けて、相手を叩き潰す事でしか活路は無い。
自分の正しさを貫くために、相手の正しさを否定する。
いつもと同じ戦い。その行く末を理解していながら、先頭に立ったアーサーは右の拳を握り締めてどこまでも強く宣言する。
「そんな逆境はどこまでも踏破して、俺達はお前をぶっ飛ばすッ!!」
ありがとうございます。
次回は行間を挟み、それから時間を少し戻して離脱したアーサーと新顔の六人について掘り下げて行こうと思います。