310 まるで旧知の仲のように
『問題発生だ』
『キングスウィング』で移動中の機内。『タウロス王国』上空に入り間もなく着陸するといった所で通信機を通してセラが機内にいる七人に向かって言い放った。ちなみに『キングスウィング』の操縦はヒルデを介して自動で行っているので、操縦席には誰も座っていない。なので七人が手ぶらで話していても墜落する心配は無かった。
『アリシア・グレイティス=タウロスが行方不明らしい。まあよくある事らしいが』
「……アリシアらしいな」
アーサーはふっと笑みを溢した。それは彼女が行方不明の理由に何となく心当たりがあったからだった。
大方、公務をほったらかしで城下町に出ているのだろう。前に聞いた話だ。おそらくセラに連絡した人達も心配している訳ではない。ただ依頼した手前、王女自身がいない事態はマズいと思い、この土壇場で連絡してきたのだろう。
「それで、向こうは何だって?」
『謝罪だ。こちらの予定に変更は無い。着陸してアリシア・グレイティス=タウロスが見つかるのを待つ形になるな』
「……ったく、素直に助力を乞えば良いのに。結祈、アリシアの居場所は分かるか? 場所の範囲は城下町」
自然魔力感知による人探しを頼むと、さっさとアリシアの居場所を感知した結祈は斜め下を指さした。
「向こうの方。ちょっと大きめの建物の一室にいるよ。少し人が密集してるから、行けば分かると思う」
「了解。ヒルデ、ハッチを開けろ」
『わかりました』
すぐにハッチが開き、強い風が機内に流れ込んでくる。アーサーはその風に逆走して『キングスウィング』の後方へ向かう。
「え……ちょっ、アーサー!? まさか飛び降りるつもりじゃないわよね!?」
高所恐怖症のサラが壁に掴まりながら驚きの声を上げた。アーサーは足を止めて振り返る。
「それが一番手っ取り早い。アリシアを連れて戻るからみんなは先に行っててくれ。セラ、向こうに着いたら対応はラプラスがやる。伝えといてくれ」
『ああ、分かった』
返事を聞くとアーサーは躊躇わずに『キングスウィング』から飛び降りた。
『その担い手は運命を踏破する者』は使わない。過去の世界で『桜花絢爛』を使ってからその影響が残っているのか、強化状態じゃなくてもそれぞれの魔術の強化版が使えるようになっているからだ。
理屈は分からないが、やり方は分かっている。それだけで彼には十分だ。
(おっ、あそこだな、多分)
結祈が指した大体の方向を見下ろすと、他の建物より少し大きいものが目についた。その方向に向かってアーサーは『幾重にも重ねた小さな一歩』を使って跳ぶ。
地上より少し高い場所に転移したアーサーは再び落下して着地する。何度も高所から落ちて来たので、すでに落下に恐怖心は無い。今では慣れたものだ。
突然現れた事で周囲の視線が集まっているのは自覚していたので、適当に手を振っておきながら件の建物を見上げる。茶色い外壁で二階建てだが用途は不明。しかし結祈の言った事に疑う余地は無いので、遠慮せず中へと入って行く。
窓を挟んで受付にいた人物に所属と名前を明かすと、すぐに中に入れてくれてアリシアの居場所まで教えてくれた。それに従って歩いていくと少し開けた場所に彼女はいた。何かの集会でもしているのか、そこには一人だけではなく椅子に座った大勢の前で彼女自身も椅子に座って何かを話していた。アーサーは邪魔をしないように近くの柱に肩をつけて寄り掛かり、耳を澄ませて彼らのやり取りを眺める。
「……夜中に通りを車が通ったの。その揺れが寝ている私の所まで届いて……飛び起きた。気付いたら枕元に置いてあったナイフを握ってて、車が原因だと気付いたのはそれから。……あの日の事を忘れられなくて、毎日のように夢を見る。でも夢の中でも現実でも……隣に寝てたあの子はもうどこにもいない」
その女性の話を聞いて、何となくアーサーにもこの集会の意味が分かって来た。
ここにいるのは、あの日の事件でドラゴンによる被害を受けた人達なのだろう。アーサー達が間に合わなかったせいで、大切な何かを失った人達。目を逸らす事などできるはずがなかった。
「……私達はあの日に多くの忘れ物をしました。もう取り戻せない忘れ物を。ですが過去を引きずり続けるよりも、前を向いて生きていけるようにしていきましょう。一人で抱え続けるのではなく、みんなで一緒に抱えていける方法を考えていきましょう。そうしてあの日の事を後世に語り継いでいくんです。二度と同じ過ちを繰り返さないために、そしてこの国をより良くするために。それが出来るのは、失う痛みを知っている私達だけです」
