316 地下施設での出会い
「ここは迷路ですか……?」
「まともな施設じゃないのは確かだね。こんなに入り組んでるのに壁に案内図一つ無いし」
長い通路を歩いているミリアムのうんざりとしたような言葉に返答したのは、疲れの見えないユキノだった。『ナイトメア』の三人が地下に潜ってからどれだけ時間が経ったのか分からない。日の光も無いせいで上手く時間感覚が掴めないのが原因だろう。
「それにしても地下には『人型の触手』がいやがりませんね。どこから湧いてるんでしょう?」
「もしかすると『人型の触手』が地上に湧き出たのは最初だけかもしれませんね。分裂と増殖を繰り返しているなら、大元から供給し続ける必要も無い訳ですし」
「どちらにせよ敵がいないなら好都合。仕事がしやすくなる」
「……ユキノ。もし敵か判断できない者がいたらどうしましょう?」
「こんな所にいる時点で無関係な人物とは考えられない。問答無用で斬って良いよ」
「分かりました」
相変わらず平坦な口調で返答すると、リリアナは腰を落として刀へと手を伸ばした。そして、素早く後ろを振り向くとすぐに行動に移る。
「『雲耀・一閃』!!」
その剣筋は誰にも見えなかった。斬撃は壁を綺麗に切断しているので抜いたのは間違いないのだろうが、すでに納刀されている刀が振るわれた瞬間は間近にいたユキノやミリアムだけでなく、その先にいた者にも見えていなかった。
「がっ……くそ、出会い頭に両断とかマジかよ……。もし迷い込んだ一般人だったらどォするつもりだ?」
物陰から出てきた男は蒼い炎が噴き出る腹を抑えながらうんざりしたように呟いた。その様に驚きの表情を浮かべたのは刀を振るったリリアナの方だった。誰にも抜いた瞬間が見えていなかった刀の柄を再び握りながら警戒を強める。
「……あなた、一体何者ですか? 確かに手応えはあったはずなんですが」
「質問と攻撃の順序が逆だろォが。……ったく、こんな事なら興味本位で来るんじゃなかった」
金髪に黒い髪が混じったプリン頭の目付きが悪い男は、頭を適当に掻きながら面倒くさそうに呟く。質問に答えたのはそれからだった。
「オレはクロウ・サーティーン。有体に言えば不死身ってやつだな。あいつに話をしに来たんだが、こりゃ失敗だったか?」
「あいつ?」
「アーサー・レンフィールドって男だ。『ディッパーズ』のリーダーをやってる。丁度今この国に来てるって話だったから、『魔装騎兵』について重要な話をしておきたかったんだ。まあ全然見つからねぇし無駄足だったみてェだがな。『タウロス王国』に閉じ込められるわ胴体を真っ二つにされるわ良い事なしだ」
「……それで、あなたはこれからどうするつもりですか?」
今度はユキノが銃を構えながら問う。しかし銃口を向けられてもクロウの態度は何も変わらない。彼自身の命を天秤に掛けるような脅しは、不死身の生の中で生きる彼には通用しない。
「同行を期待するなら止めとけよ。オレは一匹狼だ。進んで群れるつもりはねェ」
「逃がさないと言ったらどうですか?」
「オマエらじゃオレは止められねェよ。『死神の十三』」
彼の背後にローブを身に着けた巨大な鎌を持った骸骨が現れる。そして死神に連れられてクロウは『ナイトメア』の前から姿を消した。
「……結局、よく分かんねぇヤツでしたね」
「でも気になる単語をいくつか溢していった。『ディッパーズ』『魔装騎兵』、そしてアーサー・レンフィールド」
「長官が気にしてる人ですよね、その人。私イマイチ『ディッパーズ』について詳しくねぇんですけど、頼りになるんですかね?」
彼女達は本来、言われるがままに対象を殺すだけの殺し屋だ。『ディッパーズ』や『W.A.M.D.』についての知識だって、ヘルトによって『W.A.M.D.』に吸収されてから調べた程度しかない。元々そういった勉強嫌いのミリアムはそれが顕著だが、ユキノだってミリアムよりはマシな程度でしかない。一応『タウロス王国』とアーサー・レンフィールドの関係についても知ってはいるが、だからといって彼や『ディッパーズ』を信じるに足る動機にはならない。
