314 『ナイトメア』始動
時間は少し遡る。
それはまだ、ヨグ=ソトースが『魔装騎兵』に乗って襲来するよりも前の話。
とある三人の少女が『タウロス王国』の街の中を歩いていた。
「結局、今回の仕事って意味あるんでしょうかねぇ?」
チョコミントのソフトクリームを舐めながら呟いた、口の悪いクリーム色の短髪の少女はミリアム・ハント。『W.A.N.D.』の特務部隊である『ナイトメア』に所属しているが、今はラフな私服に身を包んでいるせいでそのようには見えなかった。
「長官は観光って言ってたね。何かが起きれば対処するし、何も起きないようなら長官が帰って来るまでこの調子で良いんじゃないかな」
彼女に疑問に答えたのは、現在『ナイトメア』のリーダーを務めている群青のポニーテールの少女だった。ここにいるのは仲間だけだからか、ヘルトと話していた時と比べると大分砕けた口調になっていた。
彼女の場合はいつものウェットスーツを改良したような特殊スーツではなく、薄手のパーカーと短パンでファッションより動きやすさを重視した、朝方の公園などでランニングをしている風な私服姿だった。ちなみに彼女が食べているソフトクリームはチョコ味だ。この辺り、頭を使う立場なので糖分を欲しているのだろうか?
「こういう観光も悪くはねぇんですけど、ゆっくりしてる暇があるならリーダーを探したいっていうか……」
「リーダー……無事だとは思うけど、自由奔放な人だから寄り道し続けてるのかもね」
彼女達の言うリーダーとはユキノの事ではなく、まだ暗殺部隊だった頃のリーダーである『ナイトメア・イェーガー』の事だ。暗殺部隊だった頃の最後の仕事からずっと行方不明で、しかも彼女達は『ピスケス王国』であった事を知らない。メア・イェーガーと改名した少女が、『水底監獄』でどのような結末を辿ったのかを。
「まあ、リーダーの事は追々探すとして……リリィはどうしていつもの格好なんです?」
リリィと呼ばれたのは三人組の最後の一人で、先程から静かなリリアナ・ストライダーだ。銀髪の長いポニーテールの男装の麗人で、腰にはアダマンタイト製の刀が下げられていた。
いつもと同じ男性用の黒いスーツに身を包んだ彼女はバニラ味のソフトクリームを舐めながらこう答える。
「服を選ぶのが煩わしいだけです。同じ服を数着用意して、それを着まわせば事足りるでしょう? 布切れの色や形の違いで一喜一憂するなど、私には理解できない世界ですね」
「うわー……それって女の子としてどうなのって感じがしやがるんですが」
「リリィは天才肌だからね。頭の良い人も服は同じのを着回すって言うし、そう考えると普通じゃない?」
「え? まさか私が常識知らずって話になってねぇですか? 心外極まりねぇんですが……」
和やかに会話している様子だけを見れば、彼女達はどこにでもいる少女でしかない。しかし忘れてはならない。彼女達は人を殺す事に特化した暗殺部隊の出身で、その手は血で塗れている。
だからこそ仕事柄、彼女達の危険察知能力は常人の遥か上を行く。それこそアーサー・レンフィールドは何となく敵意を感じ取れるが、彼女達の場合は全員がそれ以上の精度で察知できるレベルなのだ。
「ミリアム、リリィ!」
ユキノは跳ね上がるように上空を見上げながら二人の名前を叫ぶ。だが叫んだ時には二人も同じように空を見上げていた。
遥か上空、黒い点のようにしか見えなかった何かが物凄い速度で近づいて来ると徐々に輪郭が明らかになってくる。その正体は巨大な機械人形だった。
「斬りますか?」
脅威を目前に腰の刀に手を添えて構えるリリアナだったが、ユキノは手を前に出して行動を制しながら言う。
「待って、流石に距離が遠すぎる。もう少し離れて様子を見よう」
周囲の人達も飛来物に気づいて逃げていく中、三人は人の流れに逆行するように落下予測地点の方へと向かって行く。勿論、危険が及ばない範囲でだが。
そうこうしている内に巨大な機械人形が地面に接触した。凄まじい轟音と衝撃が振り撒かれ、めくれ上がった地面が火山弾のように周囲に降り注ぐ。ユキノ達は建物の陰でそれをやり過ごしてから、その建物の屋上に外壁から昇って機械人形が空けた穴の様子を窺った。
建物は五階ほどの高さなのであまり遠くは見えないが穴を確認する事はできた。距離は一〇〇メートルくらい離れているだろうか。人一倍視力の強いユキノやリリアナにはこの程度の距離は苦ではないが、ミリアムにとっては見えなくは無いが鮮明には見えない微妙な距離だ。さらにもう一つの変化として、『タウロス王国』をドーム状に囲うように巨大な結界が出来ていた。だが結界の方は今すぐどうこうは出来ないので、あくまで穴の観察に努める。
「で、何か見えやがりますか?」
「まだ何も。リリィは?」
「こちらも確認できませんね。魔力感知を使っても特に何も感じ取れません」
