318 一時の休息
何だかんだ、であった。
気が付けば日は完全に沈み、昼間の騒ぎが嘘のような静寂が『タウロス王国』を包み込んでいた。あるいはこれこそ、サラが懸念していた嵐の前の静けさなのかもしれないが。
アーサー・レンフィールドはいない。だが他は誰一人欠ける事なく再集合できていた。いや、むしろ人数は増えた方か。
『ディッパーズ』から六人。
『ナイトメア』から三人。
『オンブラ』から四人。
そして、アリシア・グレイティス=タウロスとネミリア=N。
総勢一五人。彼らは避難所を除いた国内では一番安全であろう城内にいた。一応、簡単にご飯は済ませた後になる時間。片付けをしてから再び長テーブルに戻って来た所で、話題は自然と今後の動きにシフトしていた。
「じゃ、人数も増えたしまずは状況の確認から始めよっか。ラプラス、お願いできる?」
「はい。では簡潔に行きましょう」
結祈に乞われてラプラスはその場に立つ。他の一四人の視線が一身に注がれるが、特にプレッシャーを感じた様子も無く始める。
「現状、『タウロス王国』は隔絶されていて外へ出る事も中へ入って来る事もできません。原因は『大地』の『魔神石』と、その力を結界として出力している『魔装騎兵』になります。今回の事件の解決には、その二つの対処とヨグ=ソトースの討伐が必須です」
「その全部がイコールになってる気がするのはあたしだけ? つまりヨグ=ソトースを倒せば終わりじゃないの?」
「それが一番難しいんだろうけどね」
ラプラスの発言の後、続くように言葉を発したのは同じ『ディッパーズ』のサラと結祈だ。すると『ナイトメア』のユキノが綺麗な姿勢で手を挙げた。
「私達はヨグ=ソトースを見てないからよく分からないけどそんなに強いの? それと可能なら『大地』の『魔神石』と『魔装騎兵』についても教えて欲しい」
「それは私達も同じだ。ヨグ=ソトースについてはニックしか見ていないし、情報の共有をしておきたい」
彼らの要望は当然のものだろう。訳も分からないものと戦えなど、ロクな準備もさせずに雪山を登れと言っているようなものだ。それでは遭難が確実なように、勝てる戦いも勝てなくなってしまう。
そこでラプラスは少し頭の中で整理してから、分かりやすく尚且つ簡潔にまとめて話す。
「簡単に言うと『大地』の『魔神石』は持ち主に鉄壁の守りを与え、『魔装騎兵』は以前『タウロス王国』で猛威を振るったドラゴンを単機で易々と倒す事を想定された兵器です。……まともじゃないですよね?」
ラプラスの言葉を聞くにつれて呆然とした様子になる『ナイトメア』とニックを除いた『オンブラ』の様子に、ラプラスは話を切り上げて肩を竦めた。特にドラゴンの猛威を嫌というほど知っている『オンブラ』にはショックな話だっただろう。暗にあれ以上の脅威が地下で眠っていると言ったようなものなのだ。それも結界という鳥籠に閉じ込められた閉鎖空間の中で。
「私達『ディッパーズ』はどんな状況でも戦います。『ナイトメア』と『オンブラ』の皆さんにも手伝って貰えたら嬉しいですが……判断は委ねます」
ラプラスはこれ以上の話を続けるうえで、最終確認のつもりで聞いた。『ナイトメア』は互いに顔を見合って頷き合い、『オンブラ』はアリシアの方を見て確認を取った。結論はすぐに出たようだった。
「『ナイトメア』は協力する。そもそも長官からそういう仕事を受けているし、協力者が増えるならありがたい」
「『オンブラ』も同様だ。そもそも『タウロス王国』の問題だからな。『ディッパーズ』だけに任せる訳にはいかん」
そう返答するだろうと予測はしていたが、それでも良い返事にラプラスはほっと胸を撫で下ろした。
今回の敵は未知の部分が多い。そんな中で仲間の存在は戦力的な意味以前に精神的な支えとしても大きな役割を持っているのだ。
「では早速ですが、明日の動きを決めましょう」
そうして作戦会議が一時間ほど続いた所で、最後に見張りと休息のローテーションだけ決めてこの日は解散となった。
◇◇◇◇◇◇◇
最初の見張りはサラが担当する事になり、目の良い彼女は全方位を遠くまで見渡せるように城の一番高い所に昇っていた。頬を撫でる夜風の心地良さを感じながら、ふとポケットの膨らみに気づいてある事を思い出した。
(そういえば、『オルトリンデ』以外にもお姉ちゃんから受け取った物があるんだった)
今まで頭から抜けていた事を思い出して、サラはポケットからケースを取り出した。こうして改めて見ると単なるメガネケースのようだった。恐る恐るそれを開けてみると、そこには予想通り黒とクリアブルーで彩られたフレームの眼鏡と、一枚のメモ用紙が収められていた。
そこには、こう書かれている。
(……『E.I.Y.S.』と呼んでみろ?)
