315 陥落の日
地下から一足先に地上に戻ったニックは走っていた。作法も何も関係無く城内を全速力で走って向かったのはアリシアの元だ。タックルするようにドアを開け放ち、彼は叫ぶ。
「嬢ちゃん! 状況はどうなってる!?」
「ニック……戻って来ましたか」
アリシアの表情は暗い。その理由は明白だ。ニックが今、地下で見て体験してきたものが全ての答えだ。
「ニック、『ディッパーズ』は……結祈やアーサーさんは今どうしていますか?」
「……独自に動いてる。だがあいつは……アーサー・レンフィールドはやられた。仲間が逃がしたがその後は不明だ。もしかしたら『タウロス王国』にはいないかもしれない」
「そうですか……」
分かりやすくアリシアは頭を抱えた。その様子を見てニックの表情も僅かに曇る。
アリシアは言うまでもなく、何だかんだでニックもアーサーを頼りにしているのだ。どんなに最悪な状況でも希望を抱かせてくれて、逆境を跳ね除けてくれる存在だと。
しかし本来の国の形で言うなら、この国の者でもない一人の少年に全てを懸けるのは愚策も良いところだ。アリシアもそれを自覚しているから、額に手を置いて一度だけ落胆の溜め息をついた後、顔を上げて王女の顔に戻る。
「……ミランダにはすでに市民の避難誘導をお願いしています。『人型の触手』の対処には『オンブラ』を動かしているので、ニックもそこに合流して下さい」
二人に指示を出しながら、アリシア自身は後ろの壁に掛けてある剣を手に取った。刃は全て落とされていて、先端は丸く弧を描いていて何かを斬ったり刺したりする事はできない。出来るのは精々叩く事くらいだろうか。
「起動―――『無傷剣』」
アリシアの声に呼応するように、刃の無い剣の刀身が黄金の輝きを放つ。彼女の常人離れした膨大な魔力が剣に流れ込んでいるのだ。
「良いですか、これは国家の存亡を懸けた戦いです。『ディッパーズ』だけに頼るのではなく、私達の力で解決します。行きますよ」
王女自ら戦場に出るという常識外れな判断を下したアリシアだが、ニックは口を挟まなかった。こういう決断をするのが自らが尊敬する王女だと理解していたからだ。
ニックが地上に戻って来た時点で、すでに『タウロス王国』は『人型の触手』で溢れていた。行動はすぐにでも起こさなければ手遅れになる。ただニックには一つだけ大きな懸念もあった。
敵の親玉、ヨグ=ソトース。アーサー・レンフィールドでさえ一撃で沈め、大量の『人型の触手』を生み出して事実上一人で『タウロス王国』を落としに来ている魔族。
そんなヤツを一体誰なら倒す事が出来るのか、と。
◇◇◇◇◇◇◇
ニックより遅れる事しばし、地上に戻って来た『ディッパーズ』が見たものは地獄だった。特に高い感知能力を持つ結祈とサラの表情は浮かない。結祈は絶え間なく失われて行く命を、サラは増え続ける『人型の触手』をそれぞれ鋭敏に感じ取っていたのだ。
「……ねえ、何とかして結界は破壊できないの? 正直一秒だってこんな場所に留まっていたくないんだけど」
震える自分の体を抱きながら言うサラの声は怯え切っていた。どういう訳か『人型の触手』からは魔力を感じ取れない。だからこそ魔力ではなく感覚で感じ取るサラには誰よりも強くその脅威が分かっているのだろう。
「この結界はおそらく『魔装騎兵』で『大地』の力を使っているんでしょう。破壊するには『大地』を奪うか『魔装騎兵』を破壊する必要があります。どちらにせよすぐには無理です」
ラプラスは真実を語るが、それでは彼女達の不安は晴れない。だからといって気休めを言う選択はノーだ。今ここで考えなければいけないのは、ここからどう逃げるのかではなく、どう対処すべきかという事なのだから。
「逃げる訳にはいきません。今はいないマスターの代わりにこの国を守らないと、彼の狙いは私達なんですから。もし私とレミニアさんの『魔神石』が奪われれば、これ以上の地獄が『ゾディアック』全体に広がります。何としても止めないと」
