319 切り札の無い戦い
一夜明けて決戦の日。
空模様はあいにくの曇天だが、一晩休んで気力は充実していた。
「では、今日の動きを簡単におさらいしましょう」
一五人は行動に移る前に集まっていた。それからラプラスを中心に昨夜取り決めた動きの確認を始める。
「敵はヨグ=ソトース、およびそこから発生した『人型の触手』で、戦力はここにいる全員で全てです。そこで私達はヨグ=ソトースや『人型の触手』と直接戦うチームと、地下を探索して『タウロス王国』を覆う結界を解除するチームに分かれます。戦闘チームは私と『ナイトメア』の三人、結祈さん、アンナさん、シャルルさん、ネミリアさん。結界解除チームはアリシアさんと『オンブラ』の四人、サラさん、レミニアさんです。この作戦の肝は結界解除の方になります。結界さえ解除できれば外部への連絡が取れますから、『ディッパーズ』本部や他国への助力が求められます。出来るだけ急いで下さい」
まくし立てるような説明だったが、これはすでに昨夜散々話し合って決めた事だ。他のみんなも軽く頷くだけで質問は出ない。
そして、ここから先の言葉は今日初めて口に出すものだった。
「今回はアーサーも、アレックスさんも、ハイラントさんも。今まで大きな事件に必ずいた彼らはいません。つまり私達は今回、切り札の無い状態でヨグ=ソトースという強敵を相手にしなければなりません」
その言葉に全員が緊張の色を浮かべるのが分かった。
そもそも前提として勝てる見込みは何も無い。『魔神石』や『魔装騎兵』を操り、アーサーを一撃で倒すような相手に対処する方法は何も無い。
「武器も人員も限られていて、現状では助っ人も望めません。もしかしたらここにいる全員、生きて帰れないかもしれません」
彼らにできる事といえば、『大地』の防御力を突破する攻撃を加え、防御壁の再展開までの僅かな時間に攻撃を叩き込む事だけ。無論、その間にヨグ=ソトースの攻撃は食らわない事が大前提となる。どう考えてもまともじゃない。
「それでも私達は最後までみんなで戦いましょう。それで全員で生きて帰って、ここにいないみんなに自慢できたら最高ですよね?」
ふっとラプラスが笑うと、緊張気味だったみんなの空気が少しだけ和らいだ。
どうあれ退路は最初から絶たれている。戦って勝つ以外に道は無い。
「では、健闘を祈ります」
それはラプラスの心の底からの想いだった。
全員が頷き合い、動き出すためにチームごとに分かれた時にそれは起きた。
縦に揺れる大きな地震が突然起きた。常時だったら大事ではあるがそこまで気にもしなかったであろう地震。しかし今は状況が状況だ。みんなして窓に近寄って外の様子を窺う。そして外の光景を見て誰もが自分の目を疑った。
外にあったのは、城の周囲を囲うように地の底から生えた巨大な触手だった。太さは高層ビルくらいはあり、高さにしてもこの城を優に超えている。
誰もが言葉を失っている中、静寂に妙に通る声で呆然とサラは呟く。
「……ねえ、これってマズいんじゃない?」
「マズいです……全員、今すぐ外へ逃げて下さいッ!!」
ラプラスが絶叫した瞬間だった。空高く伸びた巨大な触手が城に向かって一斉に振り下ろされる。逃げる時間はどこにもなかった。
ドッッッゴォォォン!!!!!! という凄まじい轟音が鳴り響く。
彼らの頭上に大量の瓦礫が降り注ぎながら足場が崩れて下へと落ちていく。その強襲には誰一人、成す術もなく流される事しかできなかった。
そうして対ヨグ=ソトース戦の二日目は、先手を取られるという最悪の形から始まったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
地下へと落ちていった彼らは再びバラバラになっていた。それでも一人ずつではなくまとまっていた分、まだマシだったかもしれない。
とはいえ、窮地には違いはなかったが。
「ぐっ……うぅ……!!」
呻き声を漏らしながら頭上の瓦礫を必死に支えているのはニックだった。『硬質化』の魔術で体中を補強する事で柱の代わりになっていたが、それでも苦悶の表情は変わらない。
「全員、早く逃げろ!!」
「そんなこと言ったって……抜け道なんてどこにも無いっすよ!?」
レナートの絶叫の通り、彼らがいる周りには瓦礫の山が積み重なっていて人が通れるような穴は一つもなかった。
そんな袋小路に閉じ込められたのは四人。ニックとレナート、そしてミリアムとレミニアの姿もそこにはあった。レミニアの転移があれば閉じ込められていようとすぐに脱出できるはずなのだが、あいにくと彼女は打ち所が悪かったのか意識を失っていたのだ。
「その嬢ちゃんを起こせ! たしか転移の魔法が使えたはずだ。生き残るにはそれしか無い!!」
「そんなこと言ったって……この子全然起きねぇんですが!? 死んでねぇですよね!?」
自問しながらミリアムはレミニアの胸に耳を当てた。鼓動は聞こえるので、死んでいる訳ではなかった。しかし体を揺すった程度では全く起きる気配がない。強く頭を打ちつけたのだろうか?