ぺらり、とめくってメモ用紙の後ろを見るとさらに続けてこう書かれていた。
(愛する妹へ。私がいなくなった時のために……って、お姉ちゃん……)
あまりにも不吉な文句に胸にずきりと痛みが走るが、自分の姉があらゆる事態に備えている事は知っている。きっと自分が死ぬ事すら見越して作っておいた物なのだろう。確かにいざという時のためのものだ。
とりあえず帰ったら文句の一つでも言ってやろうと誓い、ケースから眼鏡を取り出してかけてから呟く。
「『E.I.Y.S.』」
『ピッ―――網膜認証、開始』
「わっ!?」
その瞬間、突然聞いた事のない女性の声が聞こえてきてサラは驚いて仰け反った。それからただのレンズだと思っていた場所に『オルトリンデ』のバイザーと同じように文字列や画像など色々なものが広がる。サラはあまり詳しくないが、まるでレンズがパソコンのディスプレイになったようだった。
そしてすぐに、再び女性の声が聞こえてくる。
『網膜認証……クリア。ようこそサラ。私はセラ様が作った戦術拡張デバイスです。名前は「Everywhere, I'm Your Sister.」を略して「E.I.Y.S.」です。セラ様は自分に何かがあった時のために、愛する妹を想って私を作りました。幸せ者ですね、サラ』
「……ええ、そうね。本当に」
答えたサラは優しい笑みを浮かべていた。ほんの少し前まで憎んでいた相手だというのに、あの事件以降は良好な関係が続いていて不思議な気持ちになってくる。
この変化はサラが起こしたものではない。セラの変わらなかった一〇年間の想いと、姉妹の命を守り抜いて繋いでくれたアーサーのおかげだ。そう思うと二人に対する愛おしさが込み上げてくる。
「それで『E.I.Y.S.』。戦術拡張って何ができるの?」
『私は「ワルキューレシリーズ」の一つ、非常用空中戦艦「ロスヴァイセ」と繋がっています。今はまだほぼ全てのシステムがロックされていて使用できませんが、多目的ドローンを操作する事はできます』
「待って、そのドローンって何?」
『重火器による武力行使、救命活動などあらゆる面でサポートします』
「む、むぅ……」
求めていたのは機能ではなくドローン自体が何なのか、という答えだったのだが、セラのプログラムではドローンの存在は当然既知という認識なのか。だが知らないとはいえ今更聞き返せるような雰囲気ではなかったので、知ったかぶりで通す方向に決める。
「じゃあ、明日の戦いでドローン? っていうので戦術支援をしてって頼んだらやってくれるの?」
『現在、魔力通信は遮断されています。結界を解除しない限り、外部への連絡はできません』
「じゃあ結界を解除すればできるって事ね」
『お安い御用です。戦闘中は「オルトリンデ」のバイザーから指令を飛ばして下さい。そちらからでも対応できます』
「ええ、わかったわ」
返事をしてからサラは眼鏡を取った。そして星々の輝く夜空を見上げる。
アーサーとセラも同じ空を見ているのかな、とそんな風に思いながら。
◇◇◇◇◇◇◇
柔らかいベッドの上に身を投げてから、ラプラスは眠るのではなく目を閉じて自身の内側へと意識を集中させていた。
現状、『世界観測』を用いてもヨグ=ソトースに勝てる未来は観えない。まだ足りない情報もあるだろうが、このまま明日になり開戦を迎えれば必敗だと彼女自身の能力が告げていた。
(……ですが、『未来』はいつでも変えられる。そうですよね、マスター?)