「じゃあ、その具体的なプランはあるの? いくら何でも、ボクら六人だけで『人型の触手』を倒して回るっていうのは得策じゃないよ? あれがどれだけ増えるのかも分からないんだし」
「分かっていますよ、シャルルさん。そもそも今の私達に取れる策はそう多くはありません。やるべき事は決まっています。まず……」
「えっ、ちょっと待って」
ラプラスが今後の動きの説明をしようとした時だった。突然、結祈があさっての方向を向いて呟いた。
「そんな……この魔力はアリシア!? どうして城外に出てるの!!」
「結祈さん? 一体何が……」
一人取り乱している結祈にラプラスが声を掛けようとするが、彼女の耳には届かない。焦った様子でみんなの方を見ながら少しずつ離れていく。
「ごめんみんな。ワタシ、行かないと。アリシアが殺されたらこの国は本当に詰む!」
「……ッ」
結祈の気持ちの半分は友達であるアリシアの元に一刻も早く向かいたいというものだったが、彼女が叫んだ内容も事実だ。アリシアがこの国の精神的主柱になっているのもそうだが、それ以前に国のトップが殺されたらそこで『タウロス王国』は終わりだ。状況的にはアーサーのいない今の『ディッパーズ』のようなものだ。どれだけ力があろうと、それをまとめて導く存在がいなければ烏合の衆と変わらない。
現状、最大戦力である結祈が離れるのは許容し難い。しかし少し迷ってから、ラプラスは決断を下した。
「……行って下さい結祈さん。後から追います!」
「うんっ! ありがとう、ラプラス!!」
お礼を言ったのも束の間、結祈は飛ぶように移動を始めた。アーサーの『ジェット』と同じように、足の裏から凄まじい密度の風を噴射して高速移動しているのだ。
彼女が消えていった方角を眺めてから、ラプラスは先程の続きを話し始める。
「この事態を収めるには元凶を叩く必要があります。アンナさんとシャルルさんは結祈さんを追って地上での対処に当たって下さい。サラさんとレミニアさんは私と一緒に地下に戻りましょう。『大地』か『魔装騎兵』を見つけて対処します」
四人はラプラスの指示に頷いてすぐにそれぞれの行動を始めた。アンナとシャルルは結祈が消えていった方向へと向かい、ラプラスとサラはレミニアの転移で地下へと戻っていく。
◇◇◇◇◇◇◇
アリシアを筆頭に『人型の触手』の討伐に出向いた『オンブラ』だったが、結論から言うとどうしようもなかった。
そもそも『オンブラ』に限らず現在の『タウロス王国』は結界のせいで外界から孤立しており、国民の避難と『人型の触手』への対処を同時にやればどうしても人員が足りなくなる。それに引き換え『人型の触手』は今の『タウロス王国』に無数にある地下施設への出入り口から絶え間なく出てきて増え続けている。そのせいで戦況は時間が経つほどに悪化の一途を辿っていた。
「嬢ちゃん、もう限界だ! 撤退するぞ!!」
「いいえ、まだです!!」
全身を硬化させて『人型の触手』を殴り飛ばしながらアリシアに向かって叫ぶが、アリシアは『無傷剣』を振るって答えた。剣は一度振るうだけでアリシアの魔力を集束魔力砲のような勢いで飛ばす。魔術を使えないアリシアの魔力を最も効率の良い方法で飛ばすための武装。それが前回の事件の後に作り上げた『無傷剣』の正体だった。
「まだ国民の避難が完了していません。せめて時間を稼がないと……っ」
「だがこの惨状でどこへ避難すれば良いと言うんだ!? ミランダ達の方にも『人型の触手』が襲いかかっているかもしれない。どのみちこの結界じゃ逃げ場はどこにも無いぞ!?」
「ですが……っ」
「嬢ちゃんが死ねば『タウロス王国』も終わる! 前へ出るのも結構だが立場も考えろ!!」
「ッ……」
一瞬の躊躇、それが戦場ではダメだった。『人型の触手』の一体がアリシアに向かって手を伸ばすと、触手が伸びて襲い掛かる。
「しまっ……」
「嬢ちゃん!!」
ニックが盾になるために動き出すがもう遅い。触手の方が早くアリシアへと到達してしまう距離だった。
だがそれよりも早く、頭上から一人の少女が落ちてくる。漆黒の双剣を振り下ろしながら落ちて来た彼女は、アリシアへ襲いかかろうとしていた触手を斬り飛ばした。