丁度、女性の話が最後だったようで、集会はそれで終わりだった。一人一人とあいさつを交わして一人になったのを確認してから、アーサーは柱から離れてアリシアの方に向かう。アーサーが声をかけるよりも前に、アリシアの方が口を開いた。
「これはまた懐かしい人物ですね。前に出会ったあなたは頭が切れて、知力と爆弾で戦う少年でしたが、今では軍団のリーダーで集束魔力砲を右手から放つとか。人の成長は早いですね」
「何か言葉に棘が無いか、アリシア? とりあえず久しぶり。聞いてはいたけど、傷の具合は良さそうで安心した」
「ええ、久しぶりですアーサーさん。私を呼び捨てにするのは今やあなたくらいですよ? ニックは公務以外では未だに嬢ちゃん呼びですが」
最後に別れた時、彼女はフレッドが放った銃弾で負傷していた。結局あの後、アーサー達は『タウロス王国』の出入りが封鎖される前に逃げるように出国したので、直接会うのはあれ以来だった。
話した時間を全部合わせたって一時間にも満たない関係。だけど芯が似ている者同士だからだろうか。まるで旧知の仲のように言葉を交わすのに違和感は無かった。
「少しだけど集会を見せて貰ったよ。彼らはその……」
「ええ、同じ苦しみを知っている人達です。後悔や……喪失感を」
アーサーが言い淀んでいると先にアリシアが答えを口に出した。口調に覇気は無い。彼らを励ます言葉を放っていたが、その言葉は自分自身に言い聞かせている側面も持っていたのかもしれない。
あの事件が起きた原因の一因。アリシアの自分に対する評価を表すならそれが打倒だろう。罪悪感を拭う為の集会が、彼女にとっては逆に自分を縛る鎖になっている。まるでそれが自分に課せられた罰だと言わんばかりに。
「それで、頼まれて私を探しに来たんですか?」
「いや、到着前にアリシアの不在を知らされたから『ジェット』から飛び降りて探しに来たんだ。だからもう戻るなら俺が連れ戻したんじゃなくて自主的に戻った事にするけど。俺は別に急いでないし」
「ありがとうございます」
笑って答えてから、二人並んで歩きながら城の方に戻っていく。
建物を出ると先程よりもさらに注目される事になった。この国の王女様を連れて歩いているのだから当然だろうが、大人から子供まで全員が注目していて、子供なんかはこちらに手まで振っている。それを見れば彼女がどれだけこの国のみんなに愛されているのかが分かる。アリシアは子供達に応えるように笑顔で手を振りながら、しかし手を下ろして前を向くと途端に曇った表情で静かに口を開く。
「……私がこうして皆さんと関わるのは元から好きだというのもありますが、罪悪感や後悔が大きいです。あの日、お兄様が起こした事件で大勢の人が犠牲になりました。あなたは知っているでしょうが、私もそこに関与していました」
「アリシア……それは」
「大勢の人が苦しめられているのを、私はただ見ている事しかできなかったんです。あなたやニック達がいなければ、もっと大勢の人が苦しんでいました。……全て私のせいです」
慰めの言葉を吐き出そうとして、しかしすぐに口をつぐんだ。彼女の気持ちが痛いほど分かってしまったのだ。仮にアーサーがアリシアの立場だったら、やはり彼女と同じ事を思っただろう。
見ている事しかできなかった。
全て自分のせい。
その言葉で一番最初に頭に浮かんだのは、シエル・ニーデルマイヤーの事だった。
「……気持ちは分かる、辛いよな。全部自分でせいって思うのは仕方ないのかもしれないけど……『タウロス王国』の件だけを見るなら俺のせいでもあるよ。俺はあの時、フレッドに追いつくのが遅すぎて……多くの人を守れなかった。お前だけのせいじゃない」
「……アーサーさんは甘いですね。私の罪まで背負う必要はないんですよ?」
「あるよ。俺は『担ぎし者』だから」
「そんな……っ」
声を荒げて驚いた表情をアーサーに向けるアリシア。するとアーサーは悪戯っぽくふっと笑みを浮かべて、
「なんてな。今お前が俺の言葉に反論したように、お前が全部自分のせいだって思っても誰も救われないんだ。だからあまり自分を責めないでくれ。俺も大勢の命を背負って戦う事があるけど……全員は救えない。それが分かってないと、次は自分すら守れなくなる。そうなれば大切な人をもっと失う」
「……ええ、分かっています」