胸の内で思いながら、ラプラスは先程とは別の意識の向け方をする。
アーサーと回路を繋いでいる彼女には、どこにいてもアーサーの居場所が手に取るように分かる。だから現在位置も分かっていたし、動いているので無事だという事も分かっていた。
そして、無事なら彼がどう動くのかも分かっている。
みんなには伝えなかった、『希望』と呼ぶにはあまりにもか細い期待。だけどラプラスには確信があった。
自分が世界で一番信頼している彼なら、必ず戻って来てみんなを守ってくれるという確信が。
(ですから、戻って来るまでは私が代わりを務めます。だからなるべく早く帰って来て下さいね、アーサー)
そうして彼女は明日に備えて眠りに落ちる。
意識を手放す最後の瞬間まで、いつものように愛しい彼の事を想いながら。
◇◇◇◇◇◇◇
一方、場内ではみんなが休んでいるはずの所で起きている者達がいた。
アリシア・グレイティス=タウロス。彼女はテラスの手すりに手をかけながら、明かりが消えていて生活感の無い『タウロス王国』を見下ろしていた。
「眠れないの?」
そんな彼女に後ろから声をかけたのは結祈だった。声をかけるだけではなく、アリシアの隣まで移動して同じように『タウロス王国』を見下ろす。
「ニックが心配してたよ? 昼間は強く言い過ぎたって」
「……それ、本当ですか?」
「いやー……ごめん、単なる当てずっぽう。ワタシはアーサーほどあの人と親しく話す訳じゃないから。でも心配してるのは当たってると思うよ?」
「そうですね……ニックはああ見えて優しいですから。いつも助けられています」
笑みを浮かべながら受け答えはしているものの、その表情はどこか影を落としたように浮かない。
「……大丈夫?」
「そうですね……少し、弱音を吐いても良いですか?」
「もちろん」
立場のある彼女なので、誰も見ていないが一応そんな風に前置きする必要があった。
ふう、と溜め込んでいた息を吐いてから、アリシアは王女の仮面を剥がした本音を吐露する。
「……『ディッパーズ』に協力を頼んだ時、こうなるとは思ってなかったんです。実は皆さんを歓迎する催しなんかも計画していて、あの時できなかったお礼の分も込めて盛大にもてなすつもりだったんです。それも今となってはご破算ですが……」
目に見えて落ち込むアリシア。普段は王女として本音が表に出ないようにしているが、友人の結祈しかいない状況で素が出ているのだろう。つまりはこれが本来のアリシアの姿なのだ。
『タウロス王国』が大好きで、どこにでもいる普通の女の子。そんな印象を改めて結祈に与えて来た。
「ワタシはアナタが好きだよ、アリシア。友達になれて良かったし、それを抜きにしても本当に良い人だと思う」
「それは……ありがとうございます」
「うん。だから白状するとね、アリシアには今すぐ全部捨てて逃げて欲しいって言いたい自分がいる。ワタシみたいに直接戦う力を持ってない大切な友達が傷つくのは見てられない。……でも同時に、これから迫る戦いで傍にアリシアがいてくれるのは心強いとも思う」
「結祈……私はどうすれば良いんでしょうか?」
まるで捨てられている子犬のような反応だった。しかし不安そうなアリシアとは対照的に、結祈は柔らかい笑みを浮かべて答える。
「答えなら出てるよ。ワタシはアリシアが好き。そして、この国のみんなだってきっとワタシと同じ気持ちだよ。だからみんなを導いて。この国に王女はアナタでしょ? アリシア・グレイティス=タウロス」
「―――っ」
結祈の言葉にアリシアは息を呑んだ。
それは彼女の言葉が衝撃的だった、という訳ではない。無論それもあるだろうが、アリシアが驚いたのは結祈の今の言葉が以前にアーサーに言われたものと酷似していたからだ。
「……結祈はアーサーさんに似てますね。不思議と力が出る言葉をくれます。思えば前もそうでした」
「まあ、ワタシはアーサーの真似をしてるだけだけどね。アーサーならこんな時、きっとこういう風に言うだろうなって想像しながら。でも力になれたなら良かったよ」
「ええ、これ以上ないくらいに力を貰えました」
幾分か晴れた表情でアリシアは答えた。
本来、彼女の仕事は今日のように戦う事ではない。むしろこの戦いが終わった後が彼女にとっての本番だ。そして、そこへ至るために戦う事こそが結祈達の仕事になる。
「安心して。ワタシは強いから、みんなの事を護ってみせるよ」
「はい。頼りにしていますよ、結祈」
それからしばらく談笑をしてから、見張りの時間もあるので足早に城の中へと戻っていく。
実は結祈にはアリシアにも言わなかった前向きになれる『希望』があった。アーサー・レンフィールドの帰還。何の根拠もない話だったが、きっと明日になれば彼が駆け付けてくれる確かな予感があったのだ。
しかし不用意にそれに頼ろうとはしない。むしろ彼が駆け付けた時には全てを終わらせて迎えよう、とそんな風に思っていた。
ありがとうございます。
今回は決戦を前にサラ、ラプラス、結祈のヒロイン三人組に焦点を当てました。そして三人ともアーサーの事を思っていますが、それぞれが少しずつ違います。
サラはアーサーが戻って来るとは思っておらず、全部自分達の力で片付ける気でいます。
ラプラスはアーサーが戻って来ると確信しており、それまでの場繋ぎが自分の役割だと考えています。
結祈はラプラスと同様にアーサーが戻って来るのは予感していますが、サラと同じように彼に頼ろうとは思っていません。
サラは頼らない姿勢。ラプラスは頼る姿勢。結祈は二人の中間。そんな風に違いがあるのです。
では、次回からそんな三人を中心としたヨグ=ソトースとの決戦が始まります。