「他の誰かへ救援を頼みます。ニックさん、もう少しだけ頑張って下さい!」
「さっきから頑張ってるだろうが! 口じゃなくて手を動かせ!!」
「分かってますって!!」
相変わらずのやり取りだったが、レナートはすでに手を動かしていた。
どこの誰と連絡を取れるのかは運次第だったが、躊躇わずに通信機に口元を寄せて叫ぶ。
「今にも瓦礫に押し潰されそうっす! 誰か聞こえませんか!? 救援を求めます!!」
◇◇◇◇◇◇◇
ニック達の他にも地下に落ちた者達がいた。
アンナとシャルルは近い位置で落ちたため、すぐに合流を果たしていた。
「シャル、大丈夫?」
「うん……でも、大分下まで落ちて来たね」
上を見上げても僅かな明かりが差し込む程度の穴しかないので、這い上がる事はできなさそうだが命があっただけでもマシな方だろう。
「それにしても『タウロス王国』に来てからシャルと行動する機会が多いわね」
「ま、ボク達は興味本位で付いて来た組だからね。ボクもアンナも感知能力が人一倍高いって訳でもないし、正直本来の調査だけだったら役立たずだったろうね」
「それでこんな戦いに巻き込まれてたら世話無いわよ。まったく、アーサーもアレックスもこんな事を繰り返してたっていうの?」
「どうだろ? ボクが二人に会ったのは最近だから何とも言えないかな。結祈とかに聞いた方が良いかも」
口が良く動くのは地上でのあの恐怖を少しでも忘れるためか。しかしいつまでも目は逸らせない。昨日ラプラスが立てた作戦通りに、地下で『魔装騎兵』を探すか地上でヨグ=ソトースへの対処をするか、どちらにしても迅速に動かなくてはならない。
しかしそこで、妙な気配があった。光が少なく薄暗い通路の向こう側に何かがいるような、そんな些細な違和感。
「……シャル」
「うん、分かってる」
二人は頷き合うと、シャルルが魔力の弓と矢を作って通路の奥に照準を合わせる。今回、矢に付与した属性は『光』だ。殺傷性ではなく通路を明るく照らす目的で矢を射る。
通路の奥の方へと飛んで行く矢が照らし出したのは、狭い通路を埋め尽くすように蠢いている『人型の触手』だった。
「……冗談止めて欲しいよ」
「いいから走るわよ! あんなの一々相手してられないわ!!」
アンナが叫び二人揃って逃走を開始すると、それに合わせるように『人型の触手』達も彼女達を追って走り始めた。
恐怖しかなかった。倒したとしても回復して増殖する相手が、薄暗い場所で大量に迫って来ているのだ。そこらの心霊スポットなんかよりもずっと現実味があって体中の筋肉が強張るのを感じた。
「二人共こちらへ!」
そんな時、T字の分かれ道で向かおうとした方向とは逆の道から声が放たれた。声のした方の通路を見ると、『ナイトメア』のリリアナ・ストライダーが腰を低くして構えていた。これ幸いとばかりにシャルルとアンナは進路を彼女のいる通路の方に変えて走る。
「ナイスタイミング! 良かった、まだ無事な人がいたんだ!!」
「えっ、でもちょっと待ってリリアナ! それはダメ!!」
「『雲耀・瞬光』!!」
アンナの制止を求める声は間に合わず、見えない速度の斬撃が無数に放たれ、アンナとシャルルには当たる事なく背後の方に抜けて『人型の触手』達をバラバラに斬り裂いた。ふっと一仕事終えたように息を吐くリリアナだったが、しかしアンナはやっちゃったと言いたそうに額を抑えた。
その理由は細切れの触手にあった。リリアナが斬った分、『人型の触手』は再生して増殖してしまったのだ。あっという間に通路を埋め尽くしてしまう量に増えた彼らを前に、さっきまで歓喜の声を上げていたシャルルの顔が蒼白に染まる。
「……ねえ、アンナの魔法で全部燃やせたりは……」
「こんな不安定な天井で『滅炎の金獅子』を使ったら今度こそ生き埋めよ! いいから早く逃げるわよ!!」