卑怯な言い方だとは分かっていた。アリシアの優しさに付け込み、彼女が自分を責めすぎないように言葉として認めるように仕向けたのだ。頭が切れると彼女は言ってくれたが、その頭でこんな方法しか思い付かなかった事にうんざりして来る。
一息ついて、アーサーは話題を変えるために言葉を放つ。
「そういえば言う機会が無かったけど、改めて就任おめでとう。王女生活はどんな感じだ?」
「そうですね……まあ、私に命令する人の数はゼロに近くなりました。内緒で街に出たのがバレると怒られますが」
「相変わらず変わらないな。まあ、そこがあんたの良い所だとは思うけど。なあ、国王陛下?」
「からかわないで下さい。そういうあなたも相変わらずだと『シークレット・リーグ』経由で聞いていますよ? 特にアクアさんはべた褒めですね。ダイアナさんも言葉にはしませんが信頼しているのが分かります。『ディッパーズ』の活動は順調のようですね」
「……どうかな。だと良いけど」
言いながら、アクアとダイアナの名前を聞いたアーサーは優しい笑みを浮かべていた。
自分の行動で救われた人がいる。その事実は失う事で疲れた心の糧になる。自分が関わった人達がその後を幸せに暮らしていたら、それ以上に言う事は何も無いのだ。
「ただし懸念もあります。『ディッパーズ』にではなく、あなた個人に対して」
「……俺に?」
「はい。あなたは人のためにその命を使っていますが……それはあなた自身の幸福に繋がる生き方だとは思えません。まるで自分の人生を生きていないような印象を受けます。私と同じように、罪悪感や後悔を抱えて。『担ぎし者』の呪いがあるのは知っていますが、それでも自分の人生を生きる事もできるんじゃないですか?」
「……、」
突然の問いかけに心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚え、歩いていた足が止まった。少し前に進んだアリシアも足を止めて振り返る。
改めて顔を突き合わせることになった二人は少しの間互いを見つめ合う。やがてアーサーはゆっくりと口を開いた。
「……アリシアは王女を辞めたいと思った事は?」
「ありませんね。国民の皆さんを一番近くで支えられて良い事尽くめですし、私自身がこの仕事をとても気に入っています。そういうあなたは、今の生き方を辞めたいと思った事はあるんですか?」
自分が質問した内容が返って来るなんて簡単に予想できただろう。だというのにアーサーは首を横に振って、
「いや……わからない。この生き方を辞めた所で、今の自分に何が出来るのかも分からないし」
「でしたら内政者などどうですか? うちの国でなら雇います。今思い付きましたが、中々良いアイディアだと思いますよ? きっと向いているでしょうし。それにあなたならやりたい事なんでも出来るような気がします」
「冗談よせよ。向いてないって」
アリシアは割と本気で言っていたのだが、アーサーにその気は無かった。
正直、どこの国だろうと政治に関わるつもりはなかった。『ディッパーズ』が政治に関われば間違いなく利用される。誰が悪党なのかを決めるのが一つの国になるような事態を避けるためにも、『ディッパーズ』は政府と無関係でなくてはならないのだ。
とはいえアーサーのスカウトに失敗した事に若干の落胆をしながら、彼女は続けて質問をぶつける。
「何がしたいですか? 私に出来る事なら手助けしますよ?」
改めての問いかけに再びアーサーは同じ事を考える。今と同じ人助けと答えるのは簡単だが、アリシアが求めている答えはそれではないだろう。この道の先、行き着く所まで行った後の人生の話だ。
しかし、それが分かっていても彼の答えは変わらず、僅かに考えてから微笑を浮かべて小さく首を左右に振った。
「……わからない」
アリシアは彼のその笑みに、どこか寂しさを帯びているような印象を受けていた。
運命に取り憑かれて自分の人生を生きていない。
彼がそこから抜け出せる日は来るのだろうか?
ありがとうございます。
自分のやりたい事は? と聞かれてわからないとしか返せなかったアーサー。この部分に彼の弱さと苦悩があります。大切な人を守れなかったのに、自分だけが幸せになって良いのか、という葛藤ですね。今まで関わり、助けた人達や助けられなかった人達に対する責任。そして『担ぎし者』としての運命。色々なものが相まって、アーサーは自分の人生を生きようとは思えないのです。