「情報不足だし過分な期待はしない方が良いかな。リリィが勝てないならあのクロウって人にも関わらない方が良い。敵対する気はないみたいだし問題は無いと思う」
「次は斬りますよ。再生できないほど細切れにすれば終わりです」
「……リリィはホント負けず嫌いですね。自ら強い敵と戦うとか、私には理解しかねるんですが。バトル馬鹿は本当に厄介極まりねぇですね」
「誰が馬鹿ですか? なんならミリアム、あなたから斬りましょうか?」
険悪な雰囲気になったリリアナとミリアムの間に、ユキノは銃弾を一発放ってから言葉を挟む。
「喧嘩しないで。二人は役回りが別々なんだから、それぞれのやり方で今後も頑張って」
ふう、と息を吐いて二人を仲裁したユキノには疲弊の色が見えた。リリアナとミリアムは決して仲が悪いという訳ではないのだが、衝突するのはよくある事だった。そして今までならそれを仲裁するのはユキノの役割ではなかった。
ナイトメア……いや、今はメア・イェーガーと名前を変えた『ナイトメア』のリーダーだった少女の役割だった。いつも明るくチームを支えてくれて、みんなはそんな彼女を常に信頼していたし頼りにしていた。だからこそ、こんな些細なやり取りで彼女の存在の大きさを再認識させられたのだ。
今はもうここにはいない、彼女の事を……。
◇◇◇◇◇◇◇
一方、地下施設の中を動き回っているのは『ナイトメア』だけではなかった。
ラプラス、サラ、レミニア。彼女達も転移で地下に落りて来てから歩き回っていた。目的地は『魔装騎兵』の納められている格納庫で、その気になればレミニアの転移で一っ飛びなのだが、転移した瞬間にヨグ=ソトースと遭遇する可能性を考慮して徒歩で向かっていたのだ。
「……変ね。『人型の触手』の気配を感じないわ」
「好都合ですね。その方が動きやすくて助かります」
分裂と増殖について知らない彼女達には『ナイトメア』のように原因の解明には至らなかったが、ラプラスは今の状況を好機と見ていた。しかしサラにはむしろ何も感じ取れない方が恐怖だった。地上では逃げ出したくなるほどの脅威を感じていた分、この状況がまるで嵐の前の静けさのように不気味に感じられたのだ。
そんな彼女の様子に気づいていたラプラスだったが、何を言うべきか考えた後に結局口をつぐんで前を向いた。
(アーサーか結祈さんがいればまた違ったんでしょうが……流石に精神的な主柱の役割は一朝一夕には無理ですね)
こちらもこちらで今はここにいない人を考える時間があった。とはいえ無事は分かっているので『ナイトメア』に比べるとずっとマシな状況だったが。
「そういえばサラさん。セラさんから装備品を貰ったんですよね? もう試したんですか?」
「あっ、そういえばそうだったわ。ごたごたしてて試すの忘れてた……」
「どう転んでも、これから待っているのは戦いです。その前にここで試すのはどうですか?」
「そうね、ちょっと待ってて。えっと確か……『オルトリンデ』に触れて魔力を流すんだっけ?」
結局、セラに渡された説明書はアーサーが読み、それを噛み砕いて説明して貰っていたのである程度の機能は理解していた。
ネックレスに指を押し付けて魔力を流す。するとネックレスがパズルのように分解してサラの四肢と頭の方に分かれて集まっていく。セラが口頭で説明してくれたように、あっという間に両足には動くのに邪魔にならない程度のゴツさのブーツ、両手には手から肘の辺りまで覆うガントレット、そして頭にはヘッドフォンのように耳を覆う部分とそれを繋ぐ太いバンドが額の辺りに形成された。耳を塞いでいるので肝心の聴覚の邪魔になるとも思ったが、むしろ聴力は上がっていてより鋭敏に周囲の音が聞こえて来た。サラの懸念などセラにはお見通しのようだ。
「……それが話に聞いた『ワルキューレシリーズ』ですか」