二人から三人に増えた彼女達は再び逃走を始める。しかし今度は運が回って来た。地図もなく自分がどこにいるのかも分からない地下施設をがむしゃらに走っていたはずだが、突然狭い通路から大きく開けた空間に飛び出たのだ。そこへ出た瞬間、アンナの足の動きが止まる。
「待って、この広さなら魔法が使えるわ!」
二人に声をかけてから後ろを振り返り、追撃者である『人型の触手』を睨む。ただし今は恐怖ではなく自信に満ちた笑顔が浮かべられていた。
「行くわよ、『魔の力を以て世界の法を覆す』! 『滅炎の金獅子』!!」
アンナの周囲から金色の焔が吹き荒れ、まだ狭い通路にいて逃げ場のない『人型の触手』達はすぐに飲み込まれて再生できないように塵になるまで燃やし尽くされる。
「……ふぅ。これでようやく……」
追撃者が消えてようやく安堵の息をつけた途端、すぐに新たな問題が降り注いできた。昨夜全員で回線を繋いだ通信機から雑音と共に慌ただしい声が聞こえて来たのだ。
『……れ、か……聞こえ、ませんか……!? 救援を求めます!!』
「その声、『オンブラ』のレナートって人? 今どこ!? あたし達も地下よ!!」
『早く来て下さい! このままじゃ生き埋めになっちまいます!!』
応答すると次に聞こえて来たのは女性の声だった。ミリアムの切羽詰まった絶叫にリリアナの表情が強張る。
「待ってて、すぐに行くから!!」
「すぐに行くって……ボク達、自分のいる場所も分からないんだよ!? どうやって場所を見つけるの!?」
「ミリアムがいるなら発信機で場所が分かります! 早速向かいましょう!!」
三人は頷き合うと、先程とは違う面持ちで走り出した。
自分の命ではなく仲間の命が懸かっている走りは、心なしか先程よりも早くなっているような気がした。
◇◇◇◇◇◇◇
土煙と瓦礫しかない場所をサラは歩いていた。彼女は眠ったように倒れている少女の傍らに膝を着き、耳元に顔を近づけてから肩に手を置いて揺さぶる。
「ラプラス。ねえ、ラプラス! 起きて!!」
「ッ……さ、サラさん……?」
「無事みたいね。ほら、立って」
ラプラスは差し出された手を掴んで立ち上がる。そして周囲の状況を見て愕然とした。
豪華絢爛な城の面影はどこにもない。あるのは崩れた瓦礫の山だけだ。よくもこんな状態で五体満足で済んだものだと心の底から思う。
「あれはヨグ=ソトースだったんでしょうか……」
「分からない。でも近くに結祈の匂いがあるわ。一先ず合流しましょう」
そうしてサラに先導されるまま、瓦礫を足場にして昇るように移動すると外に出れる場所があった。結祈は丁度そこに立っていて外を眺めている。
「サラ、ラプラス。とりあえず二人は無事みたいだね」
前を向いたまま声を発する結祈を不審に思いつつ彼女の左右にサラとラプラスも並ぶ。それからどうして結祈が前を向いたままだったのか理由が分かった。
瓦礫の山から見下ろした位置にヤツがいた。
ヨグ=ソトース。おそらくこの破壊を単独で起こした元凶。今は動いていないが確かに目を逸らす気にはなれなかった。
「……他のみんなはどこかしら?」
「地下でしょうね、おそらく。この時点で昨夜立てた作戦は破綻しています。とにかく無事だと良いんですが……」
「みんなの魔力は感じ取れるから死んではいないよ。とりあえずみんなの事は信じて待つとして、一番の問題はワタシ達の目の前じゃない?」
結祈の言葉に二人は何も答えなかったが、気持ちは同じだった。彼がここにいるという事は、現在の地下の脅威度はそれほどでもないという意味でもある。『人型の触手』くらいはいるかもしれないが、『魔装騎兵』が動いていないなら他のメンバーの危険レベルはここよりは低いはずだ。
「……結祈さんは一番早くここに来てましたよね。様子はどんな感じですか?」
「ずっと変わらない。動く気配は無いし、まるでこっちの出方を窺ってるみたい」
「あたしは罠だと思うわ。戦力を分断してからそれぞれ倒す気なのかも。分かってるとは思うけど、あたし達三人だけじゃ勝率はほぼ無いわよ?」