「じゃあしばらく現状維持のままかな。二人は休んでて良いよ。私が見ておくから」
ミリアムとリリアナはその言葉に甘え、ミリアムは座禅で、リリアナは正座で座ると目を閉じた。数秒後、ミリアムから規則正しい寝息が聞こえてくる。リリアナも動きは見えないが半分くらい眠っているような様子だった。
何が起きようとどこでも休む時に休めるというのは、簡単なようでいて実は難しい。特にたかが数秒で眠れるとなると稀有だろう。こうなってくると睡眠ではなく技術の領域になってくるが、それは彼女達がそれだけ優れた暗殺者という証拠でもある。すでに辞めた仕事だが、習慣というのはそう簡単には消えないものなのだろう。
そうしてしばらく監視するだけの時間が続き、穴の方に変化が訪れたのは数十分後の事だった。穴の奥から『人型の触手』がうぞうぞと這い出てきたのを見て、ユキノは後ろで休息を取っていた二人に声をかける。
「二人とも、起きて」
大きな声ではなかったが、ミリアムとリリアナはただ目を瞑っていただけのようにパッと目覚めた。彼女達は寝つきも良ければ寝起きも良いのだ。
「ミリアム。双眼鏡か何か持ってない?」
「勿論ありますが……ユキノの左目があれば必要ねぇんじゃないですか?」
「うん、だからミリアムも見てて。行くよ」
ユキノはさっと左手を太腿に回すとホルスターから拳銃を引き抜くと両手で構えた。すると左目が駆動してカメラのレンズのように動いた。
彼女は『半身機械化兵』だ。普段はネミリアやメアのように人工皮膚でコーティングしているので分かりにくいが、左目だけではなく左腕と左足もユーティリウム製だ。そして彼女の左目は単なる義眼ではなく『代理演算装置』と呼ばれ、目の前の情報から最適な行動を出力できる特殊な装置だ。『未来』の力を可能な限り科学的に再現した代物といったところか。他にも脳と直結しているので思考を加速させて体感的にスローモーションの世界で動く事もできる。その代わり負担も大きいが、死と隣り合わせの人生では活用できている。
今回は常人を超えた演算能力で一〇〇メートル先の『人型の触手』に弾丸が当たる最適なコースを算出し、機械の左腕はブレる事なく照準を合わせてその通りに引き金を引く。すると短い発砲音の後、一〇〇メートル先で『人型の触手』の頭部が大きく抉れて吹き飛んだ。
「……ハンドガンで一〇〇メートル先の標的をヘッドショットとか、相も変わらずユキノの銃の腕はすげぇですね」
「左目の力を使えばこれくらいね。そんな事より様子はどう?」
「うーんと……あっ、ダメですね。吹っ飛んだ頭部が再生して動き始めてる。それに飛んで行った頭部の方からも体が生えて増殖してやがります。となると次は爆弾で全身を木端微塵にするか、体のどこかにあるかもしれない核を探すって感じですかねぇ」
「じゃあ、次は胸の中心を撃ってみる」
軽く言い放ったユキノは再び拳銃を構え直して引き金を引く。弾丸は吸い寄せられるように頭部を再生した直後の『人型の触手』の胸の中心を撃ち抜いた。すると今度は再生する事なく後ろに倒れ、氷が溶けるように触手は地面へと消えていった。
「胸部は効果あり。四肢は未確認だけど、頭部がダメならおそらく無意味だろうね。狙うならやっぱり胸かな」
「どちらにせよ、再生できないほど全身を細切れにすれば殺せますよ」
「そんな事ができるのはリリィだけってのが分からねぇんですか? 私はコソコソ動くのが得意なだけで、二人みたいに強くはねぇんですが……」
「ではコソコソ活躍して下さい。ミリアムに出来ない事は私が、私に出来ない事はミリアムがやる事にしましょう。いつも通りに」
こうやって会話をしている間にも、穴の奥からは絶え間なく『人型の触手』が這い出てきている。逃げるにしても戦うにしても、早々に判断する必要があるだろう。
「それで、これからどうしやがりますか?」
状況に変化をもたらすためにミリアムはユキノに指示を仰ぐ。ユキノは顎に手を置いて少し考えてから、
「……一旦、宿に戻って準備を整えてから地下に潜ろう。何かがあるのは間違いないから調査をしたい」
「長官への連絡は?」
再びのミリアムの問いかけにユキノは僅かに思案しながら、ポケット越しにマナフォンに触れる。一応、ヘルトからは何かがあれば連絡して来て良いと言われているし、こちらが心の底から助けを求めれば転移する魔法を使うとも言っていた。
しかしそれらを踏まえた上で、ユキノは意識的にポケットから手を離した。
「しない。休暇を取るように進言した傍から、彼の力をアテにする訳にはいかない」
「……了解です。はぁ、これって臨時報酬貰えるんですかねぇ?」
うんざりしたように呟くミリアムだったが、体は指示通り動いていた。
そうして『ナイトメア』も動き出す。何が起きているのか分からない地下へと潜り、この混乱の元凶を調べるために。