「なんだか格好いいですね。わたしが頂いたのも特別製らしいですが、やはりセラさんはサラさんの武装に力を入れたのが分かりますね」
「誉めてくれるのは嬉しいんだけど、肝心の使い方がおぼつかないのよね……」
試しに手足を動かしてみるが問題は無い。バンドの方も念じるだけで額の辺りから目の部分に下りて来て、横一文字に赤いラインが走る。するとバンドは内側からだとバイザーのようで、カメラ越しに外を見ているようだが視界は良好で、端々には色々なメーターなどが表示されていた。というかよく見ると今まで歩いて来た地下施設を自動でマッピングしていたのか、言っていない場所の穴はあるものの地図が表示されていた。
「これ……思ったより凄いわね。とりあえず地図が表示されてるから迷う事は無さそう」
「他には何ができるんですか? 『未来観測』の補強情報が欲しいので、教えて貰えると助かります」
「ちょっと待って。マニュアルってどこに仕舞ったっけ? アーサーに預けっぱなしだった気が……」
ぶつぶつ言いながらマニュアルを探そうとすると、すぐにバイザーの画面に表示された。本当にこちらの意図を汲んでくれるらしい。
「えっと……。へー、このブーツで空を飛べるのね。それとガントレットからは盾で展開できるし、ブラスター銃にもなってるみたい。どっちも魔力じゃなくてエネルギー式みたいね。あっ、そういえばお姉ちゃんがあたしの魔力を溜めて一撃を強化できるって言ってたかしら? 他にも色々書いてあるけど、まあ多分大体そんな感じよ」
「なるほど……セラさん、拘っていますね。流石どこかの誰かさんと同じシスコンです」
「えっと……それを聞いてすぐに兄さんを思い浮かべてしまった妹はどうなんでしょう?」
「アーサーがシスコンってのは『ディッパーズ』じゃ周知の事実だし別に良いんじゃない? あいつも否定しないだろうし」
思わぬ所からアーサーの話になり、三人は顔を見合って笑い合った。しかしそこで変化も同時に起きた。サラのバイザーに表示されている地図に動いている赤い光点が出てきたのだ。
「何かしら、これ……。ねえラプラス。地図に動いてる赤い光点が出てきたんだけど、これって別の誰かがいるって意味で良いのかしら?」
「一つですか?」
「ええ、そうよ。それがどうかしたの?」
「……、いえ」
一瞬、ヨグ=ソトースを警戒したがすぐにその可能性は排除した。肝心のサラの第六感が働いていないので、差し迫った脅威という訳ではないようだったからだ。となると考えられるのは迷い込んだ一般人か、あるいは『タウロス王国』に関係した『オンブラ』などの人物か、はたまた全く関係の無い人物か。今ある情報だけでは流石のラプラスも判断には至らなかった。
「とりあえず向かいましょう。もし迷い込んだ一般人なら助けないといけませんし」
「わかったわ。先導するわね」
「一応、いつでも転移で移動できるように準備はしておきますね」
警戒はしつつもサラを先頭に誰とも分からない人物を目指して進む。あまり離れていなかったので、数分程度で目的の場所には辿り着いた。サラはまだ使っていない武装であるガントレットのブラスター銃を試すように、エネルギーが光を放つ手のひらを向けながら残りの数メートルを進んでいく。
暗がりに見えたのは小柄な体躯の少女だった。全体的に黒い装いで、腰に届くほどの長い白髪の毛先の方は綺麗なピンク色だった。
彼女の姿を視認したラプラスは少なからず驚いていたが、同時に安堵の息も着きつつ言葉を発する。
「待って下さいサラさん。彼女は大丈夫です」
サラが伸ばした腕に手を置いて下ろさせながら、視線は目の前の少女から逸らさなかった。そしてラプラスは確認するように呟く。
「……ネミリアさんですよね?」
「わたしを知っているんですか?」
暗がりの方から彼女はこちらに少し近づいて来た。丁度ライトの下に出てきたネミリアの姿が照らされる。しかし彼女の警戒の色は消えない。まるで路上で不審者に声をかけられた時の対応のようだ。