「間に合った! 待たせてごめん、アリシア!!」
「結祈!? どうしてここに……!?」
「友達のピンチだからね、駆け付けるのは当然だよ。『風刃・雷刃』」
結祈の持つ二本のユーティリウム製の剣の右には風、左には雷が纏う。そして高速で『人型の触手』の軍勢の中に飛び込んでいくと、すれ違いざまに何体かの首を斬り刎ねた。
しかし『人型の触手』は怯まない。頭部はすぐに生え変わり、飛んで行った頭部からは体が生えて増殖する。思わず結祈も歯噛みした。
「首を落としても死なない上に増殖するなんて……本当に化け物なんだね。なら『天衣無縫』―――『七色魔力水晶』!!」
結祈の周囲にバスケットボールくらいの大きさの光球が七つ生まれる。それらはそれぞれ『火』『水』『風』『地』『雷』『光』『闇』の色と力を持っていた。結祈が何かをする訳でもなく、それぞれの光球からそれぞれの属性の魔力弾が放たれ、的確に『人型の触手』の胸を撃ち抜いていく。
「胸への攻撃は効果あり、か……じゃあ後は簡単だね」
呟きながら結祈が手を空に掲げると、『火』と『光』の光球が頭上で混ざり合って太陽のような一つの巨大な塊になる。
「『太陽光雨』!!」
ババババババッッッ!!!!!! と結祈の頭上の太陽のような光球から光の雨が降り注ぎ、アリシアやニックは避けて『人型の触手』にだけ直撃して倒していく。
降り注いでいた時間は数秒だったが、それだけで十分だった。結祈の周りの『人型の触手』はもう動かず、氷が溶けるように全身が溶けて地面へと染み込んでいった。
「……終わりかな」
魔力は感じ取れないが、結祈の自然魔力感知は輪郭までを感じ取れる。それで動いている物が近くにないのを確認して戦闘体勢を解いた。
だがその瞬間、それを待っていたかのように下半身が地面に溶けていた『人型の触手』が突然動き出して結祈に向かって触手を伸ばして攻撃して来たのだ。鼓動が無いため見落としてしまった反撃に気づいていたが対処が遅れ過ぎた。仕舞った剣を取り出す暇もなく、必死に後ろへジャンプした時にそれは起きた。横合いから飛んで来た魔力の矢が触手を撃ち抜いて結祈の窮地を救ったのだ。
「……ふぅ。一応、来たかいはあったね」
「私は何の役にも立ててないけどね」
「シャル、アンナ……ありがとう」
「まあ、友達だからね。窮地を助けるのは当然だよ」
どこかで聞いた事があるような文句に結祈は微笑を浮かべるが、意識はすぐに『人型の触手』の方に向けていた。今度こそ地面へと完全に溶けて消えたようで、ようやく安堵の息をつく。
「アリシア、状況を教えて。国民の避難はどうなってるの?」
「……ミランダが対応しています。一応、あの事件の後に郊外に避難施設を作ったのでそちらに誘導して貰っています」
「じゃあワタシ達はそこへ向かいつつ『人型の触手』の数を減らすよ。アリシアは一先ず安全な場所に逃げて。もしアリシアが死んだら『タウロス王国』は終わりだよ。護衛はアナタにお願いして良い?」
「ああ。問題無い」
ニックの返答に頷きを返して、結祈はアンナとシャルルと共に移動の準備を始める。アリシアはその様子を眺めながら、自分の無力さに辟易としつつも声をかける。
「……結祈。落ち着いたら皆さんで城の方へ来て下さい。休める準備を整えておきます」
「うん、わかった。じゃあまた後でね」
再会してすぐだったが、彼女達はまた別行動を開始する。
『人型の触手』への対処に三人が加わったのは大きかった。特に自然魔力感知で遠くの『人型の触手』の動きを感じ取り、それを長距離からシャルルが撃ち抜く作業を繰り返す事で安全に行動できていたのだ。
しかし『オンブラ』はすでに壊滅状態。『タウロス王国』の防衛機能もほぼ停止しており、外部からの救援も望めない。実はこの時点で『タウロス王国』は事実上ヨグ=ソトースに落とされていたのだが、地上の問題はまだ生易しいものだった。むしろ最大の問題は難所でもある地下で起きていたのだ。