サラは確認のために二人の方を見ながら言った。するとラプラスはコートの内側から二丁の拳銃を左右の手に握り、結祈も袖の内側から二本の漆黒の剣を出して両手に握り締めた。
「……構いません。どのみち戦う相手です。この道は避けられません」
「ラプラスに賛成。ワタシ達の後ろにはみんながいるし、結界の方は上手くやってくれるよ。こっちはこっちで予定通り足止めしよう」
「じゃ、三人の意見は一致って事で良いわね」
三人の意思統一が終わると、サラは胸のネックレスを握り締めて魔力を流す。するとネックレスは分解して『オルトリンデ』が全身に広がり、ブーツ、ガントレット、バイザーに変化させるとすぐにこう告げる。
「さっさと倒して早く帰りましょ。みんなのいる平和な日常ってやつに」
それから三人揃って瓦礫の山から慎重な足取りで降りていく。未だにヨグ=ソトースからの反応は何も無いが、油断は絶対にしない。まばたきすら極力我慢して、一瞬も緊張を解かずに近づいていく。
ヨグ=ソトースがようやく変化を見せたのは、限界まで近づいた三人が横並びから彼を囲うよう移動してからの事だった。
「『魔神石』を大人しく渡す気になった……という訳ではないらしいな」
突然放たれた言葉に三人の手に力が入る。ヨグ=ソトースはそんな一挙手一投足すらも楽しんでいるかのように、気付いているくせに何の対応もしようとしない。あるいはそれは自身が『大地』の力によって無敵だから出てくる余裕なのか。
「正直甘く見ていた。アーサー・レンフィールドさえ倒せば終わると思っていたが、残ったお前達がここまで抗うとは……。すでに『タウロス王国』の機能は完全に落とした。この結界の中で俺に抗える人数は二〇人にも満たないだろう。諦めて大人しく蹂躙されればいいものを……」
「ご生憎様。あたし達は負けず嫌いなのよ」
「みたいだな。それが自らの寿命を縮めているとは自覚していないのか?」
「心配しなくて良いよ。ワタシ達は誰一人犠牲にならずにアナタに勝つから」
「……では仕方ない」
うぞうぞうぞ、とヨグ=ソトースの長い袖から何本もの触手が這い出てくる。ようやくの変化に三人の警戒の色が最大になる。
「大義を成すためには犠牲が必要だ。この世界をヤツの手から解放するために、まずはお前達の屍を積み上げよう。その上にお前達の仲間を積み重ね、誰もいなくなった後でゆっくりと『魔神石』を回収する」
「……私達の『魔神石』は一つたりとも渡しません」
ラプラスの強い意志に対して、ヨグ=ソトースは呆れにも似た溜め息を漏らした。まるで分からず屋の子供の態度に呆れる親のような、そんなどこまでも上から目線の態度だ。
子供と大人とでは生きている世界も価値観も違うように、こちら側とヨグ=ソトースの間には絶対に分かり合えない隔たりがある。幾千の言葉を交わすならともかく、今の現状ではその隔たりを取り除く事は絶対に不可能だ。
「『ディッパーズ』……本当に厄介な集団だ。お前達はこの世界がどういう状況にあるのかも知らず、守っていると思っている。俺こそが唯一この世界を救おうとしているのに、お前達はそれを邪魔してどこまでも抗う。無知とは罪だな」
「そんな自分勝手な理屈が通る訳がない。世界を救う? そういうアナタは昨日だけで一体何人殺したと思ってるの!?」
「これはヤツの手から世界を解放するための『聖戦』だ。大義を成すためには犠牲が必要だと言っただろう? そもそもお前達が抵抗しなければ生まれなかった犠牲だ。だがその命を無駄にしないためにも、俺は前へ進むとしよう」
ヨグ=ソトースのプレッシャーが跳ね上がる。呼応するように結祈は左右の剣にそれぞれ風と雷を纏わせ、サラはバイザーを下ろし、ラプラスは両手の銃のグリップを握る手に力を込めた。
「かかって来い!!」
彼の言葉に合わせる事になったのは癪だったが、三人は三方向から同時に攻撃を始めた。
勝機なんてどこにも無い。切り札だって持ち合わせていない。それでも絶対に負けられない戦いがそこにはあった。