(やはり、アーサーの言っていたように記憶は消されていますか……)
予感しながら、とりあえず確かめるために質問を投げかける。
「アーサー・レンフィールド、と聞いて覚えはありますか?」
「『ディッパーズ』のリーダーですね。資料には目を通しましたが、その人がどうかしましたか?」
完全に記憶は消えているようだった。かつては自分も囚われていたが、やはり『ポラリス王国』が抱えている闇は大きい。アーサーやヘルトのように危険を顧みずに誰かのために拳を握る者もいれば、他人を自分の欲望を叶えるための道具としか思わない者もいる。
当たり前の話だ。ずっとその中で生きて来たラプラスには分かりきっていた話のはずだった。
だけど、それでも思うのだ。例え間違いだらけだったとしても、やっぱり他人を想って生きる方がずっと素敵な事だと。
(……何も信じられなかった私が随分と毒されましたね。まあ悪い気はしませんが)
その原因が誰なのかしっかりと理解しながら、ラプラスは湧き上がった衝動に逆らわずに行動に移る。
「……私はラプラスです。数日前、あなたと『ピスケス王国』で行動を共にしました。あなたはアーサーの事をレンさんと呼び、アーサーはあなたの事をネムと呼んでいました」
「ッ、ネム……レン、さん……?」
記憶は消されているはずだったが、ネミリアは顔を歪めて頭を押さえた。酷い頭痛なのか、言葉も途切れ途切れになっている。
「頭が……痛いです。ラプラスさん? あなたは一体、わたしの何ですか……?」
「私は……それほど長い時間をネミリアさんと過ごした訳ではありません。ですが友人だとは思っていますよ? 私もネムさんと呼びたいくらいには」
「友人……。では、レンさんは……?」
「アーサーは……ネムさんにとっても大切な人のはずですよ。ただまあ、ここから先は記憶を取り戻してからですね。私の口から全てを伝えるのはあまりにも無粋です」
そして彼女の記憶を取り戻すべきなのも、自分の役目ではないと弁えている。
だから思考は彼女の記憶の問題ではなく、今ここに彼女がいる理由についてシフトしていく。
「教えてください、ネムさん。今回は『ポラリス王国』に何を言われてここに来たんですか?」
「……何故そこまで知っているのか、と聞くのはそれこそ無粋みたいですね。もしかしたらあなたなら予想は付いているかもしれませんが、今回のわたしの任務は『魔装騎兵』の調査です。詳しい指示はありません。ただ接触しろとだけ言われています」
ネミリアの言うようにラプラスはその答えを予測していた。だから予め用意していた次の言葉をすぐに放つ。
「私達の目的も『魔装騎兵』です。そこで提案なんですが、しばらく行動を一緒にしませんか? どのみち、今の『タウロス王国』からは出られないでしょうし。アーサーが戻れば記憶を戻す手助けをしてくれるはずです。……約束を覚えていませんか? 『ピスケス王国』の夜、パーティー会場であった事を」
慎重に尋ねるとネミリアは頭に置いた手に力を入れて、自分の髪をくしゃっと握り締めながら絞り出すように、
「……目を覚ました時から、ずっと引っ掛かっているんです。頭に靄がかかっているような違和感がずっと、張り付いて離れません。その答えをレンさんという方は持っているんですか……?」
「はい。絶対に」
そこだけは揺るぎない自信を持って言えた。
しばしの間、ラプラスとネミリアは互いの目を真っ直ぐと見つめ合っていた。
何かを確かめたかったのか、やがてネミリアが先に口を開く。
「……わかりました。あなた達と協力関係を結びます」
「ありがとうございます。では、今回もよろしくお願いします」
実際、戦闘になる可能性も少しはあったので、この結果にラプラスは胸を撫で下ろした。
この情勢下で仲間が増えるのは大きい。そしてアーサーが戻って来た時のサプライズが増えたかと思うと、こんな状況でも未来に希望が持てるような気がしていた。